澄み切った秋の空が見えました
この平和で静かな村のほとりにツキノワグマが遊んでいたというんです。
ほんとかな、私には信じられませんけど、新しい世代のクマは人を恐れなくなりました。
奥会津の私の古里の私の同級生のT君は60年ほど昔(30歳頃でした)5・6人の仲間と猟銃をもってまたぎの仲間を作り4月末頃の山に冬眠から覚めたばかりのクマを追うんだと言っていました。深山に入って夜になれば積雪を掘りたき火を盛んにしてまわりを囲んでねむるんだと言っていました。私が「クマの毛皮をきていれば寒くないよね」というと「なに言ってる、またぎ仲間は貴重なクマの毛皮など着ないよ」と怒って言っていました。
その頃はクマは深山に入らなければ獲れなかったんですよ。年に1・2頭しか獲れなくて私など貴重なクマの肉などなかなか手に入りませんでした。でも1頭獲れればまたぎ仲間にたくさんの金が入りました。クマの毛皮は高価でお金持ちの旦那の敷物などになったのです。それにクマの胆嚢は上手に乾燥させると「くまのい」と称して万病に効く良薬でありまた精力剤としても貴重で当時は重さで黄金と同価格といわれていました。
当時富山の置き薬の中に薄い銀紙に包まれた「クマのい」がありました。腹痛のときなど薄く水に溶いて飲むと奇妙に効きました。でもそれは「くまのい」でなくて家畜の馬や牛や豚の胆嚢を乾燥したものでした。
不思議ですよね、その頃の人間は草根木皮のたぐいや朝鮮人参やまむしの乾燥したものなどが奇妙に効いたんですよ、今は見向きもされないのが多いんですけどもね。ほんとの「くまのい」もマムシの乾燥したものも効くと信じている人少なくなって価値はなくなりました。
というようなわけでまたぎのクマの銃猟はされなくなって久しいんです。クマの銃猟がおこなわれていた頃奥山には「くらしし」がいました。くらというのは谷川岳の「一のくら」とゆうように険しい岩場のことをいいます、ししは哺乳動物一般のことです。ですから「くらしし」と言うのは岩場の動物のことです。あからさまではありませんけども当時のまたぎの人たちはその「くらしし」も銃猟していたふしがあるんです。實はくらししはカモシカの別名です。カモシカは天然記念物に指定されれています。ですからまたぎの人たちは天然記念物のカモシカは銃猟しないけども「くらしし」は見つければ銃猟したんじゃなかろうかと思うんです。上手なまやかしですよね。
60年ほど昔はツキノワグマもカモシカもニホンサルも本当に目にすることの出来ない深山の動物でした。それらが今はツキノワクマモニホンカモシカもニホンサルも人里近くに表れるようになりました。
その原因はまたぎの人たちが銃猟をしなくなりそれらの動物の新しい世代が人間を恐れなくなったのが大きな原因じゃなかろうかと私は思っているんです。
人間の自然との掛かり合いはいろいろとありますよね。蝶やトンもや蜂などの昆虫のように数が激減しているものもありますし、熊や猿やイノシシのように人里近くに表れて害をなすものもあります。考えなければならない気もします。
私など先輩に教わってまむしをとるのが名人でした。でも今は山をあるってももうまむしは目につかなくなりました。蛇類が激減してしまったんです。またたとえ獲ったとしてもたれも喜んではくれません。まむしがなどがいろんなものに効くと信じてる人が少なくなったんです。時代はどんどん変わって行くんですよね。
ホー ホー ホータル来い、こっちへ来い。こっちの水は甘いぞ、そっちの水は辛いぞと歌って空をみあげれば、北斗七星・オオグマザ・コグマザ・カシオペア・スバル・そしてそら一面の銀河が輝いていました。そんな夜が懐かしいです。今は月と金星と火星くらいしか見えませんね、侘しい夜の空になりました。
都会には人間の作った蟻塚みたいなビルが林立していますし、クラスターもね・・・そして人類は一万発余の核ミサイルの弾頭を保持しているともいわれています。大衆が激しくののしりあう大国の選挙もねなんか怖いです。これって私のおかしなたわごとなんでしょうかね?
親切ぶった電話やメールもいっぱい入ってきますしね