ぶらっと散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

周南市の大津島は人間魚雷「回天」の基地だった地 

2020年06月15日 | 山口県周南市

                 
                  この地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分1地形図を
                          複製したものである。(承認番号 令元情複 第546号)

         大津島は徳山湾の沖10㎞に浮かぶ島で、面積4.73㎢の南北に細長い島である。
        もとは大津島と馬島の2島に分かれていたが、砂州地形によって1島となり、軍事施
        設ができる際に本格的な埋め立てがなされたという。(歩行約10㎞)

        
              徳山港(9:30)から大津島巡航に乗船し、馬島、刈尾、瀬戸浜を経由して本浦港で下船す
        る。(10:15)

        
         海岸道路奥側の家々をつなぐ生活道がある。

        
         体験交流施設「大津島海の郷」より高台に上がると本浦港と集落。

        
         本浦に大津島郵便局があり、島内の郵便物は早朝にポストから郵便物を回収して、それ
        らを1日1回の巡航船で徳山郵便局へ配送しているとか。
         大津島には7つの集落があるが、柳ヶ浦を除いて各集落には氏神が祀られている。本浦
        の氏神は木原神社であるが、周南市の富田にある山崎八幡宮の末社である。

        
         参道筋に重厚な古民家。

        
         光満寺(真宗)は、1597(慶長2)年冷泉光宗が大内輝弘の挙兵に加担し、防府市富海の
        茶臼山で戦死する。難を逃れた妻子は大津島に渡り、次男が出家し浄西と称して供養寺を
        建てたのが始まりとされる。1720(享保5)年富田平野村にあった寺の寺号と建物を買い
        受け、西本願寺の許可を得て今日に至る。

        
         漁業以外に産業立地に恵まれないため、過疎化に拍車がかかっているようだ。

        
         本浦集落を見納めして苅尾までの山道に入る。途中にはイノシシ専用温泉もあって、相
        当数のイノシシが存在するようだ。

        
         
市道本浦馬島線で島の東側に出ると正面に黒髪島が見えてくる。黒髪島の御影石は国会
        議事堂にも使用された最高級品として知られている。

         島には定住者がいないため巡航船は立ち寄らないが、採石場へは会社の通勤船が関係者
        を運んでいる。

        
         苅尾には周南市大津島支所、診療所、警察駐在所が置かれているが、集落内はひっそり
        としている。

        
         住民生活保全のため周南市が管理する苅尾港。

        
         苅尾の氏神は厳島神社だが、この神社も山崎八幡宮の末社で、木原神社同様に祭神は市
        杵島姫命である。

        
         銭橋ノ岬から見る刈尾の町並みと弧を描いた海水浴場。

        
        
         大津島における採石の歴史は古く、徳川幕府による大坂城再築に際し、堀の堀削と石垣
        の構築は西国と北陸の諸大名が担当する。うち本丸と天守台には毛利家が関わり、大津島
        からも石が運ばれた。
この採石場での石切り出しは行われていないようだ。(赤石集落)

        
         海岸線に沿って市道が走る。

        
         天ヶ浦集落手前に大津島砲台跡入口があるが、樹木の倒壊で通行止めとなっている。

        
         徳山要港及び付近の軍事重要施設等を守るために、太平洋戦争開戦前後(1941-1942)に高
        角砲3基が設置される。1945(昭和20)年5月10日と7月26日の徳山大空襲時に、
        対空砲火で応戦するも、性能及ばず戦果に見るべきものはなかったという。(2015年撮
        影)

        
         
煉瓦造の指令所跡。

        
         
大津島の人口は、1950(昭和25)年頃の約2,500人をピークに減少傾向と高齢化が
        続いている。
         島の暮らしを取り巻く環境は厳しいものがあるが、集落内を結ぶコミュニティ車の運行
        やケーブルテレビ通信網など、生活環境の整備が行われている。(島民以外はコミュニティ
        車の利用不可)

        
         各港の波止場に石祠があるのだが、龍神が祀られているのだろうか。

        
         
巡航船が停泊中の馬島港。

        
         波止場の手前に回天記念館に上がる道がある。

        
         階段の所にある大津島基地配置図。

        
         1937(昭和12)年呉海軍工廠の魚雷整備施設が開設されたが、その跡地に大津島小学
        校が移転する。

        
         この付近には士官兵舎があった。

        
         
戦後、山の中腹にあった宿舎跡に馬島小学校が建てられたが、1968(昭和43)年回天
        記念館が創立される。

         入口までのエントランスには亡くなった搭乗員など145名の墓碑が並ぶ。

        
         敷地内に復元された特殊潜行艇「回天」の模型が置かれている。戦時中は機密保持のた
        め丸六(マルロク)兵器と呼ばれ、母体となったのは九三酸素魚雷で、この魚雷の中央部に、
        乗員のための操縦席を設けたのが回天である。魚雷の長さは9.61mであったが14.7
        5mに延長された。(九三式とは皇紀2593年の末尾2桁の数字)

        
         記念館から下る途中に養浩館という建物があり、その向かい側に展望公園への道がある。
        ほとんどが疑木階段で入口付近は笹が被う。

        
         馬島港のある一帯は魚雷整備工場敷地内で、集落は南側の馬島に形成されている。

        
         鬣(たてがみ)山の山頂手前に、酸素魚雷の性能を確認するための魚雷見張所が置かれた。

        
         窓から見る海上は樹木の生長で見えなくなりつつある。

        
         構造は煉瓦造にコンクリートが上塗りされている。

        
         工場内を囲むように設けられたコンクリート塀の一部が残されているが、秘密を確保す
        るため、島民が通る道と工場の間に設けられた。

        
         記念館から下ると分岐で、案内に従うとトンネル入口が見える。

        
         酸素魚雷の発射試験を行うためトロッコで運搬したトンネルは、1943(昭和19)年9
        月以降は回天が運搬されることになる。

        
         トンネルの長さは247mで、中央部付近の海側に開口部があり、レールが複線となっ
        ている場所には、調整が完了した回天が右側のレール上に置かれていたとか。

        
         1938(昭和13)年10月から約1年を費やして完成した魚雷発射試験基地は、大分県
        で製作された8個の大型ケーソンを船舶で曳航し、大津島で製作された小型のケーソンを
        組み合せて建設された。

        
         2階には簡易机上演習機が用意されて、実地訓練のない搭乗員たちが、その装置を使っ
        て訓練の不足を補っていたとのこと。

        
         呉市の海軍工廠で製作された九三式魚雷を海上運搬して、この発射口から試験を行った。

        
         回天は魚雷よりも長いため、魚雷発射口とは逆の位置にあったクレーンで吊り上げ、横
        の海面に降ろして基地の沖合まで、横抱艇で曳航して訓練が行われた。

        
         小学校地の一角に変電所跡が残る。整備工場の必要不可欠な電源は、1938(昭和13)
        年海底ケーブルにより、周南市戸田から送電された。

        
         山の法面をくり抜いた危険物貯蔵庫。

        
         木造の建物は魚雷点火試験場。

        
         整備工場と兵舎などをつなぐ階段。草が繁茂して階段とは思えないが、訓練にも活用さ
        れ、当時は「地獄の階段」といわれていた。

        
         大津島公園内にある飛行科の入口門。

        
         地峡の海岸から見る訓練基地。

        
         1970(昭和45)年本浦に簡易水道が設置されたが、のちに上水道が整備され、旧水道
        は大津島地区の非常用水源として確保されている。その他の集落は、1974(昭和49)
        10月粭島より敷設される。 

         ごみ処理については、フェリーを活用して島内のごみ及び汲み取り汚水は本土へ運搬・
        処理されている。(馬島集落)

        
         葛原神社も山崎八幡宮の末社で、祭神も同じである。

        
         馬島集落は漁港を取り巻くように東側に向いて山裾に展開する。人に会うことはなかっ
        たが猫の多い島であった。

        
         馬島港から徳山港へ戻るが、馬島で下船してレンタサイクルを利用すれば瀬戸浜まで行
        けたようだ。
         また、せとうちサイクルーズPASSがあれば、自転車を乗船させることができるよう
        になっている。