★ Serena ★

カナダ暮らしのエスペランチスト、自然愛好家。
エスペラントやカナダの野草、ネーチャークラブの活動など思いつくままに。

古い絵葉書

2009-12-19 20:20:36 | 思 い 出

ナイアガラ公園の温室に咲く蘭の花

地下室の押入れからまたまたすっかり忘れていた箱を見つけました。中味は古い絵葉書です。その一枚一枚を見ていると当時の事情の推移が見えてきます。
何故か私が書いたものは殆どなくて、私の夫となるべき人と彼の両親からのものが多いのですが、中には私の記憶から遥か彼方に消え去った人からのものもあります。肉筆のサインが読みにくく一体誰だったろうか、と言う人さえ。
彼の両親からのは当然ハンガリー語ですが時にはドイツ語で書かれているのもあります。今読んでみて「こんなのを私理解していたの?」と驚くのですが、当時はそれなりになんとか解釈していたのでしょう。
前にも書いたと思うのですが、私は求婚された記憶がないのです。それなのに結婚を前提とした便りがあって、カナダへ来る前にユーゴに立ち寄り指輪を貰ってくるようにとの指示もありました。
当時ストックホルムに日本人の友人が居て、カナダへ来る前に立ち寄ったのですが、その時私の未来の夫は「ストックホルムへ行って又スイスに戻ってから来るという旅程に使うお金は僕たちには無いから。。」というようなことも書いています。私がそうしたいと言ったのでしょうか、記憶はありません。
絵葉書の便りは何時も短くて、そして「長い手紙を送ります」とか「長い手紙を待っています」とか書いてあるのですが、その長い手紙は何処へ行ってしまったのでしょう。私自身が仕舞った記憶は皆無なのです。又忘れた頃にどこかから出てくるのかもしれません。
彼の字はミミズが這っているような字で、特に紙面の足りない部分では、また急いでいる時はひどいのです。とても読めない部分もあります。加えて消印が重なっていたりすると。。。
何も書くことは無いけれどとにかく便りを送らなきゃ、、という時なのでしょうが、どこかから日本語を書き写しただけのもあります。意味の分かるものもあれば、文字が裏返しになっているようなのや全く意味不明のもあります。こういう悪ふざけは彼の得意でした。
伊東三郎師からのも一枚出てきました。ヨーロッパをご夫妻で旅された折、スイスの私のところにも立ち寄ってくださったのですが、その後ポーランドで親切にされたことが書いてありました。私の宿舎のいわゆる寮母さんは私の恩師ご夫妻をまるで乞食でも扱うような失礼な態度だったのでひどく胸が痛んだのを覚えています。でもご夫妻はまるで意に介さないという風で、人物の大きさが違うのだと思いました。
当時まだ17才だったスポメンカからのもありました。今これを読んだら彼女はどう感じるかしらと頬がほころびます。逆に永遠の初心者としては胸が痛い。

この手の整理はまだまだ続きそうです。読んでいるうちに胸が詰まって続けられなくなったりしますが、まとめてさっと捨てる気にもなりません。

エスペラントの父ザメンホフ
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