へなちょこかいご

アルツハイマー型認知症・80代の母との暮らしで思う事。
母は2021年秋に亡くなりました。父の事も少し。

認知症13年目・7〜9月

2023年06月23日 | 日記
《認知症13年目・88歳》

〈7月〉
夜中、ベッド下で転倒。検査の結果、左大腿骨頚部骨折。骨はずれていない。ベッドで安静にしていれば
1〜2ヶ月でくっつく。手術は可能。折れた所を針金でとめる。
手術しない場合→内科的に現状維持。歩けなくなる。認知症により安静にしていられない。
手術する場合→内科的に悪化のおそれ。歩ける。術後、安静にしていられない。

医師、兄と話し合いの結果、手術はしないことに。保存療法。兄は、リスクを伴う手術より、
車イスでも生きてて欲しいとのこと。

骨折の影響か、発熱。座薬。本人は歌ったり食べたり。動くと痛いと言うことはあるが、自分で
立ち上がったりして安静は難しいとのこと。

リモート面会。病室ではなくみんなが集まるフロアにベッドごと移動、背を起こした状態。
微熱になったが、冷枕。元気そうで笑顔あり、歌い、しゃべる。夜中に起きてしまい、見守りが必要。
リハビリ、活動は上半身中心の風船バレーなど続行。食事は介助だが食べないこともなく、
好きなもの、好きなことへの意欲がみられる。

リモート面会。とても元気そう。病室よりフロアにいる方が、人のいる所を好む母には退屈しない。
〇〇へ行きたい、と言っているとのこと。母が若い頃に住んでいた親戚の家、学校がある。
〇〇のじいちゃん、ばあちゃんと言っていると。

筋力低下の予防で足を動かしたり、骨がつくように足の位置を維持するリハビリ。自分で動き、
歩いてしまい、見守りが追いつかない場合も。転倒した時の衝撃から守る、安心ガードルの購入。
ソフトタイプのガードルの腰の横あたりにクッションがついている。
うがいが難しくなったので、口腔内の清潔のためのスポンジを定期的に購入。

〈8月〉
リモート面会・いとこからのカードの差し入れ。花火の仕掛けがあり、画面越しにやって見せると、
花火がチカチカするのに驚いて見入っていた。言葉が出にくく理解も難しいが、しゃべろうとする意欲あり。
穏やかで元気そう。私を「うちのかあちゃん」と言っていた。

右足を痛がる。痛い所を見ようとすると抵抗。本人は「ごめんね」と言っている。
検査の結果、右大腿骨頚部骨折。前回と同じ、保存療法。原因、経緯は不明。

リモート面会。微熱と痛みがあるようで安静にしている様子。表情とぼしく、すぐうとうと。

申し込んでいたグループホームより連絡。現在の状況を説明し、待機しても先が見通せず、
入所保留ではなくキャンセルにした。

〈9月〉
リモート面会。ベッド上で動こうとするが、おおむね安静にしている。フロアでは歌が流れると手拍子
している。体調に大きな変化なし。

リモート面会。前回より元気そう。笑顔もあり。

微熱。検査の結果、肺炎なし、炎症反応も高くないので様子見。痛みが落ち着いているようで、自分で
歩行している(勝手に)。なるべく安静にできるように精神科で薬調整。上機嫌で歌ったりして過ごしている、
とのこと。

熱下がらず。自分で歩行してしまう。食事とれない。寝ていることが多い。ずっと点滴をしている。
明日予約のリモート面会は寝ているかもしれないが、様子を見ることはできる、と連絡あり。

リモート面会。熱なし。昼食食べたとのこと。ずっと寝ていて反応なし。

内科主治医の話。院内にて。ここ1週間あまり食事をとれていない。聞き取りや診察を拒否。特に悪化
している所はない。衰弱している。点滴は、針を刺すのも数人がかりで、拒否あり、手足を動かすので
抜いてしまう危険が。股関節は、痛みはっきりしない。起き上がろうとする。安静にできない。ベッドの
横に1人で立っていたり。
食事を無理に入れると誤嚥の危険。自分で食べられるようになるのを待つしかない。可能性はなくもないが
わからない。薬、ちゃんと飲めているのかわからない。
年齢的なこともある、認知症がひどい。今の状態を治す方法はない。病院でできることは対処し、様子を見る。
本人がどこまで頑張るか。生命に危険が見られたら連絡する。家族が駆けつける前に亡くなることも。

話の後、少しだけ母に会えた。みなさんが集まるフロアにベッドで寝ていた。ほとんど寝ていたが、
ちょっと手踊りが出ていた。


⭐︎コロナのワクチンは時期が来たらそのつど病院で接種。
 大腿骨の骨折は、骨粗しょう症の薬を飲んでいた時期もあった母にしては、よくそれまでならなかったな、
 とも思った。母は動ける、歩けることで介護側が助かる部分もあったが、それがネックになる事も多かった。
 動けても動けなくても迷惑がかかってしまうのが認知症だなあと思った。
 左の骨折が癒えていないうちに右も。それでも動いてしまう。
 コロナ禍で、ずっと医師とは電話での話、相談だったが、院内でと言うので、重い話だと感じ、
 母に会えたのも、最後かもしれないというはからいだったのだろう。


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