へなちょこかいご

アルツハイマー型認知症・80代の母との暮らしで思う事。
母は2021年秋に亡くなりました。父の事も少し。

三回忌過ぎて

2023年11月02日 | 日記
母の三回忌も過ぎました。

何の法要も儀式もありませんが、母の命日が我が家の1年で最後のお墓参りなので、

ゆっくり掃除をしてお参りしました。

一昨年の母の死後、火葬が終わった頃に合わせて仏前のお供えを下げ、

またいつもの暮らしに。

よく、近しい人が亡くなった話で、3年前と聞くと、まだ3年なんだ、

悲しみはまだ深いと思っていましたが、

母が亡くなって2年。

命日には、病院からの緊急の電話に始まった出来事を時間を追って思い出し、

まだまだだなと思いました。

たまに母が通っていたデイサービス、通い、入院した病院の前を通りますが、

もう遠い気がします。

でも、穏やかにずっとあってくれという思いです。

母の事は考えても本当にまとまらず、自分の中に落とせていない感じ。

回忌で言うと次は七回忌。

どうなっているんだろう。




酷暑のお盆も過ぎて

2023年08月24日 | 日記
いつまで経っても朝から蒸し暑くて

庭仕事も危険な暑さで、草はぼーぼー、庭木は伸び放題。

お盆も晴天真夏日の中お墓参りを済ませました。

翌日は曇って、幾分涼しいのかな、日をずらせばよかったかなと思いましたが、

突然の大雨が何度もあり、どっちもどっちでした。

母がいた頃、父のお盆のお供えをつまみ食いした事、かわいい盆飾りやお菓子を喜んだ事を

思い出しました。

家になんの気配もなかったので、帰って来なかったのでしょう。

父は大好きな自分の実家に行くはずなので、もしかしたら母も一緒に行ったのかな。

母は父の実家が苦手でしたが、もう楽しく過ごせているのかも。

そんなお盆でした。

8月も後1週間。暑さは続くようですね。






まとめ終わって

2023年06月25日 | 日記
父母の介護の日々を書き留めておいた10数冊のノート、医療の記録を

まとめ終えました。

片付けの一環でもありましたが、書き散らかした部分も含めて私の内にしまい込み、

記録として読み返しができるようにブログに置こうと。

書き足らないところ、あえて抜かしたところもありますが、一気にやってしまいました。

病院、施設、医療、介護に関わった方々には、不満や疑問点もありましたが、

助けてもらったありがたみが大きいです。

ここで、この方で良かったと思った事の方が多いです。

母はデイサービスが大好きで、家で過ごした最後まで行きたがっていましたが、

初期は葛藤もあったようです。

私はデイサービスに関しては、母の好きなようにしました。

行くと言えばその方向で進め、休む、やめると言えばそのように。

毎年、母の誕生日には出掛けたりプレゼントを贈ったり。

デイサービスからはお祝いの写真・メッセージ付きカードをいただきました。

精神科に入院中も寄せ書きの色紙をいただきました。

母の日には兄からカーネーション。私は服のプレゼントなど。

だんだん自分の誕生日も母の日もわからなくなりましたが、

楽しそうにしていました。

ノートを読み返すと、介護はずっと、私には大変でしたが、

認知症の初期の頃と最後の頃が最も大変でした。

ノートには、私が体調を崩した様子や愚痴、自分の似顔絵に涙、顔に縦線など、

何度も記してありました。

あれでは心身の調子を崩すはずだと思いました。

リモート面会中に、母が映るタブレットの画面を動画や写真で撮っていました。

つらくもあり、大切な思い出です。

退院した時のために、新しく準備した物もありましたが、

結局退院できず。

コロナ禍と入院が重なってしまい、毎日のように見舞いに行くのも大変だけれど、

病室で一緒に過ごす時間も欲しかった。離れたままじゃなくて。

介護の記録ノート、雑感を書き留めていたノートは、まとめた物から処分しましたが、

最後のノートだけ、取っておきました。

母も私もたくさん詰まっている気がして。




認知症13年目・10月 まとめ最後

2023年06月24日 | 日記
《認知症13年目・88歳》

〈10月〉
リモート面会。叔母(近隣の母の妹)と。ほとんど目を閉じていたが、叔母の話し掛けにうなづいたり。
一瞬、すごくいい笑顔に。水分は少しとれたとのこと。

リモート面会。起きている時間が多く元気そう。また口から食べられるようになったとのこと。脚の痛みもほとんど
ない様子。画面越しに手を振ると、向こう側の母は画面にタッチしていた。

病院から電話。午前9時半頃。昨夕から嘔吐。病院に来ていただきたい、と。兄がいたので一緒に向かう。
医師の説明。朝、検査の結果、肺炎、腸閉塞あり、胃液たまっている。検査後、意識を失う。血圧測れず、採血できず。
原因不明。

午前10時12分、死亡確認。老衰により死去。


※以降の事は、ブログ2021年10月の『母、亡くなりました』の記事からお読みいただけたらと思います。


⭐︎突然死の可能性、予後数ヶ月と言われてから、1年と数ヶ月。すさまじい在宅介護を経て入院、老衰での最期。
 最後のリモート面会の時、また口から食べられるようになったと聞いたので、少しでも回復傾向なのではと
 思っていたら、緊急の連絡。いざという時は不意打ちだし、覚悟は決めても役に立たない。
 おかあさん。


認知症13年目・7〜9月

2023年06月23日 | 日記
《認知症13年目・88歳》

〈7月〉
夜中、ベッド下で転倒。検査の結果、左大腿骨頚部骨折。骨はずれていない。ベッドで安静にしていれば
1〜2ヶ月でくっつく。手術は可能。折れた所を針金でとめる。
手術しない場合→内科的に現状維持。歩けなくなる。認知症により安静にしていられない。
手術する場合→内科的に悪化のおそれ。歩ける。術後、安静にしていられない。

医師、兄と話し合いの結果、手術はしないことに。保存療法。兄は、リスクを伴う手術より、
車イスでも生きてて欲しいとのこと。

骨折の影響か、発熱。座薬。本人は歌ったり食べたり。動くと痛いと言うことはあるが、自分で
立ち上がったりして安静は難しいとのこと。

リモート面会。病室ではなくみんなが集まるフロアにベッドごと移動、背を起こした状態。
微熱になったが、冷枕。元気そうで笑顔あり、歌い、しゃべる。夜中に起きてしまい、見守りが必要。
リハビリ、活動は上半身中心の風船バレーなど続行。食事は介助だが食べないこともなく、
好きなもの、好きなことへの意欲がみられる。

リモート面会。とても元気そう。病室よりフロアにいる方が、人のいる所を好む母には退屈しない。
〇〇へ行きたい、と言っているとのこと。母が若い頃に住んでいた親戚の家、学校がある。
〇〇のじいちゃん、ばあちゃんと言っていると。

筋力低下の予防で足を動かしたり、骨がつくように足の位置を維持するリハビリ。自分で動き、
歩いてしまい、見守りが追いつかない場合も。転倒した時の衝撃から守る、安心ガードルの購入。
ソフトタイプのガードルの腰の横あたりにクッションがついている。
うがいが難しくなったので、口腔内の清潔のためのスポンジを定期的に購入。

〈8月〉
リモート面会・いとこからのカードの差し入れ。花火の仕掛けがあり、画面越しにやって見せると、
花火がチカチカするのに驚いて見入っていた。言葉が出にくく理解も難しいが、しゃべろうとする意欲あり。
穏やかで元気そう。私を「うちのかあちゃん」と言っていた。

右足を痛がる。痛い所を見ようとすると抵抗。本人は「ごめんね」と言っている。
検査の結果、右大腿骨頚部骨折。前回と同じ、保存療法。原因、経緯は不明。

リモート面会。微熱と痛みがあるようで安静にしている様子。表情とぼしく、すぐうとうと。

申し込んでいたグループホームより連絡。現在の状況を説明し、待機しても先が見通せず、
入所保留ではなくキャンセルにした。

〈9月〉
リモート面会。ベッド上で動こうとするが、おおむね安静にしている。フロアでは歌が流れると手拍子
している。体調に大きな変化なし。

リモート面会。前回より元気そう。笑顔もあり。

微熱。検査の結果、肺炎なし、炎症反応も高くないので様子見。痛みが落ち着いているようで、自分で
歩行している(勝手に)。なるべく安静にできるように精神科で薬調整。上機嫌で歌ったりして過ごしている、
とのこと。

熱下がらず。自分で歩行してしまう。食事とれない。寝ていることが多い。ずっと点滴をしている。
明日予約のリモート面会は寝ているかもしれないが、様子を見ることはできる、と連絡あり。

リモート面会。熱なし。昼食食べたとのこと。ずっと寝ていて反応なし。

内科主治医の話。院内にて。ここ1週間あまり食事をとれていない。聞き取りや診察を拒否。特に悪化
している所はない。衰弱している。点滴は、針を刺すのも数人がかりで、拒否あり、手足を動かすので
抜いてしまう危険が。股関節は、痛みはっきりしない。起き上がろうとする。安静にできない。ベッドの
横に1人で立っていたり。
食事を無理に入れると誤嚥の危険。自分で食べられるようになるのを待つしかない。可能性はなくもないが
わからない。薬、ちゃんと飲めているのかわからない。
年齢的なこともある、認知症がひどい。今の状態を治す方法はない。病院でできることは対処し、様子を見る。
本人がどこまで頑張るか。生命に危険が見られたら連絡する。家族が駆けつける前に亡くなることも。

話の後、少しだけ母に会えた。みなさんが集まるフロアにベッドで寝ていた。ほとんど寝ていたが、
ちょっと手踊りが出ていた。


⭐︎コロナのワクチンは時期が来たらそのつど病院で接種。
 大腿骨の骨折は、骨粗しょう症の薬を飲んでいた時期もあった母にしては、よくそれまでならなかったな、
 とも思った。母は動ける、歩けることで介護側が助かる部分もあったが、それがネックになる事も多かった。
 動けても動けなくても迷惑がかかってしまうのが認知症だなあと思った。
 左の骨折が癒えていないうちに右も。それでも動いてしまう。
 コロナ禍で、ずっと医師とは電話での話、相談だったが、院内でと言うので、重い話だと感じ、
 母に会えたのも、最後かもしれないというはからいだったのだろう。