火葬の前に、1人ずつ最後のお別れの言葉かけをしました。
炉の前でお焼香をして、扉が閉まり、我々は控え室に。
私は葬儀社からの説明など聞いて、
後は母との思い出話、朝ドラの話などして待ちました。
時間が来て、拾骨室に。
骨でもまだ母がいるので、おかあさんに会える、と駆け込みましたが、
母の骨をひと目見て、少ない…と思いました。
ですが、年齢的にも、骨粗鬆症だったし、これくらいか、と納得しました。
父の時が、標本のようにしっかり骨が残っていたので、それに比べたら、ということで。
最初は順番に、そしてみんなでお骨を拾い、最後に喉仏、耳、頭蓋骨などの説明を受けて
母の骨は骨壷に収まりました。
父は骨の量が多過ぎて、頭蓋骨をつぶさせていただきます、と言われたほど
ぎゅうぎゅうだったなあ、としみじみしました。
自宅安置も納棺も出棺も火葬も無事に終わり、
母の遺骨は家に。
昔なじみでお世話になった近所の方々にも、母に言われていたようにお悔やみは遠慮しました。
「煙になって、おしまい。お返しはいらないからね」と、お香を届けて下さる方がいました。
火葬の翌朝、母の写真に、おはよう、と声をかけて、
ああもう写真にしか言えないんだ、と思ったら泣けました。
しばらくは、朝に泣けて、昼はどうにか過ごして、夜に怖くなりました。
怖いというのは、
自分の役目がなくなった、それは自分のいる意味がなくなった、という思いでした。
母の事務手続きなどであちこち行くようになると、
まだ母の事ができていると思えますが、
これが全て済んだ時にまたどうなるのか。
そして、
思っていた以上に心身の疲れがたまっていました。
あれをやらなくちゃ、もう次の事をしなくちゃ、と思いますが、
あせらずに少し休みながら体調を整えたいです。
まだ時間配分や行動範囲など、母のペースのままなのですが。
母が亡くなった事に関して、記事が続きました。
そういえばこのブログも母がいなくなったらおしまいか…と思いつつ、
もうしばらく書き残したく思います。
炉の前でお焼香をして、扉が閉まり、我々は控え室に。
私は葬儀社からの説明など聞いて、
後は母との思い出話、朝ドラの話などして待ちました。
時間が来て、拾骨室に。
骨でもまだ母がいるので、おかあさんに会える、と駆け込みましたが、
母の骨をひと目見て、少ない…と思いました。
ですが、年齢的にも、骨粗鬆症だったし、これくらいか、と納得しました。
父の時が、標本のようにしっかり骨が残っていたので、それに比べたら、ということで。
最初は順番に、そしてみんなでお骨を拾い、最後に喉仏、耳、頭蓋骨などの説明を受けて
母の骨は骨壷に収まりました。
父は骨の量が多過ぎて、頭蓋骨をつぶさせていただきます、と言われたほど
ぎゅうぎゅうだったなあ、としみじみしました。
自宅安置も納棺も出棺も火葬も無事に終わり、
母の遺骨は家に。
昔なじみでお世話になった近所の方々にも、母に言われていたようにお悔やみは遠慮しました。
「煙になって、おしまい。お返しはいらないからね」と、お香を届けて下さる方がいました。
火葬の翌朝、母の写真に、おはよう、と声をかけて、
ああもう写真にしか言えないんだ、と思ったら泣けました。
しばらくは、朝に泣けて、昼はどうにか過ごして、夜に怖くなりました。
怖いというのは、
自分の役目がなくなった、それは自分のいる意味がなくなった、という思いでした。
母の事務手続きなどであちこち行くようになると、
まだ母の事ができていると思えますが、
これが全て済んだ時にまたどうなるのか。
そして、
思っていた以上に心身の疲れがたまっていました。
あれをやらなくちゃ、もう次の事をしなくちゃ、と思いますが、
あせらずに少し休みながら体調を整えたいです。
まだ時間配分や行動範囲など、母のペースのままなのですが。
母が亡くなった事に関して、記事が続きました。
そういえばこのブログも母がいなくなったらおしまいか…と思いつつ、
もうしばらく書き残したく思います。