ぶらっと散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

周防大島の浮島は漁業が盛んで活気ある島 

2021年10月08日 | 山口県周防大島町

                
               この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製・加工したものである。
         浮島(うかしま)は屋代島の北東約5㎞の安芸灘に浮かぶ島で、その先に約130mの橋で
        結ばれた頭島がある。なだらかな丘陵性の地形を示し、集落は南岸に江の浦、北端に樽見、
        西端に楽ノ江がある。
         室町後期には大内氏と深い関係のあった海賊集団宇賀島の根拠地であったが、1555
        (弘治元)年厳島合戦で陶方に属して全滅し、一時は無人島になった。
          浮島の名の由来は、海に浮かぶ島とか、宇賀水軍の島だったなど諸説あるようだ。(歩行
        約5.3km)

        
         JR大畠駅から防長バス周防油宇行き35分、土居口バス停で下車する。
町役場支所と
                島中小学校の間を抜けると浮島航路待合所がある。(🚻あり)

        
         コロナ禍で島外の方は甲板でお願いしたい旨の張り紙を了承し、11時30分嵩山を背
        にしながら出港する。

        
         江ノ浦港で下船する。(11:45)

        
         樽見港までの時間配分が読めないため、江ノ浦は急ぎ早の散歩となる。島の最南にある
        小島のような見壁山は、集落のシンボル的な存在となっている。

        
         海岸線に沿って車道が延びる。風土注進案によれば、1681(天和元)年沖家室の友沢四
        郎左衛門が浮島に渡り田畑を開き、森村の百姓に働きかけて島の開発が進んだと記す。

        
         中央にみかんの花だと思われるが、それを囲む模様は判らないが漁村集落排水マンホー
        ル蓋。 

        
         高波対策として海岸線に石垣を築き、その内側に民家を建てるのではなく、前面に作業
        場兼納屋を建て、その奥に主屋を建てるという形式をとっている。

        
         江ノ浦は平地が広いこともあって、樽見集落より人数が多くて漁業が盛んである。

        
        
         海側と路地から入れるようになっている浮島簡易郵便局。

        
         磐尾(いわお)神社について風土注進案は、友沢四郎左衛門が浮島を開拓する時、2丈(約
        6.06m)余りの黒蛇が出現、人家を害することが続いたので、森村宝王大明神の祠官・
        高田左近に頼み、祈念、守札をもらったところ退散する。
         しかし今度は大鼠が出現して作物や人家を荒らしたので再び祈念してもらい、宝王大明
        神より三宝荒神を勧請、岩尾大明神として祀ったところ、祟りはなくなったという。


        
        
         平地の中心部に耕地があり、それを取り巻くように民家が建っている。

        
         狭い路地は重要な生活道のようだ。 
         
        
         簡易郵便局のように周囲を囲み、内に生活の場を配する造りである。 

        
         江ノ島待合所はトイレ併用。

        
         樽見集落へは3本の道があるが、楽ノ江集落を経由する道を進む。 

        
         坂道を上がると江ノ浦集落が見納めになる。

        
         展望のない坂道を上がると海が見えてくる。 

        
         海辺に浮島小学校が見えてくるが、この付近が楽ノ江集落のようで、道路から学校まで
        は急坂を下らなければならない。

        
         浮島小学校の沿革はわからないが、なぜこの地に小学校が設置されたかについては、江
        ノ浦と樽見の中間であったことによるという。校内と渡船場が一体化され、児童や関係者
        は渡船での通学・通勤だそうだ。

        
         小学校の背後にある花崗岩採掘跡は、創業や発展経緯については資料等が残されていな
        いが、採掘は江ノ浦地区の集落用地の建設にとって欠くべからざるものだったようだ。
         セメントの出現で石材は不利な立場となり、戦後程なくその歴史に幕を下ろす。この採
        石跡は20~30mあろうか、切り立った断崖となり岩肌をさらしている。民家は小学校
        グランド付近と樽見への車道近くに散見できる。 

        
         ヘリポートを過ごして展望のない車道を進むと、樽見集落と頭島が見えてくる。

        
         樽見集落も漁業が中心で漁港には多くの漁船が係留されている。

        
         海岸通りに民宿・村田と県漁協浮島支店。

        
         JA山口大島の倉庫付近からの海岸通り。

        
        
         江ノ浦集落と違って平地が少なく山裾に沿って人家が並ぶ。

        
         樽見観音はもともと大島の寺に安置されていたが、江戸期の安永年間(1772-1781)島内に
        疫病が流行した折、尼僧智源が観音像を抱いて島に渡り、樽見の丘での祈祷と観音像の霊験
        により疫病が治まった。尼僧の開基といわれる堂には西国三十三観音像が祀られている。

        
         観音堂脇から下りきったところに神社が祀られている。正式に認知された神社でなく、
        島民の手によって樽見集落の守護神として建立された。みやま(宮の転訛か)と呼ばれる小
        丘上に鎮座し、御神体は五体の明神とされ、社の称号も「五体大明神」とされる。

        
         神社から東海岸に下って樽見港へ向かう。

        
         無人の頭島(かしらじま)では、ミカンの栽培が行われており、1973(昭和48)年農道橋
        (浮島大橋)で結ばれる。正面に見えるイリコ工場は、島で暮らす人々の生活を支える基幹
        産業である。

        
         海から見る樽見集落。(樽見港発15:00)

        
         海から見る浮島小学校。

        
         わずか3時間15分と短い時間であったが、離島にあって高齢化と過疎化が進展する中、
        小学校がこの先も在り続けることを願って屋代島に戻る。
大急ぎで土居口バス停に戻り、
        15時45分の大畠駅行きに乗車する。