父が亡くなった夜はなかなか寝付けず、うとうとして午前3時には目が冴えました。
ちょっと不整脈が出たりしました。
母はよく寝ていたようで安心。
翌朝、母に礼服を着せてみました。
母は、自分が父より先に死ぬと思い込んでいて、また、誰の葬儀にも参列したくないため、
その頃の自分に合う礼服を用意していませんでした。
それで私がこっそり一式用意していた物です。
少しでも首元が見えると嫌がる母に、黒いレースのハンカチを足したり。
その日は納棺でした。
近くに住む親戚夫妻が来てくれて、納棺師のイリュージョンも見て、父は白い着物姿に。
ひげを剃ってもらっている姿は、普通に床屋さんでやってもらっているようでした。
わらじをはかせたり、お金を持たせたりという一連の流れを終え、
父の旅支度が整いました。
母は、父の葬儀ということはわかっていて、うちに親戚が集まるのだという
昔のしきたりを思い出し、誰が来るの? 料理どうすんの? 誰か泊まるの? などとそわそわしていました。
うちでは何もやりません、誰も来ません、と家の壁に張り紙をしました。
そして後日の通夜までにお棺に入れる物を探しました。
遺影は、親戚の結婚式で皆さんと撮った写真を引き伸ばしてもらいました。
免許証くらいの大きさがあれば大丈夫と言われ、ぎりぎりでした。
父の引き出しから若い時の父の写真が出てきたので母に見せると「誰?」
引き出しの中から数点、用意しました。
ごみの日だったので、父の尿瓶や防水シーツなどを出しました。
しばらくしてまだ収集車が来ていなかったので、寝具類、下着も出しました。
介護用ベッド、手すりが搬出、在宅酸素の機器も引き取られ、
葬儀社により家に祭壇が設置されました。
ちょっと不整脈が出たりしました。
母はよく寝ていたようで安心。
翌朝、母に礼服を着せてみました。
母は、自分が父より先に死ぬと思い込んでいて、また、誰の葬儀にも参列したくないため、
その頃の自分に合う礼服を用意していませんでした。
それで私がこっそり一式用意していた物です。
少しでも首元が見えると嫌がる母に、黒いレースのハンカチを足したり。
その日は納棺でした。
近くに住む親戚夫妻が来てくれて、納棺師のイリュージョンも見て、父は白い着物姿に。
ひげを剃ってもらっている姿は、普通に床屋さんでやってもらっているようでした。
わらじをはかせたり、お金を持たせたりという一連の流れを終え、
父の旅支度が整いました。
母は、父の葬儀ということはわかっていて、うちに親戚が集まるのだという
昔のしきたりを思い出し、誰が来るの? 料理どうすんの? 誰か泊まるの? などとそわそわしていました。
うちでは何もやりません、誰も来ません、と家の壁に張り紙をしました。
そして後日の通夜までにお棺に入れる物を探しました。
遺影は、親戚の結婚式で皆さんと撮った写真を引き伸ばしてもらいました。
免許証くらいの大きさがあれば大丈夫と言われ、ぎりぎりでした。
父の引き出しから若い時の父の写真が出てきたので母に見せると「誰?」
引き出しの中から数点、用意しました。
ごみの日だったので、父の尿瓶や防水シーツなどを出しました。
しばらくしてまだ収集車が来ていなかったので、寝具類、下着も出しました。
介護用ベッド、手すりが搬出、在宅酸素の機器も引き取られ、
葬儀社により家に祭壇が設置されました。