へなちょこかいご

アルツハイマー型認知症・80代の母との暮らしで思う事。
母は2021年秋に亡くなりました。父の事も少し。

認知症8年目・下半期

2023年05月31日 | 日記
《認知症8年目・83歳》

〈7月〉
私が不調でほとんど寝ていた。母はどうしていいかわからない。
こういう状態なのでと書いても言ってもだめ。
「どうすればいいの」「何もできないのに」と。

母の食欲が落ちている。ケアマネさんにどうですかと聞かれ、「食欲旺盛」「食いしん坊」
「何でも食べられる」

街へ。テンションが上がり「このまま○○に行くか」「○○のじいちゃんばあちゃん
死んだしなあ」○○は母が若い頃住んだ所。

ネルルの夏服をネットで購入。かわいいかわいいと着せ替えていた。

友達からの電話、喜ぶ。

デイサービスから、手作りと思われるクッキーを数個アルミ箔に包んで持ち帰る。
スタッフに見せると、デイの物ではないらしいが、持ち帰ってもらう。

夕食に桃を出したが残したので、桃だよ、と言うと、「桃?生の桃? 」と驚く。

このところ、送ってくれたデイのスタッフさんに、「お茶でもどうぞ」と言うのが
ブームに。みなさん、「うれしいけど仕事があるので」などとにこやかに対応してくれる。

ほとんど食べない。食欲がない、具合が悪いのではなく、興味がないという感じ。

外出先でテンションが上がり「○○に行くかーーー」「ばあちゃーーん」

〈8月〉
車に乗っていてよく言う「ここフン子さんのうち」「フン子さんて私がつけたの。
立派なうちだね〜ってほめたりすると、フンって言うから」「本当は○○さん」
「あの川で一緒に遊んだ」「山で」その家、川、山はその時々で変わる。

左手首のヒビ治療後の理学療法、リハビリ終了。

内科の定期検査で胃カメラ。変わらず萎縮性胃炎。ピロリ菌もいると思われるが
除去も副作用、年齢的なこともありしないことに。いつもの胆石3つの他、特になし。

〈9月〉
ファストフード店で、子供が店員さんに「バイバーーイ!」と言って出ると、母も
元気良く「バイバーーイ!」と言って出た。

庭で「みなさ〜ん! あんぽんたんになった〜!」

古い、3段重ねの和ダンスの上2段を粗大ごみにと、庭に出していたら母も手伝った。
が、上の段を「もったいない」と言い、自力で自室に運んだ。ものすごい力で驚いた。
後で元の場所に戻した。

〈10月〉
ドライブ中、「○○さんち」を6回言った。

庭をうろうろ。ポストを開けに6回行った。

母が缶のネクターを車内でこぼし、シート、クッションが汚れ、缶をバッグに入れたので
バッグ、バッグの中、サイフ等々ベタベタに。
バッグは古くて以前のシミもあるし買い替え。母がデイの日にデパート、ショッピングモール、
大型スーパーなど見て回り、前のと似た、2回り小さい物を購入。
中の物も入れて、母の部屋に置いておいた。翌日、自然に新しいバッグを持っていた。
このバッグどう思う? と聞いてみたが、「なんとも思わない」

食後の自分の食器をそのまま食器棚にしまう。洗ったと言い張る。

デイに出かけてすぐ親戚から午後に行くと連絡。迎えに行く。待っている間、
「誰か死んだのでは」とスタッフに言っていたとのこと。
親戚と話していて「うれしいねぇ」「泊まって行って。こっち(父の部屋)空いてるから」
を繰り返す。

〈11月〉
母、雑炊(?)を作った。仏壇のご飯と台所のテーブルに置いていた煮物の汁で。
具も少し入れていた。そして自分で食べていた。使ったと思われるフライパン、
スプーンは洗ったのだろうが汚れが残っていた。コンロは使用後元栓を閉めてあった。
1年半〜2年振りの料理だった。

デイの日は6時に起きてバタバタ。そうでない日は私が部屋に行くまで寝ている。

鼻をかんだティッシュで食器を拭く。それで洗ったことに。

言い訳、取りつくろいが多い。

コートのすそをストーブでこがした。

〈12月〉
スーパーの、年賀はがきのチラシを見て、「今何月?」何月だと思う? 「3月」
年賀状の準備するんだから… 「あっそうか。…暮れか」

「私、今いくつだろう」いくつだと思う? 「70…77?」83。
「あははーー。よく生きてる」

体重、去年より5キロ減った。

デイから発熱ありと連絡。迎えに行き病院へ。インフルエンザの検査は陰性。
熱も下がった。

買い物に出て、店内に流れるクリスマス、お正月の歌に合わせて歌っていた。


⭐︎4月からの左手首ヒビの治療、理学療法、リハビリが8月に終わった。
 繰り返しよく言う、○○さん、フン子さんは、母いわくデイサービスの利用者さん
 とのことだが、故郷の友達と重なっているようだ。

認知症8年目・上半期

2023年05月30日 | 日記
《認知症8年目・83歳》

〈1月〉
この年から、母のノート(マンスリー型のB5版スケジュールノート・予定や出来事を書き込む)がない。
用意はしたのだが、書かなくなった。

ケアマネさん来訪。すーっといなくなったり庭へ出たり落ち着きがなかったが、母が昔編み物を習っていた
話から、私が、母がその頃編んだコートとマフラーを持って来て見せた。
とてもきれいな仕上がりなのでひとしきり盛り上がった。

以前デイサービスからブローチを持ち帰り使っていたので、返す。数日して、デイから電話があり、
母がこういうブローチをしている、本人は自分のだと言っているがどうかという内容。
それは母のだったが、デイ側が「この前の事があるので」と言うのもわかる。
母のアクセサリー類は全て写真に撮っておき、当日は何をつけたかチェックするようにした。

デイから帰宅。靴下の中にチョコ。

「この部屋寒くない?」「れいきが」「こっちのれいきじゃないよ」と、うらめしや〜の手振り。
冷気と霊気をかけたらしい。

〈2月〉
風邪気味からぜん息で4日間通院で点滴。入院のボーダーラインで様子を見ながらだったが、
回復。

インナーの上に七分袖のセーターを着せたら、袖が寸足らずと思うのか、恥ずかしがって
袖をずっと引っ張っていた。

買い物に出た途中、通りかかったファストフード店でひと休み。
「初めて来たね。いいね。また来ようね」と上機嫌。

「おはよう、今日もよろしく!!」とテンション高く。

私が仏壇にお供えしていたら、横に来て「じいさん、今日も守ってね」とお鈴をガンガン鳴らす。

街への外出に張り切る。ランチを運んで来た店員さんに、「おままごとみたい〜」小鉢がいくつか
あり、いろどりがよかったからか。ほめ言葉なのか??

〈3月〉
「ままごとしよう」誰の役やる? 「ダンナさん。ご飯!!ていばってるから(笑)」

私が、じいちゃん(母の父親)の夢見た、と言ったら、「あ〜かわいがってたから〜」
「こうやって抱いて、かわいいかわいいっていうようにして」→私が生まれた時の事らしい

後日また、じいちゃんの夢見たと言ってみた。「こうやって(抱っこのマネ)にこにこして、
かわいいかわいいっていうようにして」
私はあまりじいちゃんとの思い出がないのでその話を聞くのが嬉しく、母も思い出して
楽しそうなので何度か仕掛けた。しかし、かわいいかわいいというようにして、なので、
実際口にしてはなかったのだろう。

デイの送迎スタッフに「遠い所まで…」と2,000円渡したらしい。返された。

点滴通院明けの時、デイの仲の良い人とも少し話が噛み合わなかったようだ。

「これ2枚で10円?」と50円玉を見せる。

〈4月〉
トマトをデイの上履きに入れる。私、出す。母、入れるを何度か繰り返す。
喉がイガイガした時にチューと吸うのだそうだ。

デイサービスより電話。お花見ドライブに行くのに車に乗ろうとして手すりをつかみそこねて
転倒。病院で検査をしているとのこと。スタッフが送ると言うが、様子を聞いたら泣いていると
言うので迎えに病院へ。診察、処置中で、母は笑顔。左手首2ヶ所ヒビ。指にすり傷。
添え板、包帯、三角巾。腫れが引いたらギプスに。
本人は何があったか覚えていないが、スタッフさんに「おっちょこちょいした」「心配かけた」
スタッフさんがあまりにもしゅんとしているので、母が勝手に動いてしまったんでしょう、と
言う。治療費はデイサービス持ち。
帰りの車内でも帰宅後も、「これどうしたの」を繰り返す。
夜は母のベッド横で就寝。トイレに付き添ったり。失禁のあとありで着替えも。
寝言で「ありがとね」

翌日には買い物に行くと言い元気。帰宅後も「どこかに行こうーー」

斜めがけバッグが持てないので手ぶら。「私のバッグは?」を繰り返す。もう持たせた方が
いいくらい。

ぜん息が起きがちで点滴。右手に点滴、左手はヒビで固定。

整形外科。後1週間くらいこのままでと言われたが、その夜、自分で包帯と添え板を取ってしまった。
内出血だらけの腫れた手を見て、「私どうしたの?」まだはずさないでと、やり直すと、
「もう死んだ方がいいんだわ」「こんなのやらなくたっていい」と不穏に。

病院に事情を話すと、早めにギプスに。

ギプスの上に包帯で、デイサービス再開。迎えのスタッフさんが喜んでくれて、
「みんな待ってましたよ」と。帰宅時の話では、混乱あったが「居心地いい」と言っていたと。

デイから他の人の上着を持ち帰った。バッグに入れてハンカチでおおっていた。
スタッフに渡した。

〈5月〉
買い物先でマツコ・デラックスの広告を見て「マツコさんだ」

整形外科。経過はいいが、本人が痛がるので後2週間ギプス。

「もう死にたい」「生きるの飽きた」「なんでもいい」そう言うこと言わないで、と言うと
「自分に言ってんの」「ひとりごと」

ギプス取れる。骨もついているが動きが悪いので週1で理学療法とリハビリ。

車で走行中、窓の外の川を見て「よくここで水に入って遊んだ」ここ、ではないが子供の頃家の近くの川で
遊んだらしい。知らない家を指差して「あの家の○○さんと」これも違うが、近所の友達と一緒に遊んだらしい。
○○さんて? と聞くと、「あ〜…大きい家だねって言うと照れたようにしてフンッて言うからフン子さんて
呼んでるの」

〈6月〉
おしゃべり人形“ネルル”購入。母に見せるとひと目で気に入ってずっと遊んでいる。操作方法を紙に書いて壁に
貼ったので、それをもとに一緒に歌ったりしている。聞いていると、童謡などいろいろ覚えている様子。
しかしその後、母がお昼寝中、ネルルが発声したことで「誰か倒れた」とあわてていたので、母の部屋から茶の間に
移して置く。気に入って遊んでいる。


⭐︎ケガをしたが、元気ではあり、記録として写真を撮ると、わざと落ち込んだ演技をしていた。
 ギプスが取れて、デイサービスの行事や企画も楽しそうに参加。作ったパンを持ち帰るなど。


認知症7年目・下半期

2023年05月29日 | 日記
《認知症7年目・82歳》

〈7月〉
外出先でソフトクリームを残し、「持って帰る」とバッグに入れそうになる。

エアコンをつけたので、エアコンのない部屋にいた母を呼ぶと、「意地悪をされる」
「底意地が悪い」と泣いてののしる。

汗をかいては着替えて手洗いして干す。次々と替えるので下着がなくなって、冬の肌着や外出着、
薄い上着を着ている。

「死んだ方がいい」「早く死にたい」

叔母と母、私で母方のお墓参り。意欲的に草取りしたり、木陰で休んでもらったり。行き帰りの道も含め
母にとって懐かしい所ばかりだが、ほとんどわかっていなかった。久々に会えた親戚には嬉しそうだった。

〈8月〉
毎夏恒例のカエル退治。夜になると各部屋の床をどんどん踏み鳴らす。

父方の、母とは仲の良い親戚が来て楽しく話すが、途中、「足がつった」とフェイドアウト。話についていけなくなった
ようだ。帰る時、お土産を渡すよう母に紙袋を持たせると、「この子にやればいいの?」と、その中では1番年長の
おじさんに渡していた。

近所の人が来て、少し話して帰る時、「気をつけてお帰り下さい」とていねいに見送っていた。
すぐそこに見える家の人なので冗談かと思ったら、誰だかわからなかったようだ。

〈9月〉
買い物先などで、ご自由にお持ちください、のパンフレットやチラシをよく持ち帰る。
その流れで、売り物のポストカード、Amazonギフトカードなども持ち帰ろうとする。

ケアマネさんの話では、デイサービスにおいては、同年代で1番元気、不自由のある人を助けている、
スタッフの手伝いをする、盛り上げる、お手本になっている、とのこと。

買い物がてらのドライブで「雲がきれい」と手を叩いていた。

外でかまわずオナラをする。たしなめると「うははははは」

〈10月〉
仏前のお供物の柿を自分の部屋に持って行っていた。母は柿が好き。

父の一周忌の話をするが、ピンと来ないようで笑っていたが「お墓に行くの? じゃあお供え買わないと」
その後、法要として食事をすると言うと手を叩いて喜ぶ。

父の命日。私が、今頃お父さん亡くなったんだなあ、と言うと、「ふふふ」
しばらくして「命日か!」と言った後、オナラをした。

ガスコンロの火で服をあぶっていて危ない。あたためているそうだが。

〈11月〉
ガスコンロでカーディガンをあぶっている。

来宅したケアマネさんに私のことを「いつも買い物など連れて行ってくれて」「感謝してます」
「この場を借りて」

デイサービスにおやつを持って行きたがる。利用者さんで持って来る人がいて、もらうばかりなので
交換したいらしい。禁止されているのでスタッフさんも注視しているが、私もバッグやポケットに入っていないか
チェックする。ズボンのゴムにはさんでいた。バレると怒る。

紅葉の終わりを見て「また来年来るからね〜」「ああいうの、萌黄色っていうんだっけ」

父の実家へ。母は父の実家が苦手で、何かと理由をつけて行きたがらなかったが、代替わりもして、母も気を遣わず、
母に良くしてくれる人達なので、とてもくつろいでいた。人は覚えているが、場所は忘れているようだ。

認知症予防の本を自分で買っていた。

コートをストーブで温めて袖をこがした。

〈12月〉
長谷川式テスト16点。

要介護1。1度要介護2になったがまた1に。

友達から電話が来て明るく話していた。「会いたいね〜」としきりに言っていた。

「お父さん先に死んだなあ」「(自分が)こんなに生きると思わなかった」と言うので、いくつで死ぬと思ったの
と聞くと「40後半」


⭐︎体調良く、定期検査もまずまずで、父の一周忌もあり、親戚と会うなどしてなごやかに。あまり長く話に入れず、
 落ち着きがなくなることも。コートは新しく購入。しまむらで2,000円。またこがしたり汚したりすることを考えると、
 良い価格。色も母の好きな茶系で安っぽくなくお買い得。



認知症7年目・上半期

2023年05月28日 | 日記
《認知症7年目・82歳》

〈1月〉
ぜん息が起き、点滴に数日通う。

〈2月〉
雪かきをしていたので、体に障るからしなくていいと言うと、「この雪!!」とくってかかる。
後で、雪かきするくらい元気になったねと言うと、「私雪かきしたの?」

買い物がてら遠回りしてのドライブは大好きで機嫌がいい。

結露した窓ガラスに指で書いた“バカヤローー”

「何食べたい?」と聞くので、オムライスと言うと、「じゃあ作るから。ご飯ちゃちゃっとして
卵巻いて塩すればいいもの」→忘れる

冬季は自分で自分の湯たんぽを用意する。

街への外出に喜んで拍手。

〈3月〉
こたつでテレビを見ていた私を見ながらノートに何か書いていたので後から見ると“何様?”

CMの能年玲奈を見て「この子何だっけ?」。あまちゃん、と教えると「連続ドラマか」

夕方不穏になることが多い。玄関のドア、バーーーーン!!!! 部屋のドア、バーーーーン!!!!

腰が痛くて起きられないと言うので、病院にと言うと「年だもの」起きる手助けをすると
「かまわないで!! 1人でやるから!!」
レントゲンの結果は、以前からの第1腰椎のつぶれ、椎間板(5〜6)のすき間がないなど。新たな異常はなし。

「朝、甘い物食べると午前中口の中に残ってるんだ」とのこと。

機嫌良いと歌が出る。『隣組』『雪山賛歌』『おはながわらった』など。

暑いほどの良い天気の日のノートに“霧雨、寒い”

〈4月〉
腰痛でトイレに行けず、ベッド横でバケツにするのがやっと。前回と反対の所(右)。

朝、「具合が悪いのでデイ休みたい」→着替えて庭に出て迎えを待っている「まだ来ない」
休むって言ったから電話したよ→「あ〜そうだ。忘れてた」行けるの? 「行かない」

〈5月〉
親戚を訪ねがてら遠出。食事して観光タクシーでいろいろ回って楽しく過ごし、ホテルへ。
とにかく駅から1番近いホテル。駅前というか構内。22階の部屋は、何かあったら避難できるだろうか、
年寄りと高層階は怖いと思ったが、母は窓からの景色が気に入ったようで、ずっと眺めていた。
「いいねぇいいねぇ」と笑って。
翌日、親戚宅に母を送り母の妹と2人の時間を。迎えに行くと、2人で雑巾縫いをしていた。
無理に話を探して過ごすのではなく、黙々と雑巾を縫っている雰囲気が良かった。
翌日、少し観光している間に新幹線の時間がせまり、母を急がせてしまった。次の新幹線に替えようとしたが、
母は「行ける」と言うので行く。そしてまた私が発車時間を10分遅く間違えて覚えていたため、
本当にギリギリになった。なんとか乗り込み、母をトイレに連れて行って、席に落ち着く。
母にひたすらあやまった。母は「そんなことないよ」と笑っていた。

翌週のデイサービスの遠足も元気に行った。

〈6月〉
デイサービスに何を着て行ったらいいかわからないが「人に頼るとボケる」→冬物のカーディガンを着て、
全身まっ茶色になって行った。スタッフさんに、カーディガンは様子を見て脱がせてと頼んだ。

買い物中、私がテナントを見ている間、近くのイスに座っていてもらう。商品と母を交互に見ていると、
母が別のイスに移動。少ししてまた戻っていた。違和感があり、念のためと母のバッグを見ると、
小さいポシェットが入っていた。これ何? と聞くと「そこにあったの。届けようと思って」
私がすぐサービスカウンターに届け、母に、バッグに入れたらだめだよ、盗んだと思われるよ、と言うと
「これくらいいいんだ」家に持って帰ったら盗んだことになるよ、と言うと「ならないよ」
悪いことっていうのはわかる? 「わかんない! ボケたんだもの!!」
その後、しばらく店内を歩くと忘れたようでにこにこしていた。

「どこかに行こうーーーー」どこかに行って帰宅すると「疲れた」と言うので、あまり出かけるのも疲れるよ、
と言うと「家にいたら死ぬ。3日いたら死ぬよ」とのこと。

朝、デイサービスの車に乗り込む時、車内にいた利用者さんに「イェ〜〜イ!!」とピースしていた。


⭐︎旅行での私のいたらなさ、余裕のなさは今も胸が痛む。
 目について気に入ったであろう物をバッグに入れてしまうことも多くなった。
 デイの物はお返しできるけれど、出先でのバッグチェックの回数も増えた。
 バッグは斜め掛けの小さい物で、持たないことにすれば、「私のバッグは?」と何度も聞かれ、
 「どこかに忘れた」「なくした」と混乱。
 






認知症6年目・10〜12月

2023年05月26日 | 日記
《認知症6年目・81歳》

〈10月〉
朝、父に呼ばれ「どうして俺がこうなったか話すから集まれ」と言われたそうで、きょとんとしていた。
前の夜、私も「俺がなんでこうなったか言うから」と言われたが、聞かされず。

父、意識を失い救急搬送。母と私も同乗。入院になったので手続きなどで時間がかかったが、待っててもらう。

母の呼吸器科の定期通院。あまり思わしくなく点滴に。

父が入院したことを忘れては思い出す繰り返し。

朝、久し振りにみそ汁を作っていた。「なんだか食べたくなって」とのこと。

その日の昼から何度か父の病院から連絡。主治医の話を聞きに行き、母がずっといられないので帰宅。
その後の連絡で駆けつける。駐車場から院内に向かう間、「覚悟しないと」「落ち着け」と自分に
言い聞かせていた。何か感じ取っていたのか。

父、死去。
葬儀社との打ち合わせに時間がかかるがプランを相談したり。家族葬でも決めることが多い。

父の死は「夢見てるみたい」と言っていた。

母に礼服を着せてみる。自分が父より先に死ぬと思い込んでいて、又、誰の葬儀にも参列したくないため、
その頃の自分に合う礼服を用意していなかった。私がこっそり一式を用意していたので、それを。
首元が少しでも開くと嫌がるので、黒いレースのハンカチを足す。

父の葬儀という事はわかって、うちに親戚が集まるという昔のしきたりを思い出し、
「誰が来るの?」「料理はどうすんの?」「誰か泊まるの?」などとそわそわ。うちでは何もやりません、
誰も来ません、と紙に書いて壁に貼った。

父の棺に入れる物を探していたら、父の若い頃の写真が出て来たので母に見せると「誰?」

通夜は母は無理なので儀式後は葬儀会館の方に任せる。母は久し振りに会う親戚に嬉しそう。

葬儀の日の朝、足が冷たいと言うので足湯。

棺の中の父の胸元に小さな白い花束。朝、母が庭に咲いていた白い小さな花を摘んでリボンで結んだもの。
こしらえた気持ちも出来上がりも母らしい。式の流れも焼香もわからない母だが、父に寄り添うのに最もふさわしかった。

火葬後の収骨の時、母は気持ち悪がってやらなかった。しかし段々少なくなって、母にひとつでも拾ってと頼むと、
みんながやっているのを見て気持ちが変わったのか、やり始めた。するとノって来て、骨上げ箸で細かな骨をちゃちゃっと
混ぜ集めたりしていた。以後、母や自分が料理で菜箸で具材を扱う時、思い出した。

母のスケジュールノートの父が亡くなった日の欄に“じ様亡くなりました”と書いてあった。

家にいるのが嫌で、用事、買い物などについて来る。「あと何する?」「私何する?」と落ち着かない。
庭をうろうろ。テレビつけたり消したり。父の祭壇の前でぽけ〜としている。

洗濯機の配送の連絡の電話を母が取ったようで、電話の横のメモに“12時 明日配達 けいづ電器”

父の死後、「人1人死ぬと大変だから100まで生きる」と言っていたが、「明日にでも死んでいいんだもの」

父のことを「あんたが小さい頃よくおんぶして」「自転車に乗せてしょっちゅう実家に行ってた」「子煩悩だった」
「ケンカしながら暮らした」

父専用だった梅干しを「これ食べたくない」

日常に戻り、休んでいたデイサービスも再開。
母は様子見の期間のまま、他の利用者さんより帰宅時間が早く、母1人のためにスタッフさんが車を出すのが気の毒と言う。
また、「みんなと一緒に帰りたい」と言うので、そのようにしてもらう。

街へ外出。よく歩いた。元気。帰宅してからも、「どこかに行きたい」

〈11月〉
近所の人が旅行のお土産を持って来てくれた。母、嬉しそうにしていたが「あの人誰だっけ?」

1度寝てから起きて来て「泣いた」父のことを思い出したかと思ったら、「足がつった」

私が作った切り干し大根の煮物を温めようとしたのか、焦げたものが皿に。

〈12月〉
母のノートに“(父方の親戚が来て)お父さんもうれしかったでしょう”という記。

車の窓からの景色に昔の事を思い出して話す。
「すかんぽ、みんなで摘んだ」「塩持って行ってその場で食べて、残りは持って帰って塩漬け」など。

夜、親戚からの電話に出て、「お父さんはもう寝たから」

体調を崩し、数日点滴に通う。

脳外科の長谷川式テスト20点。去年より3点アップ。

デイサービス週3日に。

ケアマネさんに、ダンナさんが亡くなってどうですかと聞かれ、「ほっとしました」「最後は大変だったので」

「おしっこもらした」下着とズボンの替えを渡す。下着だけ替えてこたつに入っていた。

デイサービスで年越しそばのそば打ちをしたとのこと。帰宅時にスタッフさんが
「とても上手くて先生みたいでした」と言い、本人も笑顔だったが家では不穏に。



⭐︎父の在宅介護、死去、それに伴うあれこれで環境の変化が続き、母もとまどっただろう。
 体調を崩して点滴治療になりながらも、デイサービスの回数も増え、楽しい様子。
 父がいないという日々には落ち着かないことも。