午前中、母と病院へ行くと、昨日より悪化した感じで、反応もなし。
水枕をした頭が左右に小さく動くだけ。
手がかさかさだったので、クリームを塗る。
おむつとパッドを置いて、一旦帰宅。
昼過ぎに病院から電話で、先生の話があります、と。
胸水が溜まり、炎症反応の数値が上がり、熱は下がらず。抗生物質も効かないなど、
状態が悪く、回復は難しいとのこと。
万が一の事を覚悟して下さい、と。
父は重篤な人が入る個室に移動。
何か好きなものを持って来て食べさせてもいいと言われましたが、
食べさせられる状態じゃないのでは、無理に食べさせてそれで死んでしまうのでは、
と、思いました。
母が長い時間じっとしていられないので、また一旦帰宅。車で15分ほどの距離でした。
午後に、病院から呼吸が浅く血圧も低下していると知らせがあり、駆けつけました。
私は途中、あ、だめだった、と思いました。
駐車場から病院へ向かっていると、母が
「覚悟しないと」「落ち着け」と自分に言い聞かせていました。
母も何か感じていたのでしょうか。
ナースセンターで名前を言うと、看護師さんが、
「電話の後、急に悪くなって…。連絡したい人はいますか?」と。
別の看護師さんがさえぎるように、こちらへ、と案内。
なんだかピンと来ないままついて行くと、
今、先生が診てくれた、声をかけてあげて、などと言うので、ああまだ生きているのだと思い、
父の耳元でお父さんお父さんと呼んでいたら先生が来て、
「○時○分でした。死亡診断書には心不全と書きました」
それで、ああ死んだんだとわかりました。
そういえば酸素マスクをしていない。
家族でのお別れの時間、酸素と点滴も取ってもらいました。
楽になったんだね、お疲れ様だったね、と父をねぎらい、清拭をしてもらいました。
10ヶ月振りのカニューラのついていない父の顔。
やせた上、入れ歯をしていないのでげっそりしていましたが、とてもきれいでした。
後は葬儀の準備に切り替えなければ。
葬儀社の方が迎えに来ると、看護師さん達が見送ってくれました。
ありがたい。
葬儀の会館に向かう前に、家の前を通ってくれました。これもありがたい。
ストレッチャーに乗っている父に、お父さん、家に来たよ、と伝えました。
ドライバーさんが、「広いお庭ですね」と。
広くもないのですが、父は庭をほめられるのがうれしかったので、
これもまたありがたい。
会館に安置してもらってからは、父ほったらかしで葬儀の打ち合わせ。
細かくて面倒で疲れました。
プランや品物の中でどれがいいのか何がどうなのか混乱。
係の方に「これでいいですね?」と念を押されてはあいまいなファイナルアンサー。
その日の私の雑記帳に、
父、終わったなあ。本当に本当にお疲れ様でした。長年家族のためにありがとう。
最期、ありがとうと紙に書いて見せたかったけどかなわなかった。
母と笑顔で手を取り合って欲しかったけど、あっという間だった。
上手く世話出来なくてごめんね。父なら許してくれるよね、バカ娘を。
葬儀が終わるまでもうひと頑張りするね。お父さんの思うようなものでは
ないかもしれないけれど、こういう時のために希望を伝えなかったからだよ。
でもそれも許してね。
なんだかおかしいよ。
楽になったんだね、お父さん。
本当にお疲れ様でした。感謝しています。また会いましょう。
と記してありました。
母は、父の死に、
「夢を見てるみたい」と言っていました。
水枕をした頭が左右に小さく動くだけ。
手がかさかさだったので、クリームを塗る。
おむつとパッドを置いて、一旦帰宅。
昼過ぎに病院から電話で、先生の話があります、と。
胸水が溜まり、炎症反応の数値が上がり、熱は下がらず。抗生物質も効かないなど、
状態が悪く、回復は難しいとのこと。
万が一の事を覚悟して下さい、と。
父は重篤な人が入る個室に移動。
何か好きなものを持って来て食べさせてもいいと言われましたが、
食べさせられる状態じゃないのでは、無理に食べさせてそれで死んでしまうのでは、
と、思いました。
母が長い時間じっとしていられないので、また一旦帰宅。車で15分ほどの距離でした。
午後に、病院から呼吸が浅く血圧も低下していると知らせがあり、駆けつけました。
私は途中、あ、だめだった、と思いました。
駐車場から病院へ向かっていると、母が
「覚悟しないと」「落ち着け」と自分に言い聞かせていました。
母も何か感じていたのでしょうか。
ナースセンターで名前を言うと、看護師さんが、
「電話の後、急に悪くなって…。連絡したい人はいますか?」と。
別の看護師さんがさえぎるように、こちらへ、と案内。
なんだかピンと来ないままついて行くと、
今、先生が診てくれた、声をかけてあげて、などと言うので、ああまだ生きているのだと思い、
父の耳元でお父さんお父さんと呼んでいたら先生が来て、
「○時○分でした。死亡診断書には心不全と書きました」
それで、ああ死んだんだとわかりました。
そういえば酸素マスクをしていない。
家族でのお別れの時間、酸素と点滴も取ってもらいました。
楽になったんだね、お疲れ様だったね、と父をねぎらい、清拭をしてもらいました。
10ヶ月振りのカニューラのついていない父の顔。
やせた上、入れ歯をしていないのでげっそりしていましたが、とてもきれいでした。
後は葬儀の準備に切り替えなければ。
葬儀社の方が迎えに来ると、看護師さん達が見送ってくれました。
ありがたい。
葬儀の会館に向かう前に、家の前を通ってくれました。これもありがたい。
ストレッチャーに乗っている父に、お父さん、家に来たよ、と伝えました。
ドライバーさんが、「広いお庭ですね」と。
広くもないのですが、父は庭をほめられるのがうれしかったので、
これもまたありがたい。
会館に安置してもらってからは、父ほったらかしで葬儀の打ち合わせ。
細かくて面倒で疲れました。
プランや品物の中でどれがいいのか何がどうなのか混乱。
係の方に「これでいいですね?」と念を押されてはあいまいなファイナルアンサー。
その日の私の雑記帳に、
父、終わったなあ。本当に本当にお疲れ様でした。長年家族のためにありがとう。
最期、ありがとうと紙に書いて見せたかったけどかなわなかった。
母と笑顔で手を取り合って欲しかったけど、あっという間だった。
上手く世話出来なくてごめんね。父なら許してくれるよね、バカ娘を。
葬儀が終わるまでもうひと頑張りするね。お父さんの思うようなものでは
ないかもしれないけれど、こういう時のために希望を伝えなかったからだよ。
でもそれも許してね。
なんだかおかしいよ。
楽になったんだね、お父さん。
本当にお疲れ様でした。感謝しています。また会いましょう。
と記してありました。
母は、父の死に、
「夢を見てるみたい」と言っていました。