へなちょこかいご

アルツハイマー型認知症・80代の母との暮らしで思う事。
母は2021年秋に亡くなりました。父の事も少し。

連れて行かれる

2015年09月29日 | 日記
外でデイサービスの車を待っていた母をふと見ると、

知り合いと立ち話していました。

私も外に出て挨拶し、ちょっと話すと、その人は

「私も連れて行かれるから」

と言って場を去ろうとしました。


ここにいたら自分もデイサービスに連れて行かれる…。

本人は、気の利いた冗談のつもりでしょうが、

私は思わず、

連れて行かれるだって、と失笑してしまいました。

その人には聞こえたのかどうか。

母は困ったように笑っていました。



行かせられている。

連れて行かれる。


ほんと、失笑しかない。

あるいは苦笑。




ドラマのセリフ

2015年09月28日 | 日記
夕べテレビドラマを観ました。

2時間のサスペンスものだったと思います。

途中からなので、詳しいストーリーはわかりませんが、

面白そうだったので最後まで見ました。

面白かったです。

ただ、劇中のセリフのひとつが引っ掛かりました。


事件の犯人を友人になすりつける場面。

あなたは不幸な身の上で、というような事を言い、

「お母さんは認知症で何もわからない」

だからあなたが犯人でもいいだろう、と。



劇中に必要なセリフなのでしょう。

そこは無視してセリフだけを拾って思いました。

ああそうなんだな。

認知症だから、何もわからないから。

そういう偏見。


認知症の知識がない、患者に接する機会がない人はもちろん、

介護を仕事にしている人でも、

そう思う事はあるようです。


私も母に対して、どうせ忘れるから、覚えてないから、と思う事があります。

それも偏見ですね。










イライラ度が低く

2015年09月22日 | 日記
最近、母の言動へのイライラ度が低くなりました。

寛容になったのではなく、疲れたのです。

気持ちが荒ぐ事に。


負の興奮て、相当エネルギーを使います。

その働きがにぶくなったのです。

夏の疲れも出ているのだと思います。


母との時間はこの先長い。

そうすると、自分の心身がもたない。

自分の気持ちを静めないと。


なので、この疲れをいい事に、

このままふわっと行けたらいいのですが。


一見ふわっとでも、どこかしらにトゲトゲはついているでしょう。
















そのために休みたい

2015年09月15日 | 日記
亡くなった父は、

介護は家で、家にいる女がするもの、という考えでした。

母は持病があり、認知症なので、第1介護者は…といいますか、私しかいませんでした。

父の介護中の記録を読み返すと、



もしもあとどれくらい…とわかるなら、

それまで一生懸命にやる。

でもそのために、今、休みたいとも思う。



そんな事を書いていました。


最近ふと、

同じ事を思います。













早回し

2015年09月08日 | 日記
母には長生きをして欲しい。

今80代前半ですが、90くらいまでは。

ただただ穏やかに。

買い物に行って

ちょっとドライブして

おいしいものを食べて

庭を見て

テレビを観て

にこにことして。


そんな事を思います。

ただただ穏やかなまま長生きを。

不穏になる事なく、

ただただ穏やかに。

のんびり暮らす。

願いはそれだけなのですが。




今は、

ただただ、せかせか、うろうろ、イライラ。


母の時間が早回しされています。