大人になってからの生活で、しばしば強いられるのは身辺整理。嫌な仕事ではあるけれど、背に腹は換えられないと言う状況下で場合によっては時間的にも制限されることもあるのです。
まめな人は恐らく強いられなくても定期的にしているのでしょうが、怠慢な私はお尻に火がついてもまだもたもたしています。
亡夫のガラクタを・・・と言っていた間はまだ余裕がありました。
先日も「どのくらい捗っているの?」と聞かれて慌てたのですが、私自身に与えた時間は5年、あと1年しか残っていないのに見渡せば何とまだまだです。私自身のガラクタと重なっているところもあるので、私の物を片付けたらもっと進歩が見えるとは思うのですが。
楽譜などは「今度のBook saleに持って来れば?」と声を掛けてもらったので、そのためには楽譜を纏めなければならないし。
「欲張らないことにしよう」と自分に言い聞かせ、後二、三週間の間に纏められるものだけ持っていく、と決めたのですが、果たして何処まで出来るでしょうか。
かてて加えて、カルガリーの子供たちが「東に帰る」と決め、家も売ってしまいました。自分たちの家を買うまでの二、三か月はこの家に居る心算なんだそうです。慌てます。
慌てただけでは片付かないのです。捨てるものを決めなければなりません。
まだ使いそう、利用できそう、誰か使ってくれる人が居るかも、と残してきたものを前にして考えました。
私自身として考えては捗らないこと。私がこの世を去った後子供たちはどのように考えるか、とその線で行くべきだと思ったのです。子供たちは恐らく「マミったらこんな物まで残してある・・」と言いながらみんな捨てるでしょう。
そう考えて見ると捗りました。まだ胸は痛みますが、それも時間と共に薄れるでしょうから、良しとします。
ツアーの資料などは立ち止まって読み始めてしまい勝ちですが、懐かしがってばかりも居られないので、片っ端から Gray box(紙類リサイクル用)です。
それにしても、一振りすれば仕分けしてくれるような魔法の杖でもあればなァ、という今日この頃です。
伯母の死後、私が一人で後始末をしましたが、99%は捨てましたよ。本人が見ていたらさぞかし怒ったことでしょう。でも、利用の仕方がなければ、どうにもなりません。実際、頭が痛いですよ。
「身辺整理をしている」と聞くのはみな女性からでした、今のところ。
死ぬまで放って置けるのは幸運です。
私は目下「増える家族」のために空間を広げる必要があるのでそんなのんびりはしていられません。与えられた時間は二ヶ月です。
もう10年以上前から、身辺整理と思われることをはじめています。
子育ての頃は毛糸の機会編みをしていたのですが、もう最後として、私の子供たち3人にセーターを編んで終わりにしました。その後、ご近所の方に編み機をあげたとききました。私が実家に残してきていたものも、私に渡すか、処分するかを求めてきました(兄夫婦と同居のため)。多分今は、自分の寝室内のものだけに留め、整理は済んでいます。いつか記したこともあると思うけれど、植物状態になるのなら延命処置はしないで欲しい、という書面も、お医者山陽と家族用を準備している、とも聞いています。相続のトラブルで兄弟間がギクシャクしないように、私と弟が生前に贈与を受けて、後は最後の面倒を見てもらう長男にとの配慮も。
まだ結婚していない孫のための、結婚祝い金も、銀行口座から引き出して押入れに保管しているらしいですよ(笑)。自分で自由に銀行までいけないものですから。
きっと、これは、母の私への最後の教育かも知れませんね。
引越しの度ごと身辺整理を強いられていた我が両親にはそんなゆとりは無かったような気がします。
最低限何が何処にあり、どのように使えるか(私の所持品には子供たちには意味の判らないものもある)などハッキリさせておくだけでも良いのですけどね。