へなちょこかいご

アルツハイマー型認知症・80代の母との暮らしで思う事。
母は2021年秋に亡くなりました。父の事も少し。

みんな母の笑顔を

2021年11月27日 | 日記
喪中はがきが届いたと、

親戚や友人から連絡が来ます。

お菓子や花を送ってくれたり。

親戚はもちろんですが、母に会ったことのある友人も、

みんな

「笑顔が浮かぶ」「笑顔しか思い出さない」

「笑顔がやさしい」「笑顔がかわいい」

と言います。

生前から母の笑顔はみんなに褒めてもらっていました。

デイサービスでも、入院先でもそうでした。

親戚はみんな母が大好きで、

おい・めいっこ達は、おばちゃんおばちゃんと慕っていました。

以前、ちょっと思ったことがあります。

もし私が母の娘じゃなくて、めいっこだったら、と。

おばちゃん大好きだっただろうか、と。

そうかもしれないな、と思いながら、怖くもなりました。

気の強い、言葉の悪い、鬼の形相の母の姿は娘だから知っていますが、

めいっこならそれを知らずに、

笑顔のかわいい、やさしいおばちゃんのみだったでしょう。

人は誰しもいろんな面があるし、

母が裏面を出したのは、私と父くらい。

それはそれでいい気がします。

母も苦しかったり悩んだり立腹したりしたでしょうが、

最後に、死んでから、

笑顔しか浮かばない、と言われるなんて。

いい人生だったのでは。

そう思いながら、笑顔の遺影を眺めました。

遺影といえば、

一昨年の写真なので、もう少し後の写真の方が良かったかな、

とも考えました。

でも、

「うちの母は90で亡くなったけど、いい写真がなくて60の時のにした」

と言ってた人がいて、

じゃあうちなんかいい方だと、ほっとしました。


















楽になった言葉

2021年11月23日 | 日記
母が亡くなって、本人に昔から言われていたように、

お悔やみ、香典はお断りしていたのですが、

やはりきっちりしたい人はいて、

お線香を上げたいとか、お心遣いをいただくことがあります。

近所の、昔なじみの方が来られて、

お返しはいらないから、とお菓子を下さいました。

紙袋に、母の好きな和菓子の名前が書いてあったので、

これ母が好きなんです、と言ったら、

「前にそう聞いてたの覚えてたから、どうしてもあげたくて」と。

ありがたかったです。

近場で、買い物のついでに買えるものではないですし、

昔の母のことを覚えていてくれるだけで、あたたかい気持ちになりました。

私も、以前この方と話していて、ずっと覚えていて、繰り返し自分に言い聞かせている

言葉があります。

10年以上前でしょうか。

その方が母親を亡くされた後の事です。

「やっとね、薄紙を剥ぐように悲しみが癒えてきたような。

90過ぎてたし、しょうがないんだけど、母親が亡くなるって、やっぱりね…」

そう言っていました。

うちも、80後半の親が亡くなるのは不思議でもなんでもない。

亡くなる前から不安がったり、

くよくよするなんて。

亡くなっても、新しい自分の暮らしが始まるだけ。始めなくては。

その気持ちも本当でしたが、

でもあの方は私よりずっと年上で、母親もうちの母より年上で、

それでも薄紙を剥ぐようにしか悲しみは癒えないんだ、

そういうものなんだ、それでいいんだ、と思いました。

なので、

無理に前向きになったり、わざわざ悲しみを掘り下げたりせずに、

自然に過ごしていようと思います。


いとこが来宅した時に、

「これからは好きなことやればいい」

と言ってくれました。

この言葉は1番ありがたいです。

出かけると、仕事始めたの?などと聞く人がいますが、

もう介護してないんだから早く仕事しないと、と焦ったり、

早速遊び歩いてると思われているのでは、と後ろめたくなります。

好きなことやればいいと言われて、気が楽になりました。

コロナはまだ油断なりませんが、今までできなかった旅行や買い物、

コンサートへ行ったり、友人と会ったり。

その中には、仕事も入っていますから。

そういうことを自分のペースでやればいいと言われたようで。


そういえば、ある人に

「これから1年、喪に服すのね」

と言われました。

そんなつもりはなかったので、

まあ適当に…と言っておきました。


認知症の人が天国に行ったら

2021年11月14日 | 日記
いろんな宗教や考え方があると思いますが、

死んだ人が天国に行って、よみがえった姿で懐かしい人と会ったりするならば。

認知症の人の、認知症だった間のことはどうなるのだろうか。

母が、元気な姿で自分の親や夫と会って、あれこれ話すならば、

自分が認知症だった間の、記憶のない時間のことは。

思い出せないままなのか。

認知症だった、と母は笑って話し、みんなからは大変だったねとやさしくされるのか。


そんなことをぼんやり思いました。



母の死後、気配もまったくありません。

父の死後は、家電がいくつか壊れたり、パンッッ!! っと大きな音を立てて電球が

切れたり、納骨までの間、お骨が置いてあった父の部屋から物音がしましたが。

母にいたっては、母を感じられることは何もありません。

夢にも出ません。

母が以前、自分の死後はこうして欲しい、ということを記した手紙には、

私のことを『いつでも見守っているから』と書いてありましたが、

お空の上で楽しく過ごしているのなら、

どこか懐かしい所を飛び回っているのなら、それでいいです。

ひと通り再会を済ませたら、

ああそういえば娘がいたっけ、などと思い出すかもしれません。

実感が少しずつ

2021年11月10日 | 日記
在宅介護の時に、

入院するまでのほんの少しの期間でしたが、

往診の先生にお世話になりました。

また退院したらお世話になるかもしれないという思いから、

入院してからは連絡していなかったのですが、

お礼と報告の手紙を送りました。

先生は、

的確な指示とアドバイス、具体的な情報やつながりを下さり、

本当に心強く、頼りにしていました。

それでなんとか、あの、1番難しかった時期をやってこられた気がします。

すると、先生からお返事が。

ねぎらいの言葉があたたかく、

中でも、

『在宅介護ではたくさん悩まれましたね』

という一文に、号泣でした。

わかってもらえていたこと、助けてもらっていたことがありがたく。

また、

そうだよ、私はずっと悩んで考えて決めてきたんだよ、という

緊張がとけるような感覚。

そして、

ああ終わったんだな、と思いました。

先生からの手紙は、卒業にあたってのお言葉のようで。

私の、母の介護は終わったんだ、と強く思いました。

と同時に、母がいない事が実感としてわいて来ました。

これからどうなるのか、気持ちは保てるのか、

わかりませんが、

母はもうどこも痛くも悪くもない、

そう思うと救われます。


実感はないけれど

2021年11月07日 | 日記
母が亡くなったという事実は理解して受け止めているのですが、

依然として実感がありません。

それでいて時々、ぐわーーっと来る現実に悲しくなります。

母関係の事務手続きも、まだ連絡待ちのところなどありますが、だいたい終わりました。

喪中はがきも注文しました。

あれもしなきゃ、と相変わらず急いてしまいますが、

体調も気力体力もいまひとつなので、

ひとつずつと決めて行ったりやったりします。

このあせる気持ちは母モードのままだからです。

元気な頃は、デイサービスに行っている曜日、時間のうちにと、

入院中は、いつ何があるかわからない状態だからと。

そしてまだ、買い物に出て、衣料品売り場を通ると母の服を見てしまいます。

無意識に、これいいかな…と眺めて、ああもういらないのか、と気づき、

でもこれ着せたかったな、と、ちょっと笑えます。