北九州の登録演奏家4組のアウトリーチ事業の2年間の登録が終わる。先週が最後のアクティビティで、市民センター4カ所と小学校1カ所で実施した。
北九州のアウトリーチも今年で4年目を終えるわけだけれど、4-5年というとそろそろ成果という果実をどう考えるか、ということを考えないといけない時期になっているのかもしれない。アウトリーチというのは意義は認めても成果の判定が難しい事業の一つかもしれないけれど、特に最近の目にみえる成果と言う意味では昨今の基準から言うと表面化しにくいと言うことはあるだろう。もう一つは、継続の問題。こういう事業は継続が大事というのは誰でも考えることだけれど、それが、どのように継続するかはあんまり考えられていないので、どこの時点で継続の意味が消えるのかが判別できない、ということがある。私はこれは通奏低音のようなものだと思っているので、その上にどんなメロディが乗っかってきても良いようにしてあるものだという感じはあるのだけれど、これを独立した一つの事業のように考えるのとはちがった感じ方があるのだろう。
しかし、2年間やってみて構成力に関してはみんな力をつけてきているし、自分でも考えがまとめられるようになってきているように思われる。もちろん、いろいろな意見があって、ここの部分については違った見方もできるのだけれど、まあ変な方向に行ってしまうことはないような安心感ができてきた。地域の音楽事情というのは、こういうやり方の中から少しづつ変化をしていくしかないのだろうけれども、今の時代の早さに間に合うのか・・・ということが一番心配の種である。
まあ、私を含めて当事者は充実感を感じているのだと思うけれどもどうだろうか・・・
児玉真
北九州のアウトリーチも今年で4年目を終えるわけだけれど、4-5年というとそろそろ成果という果実をどう考えるか、ということを考えないといけない時期になっているのかもしれない。アウトリーチというのは意義は認めても成果の判定が難しい事業の一つかもしれないけれど、特に最近の目にみえる成果と言う意味では昨今の基準から言うと表面化しにくいと言うことはあるだろう。もう一つは、継続の問題。こういう事業は継続が大事というのは誰でも考えることだけれど、それが、どのように継続するかはあんまり考えられていないので、どこの時点で継続の意味が消えるのかが判別できない、ということがある。私はこれは通奏低音のようなものだと思っているので、その上にどんなメロディが乗っかってきても良いようにしてあるものだという感じはあるのだけれど、これを独立した一つの事業のように考えるのとはちがった感じ方があるのだろう。
しかし、2年間やってみて構成力に関してはみんな力をつけてきているし、自分でも考えがまとめられるようになってきているように思われる。もちろん、いろいろな意見があって、ここの部分については違った見方もできるのだけれど、まあ変な方向に行ってしまうことはないような安心感ができてきた。地域の音楽事情というのは、こういうやり方の中から少しづつ変化をしていくしかないのだろうけれども、今の時代の早さに間に合うのか・・・ということが一番心配の種である。
まあ、私を含めて当事者は充実感を感じているのだと思うけれどもどうだろうか・・・
児玉真