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さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

この春三番目のスミレを撮りました 小さなきれいなスミレです

2014-04-25 | 日記


 落ち葉をかき分けてやっと見えるほどの、4cm にも満たない小さなスミレなんですけど可愛くきれいな花でした。細い葉が一枚しかないんですよ。なんというスミレなんでしょうね。

 
こんな株もありました、やぱり葉が一枚です



可愛いい小さなスミレですけど珍しいと思いました

この桜 私の桜です、嬉しい桜の並木道

2014-04-24 | 日記


私たちの町の旧宮川ぞいの河川敷には野球場・プール・遊園地・サッカー場・テニスコート・ゲートボール場と続く長くて広い公園があります。その堤の上の3km近い遊歩道に桜並木だ続いていて樹齢はまだ若いんですけども美しく見事な花を咲かせています。

 
その桜の木の一本一本にこんなプレートがついているんですよ



 10数年前、新しくこの公園が造成されたとき長い堤のうえの遊歩道に町民も参加して桜並木を作ろうと計画されました。計画に賛同する町民は賛助金を納め植樹された桜の苗木を責任を持って手入れすることを条件に植樹された桜をその人の桜としてプレートをつけることにしたのです。

 たくさんの人の申し込みがあって先着順に「○○さんの桜」として植樹が年次計画で進められました。「可愛い子供や孫の名前で」「結婚の記念に」「還暦とか喜寿などの年祝いに」「退職記念に」「愛犬のために」「同窓会記念に」・・・などなどいっぱいの楽しいネーミングのプレートです。 

 東公園から進められて10数年昨年あたり鶴沼緑公園の堤に植樹で計画は完成下したみたいです。

 
東公園の桜並木です



 
サッカー場の桜並木です



 
鶴沼緑地公園の桜並木です



 この堤の桜並木ができるまでは、堤の土手に雑草が茂ると大型の草刈り車で勢いよく刈りとばしていました。しかし堤の土手には雑草に混じってアザミや萩やヤブカンゾウやキクイモなどのきれいな花も咲いていました。大型の草刈り車はそれらの花も無差別に刈り飛ばしてしまい心ある人を嘆かせていました。

 しかしこの桜並木ができると土手の雑草は植樹された桜の持ち主が周りを手入れにするようになりアザミや、萩や、オニユリ・・などのきれいな花が残されて咲くようになりました。

 私に野の花の美しさや名前など植物のことを教えてくれた亡き友は生前よく「大好きなアザミの花が草刈り車に刈り飛ばされて消えてしまってさみしい」と言っていました。
 
 堤の土手に生き返って咲くアザミの花をみるといつも懐かしい友のことを思い出します。公園の堤の遊歩道は見違えるようにきれいになりました。キアゲハチョウもアザミの花が好きなようです。



  

ひっそりと山に咲く桜がゆかしくて

2014-04-22 | 日記
 桜といえばソメイヨシノですよね。美しく豪華に咲き誇る桜です。公園で、お城で、川端の堤の道で、絢爛と咲いて人々の心を楽しませてくれます。青いシートを敷いて皆さんお揃いで花見の宴などは春いっぱいの幸せですね。



 でも、私は里山の林の中にひっそりと咲く山桜の花がゆかしいのです。

 遠い昔、私が小学校3年の頃だったと思います。80年ほども昔のことですけど私はハシカ(痲疹)にかかりました。今はハシカのワクチンがだできてハシカの病いはなくなりましたけど、当時はほとんどの子供がかからなければならない命定めの病でした。

 風邪の症状から高い熱が続きやがて顔やからだ一面に赤い発疹ができて治癒するのです。その頃は医師の先生を医者殿と呼んで敬っておりました。医者殿は3里(12km)も離れた所にいらっしゃって往診などはしてもらえません。ひたいに辛子大根おろしをぬってひたすら濡れ手ぬぐいで冷やして耐えるのが治療でした。

 熱に浮かされて細い目を開けるといつでも父か母の心配そうな顔があって安心してまた眠るのです。10日ほど病に耐えているとやがて熱も下がってくるのです。父はそんな私を抱き上げて窓を開けて後ろの山の林を見せてくれました。

 鮮やかな薄紅色の山桜があちこちに咲いていました。嬉しかったんです。そして父の嬉しそうな顔が嬉しかったんです。



 この前里山の道を散策していると、山桜が咲き初めていました。まだ数輪だけの開花でしたけれど楚々としたこんな美しい花なんですよ。



 
桜皮細工の技法をご存じですよね



 写真はネットで角館の桜革細工からお借りしました


 子供の頃住んでいた集落の隣村の檜枝岐村にはその技法があって曲げわっぱ(薄い檜の板を曲げて作った入れ物)の継ぎ目の止めに美しい桜皮が使われていました。私たち子供はそれを知っていました。私たちはみな肥後の守という安物のナイフをみな持っていました。自分で美しく研ぎ上げて輝いていて切れ味もよかったのです。

 その肥後の守を使って山桜の皮をきれいに磨きあげ、鉛筆入れなどに張ったり指輪を作ったりして競いあっていました。小学校3、4年の男の子の自慢の技でした。

 山深い私の集落には当時はまだソメイヨシノは入っていませんでした。桜と言えば山に咲く山桜なんです。山に密やかに咲く山桜は私のだいじなだいじな思い出の泉の桜なんです。懐かしいんです。

大君の儀 悲劇の城も今は春

2014-04-21 | 日記
 会津武士の心を貫いて戦い抜いた悲劇の会津若松鶴ヶ城です。そのお城の今はすばらしい桜に埋め尽くされています。20日(日曜日)私はお城の桜を楽しもうと訪れました。



お城への道は桜が満開、そして駐車場は市営はもちろん有料駐車場も満杯、あちこち探し回ってようやく県立病院の臨時駐車場にたどりつき駐車することができました。写真はお城入り口の駐車場です



お城入り口に咲き誇る桜の遠くに天守閣の姿が見えました



 
肩が触れあうほどの人出です



 団体さんの列です。あとからあとから続いての入城です。観光バスの運転手さんがどこの駐車場にも入れずに興奮していました、。大変です。



 美しいお城の天守閣です



 天守閣に上りました。心筋梗塞の身には息切れがしてようやく最上階に着きました。大勢の人で賑わう様子を見下ろすことができました。



 市民の方なんでしょうね、お花見の人で賑わっていました




 帰り道、空堀の桜もきれいでした




 楽しいお城の日曜日でした



 お城の周りは観光バスの列で、車の列で、たくさんの人出で賑わっていました。車が進まないんです。県立病院の特設駐車場にたどり着くまで50分近くかかりました。帰りは市内を通らず遠回りして国道に出てようやく帰りました。

 楽しかったけど疲れた一日でした。今日は雨でしたけど晴れたら私たちの町の桜を楽しみたいと思っています。

夕暮れの水仙 きれいにばばちゃんが撮りました

2014-04-20 | 日記


 うちのばばちゃんは84歳、加齢による足の痛みということで週に一度ディーサービスに通って楽しんでいるようです。職員の方は親切、それにお友達もたくさん、ディサービスの日はいきいきして帰ってきます。

 いろいろなお友達がいらっしゃるみたいですけど、かつて地方の中心校の校長をなさった方にはなにやかとお世話になっているみたいです。92歳になられたと聞いています。

 ばばちゃんが言うには「校長先生なぞと呼ばないでハルオ(仮名)と呼んでくれといわれた」でもいくらなんでもね「それで校長先生とは呼ばないで先生とお呼びしておつきあいさせて頂いている。奥様をはやく亡くされてお寂しいみたいです。」なぞと言っています。
 
 そしてばばちゃんの撮った写真をいっぱいくれとおっしゃってる、ということで爺いもばばちゃんの撮った写真を心を込めてプリントしています。この水仙もその一枚です。

 
84歳のばばちゃんの92歳のおじいさまへの敬老ですね。なんか楽しくなります。