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さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

春霞といえばのどかですけども

2021-03-26 | 日記

春3月、遠く中国のゴビ砂漠から海を越えてやってくる黄砂ですよね

 

街の通りも黄砂でもやっています。


春三月黄砂といえば80数年前小学校1年から5年まで暮らしていた尾瀬沼の福島県側からの登山口檜枝岐村の隣村の大川村小立岩(現南会津町小立岩)のことが思い浮かぶんです。


10歳前後の幼い子供でしたけど1月頃の2m前後の積雪も3月末から4月始め頃には1mくらいの湿った積雪になり冷下の寒い朝は固く凍って藁靴で歩けば舗装された野山を歩くようにどこでも歩けるようになるんですよね。

かた雪渡りといって洟垂れ小僧どもはみんなで1本の棒をもって山に行くんです。すると純白の雪が薄く茶色になっていたり、杉の林の中の雪が薄い緑になっていたりするんです、それを見るとああ春が近いんだなと嬉しくなるんです。今思えば黄砂と杉花粉ですよね。でも子供達いや集落の人みんな、たれ一人花粉症に悩む人などいなかったんですね。本当に不思議です。私など成人してからは本当に花粉症に苦しみましたのに。

そうそう山に向かった洟垂れ小僧のことですけども朴の木のつのの形をした大きな芽を摘んで中身を抜くと小さな角笛になるんです。みんなでそれを吹き鳴らして山に向かうんです。爽やかな春の香りが口中いっぱいになるんです。そして山の急な斜面に着くと30mから50mも登るんです、そして持ってきた棒を斜め後ろに構えて上半身の体重を乗せ急な斜面を滑り降りるんです。棒ぞりと言います。技術がいるんですよ、もし失敗して転べば自由を失って下まで激しく滑落してしまいます。

これは大事なことなんです。成人して切り出した材木を大きな橇につけて斜面の雪の道を運びだす時の勇気と技術につながるからです。斜面の橇引きはちょっとミスすれば橇にひかれて怪我をしてしまいます。

棒ぞりに疲れるとやまに向かって叫びます。「おーい」と叫べば「おーい」と帰って来ます。「あしたまたくるぞー」と叫べば「あしたまたくるぞよー」と帰ってきます。やまびこ(山彦)ですよね。

 そして声をかえして暮れるその山彦を私たち子供は、柴の枝に下がっている綺麗な緑色の繭(まゆ)がヤマビコだと思っていました。蛾が抜け出たときに出来た口が開いていました。ウスタビガの繭なんですね。子供の世界は心豊かなんですよね。

写真はヤフーのウスタビガの繭からお借りしました。

80数年むかし私が子供の頃暮らしていた小立岩の方で記憶に残る方のお名前「大原のクラキチさん・小立岩のシロヘイさん・トクオさん・カメキチさん・スミコさん・大桃のトミエさん・イセコさん」当時小学校5年だった私が今は94歳です。ですから今もお元気でいらっしゃる方は少ないと思います。でもこの記事などご覧になったゆかりの方などいらっしゃってコメントなど頂ければすごく嬉しいです。ブログ名は「サンタロウ日記 gooです」あの岩屋の鎮守様は私の大事な大事な鎮守様であらせます。古里にときおり帰ったおりにはかならず「只今帰りました」とお参りしているんです。

 


澄み切った空の散歩を愉しんで

2021-03-24 | 日記

残雪の磐梯山を200mm望遠レンズで撮りました

 

EOS M3ボデー(中古品2万円)に10年前購入(これも中古品)の55-200mmレンズをつけて手持ちで撮りました。貧しい爺いの機材ですけど結構写っていました、標準レンズで 撮ればこんなです。

 

私の信仰のポンプ小屋跡の桜も綺麗な空に枝を広げていました。 祈る気持ちで撮りました。この桜は水田の基盤整備の時一度切り倒された株に生えた2本のひこばえが成長してこんな古木になったんですよ。

 

今日の散歩は2時間5588歩でした。 楽しかったけど少々つかれました。歳を忘れてる94歳の若爺いです。


春はまだ浅いですけども

2021-03-23 | 日記

わたし散歩を迎えてくれる雲間の空が嬉しくて

私の定例の散歩、約1.5時間5600歩、私の家の裏の出発点は俳句をよくなさるNさんのお宅の庭なんです。Nさんは若くして海兵団に入団なさり海軍中尉で終戦を迎えられた方なんです。戦後は地方の県事務所を歴任なされ定年で退職なさいましたが若くして癌でお亡くなりになりました
                                                          
お墓の句碑には
「大川を渡れば他郷あげひばり」があります。
長く勤めていらっしゃった県事務所から他地区の県事務所へご栄転になられるとき詠まれた句なんでしょうけど、馴染んだ地区を離れる惜別の思いと新しい任地への高揚した気持ちが生き生きと詠まれているように思います。

「湯のたぎる音して風邪寝人を恋う」
という句もありました。辞世の句なんでしょうね。Nさんの家の客間には長火鉢がおかれ炭火の上の南部鉄瓶がシェーンシェーンと静かに沸騰する音をたてていました。

Nさんは退職後まもなく癌を発症なさったんですけども当時は癌は不治の病ということで本人には絶対告知しなかったのです。ですからNさんは自分は風邪だと思ってしばらくは自宅で療養なさっていらっしゃったんですね。交友関係の広い方でいらっしゃったんですけど闘病が 長くなれば自然訪れる人も少なくなります。長い闘病の侘しい気持ちいっぱいの句で心にしみます。

当時私は無粋な若造、年齢も離れていましたし格が違いすぎてたやすく親しくしていただくわけにはいかなかったんです。師事しておけばよかったと今は悔やんでいるです。

Nさんのお宅は今は奥様もお亡くなりになり、住む方がなくて町の管理になっていて他所から町にお出でになった方などがしばらくの宿泊逗留なさる場所になっているんです。 この間は女性の学生さんが4人ほどで2週間ほど逗留して町の見学などしていたみたいです。


のどかな明るい春が嬉しくて

2021-03-22 | 日記

集落の空も野も家も穏やかな春になりました

 

公民館の庭の桜の蕾も少し膨らんだような気もします

 

散歩道にはオオイヌノフグリ花が咲いて綺麗です。

 

春分過ぎて朝日は真東から上ります。もう昼頃の室内はストーブがいらなくなりました。春はどんどん進んでいます。嬉しくて。