goo blog サービス終了のお知らせ 

さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

時の流れの思いが遠くなりました

2020-11-11 | 日記

 
       

この写真は集落の西を通る農道(私の散歩道)を北から眺めて摂りました。会津坂下の緑町から旧宮川に懸かる「八千代橋」わたって来る農道なんですよ。

画面の左下の隅にちょっとした広場があってガードレールの左に小さな石の柱が立っています。

古い道しるべ(道標)なんです。半年ほど前は藪に被われていましたけど、集落のどなたさんかが綺麗に藪を刈り払ってガードレールや道しるべがよく見えるようになりました。

 

こんな農道にカードレールや道しるべがあるなんて不思議ですよね。

道しるべの表面です。


右青津を経て慶徳にいたる
左当村を経て坂下にいたる
とあります。

道しるべ側面です


劣化していて文字が良く読めないんですけども
なんとか「大正九□ 青年団□□と判読出来ました

この道しるべから、かつては坂下の緑町からきたこの道はこの場所で三叉路になっていたことがわかります。

思いだしました。昭和の終わり頃から平成の始め頃かけて私たちの町では、水田の大掛りな基盤整備事業がおこなわれました。基盤整備事業がおこなわれる前はこのあたりの田んぼは4アールほどの小さな田んぼが並んでいました。その小さな水田の中を写真の下の右端あたりから写真中央の右端の杉の林が見える和泉河原集落に向かう道があったんです。

その道は旧宮川に懸かる橋を渡って坂下茶屋町に通じていたんです。その道は基板整備で広い大きな田んぼに変わってしまって消えてしまったんです。

もとあった「田んぼの中の道」は緑町方面からくると道の左側になっていて道しるべの案内と一致します。そしてまっすぐ先に進む道が、「右青津を経て慶徳にいたる」道という案内になるようなんです。

 

ちょっと変わりますけど会津坂下町塔寺から美里町赤留への道路を「まほろば街道」とか「八反道」とかいいます、そしてその道と連絡する塔寺から喜多方方面への道を「湯殿道」と道脇の掲示板に掲示してありました。知識のない私はその道を町営温泉「しおりの湯」への道だから「湯殿道」言うのだと思っていました。」全くちがうんですよね。

その道の途中の見明(みみょう)集落の清松寺脇の道路標識です

右塔寺ヺ経テ柳津ニ至ル
    左山崎船場ヺ経テ喜多方町ニ至ル
とあります

この道路標識から「塔寺から喜多方方面への道を「湯殿道」と呼ぶのは、この道が喜多方町(現在は市)をへて出羽三山の湯殿山参りに行く道だからなんですよね。町営温泉にゆく道だからではありません。

このことから集落の西脇の道の道しるべの「右青津を経て慶徳にいたる」という道は塔寺からの「湯殿道」と一緒になって出羽三山の湯殿山参りに通じているといううことなんですね。

つまり集落西の道は今は単なる農道ですけどもかつては坂下から湯殿山参りに行くたいじな道だったんですね。いまは坂下町から喜多方市に行くには青木集落から会青橋を渡る道路ですけども古い時代には山崎の船渡し場を通っていたんですね。ほんと時代は移り変わっていくんですね。

この道しるべのことを考えていると遠い昔のいろんなことが思い浮かびます。かつては旧宮川の流れは河川改修がなされていないのであちこち蛇行して流れていました。その川辺の崖などには綺麗な小鳥のカワセミが穴を掘って巣をつくっていました。水面近くを飛ぶカワセミはほんとに綺麗でした。でも養魚場を経営している人にとっては幼魚をとって食べる害鳥として嫌われていました。でももうカワセミは何年も前から姿を見せなくなりました。

また綺麗な青色の鳥で不愉快な鳴き声「ぎゃーぎゃー」で群れをつくっていたオナガなどもすっかり姿が見えなくなってしまいました。どこへ行ってしまったんでしょうね。

ほんとほんと農村の自然は激変してしまいました。大型の農耕機械の入らない小さな水田はヘクタール単位の広い水田になりましたけど、蛍もいない蝶もトンボカタツムリも少なくなって、クワガタやカブトムシも見えなくなりました。捕虫網をもって野を駆け回る こどもなどはいません。なんかさみしいんです。怖いようなきもします。

どうもうまく分かっていただくようには書けませんでした。申しわけありません。ご免なさい、読みかえさないで投稿します。ボケ老疲れました。

オナガ

カワセミ

鳥の写真は山渓の図鑑野鳥からお借りしました