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相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

「八幡山本願寺」守護神として創建の「車返八幡神社」

2025-04-24 16:20:18 | 神社
府中市白糸台に本願寺守護神として天正年間(1573-1592))創建、車返村の鎮守社「車返八幡神社」は鎮座している。明治8年村社に列格した。祭神は品陀和気命。境内には鳥居、拝殿、稲荷神社がある。新編武蔵風土記稿によると由来は境内東の方にあり、九尺に一丈二尺の覆屋、村の鎮守なり、神體長八寸餘、束帶して弓箭を持せり、近来の彫刻とみゆ、村内の鎮守、例祭九月十九日と記される。また東京都神社名鑑によると創立年月不詳であるが、伝えによれば天正年中(1573-92)に当字本願寺守護神として、同寺境内除地に勧請して、村民あげて産土神と崇敬したとある。(2504)
 
 
 



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災いを防ぐ守り神「北向庚申神社」の桜景を振り返って!!

2025-04-24 09:19:55 | 神社
座間市栗原中央、座間総合高校の北側に庚申信仰、庚申塔を神体とした「北向庚申神社」は鎮座している。祭神は猿田彦大命と青面金剛と帝釈天である。境内の由緒板によるとこの神社のご神体は明和8年(1771)に神栗原地区の人々が住民と通行者の安全を願い村はずれの鬼門の北向き辻に建立した厄払いの「庚申塔」である。初代の「庚申塔」は亀裂が生じ慶応4年(1868)に新しく庚申塔を建立し二基の庚申塔が北向きに並んで建てられた。北は人々に災いをもたらす方角といわれここに建てられた「庚申塔」は災いを防ぐ守り神として信仰を集め多くの安全祈願の絵馬が奉納された。この頃から近隣の町や村にも評判が伝わり昭和時代に入ると多くの参拝者が訪れるようになり大変賑わったようである。昭和10年(1935)、地域の人々と信者の願いが叶い二基の庚申塔をご神体とした「社殿」が造られた神社である。折下、桜の季節、お堂の裏に植栽の「桜」が終焉を迎えていた。(2504)
 
 
 
 
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上野霊山の守護神「花園稲荷神社」

2025-04-23 14:24:17 | 神社
台東区上野公園内に村社の社格の「花園稲荷神社」はある。創建年代は不詳であるが本覚院の僧晃海が霊夢に感じ廃絶していた社を承応3年(1654)再建、上野霊山の守護神とした。古くから此の地に鎮座し「忍岡稲荷」として石窟の上にあった事から俗称「穴稲荷」とも云われていた。御祭神は倉稲魂命である。幕末、彰義隊の戦いでは最後の激戦地(穴稲荷門の戦)として知られている。後、明治6年に岩堀数馬、伊藤伊兵衛等の篤志家によって再興され「花園稲荷」と改名した。「五條天神社」が現地に遷座となるときに社殿も一新された。お社は古書に弥左衛門狐と記され「寛永寺」が出来る時に忍岡の狐が棲む処が無くなるのを憐れみ一洞を造り社を祀ったと云われている。社地はお穴様を中心に2千坪あったが、明治の上地の為、現在は五條天神社と併せて約千坪となった。五條天神社の右奥にあり稲荷らしく赤い鳥居が数十列並んでいる。(2503)
 
 
 
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旧小杉村の鎮守3社を合祀した「小杉神社」

2025-04-19 17:52:56 | 神社
川崎市中原区小杉御殿町に旧小杉村の鎮守3社を合祀した「小杉神社」は鎮座している。創建年代は不詳であるが江戸時代小杉村と呼ばれていた周辺に「杉山社」「神明社」、及び神明社の相殿に「総社権現」の三社があり、三社とも小杉村の鎮守であったと伝わる。総社権現は多摩川の決壊に伴い神明社に合祀したといわれる。昭和26年(1951)三社を合祀して「小杉神社」と改称する。祭神は天照皇大神。境内社として「小杉天満宮」がある。(2503)
 
 
 
 
 
 




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宮内村の鎮守「春日神社」

2025-04-17 09:06:07 | 神社
川崎市中原区に溝口デルタの微高地に宮内村の鎮守である「春日神社」は鎮座している。祭神は天津兒屋根命、菅原道真、建速須佐之男命、伊奘諾命)、稲倉魂命である。創建は不詳だが承安元年(1171)に作成の「稲毛荘検注目録」では当神社の所在する地域は稲毛荘と呼ばれており、荘内には稲毛郷・小田中郷・井田郷があったこと、「春日新宮」と呼ばれていた神社や新御願寺が存在したと記されている。「春日新宮」は稲毛荘の荘園領主である九条家(藤原北家流で五摂家の一つ)の氏神である奈良「春日大社」を稲毛荘が成立時に分祀したものと考えられ、現在の「春日神社」の前身と推定される。新御願寺は「春日神社」に隣接する「常楽寺」である。当神社には県の重要文化財に指定の「鰐口」が伝えられている。鰐口は径30cm、厚さ10cmの銅製で、外区周縁に「奉施入武蔵立華郡稲毛木庄春日御宮鰐口」、「応永十年癸未五月下旬旦那藤原朝臣氏景大夫繁森」という銘文が刻まれており、鰐口が応永10(1403)年に藤原氏景・繁森が鋳造、春日宮に奉納した。本殿の裏側には「シラカシ」、「アカガシ」、「ケヤキ」が鬱蒼と繁る鎮守の森の一角には古墳の石室が保存、勾玉も発見され当地は古代よりの歴史を秘めた重要な場所で市の「重要史跡」に指定されている。(2503)
 
 
 
 
 
 


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