金上の集落は静かに平和です
よく見れば田んぼに薄い緑が見えています。まもなく大型ブルドーザーでの耕耘が始まります。90年も生きていれば農村の飛躍した様子に驚きます。
「はね駒」私の幼かった頃の農村の春は「はね駒」で始まりました。NHKの朝ドラのことではありません。
私の生まれ育った奥会津只見の農村ではどの家でも母屋に馬小屋がついていた(まがりや)でした。馬は家族の見えるところで同じ家に一緒に暮らしていました。馬は大事な家族でした、豪雪地帯ですから馬は冬を暗い馬小屋で過ごします。雪解けの春になると耕耘の準備として馬を馬小屋から出して外につなぎます。馬はしばらくぶりの外が嬉しくて蹴り上げ飛び跳ねて暴れます。これを私たちは「はね駒」といって一緒に喜んだのです。
今の田んぼは大規模な基盤整備で1ヘクタールもあろうかという広い田んぼばかりになっていますけども、私の子どもの頃は不規則に並んだ数アールの小さな田んぼがすべてでした。
春の農耕の始めにその田んぼを馬鍬(まぐわ)を馬にひかせて耕耘したのです。現在の耕耘は大型トラクターで広い田んぼをあっというまに耕耘してしまいますけども、私の子どもの頃は田植えが出来るまでの耕耘は長い日時が必要でした。
現在の田んぼは耕耘の終わる前はあわい緑に覆われた乾いた田んぼですし用排水路は乾いています。でも私の子どもの頃は田んぼも用排水堀もいっぱいの水があっていろんな生物が生きていました。
雪解けの田んぼには始めかえるの産んだ卵があちこちに見えるようになりやがてその卵からかえったオタマジャクシが田んぼのなかを泳ぎまわります。只見ではオタマジャクシを「けえれご」と言っていました「かえる子」のなまりです。田んぼにはドジョウやゲンゴロウ虫やタニシなどがいっぱいいました。ドジョウやタニシは貴重な蛋白源でした。用排水路にはフナッコやカラス貝やトンボの幼虫などいっぱいいて子供の私たちはザルですくって愉しんでいました。
わたしの子供だった頃の農業は鎌で草を刈り畑を鍬で耕し朝から日の沈むまで地面を這いずり廻って除草をし天秤桶で人糞尿を畑に運んで肥料にするような貧しく苦しい生活をしていました。
でも自然は豊かでしたし洟垂れ小僧の仲間がわんさといて大人たちから独立して遊んでいました。でも引きこもりの若者などいませんでしたし陰湿ないじめなどもありませんでした。
良い悪いを越えて人の世界は急速に変わっていくんですね。今の農村では子供も若者も激減してしまって寂しく静かです。昔の60歳はそろそろ息子たちに主権を譲り隠居する時期です。70歳それは隠居したよぼよぼの爺婆でした。今は70歳代の奥様とご主人が大型トラクターや軽トラを使ってお二人で現役の稲崎農業をやっていらっしゃいます。
「なになにあの爺いは94歳でパソコン使ってブログしてで遊んでいる」と聞けば、私の子どもの頃でしたらそれはもう人の化けものだろうというんでしょうね。
くだらない94歳の老体爺いんの吐息です。でも私はもうしばらくは生きるつもりでいるんですよ。 さーて午後はCOOPに買い物にいかなくちゃなりません、自転車でね。運転免許証を返納して4年目です。軽やかに乗っているんですよ。