ぶらっと散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

岩国市美和町の渋前は岩国往来の街道町

2021年03月11日 | 山口県岩国市

        
                この地図は、国土地理院の2万5千分1地形図を複製・加工したものである。
         渋前(しぶくま)は渋前川流域、南と北に小起伏状山地に挟まれた河岸段丘や谷底平野から
        なり、美和地域の中心部に位置する。地名の由来については不明であるが、古来より渋前
        の字を志部前としたり、渋熊または渋隈と書きあらわす場合があったというが、難読な地
        名である。
(歩行約2.9㎞)

        
         岩国往来は県道岩国美和線を横切って渋前市へ向かうと、市手前の約100mは坂道で
        ある。(許可を得て民地に駐車)

        
         坂の両側には旅館や民家などが並んでいたようだ。

        
         〇一旅館の向かい側にある門構えの家はK醤油屋さん。

        
         渋前の市は坂の上にあって、県道北中山岩国線が横断するが、この交差点手前が市頭で
        あったとされ、市は200mほどであったようだ。 
         中世の大内時代は、錦川下流域の岩国は未開の地で、安芸国から周防山口に至るには渋
        前を通って須々万、鹿野を経ていた。渋前はこの地域の中心であって、毎月8、18、2
        8日には市が開かれていたが、近世、岩国城下町があらゆるものの中心となり、1729
        (享保14)年に市の伝馬が廃止される。今では商家も少なく、建物も更新されて市だった面
        影は失われている。

        
         坂上郵便局前から見る県道筋。

        
         岩国往来は旧本郷村と岩国市今津を結ぶ約30㎞の街道であった。関ケ原の戦い後、初
        代岩国領主・吉川広家一行が出雲の国からこの道を通り岩国に入った。
         その後、萩の役人が岩国領を視察するために整備され、和紙の原料を運ぶ道としても利
        用された。

        
         「芸防民具館之発足」と案内されている恩田民俗資料館。

        
         東林寺(臨済宗)の現本堂は火災で焼失した後、1689(元禄2)年に再建されて昭和期に茅
        葺き屋根を瓦葺きとした。
         1864(元治元)年岩国領主吉川経幹は坂上地区の荒廃した惨状をみて、ここ本寺に撫育
        役所を設置して、玉乃東平を任命し地域の更生を図る。
         そんな中、幕長戦争が起こり、坂上地区でも農民兵「北門団」が結成され、同寺が本営
        にもなった。北門団解体後、日当の値上げなどを要求して騒動が起こり、玉乃は撫育方を
        罷免されたが、明治後は初代大審院長となる。

        
         寺前には岩国南八十八ヶ所特別霊場(右)と、台座に鎮火祭と刻字された地蔵尊など3体
        が祀られている。

        
         商店などであったのだろう看板建築が目立つ。

        
         街道は市尻から右折する。

        
         渋前川に架かる田中橋を渡ると横田地区。

        
         橋の袂に脇本陣を務めた横田田中屋がある。案内によると江戸期より酒造業を営み、水
        車で精米を行っていた。現存する本宅は1887(明治20)年築。
 

        
         酒蔵のシンボル「杉玉」が保存されている。

        
         横田田中屋より100m北に本陣の庄屋榎田家があった。萩藩主が岩国領などの御国廻
        りの際、山代本郷で宿泊して当家を昼休所に利用したとされる。

        
         市尻まで戻ると下り道となる。

        
         左手の山本佳次翁頌徳碑には、ハワイに移民し、帰国後は坂上村長、初代美和町長など
        を歴任、その功績を称えたとある。

        
         下って行くと旧県道だろうかT字路に合わす。

        
         JR大竹駅から美和総合支所近くの鮎谷まで、大竹市と岩国市共同運行のバス路線があ
        り、平日6便、土・日・祝日4便が運行されている。(大竹から下迫まで約45分) 

        
         この筋の建物は更新もしくは近年に建てられたようだ。
  
        
        
         金郷八幡宮について社伝は、往昔、康応元巳(1389)4月11日当国遠石八幡宮を勧請し、
        3ヶ村の産土神になったという。 
         本殿の建築年代は不明だが、一説には元小田にあった祇園社を移築したという。拝殿は
        1893(明治26)年築だが昭和期に改築された。

        
         往路を引き返す。


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