
土曜日の午後、熟年中の熟年の方と思われる人たちが(私なんかそのうちでも最高の古老ですけれども)10数人ほど集まってゲートボールの試合をやっていらっしゃいました。
何処かさみしげな様子がないわけじゃないんですけど、ボールを打つ姿には気迫がありました。

私は10数年前このゲートボール場で行われた大会の栄光を思い出しました

写真は下記の大会とは関係ありません
国会議員の方のお名前を冠した「○○杯」の大会などはすごいものでした。
全会津の各地の予選を勝ち抜いてきたチームが集まってこの5面もある広いゲートボール場は選手達の色とりどりのテントが立ち並んで埋め尽くされ、スポーツ店のテントも見え、本部席には見事な優勝旗やトロヒーが並びお偉い方々がずらりと椅子に並んでいらっしゃいました。
国会議員の方のご挨拶もあって開会式に整然と並ぶ選手たちの気迫がみなぎっていました。
私は熟年の方のスポーツにはゲートボール世代と、グランドゴルフ世代があるように思います。ゲートボール世代はかつての太平洋戦争時代それぞれの立場で教育を受け、あるいは戦地での死線を越えてお帰りになった方々が、戦後の荒廃と空腹と飢餓の時代を乗り越え必死に働きやがて現役を退いた熟年の方のスポーツだと私は思っています。
1964年の東京オリンピックの入場行進を思い出します。今と違って整然と並んだ選手団がマーチに合わせて見事に美しく行進していました。でもそれは大戦後19年しかたたないのでまだ軍隊の名残があった姿のように私には思えます。
ゲートボール世代はそれと同じように、皆さんはそれぞれ戦中に受けた教育や訓練が身について残っている世代だと思います。だから試合を進行させる審判のかたの「第一ゲートボール通過」などとおっしゃる声はきびきびして、私のような門外漢はなんだか旧日本陸軍の号令みたいだななどと思ったりもしたんです。
また、ゲートボールは団体競技なのでリーダーの方の指示には権威がありチームの人々はその指示に従って自分に与えられた番号の位置の責務を忠実の果たさなければならなかったみたいだと私は見ていました。時によりチームにより違いはあってもその責務を果たせなかった人はリーダーから厳しく指弾され煮えくりかえるような思いに耐えた人がないわけではないとも聞いています。個人より団体の規律や責務や闘志が重く見られ競技だなと門外漢の私は見ていました。
それだけにチームの人たちの心の結びつきは強く、そして厳しい時代を乗り切ってきた人たちの気迫や誇りあるように思います。
いまここで試合をなさっている方は10数人のわずかな方々です。審判の方などいらっしゃらないし、もちろん優勝旗やトロヒーや本部席などはありません。
でも選手の方の姿には熟年中の熟年の方の気迫と誇りがあるように思えるんです。
試合を見ながら同じ世代の私にはこの人たちの姿にわびしさや悲しみみたいな思いを感じながらも、ああ立派にやっていらっしゃると心から共感してしまうのです。