鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

『百年前の東京絵図』について その1

2009-07-27 05:03:22 | Weblog
幕末・明治を生きた人々が歩いた道筋にどういう風景が広がっていたか、ということを知る手掛かりは、古写真であり、文章(小説・日記・紀行文・記録文・研究書・随筆等々)であり、また絵画資料(浮世絵・絵葉書・泥絵・石版画等々)であったりするのですが、とくに古写真や絵画資料ほどかつての風景を今に髣髴(ほうふつ)とさせるものはない。江戸・東京を調べていて、当時の人々のようすや街の風景がよくわかる絵画資料に出会った時ほど、うれしくなることはない。古写真も人や街のようすを知ることが出来るとても重要な歴史資料であるのですが、幕末や明治半ば頃までにおいては、その撮影に要する時間の制約もあって人々が動き回る雑踏を写し出すことは困難でした。指示通りに人を配置する(ポーズをとらせる)ということが必要でした。たとえば『ケンブリッジ大学秘蔵明治古写真』ですが、ここに掲載されている写真はすべて臼井秀三郎が撮影したものですが、その風景写真の中に人が写しこまれているのはごくまれです。P159の「新冨座」には群集が写っているものの、動きがあるためぼけて写っています。P161上の「上野公園入口の洋式風車」は、明治10年(1877年)の第1回内国勧業博覧会の時のものですが、群集は写っていますが、やはり手前を中心にぼけています。その点で貴重なのは表紙カバーの裏側の、ギルマール一行を乗せた人力車の連なりを写した写真。これは明治15年(1872年)に写されたものと思われ、人力車夫の出で立ちや通り筋の商家のようすがよくわかる写真です。しかしみな臼井の構えるカメラを意識してポーズを取っています。それに較べると絵画資料の方は、雑踏を彩色のもとに描き、場合によってはその雑踏の中の人々の表情や生活の物音までを生々しく感じさせるものがある。写真の生々しさとはまた別の生々しさを感じさせるのです。当時の人々の生活は「ああ、こうだったんだ」「ああ、こうだったのか」とたしかに感じさせるものがあるのです。最近目にしたものでは、『東京市電名所図絵』の一連の石版画であり、また『百年前の東京絵図』の山本松谷(しょうこく)の石版画がそれでした。この『百年前の東京絵図』は、山本松谷が『風俗画報』の「新撰東京名所図会」に描いたものを抜粋したもの。ここには明治30年代を中心とした東京の通りを行く人々の様子、通り界隈の風景が見事に描き出されています。 . . . 本文を読む