へなちょこかいご

アルツハイマー型認知症・80代の母との暮らしで思う事。
母は2021年秋に亡くなりました。父の事も少し。

母が亡くなって約3ヶ月

2022年01月23日 | 日記
ふと思いました。

母はどんな人だったんだろう。

何が、誰が好きだったんだろう。

母としてではなく、1人の人として。

好きな俳優は誰だったんだろう。

聞いたような気もするけど。

誰かいたかなあ。

女優では、秋吉久美子、岸本加世子…演技というより、自由奔放な

感じのするところが好きだったようです。

母は、私が子供の頃は、従順な妻という感じでしたが、

本当は、夫とは対等、もしくは自由に過ごすことを許してくれる夫が

理想ではなかったのかな。

『忍』という名前の人がいると、

「忍なんて絶対嫌だ」「耐え忍ぶって」と言っていました。

(忍さんに失礼な記述で申し訳ありません。個人の解釈です)

きゅうくつな暮らしではなかったのかな。

何度か、自殺について考えを言うこともありました。

子供に対して、こういうことはいけないよ、という教えではなく、

自分はできない、という意味合いでしたが、

ちょっと深刻でもありました。

その言葉を頭に置くような気持ちがあったのではないのかな。

娘にも、こういう風になって欲しいという思いがあったでしょう。

私の同級生の女の子のことを、ほめたり、こういう服装をしていた、などと

にこにこして話していましたので、

ああいう子が好きなんだな、と思いました。

大人になっても、自分の理想に当てはまらない娘を、ののしったりする一方で、

あなたがいないとだめだ、お父さんと2人ではだめだと、情にうったえて離すまいとしたり。

メニエールやパニック症候群になったりしたので、

思いがけないことに直面したり、

精神的にまいっていたところがあったのだと思います。

母が、若い頃の母のままで自分の自由な気持ちのままに人生を歩んでいたら、

どうだったのかな、と思いました。

そうさせてあげたかったな、と思いました。


母が亡くなって約3ヶ月。

まだたったの3ヶ月なんだなあ。

この間、夢を見ました。

母と、広々とした住宅街を歩いていて、道端や庭の花を眺めて、

きれいだね、と言い合っていました。

母は、

「それに比べて、うちは全然だめだね」

と言っていました。

















勉強させていただきました

2022年01月10日 | 日記
母が認知症になり介護が必要になったり、

入院したり。

父の時もそうでしたが、

様々なことを知りました。

病気の内容や治療法、それにあたっての手続き。

窓口での手続き。

介護サービスを受けるための方法や手続き。

こういう手続きがありますが済んでいますか?

この手続きをした方がいいですよ?

と言われ、知らなかったなあ、やってないなあと、こんなのがあるのか、と、

そのつど役所に出向いたり書類をそろえたりしました。

自分でも、母に当てはまる制度はないかと調べたり。

何かが免除されたり助成金がいただけたら少しは助かる。

母は心臓が悪くなったので、その病名で心身障害者手帳の申請ができると知り、

主治医に書類をお願いし、申請。

結果、認定されました。

医療費の助成金が出て、助かりました。

一昨年はその他に、

ショートステイのための2つの事業所との契約、

結果として行けなくなりましたが新しいデイサービスとの契約。

ヘルパーさんや往診医との契約など、手続きだらけでした。

住所氏名を書きまくり、はんこをつきまくりました。

後は何があるんだろう、何をすることになるんだろうと疲れてしまいました。


母が認知症になったことは、

病気、介護、のことを、不勉強な私に教えるためでもあったのだと思いもしましたが、

もうじゅうぶん学びました、と言いたくなりました。

後半は、

どれが何の申請でこの書類は何のため、これとあれは違うのか、などと

訳がわからなくなり、書いて役所や病院に出したらいいんだろうと

無の状態でした。

今、人に相談されたとしても、こんな手続きがありますよ、と正しく言えるのかどうか。

まあみんなは知っていて、てきぱきとできているのでしょうが。


その書類の数々は、まだ片付けの手をつけられず、たまったままです。

100均のクリアファイルに分類して入れて、

さらに100均のファスナー付きのクリア袋(?)に病院や事業所ごとに分けて入れて。

引き出しいっぱいに。

私はこれをいつ片付けるのだろう。

片付けなくてもいいけれど。













親のいないお正月

2022年01月03日 | 日記
去年は入院で母がいませんでしたが、

今年はどこにもいない。

親が2人ともどこにもいない、初めてのお正月でした。

喪中なので年賀状が来ないのはつまらないと思いましたが、

案外すっきりしていいものでした。

毎年義理で購入しているところがあるので、おせちは用意して、

ぼちぼち食べました。

昨年末、お正月用にと、冷凍のカニ(ボイル済)をいただきましたが、

自然解凍の様子を見つつ、食べてしまいました。

30日に。

お餅も食べたいと、袋買いは持て余すので、コンビニで見つけた

おしるこをチンして食べました。

とてもおいしかったです。

お餅もやわらかく、あんこもちょうど良い甘さで。



今年はどんな年に。

仕事を再開して、静かに過ごしていられたらいいです。

コロナの感染者数がまた増えてきたので、

旅行は難しいでしょうか。

市中感染が広まったら外食もままならないですね。

体調は良くなってきましたが、

気持ちは…

多分、介護中からずっと、うつっぽくはあったのだと思います。

朝、母が起きて来るとびくっとして、

話しかけられると涙が出る日々が続きました。

朝に泣けて仕方ないのでネットで調べたら、その症状はうつだと載っていましたが、

そんなことない、

今うつになってはいられない、

自分でなんとかできる、

と気負っていました。

他にも、

あの頃のあの思考は、うつだったと思えることがあります。

母の入院がもう少し遅れていたら、どうなっていただろう。

それでいて、

認知症の症状がどうなっていくのかを見てみたい、

母がこれからどんなことを言うのか、それが本音、本心だとしたら、

とことん吐き出せたい、

などと思ってもいたのです。

実際は弄便、異食がひどくなり、目が、手が足りずに限界が来ましたが。


介護には向かない性格でした。