拝啓 夏目漱石先生

自称「漱石先生の門下生(ただのファン)」による日記

ハードディスクの奥から発掘

2007-03-13 20:19:20 | 音楽
ハードディスクの奥で眠っていた、多分去年の12月ごろに書いたスマップの裏ベストアルバムその名も『裏スマ』収録曲へのコメント記事。せっかく書いたので載せておこう。『裏スマ』って中古であんまり見ないな。良い曲ばっかだから簡単に売らないのかな?どうなんだろ。


■「言えばよかった」
黒っぽいギターのカッティングとリズムで構成された失恋ソング。ハネたベースが気持ち良いっす。タイトルからも連想できるだろうが、「チキショー。告白しときゃよかったよー」な曲である。サビでは「♪言えばよかった」「♪言えなかった」が繰り返される。ラストでは英語で「♪I couldn't say you~」なんて爽やかに歌ってる。そのまんまじゃないか。この曲は後半のブリッジの部分で、「え、これOKテイクなの!?良いの?こんなのCDに残しちゃって…」と誰もが衝撃を受けるであろう中居君のソロパートが収録されている。よくバラエティーなどで中居が披露するガラガラ声。あれ、半分ウケを狙ってやってるのだろうが、彼はあれに近い歌声をCDでも披露してしまっている。いくらジャニーズだからってこれはアリなのか?中居君ならアリなのか?

■「君と僕の6ヶ月」
短期間の間に起きた濃密な恋を歌う。深夜のコンビニでバイトしてるときに毎日のように店に寄る女の子と恋をするが、彼女の引越しによって寂しくもあっさり終わってしまう。こんな物語が流れるように歌われるのだ。明るめのクリスマスソング風のアレンジだが、歌詞にクリスマスとの関連は一切なし。所々に照れくさくも良いフレーズが散りばめられていて好きだなぁ。「夜に出会った恋だから夢見てるのかと疑ったけど この頬を君につねってもらうたび とても痛かった」。アイドルの歌うポップスのなんたるかを知り尽くした歌詞でございますね。出来すぎ。

■「Major」(2001 version)
「遠く闇の彼方 迷い込んだ夜もいつか 朝日見える場所へ きっとまたたどり着くさ」―ため息をつきながら無限の夜空に思いをはせるような名曲「夜空ノムコウ」のアンサーソングにも聴こえるが、この曲は「オリジナルスマイル」のカップリング曲。「夜空ノムコウ」の3年以上前に世に出ている曲なのでこの二曲に関連があるわけがない。ただ、この優しくポジティブな名曲は、タイトルに「2001 version」というのがくっついてる事が示すように、『裏スマ』収録時にオリジナル版に手が加えられた作品である。というか歌の録りなおし。2001年仕様に新しく生まれ変わった「Major」は、夜空の下で寂しげに人生を振り返っていた時期を抜け出したような爽やかさを纏っているように私には聴こえる。ていうかここまで書いてて思ったけど、この曲、デビューからいくつもの壁を乗り越える度に大きくなっていったスマップにぴったりの曲だな。このアルバムのベストトラック、でしょう。

■「泣きたい気持ち」
元々は中居君のソロだったらしいが、ここに入っているのは皆で歌ってるバージョン。歌い出しは中居君が担当している。「君色思い」程の衝撃はないものの、音程がゆらゆらと揺れるスリリングなものに仕上がっている(そんなスリルいらねー)。曲自体はありがちな失恋ポップス。名曲揃いのこのアルバム収録曲の中では特筆すべき点は無いが、まぁ、レアな歌い出しということで触れておく。中居ソロバージョンの方を聞いてみたいなぁ。全編一人で歌ってんでしょ?怖いけど聞いてみたい。

「君」を「キミ」って表記するのが嫌

2007-03-06 22:36:44 | 音楽
半年ぐらい前から地味にLUNA SEAのアルバムを集めている。ブログの記事でもちょろちょろとLUNA SEAに関しての記述を少々茶化しながらしてるけど、音源も結構ちゃんと聴いてるよ。主に90年代後半に全盛期を迎えたミュージシャンのアルバムは中古ショップに行けば大抵価格破壊しているのでかなり気軽に買える。今自分が持ってるLUNA SEAのアルバムは92年の『IMAGE』、93年の『EDEN』、94年の『MOTHER』、96年の『STYLE』、98年の『SHINE』、ライブ盤『NEVER SOLD OUT』、ラストアルバムとなった2000年の『LUNACY』、そしてベスト盤。これだけ買っても1000円弱。一番初めに手に入れた『MOTHER』が予想外に良くて、その中古ショップに並んでた他のアルバムもちょろちょろと買い集めた。さらに二枚組の解散ライブのDVDも安値で手に入れた。いろいろなことを思った。そのいろいろを長々と綴っておこうと思う。
LUNA SEAがデビューしたのは1992年。解散したのは2000年。私はその間彼らの音楽をまともに聴いたことは一度も無かった。もちろん存在は知ってて、彼らが出したシングルは94年の「ROSIER」以降はほぼ全曲認知していた。友達の家に遊びに行った時、その友達の兄がガンガン聴いてたりしてたから。テレビに出てれば「うわぁ、派手なバンドだなぁ」とぼんやり思うこともあった。でも特別興味は持たなかったのだった。ギターのSUGIZOの立ち振る舞いが何となくかっこいいなぁと感じたこともあったが何しろ思春期の頃の私の心を支配してたのは主にラルクだったので、LUNA SEAに耳を傾ける暇は無かったのだ。大体河村隆一ことRYUICHIの歌声、迫力ありすぎて一般人なら…退くよね。おそらくLUNA SEAで一番有名だと思われる曲、ドラマの主題歌にもなった「I for you」で、見る者聴く者にに衝撃を与えた「♪こ~こ~ろ~から~~き~み~を~あい~してる~!!」という絶唱。あの絶唱は人を選ぶよ(でもドラマとの絡み具合は最高だったが)。トークの時に見せるナルシスティックなキャラも近寄りがたかった。
LUNA SEAに無関心。そんな状態は昨年の夏ごろまでずーっと続いていた。そんな状態を変えたのはyoutubeだった。アップロードされているありとあらゆる動画を自由に見ることができる2006年を代表する革命的サイト。あそこでhideの映像をいろいろと見ていたときに偶然見たLUNA SEAのライブ映像―後で調べたら2000年の東京ドームでの解散ライブの映像だったのだが―を見て、驚いた。河村隆一の声がねちっこくなかったのだ。私の脳内に記憶されていたあの絶唱とは程遠い、男気あるたくましい歌声を河村隆一は披露していた。なんなんだ?もしかしてあのねちっこい歌唱はテレビ用だったのか?演奏もやたらと迫力があり、なにより熱気と気合いが凄まじい。つーか多分河村隆一以外は元ヤンだろ。ルナシーを表舞台に引っ張り出した張本人・hideが「ルナシーは神奈川で一番気合いの入ってる5人が集まってできたバンド」と語っていたし…。ラルクのライブだともっと冷静というか、淡々と冷気溢れる鋭い演奏を繰り広げ、それをバックにhydeの歌声が自由に飛び回る、という感じなのだが、ルナシーの場合は各人のプレイに物々しい気合いを感じる。その気合いに引きずられ、じーっとライブ映像に見入ってしまった。なんだよ、ライブだとかなりかっこいいじゃないか、このバンド。今までずっと気づかなかったし気づく術もなかった。当たり前だ。ファンじゃなきゃわざわざライブなんて行かないし。それからyoutubeでルナシーのライブ映像をさらに見まくり、一気に彼らへの関心が高まった。いやぁ、知らなかったよ、ヴァイオリンを弾きこなすメンバー(SUGIZO)がいるなんて…。
なんかLUNA SEAに関心を持つきっかけを書いただけなのにこんなにも長くなっちゃったなぁ。CDやライブDVD見た感想全然書けなかった。多分私以外にもyoutubeがきっかけでLUNA SEAに興味持った人いるんじゃないだろうか。ていうか多分いる。ラルク好きの人で、hydeの魅力だけにとことんヤラれてて他が何も見えないという人以外ならLUNA SEAも多分いけるよ。どうしても河村隆一の声に抵抗がある人でも、ある種変態的な音色を奏でるギターに耳を集中させれば結構楽しめる。ちなみに好きなアルバムは『MOTHER』『STYLE』『LUNACY』で、その他は実は全然聴いてなかったりする。他はなんか歌声に抵抗が…。ちなみに歌詞は9割以上は好みじゃなかった…。



史上最大のコラボ

2007-03-04 22:00:32 | テレビ
恒例(?)の『華麗なる一族』の感想を。

●うわあぁ!不意打ちだ!マジに油断してた!冒頭から「じいさんの肖像画」と「将軍」のコンボで来るとは!将軍は約一ヶ月程全く登場しなかったからもう出ないかと思ってた。久々の将軍登場の破壊力は…凄かった。「さすが」って感じ。格が違う。自身の出生の秘密に思い悩み、池のほとりに神妙な面持ちで佇む鉄平。脳裏にはじいさんの肖像画が…そう、キムタクにヒゲとカツラを付けただけの、あの衝撃のじいさんの肖像画がチラついていた。さらに、鉄平の足元の池で悠々と泳ぐ将軍…鉄平の身に降り懸かってる災難など素知らぬふりで、もう、優雅にスイスイ~っと泳いでる…さすが「泳ぐ機械」…。有り得ない!笑わずにはいられないよ…無理だよ。肖像画と将軍。ストーリーそっちのけで視聴者の話題をさらっていった、このドラマの双璧を成す二大要素。はっきり言ってこの衝撃が強すぎて鉄平の出生の秘密とかどうでもよくなっちゃったよ。…いや、言い過ぎかな、さすがに。
長年に渡って鉄平の父・大介と妻・寧子の二人だけの秘密だった「鉄平の本当の父親について」。ついにそれが表出してきた。鉄平の弟・銀平はワイングラス片手に(ぷっ。こいつ飲みすぎ)「やっとわかりましたね、この家に憑いてる亡霊の正体が」と言っていたが、うん…将軍と肖像画が憑いてる万俵家だもんね。ドロドロになるハズだわ。そうそう、鉄平が家を出ていくシーン、挿入歌の「デスペラード」が流れる中で彼は池のほとりで手を叩いて将軍を呼ぼうとしていたが(別れの挨拶をしようと思ったのだろう)、結局呼ばなくてよかったぁ……名曲が台なしだもん(笑)。

●予告見る限りではこれから相子様への風当たりが強くなりそうだなぁ。相子様ファンには辛い展開だ。まぁ、映画版は観たので彼女がどんな運命を辿るのかは知ってるんだけどさ。あー、相子様に幸あれ。

●今回は冒頭の将軍・肖像画が全てを持って行ってしまった感がある。ゲストの萩原聖人もあんまり出なかったし。「他に何かあったかぁ?」ぐらいの勢い。…いや、いろいろあったけども。というわけで今回はちょっと前に書いたもののくだらなすぎて載せられなかった「ゲンダイネット」(勝手な思い込みと妄想で芸能ネタを書く、メディアの風上にも置けない三流ネットニュース)風の記事を載せておく。バカバカしすぎるが以下まぁ適当に流しておいてください。

止まりそうも無い肖像画の勢い(ゲンダイネット)

ドラマ『華麗なる一族』に異変が起きている―

放送開始以来、視聴者たちの話題を独占していた鯉・将軍の人気に陰りが見え始めたのだ。

「初めこそ、そのインパクト故に大反響を呼んだ将軍ですが、最近では評判は散々です。『いかにも模型です』という作りは多くのドラマファンを興ざめさせています。結局将軍の人気は、登場シーンで必ず共演するキムタク人気にあやかっていただけのようです。」(事情通)

その将軍の代わりに頭角を現してきたのが肖像画だ。将軍とは逆に、初登場で冷笑を誘った肖像画だが、

「最近はその存在感に重みが感じられると共演者の間でもっぱらの評判です。『キムタクがじいさんになったらこんな顔なんだろうな』を見事に表現する肖像画の演技は目を見張るものがある。ドラマファンもだんだん肖像画の魅力に気づいてきているようです。」(テレビ関係者)

将軍VS肖像画。ドラマの展開以上に気になる両者の演技対決に期待したい。


ひなまちゅり

2007-03-03 21:50:19 | 音楽
宇多田ヒカルが離婚したようだ。さすがに結婚の時よりは驚かなかった。むしろ彼女の近作『ULTRA BLUE』や新曲「Flavor of life」で提示された混沌とした作風(特に前者)を振り返ってみるとなんとなく納得してしまう。『ULTRA BLUE』の一曲目の「This is love」という、物凄くストレートなタイトルを持つ曲には、「冷たい言葉と温かいキスあげるよ」という、ハッピーなのかそうじゃないのかかなり曖昧なフレーズが登場したもんな。さらに「何か言いたいけど次の瞬間もう朝なの」…明らかに幸せじゃない、よな。あ、そういえば「日曜の朝」って曲には「幸せとか不幸だとか基本的に間違ったコンセプト」なんてフレーズがある。当時「何でこんな考えが彼女の頭を過ぎったんだろ」なんてぼんやり考えたが…。「WING」って曲にもそういう意味が込められてたのかな。ていうかアルバムのタイトル自体がさぁ…どんだけ深いんだろうねぇ、宇多田ヒカルのブルーは。まぁ、いいや。余談だが、「日曜の朝」という曲は、アルバム収録曲の中でも群れを抜いて神経質なアレンジが施されている。耳を澄ませてよーく聴いてみると、心拍数を刻む医療器具みたいな無機的な音(「ピッ…ピッ…ピッ…」ってやつね)がかすかに聴こえてくる。部屋で一人であの曲を聴いてると物凄く孤独感を煽られますよ。独りになりたい時にオススメのBGMです。
さて、もう6年前になるが、『ロッキングオンジャパン』2001年5月号に載っている宇多田ヒカル表紙巻頭インタビューで、彼女はこんなことを語っていた。
「ミュージシャンとかクリエイターの人は、普通の人が麻痺していいことや、麻痺したほうが健康なことを、麻痺せずに感じ続けなくちゃいけないことが仕事なんじゃないのかな」
「人とケンカができない。もっとちゃんと怒りとかを人にぶつけたい。そこまで行っちゃうと今んとこ私には音楽しかない」
宇多田が書く歌詞がシリアスな洞察力に満ちているところとか、「ちょっと出しすぎじゃない?」ってぐらい情感溢れる歌声を披露してるのはこんな理由があったんだ…というのをこのインタビューを読んだとき思ったのだが、それから6年たった現在でも彼女がこの考え方の下に生きているっぽいことが今日はっきりして軽く衝撃受けてるよ。永続的にミュージシャンとして活躍することを約束された一方、普通の人間としての平穏な暮らしは掴めない、そんな生き方。故・hideも自分の人生をそんな風に分析していたが、宇多田もか……激しい人生だな。
それにしてもまだ24歳なのに本当に波乱万丈な人生を生きてる人だな。
デビュー曲いきなり大ヒット→売り上げ800万枚→飛び級でコロンビア大進学→休学→「traveling」「光」など名曲連発→卵巣の病気→結婚→成人式…ってここで「成人式」かよ!既に凄いがさらに→全米デビュー→全米デビュー不発→神経質な『ULTRA BLUE』発表→「ぼくはくま」→新曲売れる→突然の離婚…
繰り返すがまだ24歳か。デビュー曲「Automatic」が出た頃「え、まだ15歳なのに作詞作曲してんの!?」と日本中が驚いたが、宇多田ヒカルを語る際に「え、まだ○歳なのに…?」というテンプレートのような決まり文句が抜けるのはいつのことやら。 

追記
先週京都に行った時、ただの乗り継ぎ駅に過ぎないJR米原駅(滋賀県)でわくわくしてしまった。だってラルヲタだもん。tetsuとkenの故郷だもん……バカか己は。

New Star Creation

2007-03-01 17:30:11 | 日記
1982年に設立されて以来、毎年多くの若手お笑い芸人を輩出する吉本興業のタレント養成学校「NSC」。ダウンタウンが調度この学校の第一期生だったので、彼ら以降の吉本芸人たちはほぼ100%このNSC出身ということになる。毎年大量に若者たちがこの学校に入ってくるため吉本の芸人人口は膨れあがり続け、当然芸人同士の競争は激化していくばかり。NSC内でどんな授業が行われているのかはよく知らないが、大量にいる同期生の中からコンビの相方を探す場、というのがこの学校の存在意義であるっぽい。
一期生のダウンタウンがNSCに入るきっかけとなったのは、浜田が大阪の街で貰ってきた一枚のチラシ。「吉本が新しく芸人の学校作るらしいから入ろうや」という話を松本にふったという。当時二人は高校卒業間近。中学時代から「将来は芸人になろう」と約束していたが、高校は別々、しかも浜田は三重の全寮制某私立高校に行ったため会う機会が減り、その話は無かった事になりつつあった。既に就職を決めつつも芸人になる夢もなんとなく捨てきれずにいた松本だったが、自分が進路に悩んでいる時を見計らっていたかのようなタイミングに吉本が芸人養成学校を作るということを知り、就職を蹴って迷わずその世界に飛び込んだのだった。小学校時代から「学校一おもろい奴」と呼ばれ続けた松本と、既に現在のように強引でイケイケな性格だった浜田(友人の「伊藤君」と大ゲンカし、当時彼とコンビを組んでいた松本を結果的に奪い取るほどのアグレッシブさ)。コンビはすぐに吉本内で頭角を現し、いきなり「今宮戎漫才コンクール」でプロを差し置いて優勝。その勢いで1982年8月1日、NSC入学からわずか四ヵ月で笑いの殿堂、「なんばグランド花月」で初舞台を踏むに至った。
しかし彼らの勢いはここでいきなり失速してしまう。彼らが出演する時間に劇場に来る客はお年寄りばかりでネタが全くウケず、さらに舞台慣れしていないので声が小さくネタを聞き取れない。さらに楽屋では先輩芸人たちに疎ましがられる。当時新人芸人はまず先輩芸人の付き人となり、そこで笑いのいろはを学ぶのが当たり前だった。何年も「師匠」である先輩の下で芸を学んで初めて花月の舞台を踏める…というのが暗黙のしきたりだった。そんな場所で、吉本興業が突然作った養成所出身の、芸歴数ヶ月の十代の若者が居場所を作れるはずが無かったのだ。ダウンタウンの人気に火がつき始めたのは松本の著書『松本坊主』によると1985年ごろ。深夜ラジオのレギュラー番組を持ったことがきっかけだったそうだ。そこでは現在の『ガキの使いやあらへんで!』のフリートークの原型となるような、リスナーからの質問ハガキに松本がデタラメに答えるという番組をやっていたらしい。そのラジオが始まるまでは先輩たちやたまに劇場にやってくる若者たちにはダウンタウンの面白さを理解してもらえ始めたものの(当時スターだった島田紳助が組んでいたお笑いコンビを自ら解散させ、会見で「このまま漫才をやっていてもダウンタウンには勝てない」と発言したことは有名。勿論ダウンタウンなど無名で、記者たちは「え、誰だよそいつら…?」と不思議に思ったことだろう)、コンビ史に残る不遇の時代だったそうだ。しかしダウンタウンが不遇の時代を超えて大阪で人気者になるころには同じNSC出身の後輩芸人が続々登場。ダウンタウンはNSC一期生というだけではなく、「師匠のいないお笑い芸人」のパイオニアでもあったのだ。
そんな不遇な時代の二人の漫才を、私の父は生で見たことがあるという。私が生まれる前の84年頃。会社の慰安旅行で大阪に行き(ショボイな)、なんばグランド花月で若き日のダウンタウンの舞台を目撃したらしい父。しかしダウンタウンなど全く知らなかった父及び同僚たちは「え、知らねーこんな奴ら。どーでもいいや」ということでダウンタウンの漫才の時間をトイレ休憩にしたり、弁当を食す時間にあてていたらしい。そして浜田に「おいおいそこなに弁当食っとんねんコラァァ!」と舞台上からツッコミを入れられたとか。どうやらうちの父には先見の明は無かった模様。

追記
ラルクの9年ぶりのホールツアーのタイトルが決定した模様。
『Are you ready? 2007 またハートに火をつけろ!』…ちなみに9年前のツアータイトルは『ハートに火をつけろ!』であった。な、なんてテキトーな…!でもこのテキトーさ加減こそがラルクの魅力だよな。「また」って…。初めてアルバム『SMILE』のジャケを見た時以来の衝撃だわ。