へなちょこかいご

アルツハイマー型認知症・80代の母との暮らしで思う事。
母は2021年秋に亡くなりました。父の事も少し。

父、最期の日 ②

2023年05月11日 | 父のこと
午前中、母と病院へ行くと、昨日より悪化した感じで、反応もなし。

水枕をした頭が左右に小さく動くだけ。

手がかさかさだったので、クリームを塗る。

おむつとパッドを置いて、一旦帰宅。

昼過ぎに病院から電話で、先生の話があります、と。

胸水が溜まり、炎症反応の数値が上がり、熱は下がらず。抗生物質も効かないなど、

状態が悪く、回復は難しいとのこと。

万が一の事を覚悟して下さい、と。

父は重篤な人が入る個室に移動。

何か好きなものを持って来て食べさせてもいいと言われましたが、

食べさせられる状態じゃないのでは、無理に食べさせてそれで死んでしまうのでは、

と、思いました。

母が長い時間じっとしていられないので、また一旦帰宅。車で15分ほどの距離でした。

午後に、病院から呼吸が浅く血圧も低下していると知らせがあり、駆けつけました。

私は途中、あ、だめだった、と思いました。

駐車場から病院へ向かっていると、母が

「覚悟しないと」「落ち着け」と自分に言い聞かせていました。

母も何か感じていたのでしょうか。

ナースセンターで名前を言うと、看護師さんが、

「電話の後、急に悪くなって…。連絡したい人はいますか?」と。

別の看護師さんがさえぎるように、こちらへ、と案内。

なんだかピンと来ないままついて行くと、

今、先生が診てくれた、声をかけてあげて、などと言うので、ああまだ生きているのだと思い、

父の耳元でお父さんお父さんと呼んでいたら先生が来て、

「○時○分でした。死亡診断書には心不全と書きました」

それで、ああ死んだんだとわかりました。

そういえば酸素マスクをしていない。

家族でのお別れの時間、酸素と点滴も取ってもらいました。

楽になったんだね、お疲れ様だったね、と父をねぎらい、清拭をしてもらいました。

10ヶ月振りのカニューラのついていない父の顔。

やせた上、入れ歯をしていないのでげっそりしていましたが、とてもきれいでした。

後は葬儀の準備に切り替えなければ。

葬儀社の方が迎えに来ると、看護師さん達が見送ってくれました。

ありがたい。

葬儀の会館に向かう前に、家の前を通ってくれました。これもありがたい。

ストレッチャーに乗っている父に、お父さん、家に来たよ、と伝えました。

ドライバーさんが、「広いお庭ですね」と。

広くもないのですが、父は庭をほめられるのがうれしかったので、

これもまたありがたい。

会館に安置してもらってからは、父ほったらかしで葬儀の打ち合わせ。

細かくて面倒で疲れました。

プランや品物の中でどれがいいのか何がどうなのか混乱。

係の方に「これでいいですね?」と念を押されてはあいまいなファイナルアンサー。


その日の私の雑記帳に、

父、終わったなあ。本当に本当にお疲れ様でした。長年家族のためにありがとう。

最期、ありがとうと紙に書いて見せたかったけどかなわなかった。

母と笑顔で手を取り合って欲しかったけど、あっという間だった。

上手く世話出来なくてごめんね。父なら許してくれるよね、バカ娘を。

葬儀が終わるまでもうひと頑張りするね。お父さんの思うようなものでは

ないかもしれないけれど、こういう時のために希望を伝えなかったからだよ。

でもそれも許してね。

なんだかおかしいよ。

楽になったんだね、お父さん。

本当にお疲れ様でした。感謝しています。また会いましょう。

と記してありました。


母は、父の死に、

「夢を見てるみたい」と言っていました。













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