ぶらっと散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

岩国市美和町の弥栄湖周辺にある旧藤谷村集落

2022年05月23日 | 山口県岩国市

        
                     この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製・加工したものである。
         1889(明治22)年町村制施行により、長谷(ながたに)村・日宛(ひなた)村・大根川村・
        百合谷村・岸根(がんね)村・黒沢村・中垣内(なかがうち)村・滑村・佐坂村・瀬戸内村・釜ヶ
        原村の区域をもって藤谷村が発足する。
         弥栄ダム建設(1971-1991)により滑、中垣内、大根川、黒沢、百合谷など10集落が何
        らかの水没を受ける。これらの地域は公共交通機関が存在しない所や、生活バスのため便
        数が少ないこともあって車で訪れる。

        
                  
         釜ヶ原集落は旧玖珂郡の北東部にあり、小瀬川に沿い、面積も広く山間の大きな地域で、
        対岸は広島県大竹市である。
地名は釜と称する穴が岩に穿たれているのに由来するとか。
        (大幡神社の木製鳥居)

        
         対照的な蔵が並ぶ

        
         この時期は田植えの真っただ中。正面の山は広島県の瓦小屋山?

        
         寺院は臨済宗の栄福寺のみで、1830(文政3)年に中川平田が同寺で寺小屋を開業した
                が、1878(明治11)年6月に廃業し、7月には渋前小学釜ヶ原支校が設置されて教場と
                なる。
1866(慶応2)年の第二次幕長戦争では、坂上地区の農兵北門団の陣所にもなった。

               
             赤い鳥居に河内神社の額束が掲げてあるが、玖珂郡誌によると、この地域は厳島神社の
        大願寺領であったという。

        
         河内神社は由緒がないため建立時期などを知り得ず。

        
         北門小学校は栄福寺で開校した後、この地に移転して北門尋常小学校などを経て、19
               47(昭和22)年北門小学校となる。2001(平成13)年美和東小学校に統合されて、跡地
               は北門ふるさと交流館として活用されている。

        
         釜ヶ原神楽(岩国市無形文化財)の象徴として交流館の側面に神楽面が掲げてある。神楽
        はもともと祓いの行事から演劇的に移行したもので、特に江戸期に発展した。神事である
        とともに庶民の娯楽の1つでもあった。

        
         大きな地域であるが民家は南半分の小瀬川沿いに集中する。 

        
         ダム周辺に百合谷、岩根、黒沢、中垣内、滑、瀬戸ノ内集落が位置する。

        
         百合谷集落は弥栄湖南に位置し、東は広島県に接する。山の北半分と低地に立地してい
        たが、
ダム建設の影響を受けた地でもある。

        
         河内神社の本殿は比較的新しく、百合谷集落を見守るように建てられている。

        
         農村公園の傍にある人家の蔵。

        
         弥栄大橋は全長560mの斜張橋で、大噴水は水質浄化を目的として設置されている。
        周辺にはレジャー施設等も整備されている。

        
         岩根(がんね)集落
は弥栄湖の西に位置し、北に白滝山がある。地名の由来は、白滝山の岩
        根にある集落であることによるという。(岩根地区集会所傍にある石祠)

        
         白滝山は各地にある白滝姫伝説に因んだものともいい、雨の際に岩壁を流れる水が白滝
        のように見えるので命名されたという。往古、ここに山城があったとされるが、城の時代
        的背景など詳らかでなく謎が多い城跡のようだ。

        
         当地は「岩根栗」が有名で、まろやかな甘味、大粒で風格のある形をしており、気品高
        い香りをもつ栗である。1913(大正2)年全国栗品種調査会に坂上村の人が、「岩根栗」
        として出品したことで国に品種登録された。この集落一帯が栗園だと教えていただく。 

        
         光照寺(真宗)は、室町期の1537(天文6)年創建と伝える。

        
         黒沢(くろざわ)集落は小瀬川の支流大根川と佐坂川が合流する地点の河成段丘と、その北
        側の傾斜地に立地していたが、ダム建設で集団移転して団地を形成している。(日光寺山団
        地)

        
         星形に図案化された歯車のデザインの中央は、旧美和町の町章ではないが、輪の中に「
        三」の文字がある
マンホール蓋。

        
         日光寺(曹洞宗)は、1661(寛文元)年滑村に創建され、初め福王寺と称していたが、年
        月不詳だが黒沢村に移して現寺号にしたという。ダム建設で移転して団地の中心部に位置
        する。

        
         中垣(なかがうち)集落も黒沢集落と同様に、佐坂集落と瀬戸ノ内川の合流地点の河成段丘
        と、その北の傾斜地に立地していたが、ダム建設で移転を余儀なくされた。

        
         県道から上がって行くと客(まろうど)神社。享保年間(1716-1736)までは着ノ社で、17
        60(宝暦10)年客社に改めたという。

        
         傾斜地に人家が並ぶ。

        
         滑橋から見る中垣内集落と白滝山。 

        
         県道から坂道を上がって行くと左手に子安観世音堂。

        
         市松模様に旧美和町の町章と集排の文字が入ったマンホール蓋。

        
         河内神社の御旅所は、1712(正徳2)年造成したとある。

        
         中垣内集落が一望できる。

        
         河内神社(通称:なめらのみょうじんさま)の社伝によると、平安期の806(大同元)年頃
        に筑紫国より勧請されて瀬戸内村に鎮座していたが、1705(宝永2)年当地に遷座したと
        いう。

        
         瀬戸ノ内集落は北から南へ縦走する高い山に挟まれ、その真ん中を小瀬川の支流瀬戸内
        川が南流する位置にある。地名の由来については不明である。

        
         2~3軒が寄り添いながら南北に細長く集落を形成している。

        
         ダムの南側に大根川、日宛、長谷集落が位置する。

        
         大根川集落は弥栄湖の南西、長谷川、日宛川が合流する平地にあったようだが、ダム建
        設で集団移転したかどうかは定かでないが、県道に沿って小集落を形成している。地名の
        由来については不明である。

        
         正覚寺(真宗)は、安田五郎左衛門という者が、寛永年中(1624-1644)に開基したとされる
        が、その他は不明とのこと。

        
         対岸も大根川集落だが一丁田橋で繋がっている。

        
         日宛(ひなた)集落は柏木山・阿品山北麓、小瀬川の支流日宛川流域に位置する。日宛公会
        堂を境にして北と南に集落が形成されている。

        
         神社名を記すようなものが見当たらず。

        
         日宛川上流の集落(南側) 

        
         客神社。

        
         域内にある報照寺(真宗)は、1693(元禄6)年大根川村に創建されたが、1716(享
          保元)
年日宛村に移転したと伝える。

        
        
         長谷(ながたに)集落は岩国から松尾峠を越えて玖珂郡に入る最初の集落で、2つの谷川が
        北部で1つになって北流、大根川となる。家々はこの谷間に散在する。
         地区自治会などが中心となって、江戸期には和紙の原料である楮や三椏(みつまた)が盛ん
        に植えられたが、現在はほとんど植えられていない。そこで三椏を植えて散策道を設けた
        と案内されているが、3月頃より淡い黄色い花が咲くという。

        
         江戸期には域内を岩国往来が通り、長谷一里塚が築かれた。昔の往来道は、ここより5
        m上にあり、塚の基礎部分は残っているが、危険なためこの地に復元したという。

        
         市道と岩国往来が分岐するところに地蔵尊が祀られている。時間が足りず佐坂集落を訪
        れることができなかった。


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