この写真と文章はエリーが亡くなった時書き込んだホームページの写しです

平成14年(2002年)10月に入るとマルはどこか元気をなくしました。
500メートルも散歩すると途中で休むようになったのです。朝夕の散歩距離も4キロメートル程度だったのが日ごとに減って10月下旬には1キロメートルくらいになりました。獣医師の先生の診断はどの先生も心臓の病気ということでした。
11月に入ると散歩の距離は500メートル、
100メートルと減少して爺を悲しませました。
最後の2週間ほどはエリーと並んで寝て、希望と絶望のふちをさまよいながら看病を続けました。
エリーは、元気な頃もサークル内のイヌツゲの木の下でいつも眠っていました。

11月23日夜9時30分ころ、エリーは爺のまわりを少し廻って、トイレに行くといって割と元気に外に出て行きました。しばらくしても帰ってこないので、行って見ると、イヌツゲの木の下で眠るようにして息絶えていました。
最後の時を10年間住み慣れた場所に選んだのです。
(写真は元気な頃のものです。)

お墓は住み慣れたイヌツゲの木の脇を選んで作りました。
ささやかに、香と水と花を供え、終わるといつもの道を一人で散歩しました。大声を上げて泣き、涙を思い切り流して、誰一人いない散歩道をエリーの面影と一緒に歩みました。

平成14年(2002年)10月に入るとマルはどこか元気をなくしました。
500メートルも散歩すると途中で休むようになったのです。朝夕の散歩距離も4キロメートル程度だったのが日ごとに減って10月下旬には1キロメートルくらいになりました。獣医師の先生の診断はどの先生も心臓の病気ということでした。
11月に入ると散歩の距離は500メートル、
100メートルと減少して爺を悲しませました。
最後の2週間ほどはエリーと並んで寝て、希望と絶望のふちをさまよいながら看病を続けました。
エリーは、元気な頃もサークル内のイヌツゲの木の下でいつも眠っていました。

11月23日夜9時30分ころ、エリーは爺のまわりを少し廻って、トイレに行くといって割と元気に外に出て行きました。しばらくしても帰ってこないので、行って見ると、イヌツゲの木の下で眠るようにして息絶えていました。
最後の時を10年間住み慣れた場所に選んだのです。
(写真は元気な頃のものです。)

お墓は住み慣れたイヌツゲの木の脇を選んで作りました。
ささやかに、香と水と花を供え、終わるといつもの道を一人で散歩しました。大声を上げて泣き、涙を思い切り流して、誰一人いない散歩道をエリーの面影と一緒に歩みました。