へなちょこかいご

アルツハイマー型認知症・80代の母との暮らしで思う事。
母は2021年秋に亡くなりました。父の事も少し。

お墓参り

2022年03月20日 | 日記
春のお彼岸。

お墓参りに行きました。

母が亡くなって5ヶ月になろうとしていますが、

なんだかまだ不思議な感じです。

前回の記事で、

叔母が母を思って願ったり話しかけたりすると書きました。

私は、母に何かを願ったり、守って欲しいなどと思ったり話しかけたことは

ありません。

まだどんな存在なのか、つかめていないかもしれません。

そしてまた、

母にはもう、私の願いを聞こうとしたり、

守ってあげようなどと働かず、

ただただゆっくりしていて欲しいのです。

それに、

母にそんな力はないような気がします。

ただ、

朝のあいさつをしたり、

外出する時に、行ってきます。

帰宅したら、ただいま、と言うくらいで。


普段は忘れているようでも、

本屋で立ち読みした本の一節に、

親が亡くなった時の描写があると、

ぶわっと涙が出たりします。


落ち着いた頃に悲しくなるとよく聞きます。

もうとっくに落ち着いた頃は過ぎたと思っていましたが、

これからなのかもしれません。


3月になって

2022年03月05日 | 日記
母に関する手続きは全て終わりました。

3月になり、暖かさを感じられ、季節も変わるなあと実感します。

コロナは依然として感染者激増のまま横ばい状態。

100人単位の数字も当たり前。

人出も特に少ないと感じることもなく。

飲食店もカフェもいつも通りのようです。

私はまだちょっと外で飲食はする気になれず、

外出しても飲まず食わずで過ごし、その結果、食品の買い物で余計なものに手を出し、

帰宅してわしわし食べるということに。


母の妹である叔母が、先日ワクチンの3回目の接種を終えたそうです。

1、2回目とも副反応はほとんどなかったようですが、

3回目に備え、母に願ったとか。

痛くありませんように、副反応が出ませんように、と。

そのおかげで大丈夫だった、

ありがとうと写真に話した、と。

それを聞いて、ああ母はそういう存在になったのだな、と思いました。

うれしいようなさみしいような。

きっと叔母はことあるごとに母に、母の写真に話しかけているのでしょう。

母と叔母の母親、私のばあちゃんは体が弱かったので、

長女である母はきょうだいの母親的な存在だったと、よく叔母から聞かされました。

みんなに頼りにされていたのでしょう。

私から見た母は、しっかり者のお姉さんという感じではなく、

かわいらしくて、ちょっとおっちょこちょいで天然で、

そういう姉としての話を、へぇ〜と聞いていました。



生前、認知症が進んだ母に、

「1番上のお姉ちゃんでしょう!しっかりしなさい!」

と言われたことがありました。

自分が、子供の頃からそう言われてきたのでしょう。

我慢することもたくさんあったでしょうね。

認知症になったからこそ出てくる母の本音は、

とても興味深かったです。



先日、母の誕生日の日に、

今日は、ばあちゃんとお母さんの日だなと思いました。

ばあちゃんに甘えて過ごしているといいなあと。

私は私で仏壇の花を新しくして、お祝いにたい焼きをいただきました。

ケーキは、歳を重ねるうち、苦手になったので。

母も晩年、そんなにケーキを食べたがらなくなりましたが、

私の方が早く来たようです。