6月3日の朝刊で朝日は社説で『天下り規制ーー人事より制度の議論を』を書いた。朝日の主張の重要な部分を無断転記する。
今年10月に発足する新人材バンクが本格的に動き出すまでの3年間、天下 りをチェックする目的などで「再就職等監視委員会」が置かれる。この委員
長、委員4人の人事に民主党など野党が反対しているのだ。(中略)
野党が不同意の構えを見せているのは、予定されている人物がふさわしくな
いからという理由ではない。野党は天下り規制の実効が上がらないなどとし
て、新人材バンク自体に反対してきた。だから、人選はどうであれ同意できな
い、新制度に加担はできないというわけだ。(中略)
政府与党は、現在、省庁ごとに行われている再就職のあっせんを新人材バン
クに一元化することで、官製談合の癒着や腐敗を防ぐとしている。これに対し
て民主党など野党は、天下りを温存し、制度化する仕組みだと主張してきた。 (中略)
政府与党は同意人事の採決をひとまず先送りし、与野党協議を呼びかけたら
どうか。民主党も、人事案をつぶせば事足れりとはいかない。新人材バンクは
法律に基づく新制度である。それに人事でストップをかけるだけなら無責任の
そしりは免れない。
官製談合や税金の無駄遣いにつながる天下りをどうするのか。制度の廃止な
り、手直しなり、国家公務員の天下り規制のあるべき姿を提示し、主張するの
が筋ではないか。
私は朝日のこの主張に格別異議をさしはさむものではない。むしろ大まかに言えば私がいちおう支持できる範疇に入れてもいい主張だとも思っている。それなのに、何故この社説に対して『朝日の論説委員室は精神分裂集団になったのか ②』というタイトルを付けたのか。この先を書くには図書館に行って朝日の縮刷版で、過去朝日が新人材バンクについてどういう主張をしてきたか調べてくる必要がある。(6月3日午前9時)
読売が阿部内閣(当時)の新人材バンクを含む公務員制度改革の政府構想を朝刊1面トップで報道したのは2007年3月8日。記事の書き方から見て読売のスクープではないようだったが、なぜか朝日はこのビッグニュースを完全に無視した。私はその日の朝、読売と朝日の読者窓口に電話して「ジャーナリズムの使命は政府を常に批判することにあるわけではない。時にはマスコミが全力を挙げて政府をバックアップしなければいけないときもある。たとえば小泉内閣がやろうとした道路公団改革も結果的にマスコミが足を引っ張ったため骨抜きにされてしまった。郵政民営化もマスコミが足を引っ張っていなかったら自民党から造反組が出るようなことはなかったし、小泉首相も郵政解散に打って出る必要もなかった。どんな改革もすべての国民が納得したり、すべての国民が等しく利益を享受できたりすることはありえない。今回の公務員改革もそうだ。私自身、何故官僚のためだけに政府丸抱えで再就職あっせんをする「新人材バンク」を作る必要があるのか、ハローワークもあれば、リクルートやパソナ、マンパワーなど民間の再就職あっせん機関もある。またインターネットで官僚時代に培った職務知識やノウハウを生かせる職探しも簡単に出来る。「民に出来ることは民に」というのは小泉以来の自公連立政権の基本理念ではなかったのか、という批判はきちんとしておくべきだ。しかし、渡辺行革担当大臣はたぶん、そうした批判を受けることを百も承知で、官僚や族議員の抵抗を最小限に抑え込んで、明治以来140年続いてきた政官財癒着のトライアングルをぶち壊すことを最優先したのだと思う。その視点に立って、新人材バンクへの批判はきちんとしながらも公務員改革の真の目的に対しては全面的にバックアップすべきだ。いたずらに批判するだけがジャーナリズムの使命ではない」と申し上げ、両紙の読者対応の担当者はいずれも「ご主張はもっともだと思います。関係部門に必ずお伝えします」と私の主張に理解を示してくれた。
が、両紙が安倍内閣が始めようとした公務員制度改革について初めて書いた社説は「これがジャーナリストが主張すべきことか」と愕然とするほどひどいものだった。このブログは朝日の論説委員室が精神分裂集団であることを照明することが目的だから、読売の主張については深入りしないが、いちおう公平を期すため読売が社説で主張したことを論評抜きに紹介だけしておく。「公務員がやる気を失い、優秀な人が公務員を志望しなくなる恐れがある」という趣旨だった。いっぽう朝日は4月2日の社説でこう主張した。
政府は公務員制度改革の基本方針を決めた。天下りをあっせんする新人材バ
ンクを設けるのが柱だ。(筆者注・すでに私は朝日と読売の読者窓口に「安倍
内閣の公務員制度改革の真の目的は明治以来続いてきた政官財癒着のトライア
ングルを破壊することで、新人材バンクの設置は官僚や族議員の抵抗を防ぐた めのやむを得ざる妥協策だと思う」と私の考えを伝え、両紙の読者窓口の賛意
を得ていた。読者の意見は両紙とも必ず記録に残しており、もし否定されるな
ら少なくとも読売の読者センターの責任者(当時)佐伯氏と朝日の読者広報部
長(当時)両角氏に宛てて郵送したA4版16ページに及ぶ文書に書いている
ので、今になって言い出したことではないことが証明できる。私は朝日や読売
の論説委員のようにアンフェアなジャーナリストではない)
(中略)「省庁の予算や権限を背景とした押し付け的の再就職の根絶」を表
明した首相にすれば、その第一歩だということらしい。
だが、新バンクが首相の狙い通りのものになるとはとても思えない。
そもそも新バンクは、天下りを続けることを前提にしている。(後略)
表向きは新バンクであっせんするかたちを取るが、実際には各省庁が前もっ
て天下り先を話をつけておく。そんな展開も十分に考えられる。
実は渡辺行革担当大臣は、そうした事態を防ぐため、官僚の再就職には、その官僚の出身省庁の役人には一切タッチさせないこと、さらにその官僚が在職中に関与していた企業や団体などへの再就職あっせんはしないことを何度も何度も言明してきた。それを知らずにこうした社説を書いたとしたら、そしてその無知な論説委員の文章へのチェックを怠ったとしたら、この社説の書き手の論説委員だけでなく、論説主幹、さらに社長と同格の主筆は読者が払っている購読料を収奪していると言われても返す言葉があるまい。
このブログの読者は、この日の朝日の社説が冒頭で延べた「政府が決めた公務員改革の柱は、天下りをあっせんする新人材バンクを設けることだ」と100%の悪意をむき出しにして、意図的に、新人材バンクの設置と天下りを防ぐために設けたセーフティネットをネグったことをよく記憶しておいてほしい(ちなみに私は朝日の読者広報部長代理の小堺氏から「朝日に悪意を持つ読者」と極めつけられている。私は過去もこれからも、厳しい批判はするが、朝日の論説委員のような「批判のための批判」つまり悪意を持って事実を捏造してまで「批判」するような卑劣な文を書いたことは一度もない。
とりあえず、朝日の主張の検証をさらに続けよう。4月13日の社説『新人材バンクーー選挙目当ては論外だ』ではこう主張した。
私たちは社説(既述)で、そもそも天下りを続けることが前提の新人材バンク
に、官製談合や税金の無駄遣いを防ぐ効果があるとは思えない、と疑問を呈し
てきた。
なぜなら、あっせんを一元化しても、役所の予算や許認可の権限を背景にし
なければ天下りさせるのは難しいからだ。受け入れる企業や団体も、本人の能
力というより役所の見返りを期待している。(中略)政官業がもたれ合う温床と
なってきた天下りを本気でやめるというには、新バンクの構想は中途半端で小
手先にすぎる。
ただし、この日の社説では前回の社説とはちょっと違って公務員制度の改革について評価するに値する提言も、最後のほうでしている。私の批判が効いたとまでは私もうぬぼれていないが、評価に値する提言をネグるような、朝日の常套手段を真似るような卑劣漢では私はない。その部分も紹介しておこう。
有能な官僚機構が国政の運営に大切であることは、私たちも異論がない。だ
からこそ、優秀で使命感のある官僚をどのように採用し、育て、やりがいを持
って仕事をする環境を整えるか。省益優先をやめさせ、公益・国益にそった仕
事をさせるか。ここは公務員制度改革の原点に立ち返り考え直す必要がある。
ひとつは、キャリア官僚も民間と同じように定年まで役所で働けるようにす
ることだ。そのためには、年功序列の人事制度の見直しや、出世レースを外れ
ても働き続けられる専門スタッフ職の導入などが欠かせない。
採用時に出世コースを分けるキャリアとノンキャリアの制度を改め、人事を
能力・実績主義に切り替える必要もある。
民間からの公募を含め、官民交流も拡大すべきだ。省益優先を改めるには、
異動を省庁横断的にしていかなければならない。高齢化の時代に定年延長も必
要だろう。
このように公務員制度全体を改革していかないことには、天下りの構図は変
えられない。
この主張には私だけでなく、このブログの読者も異論がないであろう。ただ残念なことは、この提言は目新しいものではなく、散々言い古されてきたことをまとめただけで、朝日独自のオリジナリティな主張ではないことだ。それをあたかも朝日の英知を絞って生み出したアイディアであるかのような書き方をするところに朝日の救いがたさがある。
この先は『朝日の論説委員室は精神分裂集団になったのか ②の続き』に書く。というのは、gooブログのサーバーは1万字までの処理能力があると公表していながら、実際の処理能力はその半分もなく、goo公認のブログ入門書のサポートセンターのアドバイスを受け、約2000字前後でいったん「下書き」「投稿」をして、パソコン画面に「投稿が完了しました」の表示が出るのを確認してから続きを書くことにし、実際この後約2000字書いたところで同じ作業をしたのだが、投稿が完了せず、せっかく書いた約2000字が瞬時に消滅してしまった。というわけでこの続きは、このブログ記事で書くことが出来ないので、いったん「完成」「投稿」して「公開」し、続きは新たに「新規投稿」するしかないという判断に至ったという次第。お手間を取らせて申し訳ないが、もう一度gooブログ検索からこの続きをパソコン画面に出していただきたい。
今年10月に発足する新人材バンクが本格的に動き出すまでの3年間、天下 りをチェックする目的などで「再就職等監視委員会」が置かれる。この委員
長、委員4人の人事に民主党など野党が反対しているのだ。(中略)
野党が不同意の構えを見せているのは、予定されている人物がふさわしくな
いからという理由ではない。野党は天下り規制の実効が上がらないなどとし
て、新人材バンク自体に反対してきた。だから、人選はどうであれ同意できな
い、新制度に加担はできないというわけだ。(中略)
政府与党は、現在、省庁ごとに行われている再就職のあっせんを新人材バン
クに一元化することで、官製談合の癒着や腐敗を防ぐとしている。これに対し
て民主党など野党は、天下りを温存し、制度化する仕組みだと主張してきた。 (中略)
政府与党は同意人事の採決をひとまず先送りし、与野党協議を呼びかけたら
どうか。民主党も、人事案をつぶせば事足れりとはいかない。新人材バンクは
法律に基づく新制度である。それに人事でストップをかけるだけなら無責任の
そしりは免れない。
官製談合や税金の無駄遣いにつながる天下りをどうするのか。制度の廃止な
り、手直しなり、国家公務員の天下り規制のあるべき姿を提示し、主張するの
が筋ではないか。
私は朝日のこの主張に格別異議をさしはさむものではない。むしろ大まかに言えば私がいちおう支持できる範疇に入れてもいい主張だとも思っている。それなのに、何故この社説に対して『朝日の論説委員室は精神分裂集団になったのか ②』というタイトルを付けたのか。この先を書くには図書館に行って朝日の縮刷版で、過去朝日が新人材バンクについてどういう主張をしてきたか調べてくる必要がある。(6月3日午前9時)
読売が阿部内閣(当時)の新人材バンクを含む公務員制度改革の政府構想を朝刊1面トップで報道したのは2007年3月8日。記事の書き方から見て読売のスクープではないようだったが、なぜか朝日はこのビッグニュースを完全に無視した。私はその日の朝、読売と朝日の読者窓口に電話して「ジャーナリズムの使命は政府を常に批判することにあるわけではない。時にはマスコミが全力を挙げて政府をバックアップしなければいけないときもある。たとえば小泉内閣がやろうとした道路公団改革も結果的にマスコミが足を引っ張ったため骨抜きにされてしまった。郵政民営化もマスコミが足を引っ張っていなかったら自民党から造反組が出るようなことはなかったし、小泉首相も郵政解散に打って出る必要もなかった。どんな改革もすべての国民が納得したり、すべての国民が等しく利益を享受できたりすることはありえない。今回の公務員改革もそうだ。私自身、何故官僚のためだけに政府丸抱えで再就職あっせんをする「新人材バンク」を作る必要があるのか、ハローワークもあれば、リクルートやパソナ、マンパワーなど民間の再就職あっせん機関もある。またインターネットで官僚時代に培った職務知識やノウハウを生かせる職探しも簡単に出来る。「民に出来ることは民に」というのは小泉以来の自公連立政権の基本理念ではなかったのか、という批判はきちんとしておくべきだ。しかし、渡辺行革担当大臣はたぶん、そうした批判を受けることを百も承知で、官僚や族議員の抵抗を最小限に抑え込んで、明治以来140年続いてきた政官財癒着のトライアングルをぶち壊すことを最優先したのだと思う。その視点に立って、新人材バンクへの批判はきちんとしながらも公務員改革の真の目的に対しては全面的にバックアップすべきだ。いたずらに批判するだけがジャーナリズムの使命ではない」と申し上げ、両紙の読者対応の担当者はいずれも「ご主張はもっともだと思います。関係部門に必ずお伝えします」と私の主張に理解を示してくれた。
が、両紙が安倍内閣が始めようとした公務員制度改革について初めて書いた社説は「これがジャーナリストが主張すべきことか」と愕然とするほどひどいものだった。このブログは朝日の論説委員室が精神分裂集団であることを照明することが目的だから、読売の主張については深入りしないが、いちおう公平を期すため読売が社説で主張したことを論評抜きに紹介だけしておく。「公務員がやる気を失い、優秀な人が公務員を志望しなくなる恐れがある」という趣旨だった。いっぽう朝日は4月2日の社説でこう主張した。
政府は公務員制度改革の基本方針を決めた。天下りをあっせんする新人材バ
ンクを設けるのが柱だ。(筆者注・すでに私は朝日と読売の読者窓口に「安倍
内閣の公務員制度改革の真の目的は明治以来続いてきた政官財癒着のトライア
ングルを破壊することで、新人材バンクの設置は官僚や族議員の抵抗を防ぐた めのやむを得ざる妥協策だと思う」と私の考えを伝え、両紙の読者窓口の賛意
を得ていた。読者の意見は両紙とも必ず記録に残しており、もし否定されるな
ら少なくとも読売の読者センターの責任者(当時)佐伯氏と朝日の読者広報部
長(当時)両角氏に宛てて郵送したA4版16ページに及ぶ文書に書いている
ので、今になって言い出したことではないことが証明できる。私は朝日や読売
の論説委員のようにアンフェアなジャーナリストではない)
(中略)「省庁の予算や権限を背景とした押し付け的の再就職の根絶」を表
明した首相にすれば、その第一歩だということらしい。
だが、新バンクが首相の狙い通りのものになるとはとても思えない。
そもそも新バンクは、天下りを続けることを前提にしている。(後略)
表向きは新バンクであっせんするかたちを取るが、実際には各省庁が前もっ
て天下り先を話をつけておく。そんな展開も十分に考えられる。
実は渡辺行革担当大臣は、そうした事態を防ぐため、官僚の再就職には、その官僚の出身省庁の役人には一切タッチさせないこと、さらにその官僚が在職中に関与していた企業や団体などへの再就職あっせんはしないことを何度も何度も言明してきた。それを知らずにこうした社説を書いたとしたら、そしてその無知な論説委員の文章へのチェックを怠ったとしたら、この社説の書き手の論説委員だけでなく、論説主幹、さらに社長と同格の主筆は読者が払っている購読料を収奪していると言われても返す言葉があるまい。
このブログの読者は、この日の朝日の社説が冒頭で延べた「政府が決めた公務員改革の柱は、天下りをあっせんする新人材バンクを設けることだ」と100%の悪意をむき出しにして、意図的に、新人材バンクの設置と天下りを防ぐために設けたセーフティネットをネグったことをよく記憶しておいてほしい(ちなみに私は朝日の読者広報部長代理の小堺氏から「朝日に悪意を持つ読者」と極めつけられている。私は過去もこれからも、厳しい批判はするが、朝日の論説委員のような「批判のための批判」つまり悪意を持って事実を捏造してまで「批判」するような卑劣な文を書いたことは一度もない。
とりあえず、朝日の主張の検証をさらに続けよう。4月13日の社説『新人材バンクーー選挙目当ては論外だ』ではこう主張した。
私たちは社説(既述)で、そもそも天下りを続けることが前提の新人材バンク
に、官製談合や税金の無駄遣いを防ぐ効果があるとは思えない、と疑問を呈し
てきた。
なぜなら、あっせんを一元化しても、役所の予算や許認可の権限を背景にし
なければ天下りさせるのは難しいからだ。受け入れる企業や団体も、本人の能
力というより役所の見返りを期待している。(中略)政官業がもたれ合う温床と
なってきた天下りを本気でやめるというには、新バンクの構想は中途半端で小
手先にすぎる。
ただし、この日の社説では前回の社説とはちょっと違って公務員制度の改革について評価するに値する提言も、最後のほうでしている。私の批判が効いたとまでは私もうぬぼれていないが、評価に値する提言をネグるような、朝日の常套手段を真似るような卑劣漢では私はない。その部分も紹介しておこう。
有能な官僚機構が国政の運営に大切であることは、私たちも異論がない。だ
からこそ、優秀で使命感のある官僚をどのように採用し、育て、やりがいを持
って仕事をする環境を整えるか。省益優先をやめさせ、公益・国益にそった仕
事をさせるか。ここは公務員制度改革の原点に立ち返り考え直す必要がある。
ひとつは、キャリア官僚も民間と同じように定年まで役所で働けるようにす
ることだ。そのためには、年功序列の人事制度の見直しや、出世レースを外れ
ても働き続けられる専門スタッフ職の導入などが欠かせない。
採用時に出世コースを分けるキャリアとノンキャリアの制度を改め、人事を
能力・実績主義に切り替える必要もある。
民間からの公募を含め、官民交流も拡大すべきだ。省益優先を改めるには、
異動を省庁横断的にしていかなければならない。高齢化の時代に定年延長も必
要だろう。
このように公務員制度全体を改革していかないことには、天下りの構図は変
えられない。
この主張には私だけでなく、このブログの読者も異論がないであろう。ただ残念なことは、この提言は目新しいものではなく、散々言い古されてきたことをまとめただけで、朝日独自のオリジナリティな主張ではないことだ。それをあたかも朝日の英知を絞って生み出したアイディアであるかのような書き方をするところに朝日の救いがたさがある。
この先は『朝日の論説委員室は精神分裂集団になったのか ②の続き』に書く。というのは、gooブログのサーバーは1万字までの処理能力があると公表していながら、実際の処理能力はその半分もなく、goo公認のブログ入門書のサポートセンターのアドバイスを受け、約2000字前後でいったん「下書き」「投稿」をして、パソコン画面に「投稿が完了しました」の表示が出るのを確認してから続きを書くことにし、実際この後約2000字書いたところで同じ作業をしたのだが、投稿が完了せず、せっかく書いた約2000字が瞬時に消滅してしまった。というわけでこの続きは、このブログ記事で書くことが出来ないので、いったん「完成」「投稿」して「公開」し、続きは新たに「新規投稿」するしかないという判断に至ったという次第。お手間を取らせて申し訳ないが、もう一度gooブログ検索からこの続きをパソコン画面に出していただきたい。
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