へなちょこかいご

アルツハイマー型認知症・80代の母との暮らしで思う事。
母は2021年秋に亡くなりました。父の事も少し。

百箇日というものの

2022年02月13日 | 日記
百箇日とは

卒哭忌(そっこくき)とも呼ばれ、遺族が泣き悲しむ(哭)ことから

卒業するという意味があるそうです。

気持ちや手続きなども落ち着き、悲しみも薄れてくる頃なのでしょうか。

確かにそうだと思います。

母のことで泣くことも減り、

母のことを話して来る人もほとんどいません。

とはいうものの。

先日、確定申告の準備のために

母の病院の領収書を整理していたら、

泣けてきました。

母が生きていた時のもの。

この頃は母がいたんだ、と。

保険会社からの入院に対する給付金の書類も整理し、

その中の1枚の『死亡』という記載を見て

どきっとし、また悲しくなりました。

死亡保険金の手続きもしましたが、母のそれはとても少額です。

昔、

自分の病気や死に関すること、

それでお金を残すことに嫌悪感を持っていた父が、

加入していた保険の全てを解約しました。

なぜか母のものまで。

でも持病のある母には必要だと思い、

持病があっても入れる保険をこっそり契約しました。

当時は保険の種類もあまりなく、掛け金が高くて

給付金が少ないものでしたが、ないよりはと。

封書で来る保険会社からのお知らせや書類も父に見つからないように

びくびくしていました。

母の入院では、給付金が助かりました。

死亡保険金も、とても少額ですが、受け取り、大切にしたいです。


父が入院した時、これで支払うようにと現金を預かりました。

後で何か言われないように、月々の支払い、買い物、残金など細かく記録しました。

そして、預かり金はあと数万円だな、なくなったら口座から出してもらおうと

思っていたら、

ある日体調が悪化し、救急搬送となりそのまま入院。

そしてその数日後に死亡。

後から病院に支払いに行ったら、ちょうど残っていた数万円がなくなりました。

ほとんどぴったりで、小銭が残ったくらいでした。

保険に関しては、父の考えを残念に思いましたが、

それはそれで父らしいなと思いました。









母の百箇日過ぎて

2022年02月01日 | 日記
母の百箇日が過ぎました。

特に法要などする事はなく、お墓に行っただけですが。

100日というと長い気がしますが、約3ヶ月というとまだ3ヶ月という感じです。

そしていまだに全てが不思議な感じです。

母の銀行口座の解約も済み、もうこの銀行に来ることもないんだなあ、と

帰り道、次々なくなっていく母の事を思いました。


昨年の秋くらいから、感染者数が減少し出して、

対策をしつつの外出なら気兼ねなくできていましたが、

また激増。

そろそろ旅行でも…という希望も絶望に。

暖かくなればまた時期的にも人の移動が多くなる。


3回目のワクチンを終えた、医療従事者の友人は、

やはり副反応はあったけれど、2回目よりは軽かったそうです。

なので、1、2回目ともほとんど副反応がなかった私は、

3回目も大丈夫かな、と思いました。

でも、バス停で会った高齢の女性は、

「3回目は痛かった」「3回目が1番ひどかった」

と言っていたので、おびえています。

前回と同じファイザー製を接種できるかもわかりません。

まあ今回は、

1、2回目の時のように、副反応に寝込んだとしたら母に何かあった時に

駆けつけられない、と心配することもないのですが。