私がこの山狭の集落に移り住むようになったのは小学校1年生の時でした。それから5年間輝くような楽しい生活をこの山狭の集落で過ごしたのです。

私の集落での友は同級生の太か男のテツオ君一人でした。太か男のテツオ君でしたけれど心が優しくこの集落での生活のありようのすべてを教えてくれました。
この集落では日常の生活用品を売るお店は1軒だけありました。でもその店では子供向けのおもちゃとかお菓子とかは売っていませんでした。
子供たちは、おもちゃは山野の木や草に手を加えて自分でつくって楽しみました。たといえば竹馬 ⦅私たちはサギアシ(鷺足)と呼んでいましたけど》は竹がないので竿をもらって手作りしていました。おはじきは瓶や茶碗のかけらを丁寧にたたいてつくりました。
呼び子、刀、笛、風車・・必要なものはすべて「肥後の守」と呼ばれるナイフで作り出していました。テツオは君それを丁寧に教えてくれました。
おやつはオドリコソウやヤマエンゴサクの花は吸うと甘い蜜を舌にのせてくれましたし、アケビ・サナズラ・ヤマブドウ・カワラグミ・クワゴ・ヤズ・ハシバミ・スカナ・・などなど野や山にはいっぱいおやつがありました。それもテツオ君は私に教えてくれました。

最高のおやつはコクワと呼ばれるキュウイに香りも味もそっくりの緑色の果実でした。いまはさるなしと呼ばれて栽培している人もいるようです。

コクワは高い木の梢になるつる性の植物の実ですけれどどこにでもある物ではなく子供たちはそれぞれに秘密の場所をもっていました。
テツオ君はある日私をコクワ採りに連れていってくれました。それは集落を一望できる山の中腹にありました。太い木の高い梢にコクワの実がいっぱい熟していました。
その太い木に登るには隣にある細い木に登って枝移りしなければなりません。私はテツオ君の指示に従ってなんとか太い木に移り枝に腰掛けることは出来ました。でも怖くてコクワのある梢には行けませんでした。テツオ君のとってきてくれたコクワの味はすばらしいものでした。
ところがいざ帰ろうとして下を見た私の体は怖さに震えました。意外に高いところに私は登っていたのです。私は動くことが出きずオンオン泣きました。テツオ君はしばらく困っていましたけど意を決して私を叱り励まし、隣の細い木の枝を引き寄せ私を無事に下ろしてくれました。私にとってテツオ君は本当に頼りがいのある太か男でした。
テツオ君は沢を4㎞も奥地に入ってブナ林の中の木杓子作りの小屋に案内したり、細い針金の輪で野ウサギを捕る罠のの作り方、水めがねでイワナを捕る方法、前の雪崩崩れの岩場にある黄鉄鉱の輝く鉱石を見つける方法、渓流のよど場にながしてイワナを捕るための緑の毒薬(これは見せるだけで教えてはくれませんでした)などいろんなことを教えてくれました。

でもだめ弟子の私は5年の間に一匹の野ウサギもイワナも捕ることは出来ませんでした。小さないっぱいいるカジカという小さな魚が捕れただけでした。
その懐かしい太か男のテツオ君に会いたくて消息をかの老人に聞いてみました。すると木杓子の生産がされなくなって50年くらい前にテツオ君一家は他の地方に移って今は消息も分からないとのことでした。

わたしはただ一軒荒れ果て朽ち果てる寸前のテツオ君の家の前で懐かしい彼のことを思ってしばらく佇んでいました。

私の集落での友は同級生の太か男のテツオ君一人でした。太か男のテツオ君でしたけれど心が優しくこの集落での生活のありようのすべてを教えてくれました。
この集落では日常の生活用品を売るお店は1軒だけありました。でもその店では子供向けのおもちゃとかお菓子とかは売っていませんでした。
子供たちは、おもちゃは山野の木や草に手を加えて自分でつくって楽しみました。たといえば竹馬 ⦅私たちはサギアシ(鷺足)と呼んでいましたけど》は竹がないので竿をもらって手作りしていました。おはじきは瓶や茶碗のかけらを丁寧にたたいてつくりました。
呼び子、刀、笛、風車・・必要なものはすべて「肥後の守」と呼ばれるナイフで作り出していました。テツオは君それを丁寧に教えてくれました。
おやつはオドリコソウやヤマエンゴサクの花は吸うと甘い蜜を舌にのせてくれましたし、アケビ・サナズラ・ヤマブドウ・カワラグミ・クワゴ・ヤズ・ハシバミ・スカナ・・などなど野や山にはいっぱいおやつがありました。それもテツオ君は私に教えてくれました。

最高のおやつはコクワと呼ばれるキュウイに香りも味もそっくりの緑色の果実でした。いまはさるなしと呼ばれて栽培している人もいるようです。

コクワは高い木の梢になるつる性の植物の実ですけれどどこにでもある物ではなく子供たちはそれぞれに秘密の場所をもっていました。
テツオ君はある日私をコクワ採りに連れていってくれました。それは集落を一望できる山の中腹にありました。太い木の高い梢にコクワの実がいっぱい熟していました。
その太い木に登るには隣にある細い木に登って枝移りしなければなりません。私はテツオ君の指示に従ってなんとか太い木に移り枝に腰掛けることは出来ました。でも怖くてコクワのある梢には行けませんでした。テツオ君のとってきてくれたコクワの味はすばらしいものでした。
ところがいざ帰ろうとして下を見た私の体は怖さに震えました。意外に高いところに私は登っていたのです。私は動くことが出きずオンオン泣きました。テツオ君はしばらく困っていましたけど意を決して私を叱り励まし、隣の細い木の枝を引き寄せ私を無事に下ろしてくれました。私にとってテツオ君は本当に頼りがいのある太か男でした。
テツオ君は沢を4㎞も奥地に入ってブナ林の中の木杓子作りの小屋に案内したり、細い針金の輪で野ウサギを捕る罠のの作り方、水めがねでイワナを捕る方法、前の雪崩崩れの岩場にある黄鉄鉱の輝く鉱石を見つける方法、渓流のよど場にながしてイワナを捕るための緑の毒薬(これは見せるだけで教えてはくれませんでした)などいろんなことを教えてくれました。

でもだめ弟子の私は5年の間に一匹の野ウサギもイワナも捕ることは出来ませんでした。小さないっぱいいるカジカという小さな魚が捕れただけでした。
その懐かしい太か男のテツオ君に会いたくて消息をかの老人に聞いてみました。すると木杓子の生産がされなくなって50年くらい前にテツオ君一家は他の地方に移って今は消息も分からないとのことでした。

わたしはただ一軒荒れ果て朽ち果てる寸前のテツオ君の家の前で懐かしい彼のことを思ってしばらく佇んでいました。
