相模原市南区磯部勝坂に唯一現存する幕末期の擬洋風建築で国登録有形文化財指定の「旧中村家住宅」と「長屋門」はある。中村家は長屋門に架かる「中村歯科」の看板のとおり歯科医で屋敷内の主屋と長屋門の間に歯科診療所がある。この住宅は鎌倉大工の「石井勘五郎」が10年の歳月を掛けて造った住宅で、建築当初は3階建てであったが関東大震災後3階部分は取り除かれ2階建てとなった。木造平屋建ての黒褐色をした重厚な「長屋門」より敷地内に入ると外観は和風のイメージでまとめ屋根は青い瓦、2階外壁は白の「海鼠壁」の「主屋」がある。洋風の要素として軒を曲線の白漆喰で塗り込め正面に縦長の窓を配するなど和洋が見事に折衷、調和した美しさとなっている。宅地面積1869㎡内に1階部分は整形四間取とし、西側に「げんかん(玄関)」、「どま(土間)」があり、「武台」の間に「しきだいのま(武台の間)」、「ちゃのま(茶の間)」、「きゃくざしき(客座敷)」、「ぶつま(仏間)」、「なんど(納戸)」、「おかって(お勝手)」という「主屋」となっている。住宅背後の小丘には小さな「神社」があり、また中村家が所有する畑より大正15年(1926)に採取・発見された厚手で装飾豊かな土器は後に「勝坂式土器」として中部・関東地方の縄文時代中期の土器を判断する目安となった。近くには国指定史跡「勝坂遺跡公園」がある。(1910)
相模原市南区磯部の中村家住宅、新磯のざる菊園近くに永平寺と總持寺を本山とし厚木市の龍鳳寺末の曹洞宗寺院「金沢山勝源寺」は鎮座している。開山は笑山充誾大和尚(寛永5年2月7日卒)開基は伊右衛門(寛永10年10月18日亡)とある。本尊は千手観世音菩薩(千手千眼観世音菩薩)。堂内諸仏には六面庚申の「青面金剛尊」、不動尊、毘沙門天、達磨大師が安置、境内地に聖観世音菩薩を祀っている。「山門」前に六地蔵、正面に赤い銅板屋根の「本堂」、右に「鐘楼」、本堂左奥に石碑と石像、墓碑が建てられている。明治から大正時代養蚕守護を願う参拝者で賑わったという。また当寺は「青面金剛尊霊場」の札所である。訪れた日は境内の作庭された花壇のまわりに「コキア」が数十株植えられており今、真っ赤に紅葉し堂宇と絶妙のこコラボレーションを見せていた。(1910)





