いわき・うぶすな広場だより

セカンドライフの生き方を書いています。

遠藤賢司は時代の寵児だった!!

2011-07-23 00:15:26 | 日記

遠藤賢司のライブ盤より

 とりさんへ

ライブへ行き
遠藤賢司を聴いたとのコメントをいただきましたが、
いかがだったのでしょうか?

「時代は変わってしまった?」・・・感じだったのではないでしょうか。


遠藤賢司といのししは同じ年で茨城出身だったと記憶しています。
遠藤賢司は
吉田拓郎と一時
人気を二分するほどでしたが
絶頂期は短かかった。
19691972年くらいが絶頂期か?
ちょうど「70年安保闘争」「ベトナム侵略戦争」と
重なる時期が絶頂期のような感じと記憶しています。


レコードを探してみましたら、

1枚のライブのレコードが見つかりました。
上記写真です。
テープなどもありましたが、探せませんでした。
「カレーライス」が有名な一曲ですが、
いのししは「夜汽車のブルース」が好きです。

その後の遠藤賢司は
時代と気分がずれて忘れられてしまったように感じます。
残念ですが…

いのししも久しぶりに名前を聞きました。

受験が終わり、9月に入り、余裕が出ましたら、
もう一度
その頃のフォークの原点の曲を聴きまくってみたいと思います。
感想をブログに書けるといいですね。

これから、
朝一番の高速バスで仙台へ。
学習してきます。
高速道路が混ないといいのですが・・・・

 

今日で「いわき・うぶすな広場だより」は
訪問件数が
10万人を超えました。
閲覧数は281千人を超えました。

この3回目の「いわき・うぶすな広場だより」は
昨年の310日より書き始めています。
(前2回の「いわき・うぶすな広場だより」も見られます。)
1年4カ月強で10万人を超えました事に感謝いたします。

これからも
「セカンドライフの生き方」と「いわきの今」を
書いていきますので、お付き合いを。

 

いわきの二百十二年前の
「寛政十一年農家年中行事より」

長谷川さんは
お盆の事を書いています。

一.七月十三日の夜は、菩提所にお参りして先祖の墓所にたいまつをともし、
  新米を供え、香花をささげ、念仏回向をする。 

  三界万霊有縁無縁まで忘れないでそれぞれの称名追福を行うよう。 

  まして、家内には、精霊棚を飾り、灯明を照らし、、香花を捧げ、追善を営み、
  念仏三昧のほか、他事はあるべきでない。 

一.7月十四日には、
     待儲(お経をあげる時)の時、餅をつき、ご飯を炊き、そうめんを茹でて
  追悼供養の茶事をつとめ

    僧侶にすすめて先祖を弔うのである。 

  ただし、両親のある人は、朝仕事をして、肴を食べさせる。 

  これは、両親の存生を祝ってのことでめでたいことだ。

一.十五日は、盂蘭盆とて今日も餅をつき、盆棚にそなえ追福する。

  舅への挨拶は例のとおりだ。

一.十六日は、送盆とて、精霊棚をこわして持ち出し川に流す。 

  また、苧(からむし)の葉に団子を包み、冥土の土産とする。 

  あるいは白瓜、真(ま)桑(くわ)瓜(うり)胡瓜(きゅうり)などに足をつけ、
    精霊の騎馬とする。

  だれかがはじめて今の世まで伝わっているのである。

一.この頃になると、田の稗が穂を結ぶので、油断なく、ひいぬくべきだ。 

  畔の草も刈り捨て、畑の草もひき捨てなければいけない。 

  貧乏草の種を田畑に残してはいけない。

一.粟、稗、キビ、小豆、大角豆などは、出来次第つみあつめ取り、
  二百十日も近ずけば、とかく油断は敵と心得るべきだ。

と今に伝わることが書かれています。

 





 

 

コメント
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