児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

大村シーハットの館長

2009年04月11日 | 徒然
カザルスホールで一緒に仕事をした村島寿深子さんは、かつて、芸大を出た後、移民船でアメリカに渡りミュージカルの勉強をした。ニューヨークでは何度も主役で歌ったりしていたみたいで、ユル・プリンナーと共演したこともあるという人なの。1980年代後半に帰国してからは通訳からプロデュースの仕事で、一所懸命に引き受けてくれる人柄の良さが特に演奏家の信頼を勝ち得ていた。彼女のあり方は現場でこういう仕事をしている人間にとって手本になるような仕事ぶりだった。7年ほど前に出身地、大村市の市長に請われて大村市の文化スポーツ施設である「シーハット大村」の館長になり、長崎県の中でも独特の事業展開で存在感を示している。長崎市で仕事をしていても時々話題になる。
先日(7日)、プライベートで長崎旅行をした途中に会館によって久しぶりにお会いした。彼女が大村に行って一番の企画は「大村にプロのオケを作ること」だった。まだチェンバーオケだし、苦労もしていると思うし、レベルもまだまだ満足していないと思うけれど、とりあえず、長崎県で一定のレベルの演奏を担保できるオケのベースがあると言うことは偉大なことである。それをまずはやってしまうところが村島さんらしい。指導陣に迫さんとか松原さんとかをいれ、カザルスの時の人脈で原田さんとか、相沢吏江子とか、メネセスとかを呼んで事業をしているのをみるとある意味うらやましい。演奏家と何かを創り上げていく、という高揚感を持てる仕事ができることはプロデューサーの本意であろう。
今回も不意に訪ねたときは電話中で、オケのコンマスの活動を心配して話していた、と言っていたけれど、久しぶりに彼女と話していて、そのこころざしと夢の広がりが依然衰えていないのをみて舌を巻いた。まだミュージカルの指導も現役でしているし・・・。こういう歳のとり方も良いなあと思えるひとに会えるのはうれしい。