
坂下の御田植え祭りは栗村稲荷神社の祭礼です。栗村稲荷神社は古くはこの地区の地頭栗村弾正正盛の屋敷神として祀られていました。
栗村弾正は永仁4年(1296)、水利の悪いこの地区に宮川の上流から長大な堰を開鑿して荒れた広い土地を豊かな水田地帯に変えた人として崇敬されています。
弾正は堰の開鑿にあたりその無事完成を屋敷神の稲荷神社に祈ったところ、夢に稲荷社のお使いの狐が現れ堰の道筋を教えると言って姿を消しました。朝起きてみると白銀の世界に一筋の狐の足跡が続いていてそれに従って長大な堰を開鑿し見事に完成することが出来たという言い伝えがあります。(以上は井関敬嗣先生会津坂下の伝説と史話によりました)
その稲荷神社は弾正がこの地を去ったあとは定林寺境内に祀られていたのですが、明治維新の神仏混仰分離によって今の地に移されました。
坂下の御田植え祭りは栗村稲荷の神前の神事、御輿渡御の祝詞(のりと)で始まります

御輿は神さびて静かに町内を巡行渡御されます。お祭りでよく見られるお神輿わっしょいとは違った静かな巡行渡御です

栗村稲荷神社社前はたくさんの参詣する人で賑わいます

神事とは違うんですけど栗村弾正の威徳をしのんでその墓前供養もおこなわれます

坂下の御田植えの花はなんといいっても古くから伝わる新館(にいだて)集落の女の人による早乙女踊りです。それに数年前からは会津農林高等学校女生徒の踊りも加わりいっそう華やかになりました。
昔ながらの、菅笠に紺の絣にゆかた、赤いたすきに赤い前かけ、それに青色の帯をを結んで青色の脚絆に草履履き、美しい踊り子さんの姿です。
新館の早乙女踊り保存会の皆さんのおどりです

会津農林高校女生徒さんの踊りです

会農の女生徒さんの記念写真です。カメラマンの砲列がたくさん並びました

私達の町は子供たちの相撲が盛んです。町内の小中学校には立派な土俵が作られ、町の相撲協会の指導でわんぱく相撲大会も開かれ、国技館で開催される全国わんぱく相撲大会にも選手を送り優秀な成績をあげていると聞いています。御田植え祭りにはそのわんぱく相撲大会が開催奉納されるのです。
開会式でも元気な選手たちです

大会の熱戦の様子です



栗村稲荷社のある新富町からは屋台も運行され、屋台を牽く子供たちの「やっこ、やれやれ」の元気な声も楽しいです。

お祭りと言えばやっぱり楽しい出店ですね。今年もたくさんの出店が出て、たくさんの人で賑わいました


あっちこっちとびまわって少々疲れ気味の私でしたけども、出店からひとつ500円 の焼きそば二つと、一個120円のきんつばを二つを買って帰りました。ばばちゃんは「おいしい」といってくれました。
疲れたけどいい一日でした。