第一生命ホールのオープン以来行っているアドヴェントセミナーは、今年で8回目だったが、さかのぼれば2001年の早春に黒部でやったことがそのきっかけである。
地域創造はおんかつの発展形として大編成のものができないかということで調査をしていたのだけれど、なかなか明確な線が出てこなかったので試験的(モデル事業という言い方をする)に行った小編成のオケによる企画で、二つ返事で乗ってくれた会館が黒部(コラーレ)だった。そしてその企画の中心的な演奏家として思い浮かべたのが松原勝也さん。彼はハレーSQのファウンディングメンバーであるが、彼がハレー・ストリング・クァルテットを辞めてから(ハレーSQというのも不思議なバランスの良さがあったグループであったのでこの話もいろいろとあるのだけれど)久しぶりの会った松原さんが言い出したのは、普通2,3日で作って本番を迎える弦楽合奏を10日とか練習してやったらどこまでいけるだろうか、ということである。ゴールドベルクが新日フィルを初めて指揮したときに一週間のリハーサルを要求して、オケをあわてさせた・・という話を思い出させるが、彼の発想もその影響があるかもしれない。音楽に奉仕するものとしての演奏家にとっては効率とかそういうことではないのである。まあ、そこに折り合いをつけるのがプロだともいえるのだけれど。
昔、大学で合唱の指揮を始めたころ、先輩に「音取りがすんで一応表情がついたそのあとに何をする?」と問われて私の未熟な知識では案外と難しいことに気がついたのを思い出した。確かにその先になすべきことを次々と見出すのも才能を要求するわけだ。
さて、この黒部でやった事業は、おんかつを始めて数年の状態で、まだやみくもだった私の中では、あるテーマを試す場所でもあって興味深いものをいくつか含んでいた。ひとつはアウトリーチのための曲をつくること。アメリカでは作曲家が参加して実演家とともに行うワークショップやエデュケーションのアウトリーチ活動が案外盛んだと聞いている。結局作曲家に頼むという形にはならなかったけれど、演奏をしに行くというだけのアウトリーチから一歩踏み出すコミュニケーション型の方向に可能性を見出せたこと。ほかに20名のアンサンブルで行うコンサートのために事前に室内楽でアウトリーチをするという手法の可能性と限界を試す意味でも面白かった。あと、先生と生徒が一緒に行ってアウトリーチをする、というのもいろいろと感じるところがあった。先生たちは若い演奏家にアウトリーチでどのようなことを望むのかとか・・・。まあ結果論でもあるけどね。
そう言いながら、実はその折には1週間前にめまいを起こして4日ほど寝ていたので、直前の練習の面白いところを知らずに同行するというはめになったのだけれど。
地域創造の事業としては(演奏の音楽的成果は別として)この実験的なグラムは決して画期的に上手くいったわけではないのだけれど(したがってそのままでは継続しなかった)そこから生まれてきたものはいくつもある。まあ演奏が心に残ったのが一番だけれど。
ひとつはオーケストラによるアウトリーチ(これはのちになって地域創造が茂木さんを活用する形で実現する)。それから松原さんの中では「弦楽四重奏をベースにした室内楽の本格的セミナー(アウトリーチを含めて)」をやりたいというアイデアが生まれた。そのアイデアの一部は、アウトリーチフォーラムでも若干取り入れているし、富山でゴールドベルクを記念したセミナーができた時にも少し実現するが、残念ながら松原さんとは直接関わらないところで行われている(松原さんはまだ諦めていないですよ・・と言っていた。えらいものだ)
そして、ちょうど黒部が終わった後の時期に第一生命ホールで具体的に何をやろうかということを考えはじめたのである。それで松原さんに話しに行って決めたのがアドヴェントセミナーである。黒部の発展形として、きちんとしたセミナーとして行うことと先生が入った室内楽をやることを込みとして10日間にしたけれど、それで定着した。黒部で若い人たちの心に残ったものという成果を見ると、育成を一つのテーマにしつつあった第一生命ホールでは、ニューヨークのクリスマスセミナーの向こうを張る育成型企画の目玉として行うことに大きな意味はあった。アレクサンダー・シュナイダーからジェイミー・ラレードに引き継がれ続いているクリスマスセミナー(今年もちゃんとやっているようだ)も、世界の音楽界の中ではメジャーな企画ではないけれど、きちんと続いているのはまあ制作する側、サポートする側の一種の見識であろう。
しかし、アドヴェントセミナーに限らず、こういうことの成果を見えるようにするのは難しい。TANでは昨年、参加者への聞き取りを行って評価への意味づけをしようと試みたけれど、心の中にある大事なものを見せびらかすという風土は日本に無いし、あんまり言葉にしにくいことだろうから必ずしもうまくいったとは言い難い気がする。その意味ではセミナーとかは他も同様だろう。霧島も草津もしかり。したがって、評価はこの参加が略歴に書かれたかとか、参加者から有名演奏家が出たかといったようなことについ引っ張られる傾向はある。そういうところも含めてさまざまに場は作っていかないといけないのだろうけれど・・・。
今回も、残念ながら半分も付き合えなかったのだけれど、今年のセミナーはまとまりがよくて良い出来だったと思う(ちょっと小粒かなと思っていたのだが)。室内楽的でヒエラルキーのないコミュニケーションがよく取れていたほうだと思う。打ち上げが終わっての帰りがけ、コントラバスの二人が去りがたいようにトリトンスクエアのクリスマスツリーの前で記念写真を撮ろうとしていたのが印象に残った。芸大と桐朋の院生。同じ世代の二人はここで、新しい、本当の友人を見出した?
地域創造はおんかつの発展形として大編成のものができないかということで調査をしていたのだけれど、なかなか明確な線が出てこなかったので試験的(モデル事業という言い方をする)に行った小編成のオケによる企画で、二つ返事で乗ってくれた会館が黒部(コラーレ)だった。そしてその企画の中心的な演奏家として思い浮かべたのが松原勝也さん。彼はハレーSQのファウンディングメンバーであるが、彼がハレー・ストリング・クァルテットを辞めてから(ハレーSQというのも不思議なバランスの良さがあったグループであったのでこの話もいろいろとあるのだけれど)久しぶりの会った松原さんが言い出したのは、普通2,3日で作って本番を迎える弦楽合奏を10日とか練習してやったらどこまでいけるだろうか、ということである。ゴールドベルクが新日フィルを初めて指揮したときに一週間のリハーサルを要求して、オケをあわてさせた・・という話を思い出させるが、彼の発想もその影響があるかもしれない。音楽に奉仕するものとしての演奏家にとっては効率とかそういうことではないのである。まあ、そこに折り合いをつけるのがプロだともいえるのだけれど。
昔、大学で合唱の指揮を始めたころ、先輩に「音取りがすんで一応表情がついたそのあとに何をする?」と問われて私の未熟な知識では案外と難しいことに気がついたのを思い出した。確かにその先になすべきことを次々と見出すのも才能を要求するわけだ。
さて、この黒部でやった事業は、おんかつを始めて数年の状態で、まだやみくもだった私の中では、あるテーマを試す場所でもあって興味深いものをいくつか含んでいた。ひとつはアウトリーチのための曲をつくること。アメリカでは作曲家が参加して実演家とともに行うワークショップやエデュケーションのアウトリーチ活動が案外盛んだと聞いている。結局作曲家に頼むという形にはならなかったけれど、演奏をしに行くというだけのアウトリーチから一歩踏み出すコミュニケーション型の方向に可能性を見出せたこと。ほかに20名のアンサンブルで行うコンサートのために事前に室内楽でアウトリーチをするという手法の可能性と限界を試す意味でも面白かった。あと、先生と生徒が一緒に行ってアウトリーチをする、というのもいろいろと感じるところがあった。先生たちは若い演奏家にアウトリーチでどのようなことを望むのかとか・・・。まあ結果論でもあるけどね。
そう言いながら、実はその折には1週間前にめまいを起こして4日ほど寝ていたので、直前の練習の面白いところを知らずに同行するというはめになったのだけれど。
地域創造の事業としては(演奏の音楽的成果は別として)この実験的なグラムは決して画期的に上手くいったわけではないのだけれど(したがってそのままでは継続しなかった)そこから生まれてきたものはいくつもある。まあ演奏が心に残ったのが一番だけれど。
ひとつはオーケストラによるアウトリーチ(これはのちになって地域創造が茂木さんを活用する形で実現する)。それから松原さんの中では「弦楽四重奏をベースにした室内楽の本格的セミナー(アウトリーチを含めて)」をやりたいというアイデアが生まれた。そのアイデアの一部は、アウトリーチフォーラムでも若干取り入れているし、富山でゴールドベルクを記念したセミナーができた時にも少し実現するが、残念ながら松原さんとは直接関わらないところで行われている(松原さんはまだ諦めていないですよ・・と言っていた。えらいものだ)
そして、ちょうど黒部が終わった後の時期に第一生命ホールで具体的に何をやろうかということを考えはじめたのである。それで松原さんに話しに行って決めたのがアドヴェントセミナーである。黒部の発展形として、きちんとしたセミナーとして行うことと先生が入った室内楽をやることを込みとして10日間にしたけれど、それで定着した。黒部で若い人たちの心に残ったものという成果を見ると、育成を一つのテーマにしつつあった第一生命ホールでは、ニューヨークのクリスマスセミナーの向こうを張る育成型企画の目玉として行うことに大きな意味はあった。アレクサンダー・シュナイダーからジェイミー・ラレードに引き継がれ続いているクリスマスセミナー(今年もちゃんとやっているようだ)も、世界の音楽界の中ではメジャーな企画ではないけれど、きちんと続いているのはまあ制作する側、サポートする側の一種の見識であろう。
しかし、アドヴェントセミナーに限らず、こういうことの成果を見えるようにするのは難しい。TANでは昨年、参加者への聞き取りを行って評価への意味づけをしようと試みたけれど、心の中にある大事なものを見せびらかすという風土は日本に無いし、あんまり言葉にしにくいことだろうから必ずしもうまくいったとは言い難い気がする。その意味ではセミナーとかは他も同様だろう。霧島も草津もしかり。したがって、評価はこの参加が略歴に書かれたかとか、参加者から有名演奏家が出たかといったようなことについ引っ張られる傾向はある。そういうところも含めてさまざまに場は作っていかないといけないのだろうけれど・・・。
今回も、残念ながら半分も付き合えなかったのだけれど、今年のセミナーはまとまりがよくて良い出来だったと思う(ちょっと小粒かなと思っていたのだが)。室内楽的でヒエラルキーのないコミュニケーションがよく取れていたほうだと思う。打ち上げが終わっての帰りがけ、コントラバスの二人が去りがたいようにトリトンスクエアのクリスマスツリーの前で記念写真を撮ろうとしていたのが印象に残った。芸大と桐朋の院生。同じ世代の二人はここで、新しい、本当の友人を見出した?