アンパンマンの作者やなせたかしが出していた「詩とメルヘン」という雑誌を知っているだろうか。最近若い人に言ってもついぞ通じないので困るのだけれど、10数年は続いた雑誌である。絵と詩なので一種の雑誌絵本のようなものだけれど、いわゆる絵本と違うのはお話しではなく明らかに詩であること。
アウトリーチで、後藤由里子さんの作った「はじまりは・・・」という曲を詩の朗読と一緒にやりたい,詩を読んでから続けて「ディア」を演奏するといってきたのは宮本妥子さんである。そのときに何の詩を読むか探してほしい、といわれ、私が幸田町文化会館のプロデューサー本間さんに挙げた数人の詩人の名前の中から、彼はやなせたかしのいくつかの詩を選んだ。その中から「ひかりよ」という詩に決めたのは宮本さんと後藤さんだけれど、本間さんにとっては、演奏家とディレクション側との心のつながりが出来て、実現したときの満足感も普通以上になっていたと思う。
そのときは後藤さんが読んで宮本さんが演奏したのだけれど、ついこの間、広島で宮本さんが、自分で読んで演奏した。彼女はこれをやるとつい涙ぐんでしまうのだそうだけれど、その話は本間さんが聴いたら本当に喜ぶだろうなあ。
詩を捜すのは全体から見れば小さな参加だけれど、心が繋がる参加のしかたはいくら小さくても意味がある。繋がろうと意識しないと探せないしね。
詩については演奏家は素人だけれど、それが彼らのプロフェッショナルな部分と繋がることで、価値がついてくる,ということはあると思う。アウトリーチでは特にそのような関係に意味を持てる気がする。だから、下手に地元の同じジャンルの演奏家を結び付けようとしてうまく事が運ばないのもむべなるかなである。もちろんしなくてはいけないというわけではないけれど。
アウトリーチで、後藤由里子さんの作った「はじまりは・・・」という曲を詩の朗読と一緒にやりたい,詩を読んでから続けて「ディア」を演奏するといってきたのは宮本妥子さんである。そのときに何の詩を読むか探してほしい、といわれ、私が幸田町文化会館のプロデューサー本間さんに挙げた数人の詩人の名前の中から、彼はやなせたかしのいくつかの詩を選んだ。その中から「ひかりよ」という詩に決めたのは宮本さんと後藤さんだけれど、本間さんにとっては、演奏家とディレクション側との心のつながりが出来て、実現したときの満足感も普通以上になっていたと思う。
そのときは後藤さんが読んで宮本さんが演奏したのだけれど、ついこの間、広島で宮本さんが、自分で読んで演奏した。彼女はこれをやるとつい涙ぐんでしまうのだそうだけれど、その話は本間さんが聴いたら本当に喜ぶだろうなあ。
詩を捜すのは全体から見れば小さな参加だけれど、心が繋がる参加のしかたはいくら小さくても意味がある。繋がろうと意識しないと探せないしね。
詩については演奏家は素人だけれど、それが彼らのプロフェッショナルな部分と繋がることで、価値がついてくる,ということはあると思う。アウトリーチでは特にそのような関係に意味を持てる気がする。だから、下手に地元の同じジャンルの演奏家を結び付けようとしてうまく事が運ばないのもむべなるかなである。もちろんしなくてはいけないというわけではないけれど。