伊勢原笠窪にかつて鎮守として親しまれている「神明神社」はある。天保12年(1841)の「新編相模国風土記稿」によれば笠窪村の鎮守を串橋村の「雷電社」とし、「神明神社」は村民持ちの「神明宮」と記されている。江戸末期には未だ笠窪が独自の鎮守を持っていなかったことから村民持ちの「神明宮」を村の鎮守として「天照大神」を祀ったことが興りである。秦野と伊勢原の市境の所の高台に鎮座するが、神明神社前の一帯は「箕の輪」と呼ばれ、かつて東海道の「箕輪駅」があったところでもある。鎌倉時代以前の古東海道の道筋は足柄峠から関本を通り、坂本(南足柄市)と小総駅(小田原市)を経て箕輪駅に達し、三浦の走水から海路を渡り上総木更津に通っていた。社伝によると明治6年(1873)以前に建立され、昭和28年(1953)には宗教法人による承認を受けている。昔の「社殿」は萱葺き屋根であったが老朽化により昭和58年(1983)再建。平成13年(2001)不審火により焼失、平成14年(2002)に再々建された。昭和8年(1933)建立の木造の鳥居は20年周期で行われる伊勢神宮の式年遷宮に合わせて昭和28年(1953)に同じ木造で再建後、昭和47年(1972)に現在の石造りの鳥居となった。(1811)








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