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さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

晴れわたる晩秋の空澄み切って

2020-11-06 | 日記

黄色にもみじている銀杏の村の圃場に1台のトラクターが見えました

コンバインで刈り取って脱穀した稲藁はコンバインで刻んで田ん圃に散布されます。その稲藁をトラクターで耕耘して鋤き込んでいるんです晩秋に鋤きこんだ稲藁は来春の大事な有機肥料になるんです。        

10年ほど前はこの稲藁は秋の陽に乾燥させて燃やしていました。その頃は北西の大陸から吹きわたってくる大気には有害な汚染物質が含まれていて問題になっていました。その大気に藁をもやした煙がまじって当時の農村の晴れた日は有害ガスでもやっていました。

いまは大陸からやってくる風に含まれる有害物質は問題になっていません。大陸の大気汚染が改善されたんですね。それに稲藁を燃やす煙もなくって農村の晴れた秋の大気は澄み切って綺麗になりました。 大きな進歩ですよね。

でもね93年も生きてきた老体の私には別な思いもあるんですよ。それは70年ほど昔、私がまだ20歳前後だった頃の農村の思いのことなんです。

その頃の稲刈りは研ぎ澄ました鎌で刈り取り家の近くに運んで稲木(いなぎ)にかけて乾燥させました。

写真は写真集「あつしおかのうの四季]からお借りしました

乾燥した稲は「足踏み脱穀機」で脱穀しました。

脱穀した藁は貴重で全部家畜舎などの屋根裏などに保管しました。用途は
(1)馬や牛などの家畜の寝藁にしました。春になって家畜の糞と一緒に堆肥にし貴重な有機 肥料になりました。
(2)農家の冬の仕事の材料になりました。
      ①足踏み製縄機で作る大事な縄の材料になりました。
      ②作業場の敷物になったり米を入れるカマスになったりする筵(むしろ)の材料になりました              ③草履や藁靴の材料になりました。


      

④わたしなど小学校6年の頃から夕食がおわると大きな石の上に藁を置いて木の槌で打って軟らかくして手よりの縄を20mほどよるのが日課でした。手よりの縄は製縄機の縄でできない細かい仕事に使う大事な縄でした

 ⑤。このように藁は当時の日常使われる物の大事な材料になっていたのです。

そのほか山の野に生える「ひろろ」という草は乾燥させて蓑の材料になりましたし、マタタビやアケビの蔓はザルや、籠になりました。私はだめでしたけど私の同級生の男はみな蓑も籠もザルも綺麗に作っていました。30数人いた同級生の男は数人になってしまいましたけど。私も教わっておくべきだった悔やんでいるんです。

こんなふうに昔は身のまわりのもののほとんどは身の廻りの自然のものから作っていたんですね。懐かしいです。ほとんどの物がスーパーやネットで簡単求められる今とは全く違った別世界でした。

足踏み式脱穀機と藁靴の写真は喜多方市の「蔵の里の民具」で摂らしてもらいました。

藁靴は私の古里只見町からの出品のようでした。私も30歳頃までの冬はこれを履いて生活していました。雪道でも滑らないしぬからないしゴム長靴などより重宝してました。私の小学校の男の同級生はみなこれを藁で編んでつくっていました。不器用な私は藁草履しか作れませんでした。悔しいです。

93歳爺いの思い出の記です。