以前も述べたが、私がうどんを好きになり、食べ歩くようになったのは、今から5年前の2017年。
きっかけとなったお店は、吉祥寺の『うどん白石』だ。
※つい先日食べた、「かけ」+「生卵」の月見うどん
※汁を先に飲み釜玉風にする、「マツコ式」を試してみた
その数年前、初めてうどんをウマいと思ったのが、下高井戸の『JAZZ KEIRIN(ジャズケイリン)』。
ついでに、初めて知ったうどん専門店は、おそらく『山田うどん』、現『山田うどん食堂』だが、
初めて知ったうどんの名店は、たぶん東村山の『小島屋』。山田うどん、「非名店扱い」でゴメン。
小島屋さんを知ったのは、私が尊敬するライター・伊丹由宇先生の著書「こだわりの店乱れ食い」にて。
青年漫画誌ビッグコミックオリジナルの連載コラム「こだわりの店 不親切ガイド」をまとめた書籍で、
伊丹先生が絶賛した、私の地元多摩地区・東村山のうどん屋さんということで、記憶に残ったのである。
ただ、書籍が発売されたのは2001年。この頃の私は、うどんを目当てに出かける習慣はなかった。
その後、TVや雑誌で小島屋さんは何度も取り上げられ、有名なお店だということも判明したのだが、
私自身は相変わらず、「近くに行く機会があれば…」と、積極的に寄ろうとはせず。
実際は、西武園競輪という、「近くに行く機会」が何度もあったのだが、
競輪場からも徒歩圏内だった、小島屋さんのことを忘れていた、当時の自分を叱責してやりたい。
「昼間だけ、しかも売り切れ早じまいアリ」という営業時間も、正午くらいまで寝ている私には厳しく、
初訪問は結局、うどん店を巡るようになってから3年目、2019年9月になってしまった。
西武線の東村山駅から10分ほど歩くと、「小島屋」と記されたオレンジ色の屋根が見えてくる。
創業は昭和39(1964)年。もっとひなびた建物かと想像していたが、何度か改装したのだろう。
既出した、伊丹先生の著書で得た情報を、以下で羅列する。
〇薪のかまどでうどんを茹でる
〇お店の名物は「肉汁うどん」
〇女将さんが毎朝竹で打つうどんは、柔らかいのにコシがある
〇出汁は関東のコクと関西の微妙な甘さの中間
〇天ぷらに使う野菜や薬味のネギは、裏の畑から採ってくる
〇西日本(山口県)出身の伊丹さんが「初めて関東のうどんを旨いと思った」
入店すると、おばちゃんが「いらっしゃ~い」とお出迎え。この方が、女将さんの小島孝子さんだろう。
「お好きなお席へどうぞ」と告げられ、テーブル席へ。いただいたお冷やで喉を潤しながら、
壁のメニューを確認し、名物の「肉汁うどん 並」750円をオーダーした。
上記画像ではわかりづらいだろうから、卓上のメニューも撮影。
※この画像も、決してうまい撮影ではない
肉汁うどんや「カレー汁うどん」はつけタイプ、「肉うどん」や「カレーうどん」はかけタイプだと思われる。
こちらはうどん以外のメニュー。自家製野菜使用の天ぷら各種は、01年が85円で、18年後もオール105円と破格。
ビールと天ぷら、シメにうどんでもよかったが、もう1軒ハシゴする予定だったので、アルコールは自重。
数分後、女将さんが肉汁うどんを運んできた。普段はおばちゃん店員が複数いるようだが、この日は女将さんだけ。
つけ汁にはたっぷりの豚肉と長ネギ。しょっぱすぎず、ほんのり甘味があって食べやすい。
うどんにはワカメと、かき揚げ天ぷらも付いてきた。これはありがたい。
武蔵野うどんの系統かと思っていたが、自家製うどんは硬くなく、むしろ柔らかい。
モチモチとした歯触りで、塩分も控えめ。肉汁との絡みがよく、スルスルと食べ進められた。
なので、もう1軒ハシゴするにもかかわらず、「替玉」105円を追加してしまった。
すぐに出てきたので、茹で立てではないだろうが、不揃いのうどんはソフトでおいしく、いくらでも食べられる。
女将さんは、お冷やを追加してくれたり、「今日も暑いですね」などと、私に度々話しかけてくれた。
家庭的な味わいの手作りうどんと天ぷら、そして初訪問の私にも気さくに応対する女将さん。
まるで親戚や友人のお宅に遊びに来たような、居心地のいい空間とひとときであり、
「ああ、オレはこういうお店が好きなんだな…」と、自分の好みに改めて気付かされた。
今でも、その思考と嗜好は間違っていないと断言できる。
飲食店に通う理由は、美味しいモノを食べたい、満腹になりたい、栄養摂りたい、などいろいろある。
私の場合は全部ひっくるめて、「いい気分になるため」である。子供じみた表現でスマン。
「いい気分になる」は、「イヤな気分にならない」とイコールであり、どんなに美味しい料理でも、
料理人や店員の態度が悪かったり、客層がひどかったり、値段がバカ高かったりすると、いい気分も台無しである。
反対に、料理の味だけでなく、店主の対応や人柄が気に入り、ファンになったお店はいくつもある。
小島屋さんはそんなお店のひとつであり、女将さんの真摯な心が伝わってくる、愛すべき名店であった。
繰り返しになるが、小島屋さんのうどんは茹で立てではなく、時間帯によっては残念な状態の場合もあるらしい。
実際、ネットでは批判的なコメントもいくつか見受けられるし、私が愛読している某うどんブログでも、
「うどんを持ち上げた瞬間、ブツブツと千切れた」と嘆いていた。辛口意見は少ないブログなのに…。
確かに、好みに合わない方もいるだろうし、世の中にはここよりも美味しいうどん店は多数あるだろう。
それでも私は、小島屋さんを気に入ったし、その後も通うつもりであった。
初訪問から数ヶ月後、父親の死去など家庭の事情もあり、私自身の外食機会が激減。
さらに数ヶ月後にはコロナ騒動が勃発し、小島屋さんも休業に見舞われた。
2020年頃、東京新聞の<東村山新聞>というサイトが、こちらの記事で小島屋さんを取材しており、
現在は営業を自粛しているが「終息したら、また頑張らなきゃね。楽しみにしてくれる人たちがいるから」と前を向いた。
という女将さんのコメントを掲載し、文を締めている。
「楽しみにしてくれる人たち」のひとりである私も、再開を待ちわびていたが、ネット情報では常に「臨時休業中」。
申しわけないが、今年に入ると私もチェックを怠り始め、迎えたつい先日。
いつものように「東村山 うどん 小島屋」でネット検索したところ、Googleには「閉業」、食べログには「閉店」の文字が!
今年の9月末、小島屋さんはひっそりと、58年の歴史に幕を下ろしていた。
理由や事情は私にわかるはずもないが、女将さんもおそらく、不本意だったのではないか。
結果的に、小島屋さんは一期一会となってしまった私。
こんなことなら、あのとき「かけうどん」や「カレーうどん」も食べておくべきだった。
ちなみに、あの日私が2軒目に寄ったのは、同市内の『ひの食堂』。
※当日食べた「豚肉スタミナ」の単品と、現役で稼働していたピンク電話
こちらも、ご夫妻で営むほのぼのとした雰囲気の食堂であったが、一昨年の春に閉店している。
志村けんさんも含め、東村山は近年、3つの宝を一気に失ったといえる。立川市民の私も悲しい。
拙ブログで取り上げる飲食店は、「いいお店なので、皆さんも行ってみてください」という意味が込められている。
なので今回のように、閉業したお店を紹介するのは例外中の例外で、方南町の『御利益』さん以来、2度目である。
突然の閉店は、これまで何度も経験してきたが、今回の小島屋さんは、かなりショックだった。
僭越ながら、「こんな素晴らしいお店があったんですよ」と、世間の方々にお伝えしたく、記事にさせていただいた。
一度しか食事しなかった私に、そんな資格はないかもしれないが、どうかお許しいただきたい。
また、私自身も今回の閉店を教訓とし、今後は「行きたいと思った店は、あと回しにしない」ことを誓った。
たとえば、前回の日記で「もっとも行きたくなった店」と評した、青梅市のとんかつ&ラーメンの『幸泉』には、
先日さっそく行ってきたので、近いうちにリポートする予定だ。
※『幸泉』のとんかつ単品。リポートはこちら
最後に。女将さん、並びに従業員の皆さん、長年の営業お疲れさまでした。
小島屋さんのことは一生忘れません。皆さんどうか、いつまでもお元気で!
手打ちうどん 小島屋
東京都東村山市野口町3-10-3
西武線東村山駅から徒歩約11分、武蔵大和駅や西武園駅からも同じくらいの距離
営業時間 10時半~14時くらいまで、売り切れ早じまいあり
定休日 日、祝、不定休?
※文中のとおり、22年9月に閉店なさいました
きっかけとなったお店は、吉祥寺の『うどん白石』だ。
※つい先日食べた、「かけ」+「生卵」の月見うどん
※汁を先に飲み釜玉風にする、「マツコ式」を試してみた
その数年前、初めてうどんをウマいと思ったのが、下高井戸の『JAZZ KEIRIN(ジャズケイリン)』。
ついでに、初めて知ったうどん専門店は、おそらく『山田うどん』、現『山田うどん食堂』だが、
初めて知ったうどんの名店は、たぶん東村山の『小島屋』。山田うどん、「非名店扱い」でゴメン。
小島屋さんを知ったのは、私が尊敬するライター・伊丹由宇先生の著書「こだわりの店乱れ食い」にて。
青年漫画誌ビッグコミックオリジナルの連載コラム「こだわりの店 不親切ガイド」をまとめた書籍で、
伊丹先生が絶賛した、私の地元多摩地区・東村山のうどん屋さんということで、記憶に残ったのである。
ただ、書籍が発売されたのは2001年。この頃の私は、うどんを目当てに出かける習慣はなかった。
その後、TVや雑誌で小島屋さんは何度も取り上げられ、有名なお店だということも判明したのだが、
私自身は相変わらず、「近くに行く機会があれば…」と、積極的に寄ろうとはせず。
実際は、西武園競輪という、「近くに行く機会」が何度もあったのだが、
競輪場からも徒歩圏内だった、小島屋さんのことを忘れていた、当時の自分を叱責してやりたい。
「昼間だけ、しかも売り切れ早じまいアリ」という営業時間も、正午くらいまで寝ている私には厳しく、
初訪問は結局、うどん店を巡るようになってから3年目、2019年9月になってしまった。
西武線の東村山駅から10分ほど歩くと、「小島屋」と記されたオレンジ色の屋根が見えてくる。
創業は昭和39(1964)年。もっとひなびた建物かと想像していたが、何度か改装したのだろう。
既出した、伊丹先生の著書で得た情報を、以下で羅列する。
〇薪のかまどでうどんを茹でる
〇お店の名物は「肉汁うどん」
〇女将さんが毎朝竹で打つうどんは、柔らかいのにコシがある
〇出汁は関東のコクと関西の微妙な甘さの中間
〇天ぷらに使う野菜や薬味のネギは、裏の畑から採ってくる
〇西日本(山口県)出身の伊丹さんが「初めて関東のうどんを旨いと思った」
入店すると、おばちゃんが「いらっしゃ~い」とお出迎え。この方が、女将さんの小島孝子さんだろう。
「お好きなお席へどうぞ」と告げられ、テーブル席へ。いただいたお冷やで喉を潤しながら、
壁のメニューを確認し、名物の「肉汁うどん 並」750円をオーダーした。
上記画像ではわかりづらいだろうから、卓上のメニューも撮影。
※この画像も、決してうまい撮影ではない
肉汁うどんや「カレー汁うどん」はつけタイプ、「肉うどん」や「カレーうどん」はかけタイプだと思われる。
こちらはうどん以外のメニュー。自家製野菜使用の天ぷら各種は、01年が85円で、18年後もオール105円と破格。
ビールと天ぷら、シメにうどんでもよかったが、もう1軒ハシゴする予定だったので、アルコールは自重。
数分後、女将さんが肉汁うどんを運んできた。普段はおばちゃん店員が複数いるようだが、この日は女将さんだけ。
つけ汁にはたっぷりの豚肉と長ネギ。しょっぱすぎず、ほんのり甘味があって食べやすい。
うどんにはワカメと、かき揚げ天ぷらも付いてきた。これはありがたい。
武蔵野うどんの系統かと思っていたが、自家製うどんは硬くなく、むしろ柔らかい。
モチモチとした歯触りで、塩分も控えめ。肉汁との絡みがよく、スルスルと食べ進められた。
なので、もう1軒ハシゴするにもかかわらず、「替玉」105円を追加してしまった。
すぐに出てきたので、茹で立てではないだろうが、不揃いのうどんはソフトでおいしく、いくらでも食べられる。
女将さんは、お冷やを追加してくれたり、「今日も暑いですね」などと、私に度々話しかけてくれた。
家庭的な味わいの手作りうどんと天ぷら、そして初訪問の私にも気さくに応対する女将さん。
まるで親戚や友人のお宅に遊びに来たような、居心地のいい空間とひとときであり、
「ああ、オレはこういうお店が好きなんだな…」と、自分の好みに改めて気付かされた。
今でも、その思考と嗜好は間違っていないと断言できる。
飲食店に通う理由は、美味しいモノを食べたい、満腹になりたい、栄養摂りたい、などいろいろある。
私の場合は全部ひっくるめて、「いい気分になるため」である。子供じみた表現でスマン。
「いい気分になる」は、「イヤな気分にならない」とイコールであり、どんなに美味しい料理でも、
料理人や店員の態度が悪かったり、客層がひどかったり、値段がバカ高かったりすると、いい気分も台無しである。
反対に、料理の味だけでなく、店主の対応や人柄が気に入り、ファンになったお店はいくつもある。
小島屋さんはそんなお店のひとつであり、女将さんの真摯な心が伝わってくる、愛すべき名店であった。
繰り返しになるが、小島屋さんのうどんは茹で立てではなく、時間帯によっては残念な状態の場合もあるらしい。
実際、ネットでは批判的なコメントもいくつか見受けられるし、私が愛読している某うどんブログでも、
「うどんを持ち上げた瞬間、ブツブツと千切れた」と嘆いていた。辛口意見は少ないブログなのに…。
確かに、好みに合わない方もいるだろうし、世の中にはここよりも美味しいうどん店は多数あるだろう。
それでも私は、小島屋さんを気に入ったし、その後も通うつもりであった。
初訪問から数ヶ月後、父親の死去など家庭の事情もあり、私自身の外食機会が激減。
さらに数ヶ月後にはコロナ騒動が勃発し、小島屋さんも休業に見舞われた。
2020年頃、東京新聞の<東村山新聞>というサイトが、こちらの記事で小島屋さんを取材しており、
現在は営業を自粛しているが「終息したら、また頑張らなきゃね。楽しみにしてくれる人たちがいるから」と前を向いた。
という女将さんのコメントを掲載し、文を締めている。
「楽しみにしてくれる人たち」のひとりである私も、再開を待ちわびていたが、ネット情報では常に「臨時休業中」。
申しわけないが、今年に入ると私もチェックを怠り始め、迎えたつい先日。
いつものように「東村山 うどん 小島屋」でネット検索したところ、Googleには「閉業」、食べログには「閉店」の文字が!
今年の9月末、小島屋さんはひっそりと、58年の歴史に幕を下ろしていた。
理由や事情は私にわかるはずもないが、女将さんもおそらく、不本意だったのではないか。
結果的に、小島屋さんは一期一会となってしまった私。
こんなことなら、あのとき「かけうどん」や「カレーうどん」も食べておくべきだった。
ちなみに、あの日私が2軒目に寄ったのは、同市内の『ひの食堂』。
※当日食べた「豚肉スタミナ」の単品と、現役で稼働していたピンク電話
こちらも、ご夫妻で営むほのぼのとした雰囲気の食堂であったが、一昨年の春に閉店している。
志村けんさんも含め、東村山は近年、3つの宝を一気に失ったといえる。立川市民の私も悲しい。
拙ブログで取り上げる飲食店は、「いいお店なので、皆さんも行ってみてください」という意味が込められている。
なので今回のように、閉業したお店を紹介するのは例外中の例外で、方南町の『御利益』さん以来、2度目である。
突然の閉店は、これまで何度も経験してきたが、今回の小島屋さんは、かなりショックだった。
僭越ながら、「こんな素晴らしいお店があったんですよ」と、世間の方々にお伝えしたく、記事にさせていただいた。
一度しか食事しなかった私に、そんな資格はないかもしれないが、どうかお許しいただきたい。
また、私自身も今回の閉店を教訓とし、今後は「行きたいと思った店は、あと回しにしない」ことを誓った。
たとえば、前回の日記で「もっとも行きたくなった店」と評した、青梅市のとんかつ&ラーメンの『幸泉』には、
先日さっそく行ってきたので、近いうちにリポートする予定だ。
※『幸泉』のとんかつ単品。リポートはこちら
最後に。女将さん、並びに従業員の皆さん、長年の営業お疲れさまでした。
小島屋さんのことは一生忘れません。皆さんどうか、いつまでもお元気で!
手打ちうどん 小島屋
東京都東村山市野口町3-10-3
西武線東村山駅から徒歩約11分、武蔵大和駅や西武園駅からも同じくらいの距離
営業時間 10時半~14時くらいまで、売り切れ早じまいあり
定休日 日、祝、不定休?
※文中のとおり、22年9月に閉店なさいました