アベノミクス失敗の原因は金融政策(金融緩和による円安誘導)だけではないが、金融政策の分析だけでも1回のブログでは書き切れず、前回のブログでは中途半端な終わり方をして申し訳なかった。デフレ不況克服のために行ったアベノミクスの金融政策(アベノサイクル…私の造語)の検証作業を続ける。
① 金融緩和(通常は公定歩合=日銀が銀行に貸し出す時の金利=を引き下げて金融市場に大量の通貨を供給すること)により、銀行が設備投資などを目的とした企業への融資に積極的になる。
② 日銀が通貨(円)の供給量を増やせば、当然だが一般の商品と同様需給関係により円の価値が下落する(円安になる)投資家にとっては通貨も株や原油などと同様投資対象だからだ。さらに日銀が為替市場に介入して円を売りドルを買えば、円安は一層進む。
③ 円安になれば輸入品の価格が上昇し、日本経済はデフレ状態から脱却して物価が上昇する(日銀・黒田総裁は2年間で物価を2%上げるという目標を掲げた)。物価が上昇すれば日本企業も価格競争から免れ積極的な経営に転換する。
④ また日本商品の輸出も円安によって国際競争力が回復し、輸出産業は商品を増産するため設備投資を行い、雇用も増える。
⑤ 雇用が増えれば、労働力(これも商品)の需給関係が好転して労働者の賃金も増加し、消費の拡大につながる。→③効果がさらに大きくなり→④→⑤→③…というアベノサイクルが実現する。
こうした景気循環を期待したのがアベノミクスの狙いだった。
なお日銀の国債購入の増加はアベノサイクルのためではない。アベノミクスのもう一つの経済政策である公共工事のための財政出動を支えるためである。この不況脱出の手法はかつてケインズが学説として唱え、1929年10月、アメリカで勃発した世界恐慌(デフレ不況)を当時のルーズベルト大統領が1933年から始めた銀行救済策と大規模公共工事によって不況から脱出したニューディール政策の焼き直しでしかない。
実は日本は、世界恐慌の前の1927年に昭和金融恐慌が発生して銀行への取り付け騒動が生じたが、当時の高橋是清蔵相が「ニセ札」(表面だけ印刷。裏面は印刷なし)を大量に発行して銀行窓口に積み上げ、取り付け騒動を収束したことがある。が、その後日本も世界恐慌の荒波にもまれ、やはり高橋是清が軍事産業を中心に大規模な財政出動を行い(1931年)、雇用の安定とデフレ不況からの脱出に成功した。世界恐慌からの脱出に成功したのは日本が最初である。
ついでにアベノミクスの「第2の矢」である大胆な財政出動による公共工事は、世界恐慌の時代と異なり不況脱出の効果はあまり期待できないことを明らかにしておこう。世界恐慌の時代は①世界的に大失業時代だったこと、②しかも労働者の大半はブルーカラー族で公共工事に要した費用の大半は人件費(雇用の拡大と賃金の上昇)に費やされ、そのことによって消費が回復し一般産業も不況から脱出できたこと、③しかし、現在の日本の労働力は男女を問わず高学歴化し、いくら公共工事を行っても高学歴者の雇用の拡大にはつながらないこと、④しかも理系学卒者の雇用は別に公共工事を行おうと行うまいと以前から売り手市場が続いている一方、文系学卒者の仕事(主に事務職)はどんどんIT化して買い手市場のままであり、その結果「大学は出たけれど正規社員の就職先はきわめて少ない」という状況がかなり前から固定化していること。
安倍総理は、アベノミクス効果の一つとして失業率の改善を掲げているが、それは非正規社員の増加によって見かけ上改善しているかに見えるだけで、文系学卒者の初任給平均(大企業だけでなく中小零細まで含めての)が、安倍政権が誕生して以来どの程度アップしているのか、データがないので事実は不明だが疑問に思わざるを得ない。厚労省は民主党政権時からの学卒者(理系・文系に分けて)の初任給調査(必ず調査しているはずだ。もししていないのであれば就職関連の大企業であるリクルートは行っているだろうからリクルートに情報提供してもらえばいい)の結果を発表すべきだ。
また初任給調査だけでなく、入社後の給与の推移も理系・文系に分けて調査すべきだ。そうすれば見かけ上の失業率ではなく、失業率が改善しているにもかかわらずなぜそれが消費活動に結びついていないのかが明らかになる。
アベノミクスの経済政策に戻る。読者も、なぜアベノサイクルが「絵に描いた餅」にしかならなかったのか、かなり見えてきたと思う。
日銀の金融緩和策(固定歩合引き下げ=利下げ)と為替相場への介入は確かに一時的な効果はあった。円相場は2015年春ごろにはピークの1ドル=125円前後で推移したが、今年に入って急激に円高に振れ出し、いまは1ドル=103円前後で推移している。
だが、円安傾向にあった時期、日本経済はどうだったか。株価は一時的にミニ・バブルを生じたが、日経平均は昨年末には約1万9000円だったのが、今年に入った瞬間円が急速に高騰し、株価も暴落して一時は1万5000円割れの状態も危惧されるようになった。株価が高値を付けていたころに消費が拡大して物価が順調に上がったかというと、そういう傾向もまったく見られなかった。
なお為替政策はあくまで結果で判断するしかない。円安誘導すれば(円の価値が下がること)、確かに輸出価格は下がり(理論上そうなるが、日本の場合、そうならなかった)、輸入価格は上昇する。結果で判断するしかないのだから、結果を検証しよう。実は前回のブログで日本企業の体質を、日本の輸出大企業がプラザ合意を台無しにしたことの意味を問うことによって明らかにしたのは、日銀の為替政策の目的をまたもや日本の大企業が台無しにしてしまったことを証明するためだった。
プラザ合意後の自動車や電気産業など日本を代表する輸出大企業は、日本の消費者を犠牲にすることによって輸出価格を為替に連動させなかったことを前回のブログでは明らかにした。なぜ大企業は輸出価格を為替に連動させなかったのか。
当時、日本のメーカーはまだ海外進出をしていなかった。が、アメリカでは大企業が国内労働力の高騰(アメリカは世界最大の保守大国と思っている人が多いが、実は労働組合が日本では考えられないほど大きな力を持っている)に音を上げており、海外の安い労働力を求めて海外進出をしていた。そのためアメリカでは「産業の空洞化」が進み、それがアメリカ産業界の国際競争力を低下させていたのである。プラザ会議(5G)はアメリカが自国産業の国際競争力を回復させるため日・独・英・仏の4か国に頭を下げてドル安誘導の協調介入を頼んだのが真相だった。アメリカの産業空洞化を招いたのはアメリカ自身であり、その結果ドル高(=デフレ不況の原因)になったとしてもそれは本来アメリカの自己責任である。アメリカはG5によってドル安誘導の国際協調介入を先進4か国に頭を下げて頼んだが、実は英・仏の協力は必要なかった。アメリカの狙いは貿易赤字の最大の競争国である日・独にドル安誘導に協力させて国内産業の国際競争力を回復することが本当の狙いだった。
さらに副次的にレーガン大統領の経済政策(レーガノミクス)もドルが実力以上に高くしたことも指摘しておく。アベノミクスの語源といってもいいだろうレーガノミクスは①歳出削減②大幅減税③規制緩和④通貨供給量抑制、の4本柱からなっていた。当時アメリカはカーター大統領の過度な景気刺激策による財政赤字と貿易赤字という双子の赤字を抱えており、この双子の赤字から脱却することがレーガノミクスの目的だった。
具体的には歳出削減のために高金利政策(その手段として行ったのがアベノミクスとは反対の通貨供給量削減によるデフレ政策)を採った。結果的にはレーガノミクスによって双子の赤字はかなり解消できたのだが、その反面レーガン政権の1年後には市場金利が20%を超え猛烈なドル高が始まったという結果も生んだ。そして当然の結果としてドル高によるデフレ不況にアメリカは見舞われる。誇り高いアメリカが5Gに開催を日・独などに呼びかけてドル安誘導を頼んだ背景には、そういう経緯もあった。
なぜレーガノミクスが失敗に終わったのか。アベノミクスがデフレ不況克服のために円安政策をとったのと、実は同じ原理が国際金融市場で働いたのである。アメリカが金融引き締めのために高金利政策をとれば、当然世界のマネー
がドルに集中する。年利20%という高金利のドルは、投資家にとって極めて魅力的な金融商品になったからだ。
実は同じ失敗を日本もバブル退治のためにやった。バブルという資産インフレを退治するため政府と日銀はレーガノミクスと同じ経済政策を行った。まず大蔵省が「総量規制」という金融機関への行政指導(不動産投資の抑制策)を行い、日銀の三重野総裁は高金利による資産インフレ抑制策を行ったことがある。この経済政策が円高によるデフレ不況を生み、「失われた20年」が始まる。日本の金利が高くなれば、世界の投資家にとっては円はきわめて魅力的な金融商品になり、円高・デフレに陥るのは当然すぎるほど当然の結果だった。
ではアベノミクスによって、輸出大企業はどういう経営戦略をとったのか。またプラザ合意の際、日本の輸出大企業がどういう経営戦略をとったのかを考えてもらいたい。プラザ合意でG5がドル安への協調介入したのは、アメリカがこけたら世界経済が大混乱に陥る。それだけは避けたいという先進5か国とくに日・独の自己保存本能からだった。実はG5には日・独だけでなく英・仏も入っていた。だが、アメリカの狙いはすでに述べたように日本とドイツの2か国だった。アメリカにとってイギリスとフランスは国際経済競争にとって脅威でもなんでもなかった。イギリスやフランスからの輸入品がアメリカ産業を脅かすような国際競争力を持っていなかったからだ。
ではなぜG5に英・仏を入れたのか。当時国際経済のけん引力になっていたのが日本とドイツだった。かといって、アメリカの国益だけのために日本とドイツとだけとG3を構成すれば英・仏の反発は必至になる。英・仏がドイツの輸出攻勢でどういう苦境にあったかは私も知らない。メディアがG5の背景を分析したことがなかったからだ。これは私の想像だが、英・仏もドイツの輸出攻勢に悲鳴を上げていたのではないだろうか。アメリカが英・仏を巻き込んでプラザ合意を実現できたのは、たぶんヨーロッパ市場のドイツの影響力を考慮したためで、ある意味ではアメリカがG5に英・仏を招いたのは英・仏にとっても極めて好都合だったからではないだろうか。実際プラザ合意のかなり前から(77年ころ)からアメリカは「日・独機関車論」「米・日・独機関車論」が経済学者の間で喧伝されており、日・読者センターは自国の利益のためではなく世界経済の発展のために機関車的役割を果たすべきだという主張が強まっていた。
いずれにせよ、プラザ合意にも関わらず。日本の輸出大メーカーは前回のブログで明らかにしたようにドル安誘導を事実上台無しにしてしまった。日本メーカーが為替相場に連動して輸入価格を引き上げていれば、プラザ合意以降たった2年で円が対ドル相場で2倍になるようなことはありえなかったはずだ。またプラザ合意以降日本企業の身勝手さは一部のマスコミから指摘されていたが、ドイツの輸出大企業は為替相場に連動してアメリカへの輸出価格を引き上げた。そのためアメリカとドイツの間には貿易摩擦は生じなかったが、日本企業はかえってアメリカとの貿易摩擦を激化する方針をとった。データがないので推測で書くが、円・ドル為替相場は2年で倍になったが(これは事実)、ドイツ・マルクは極端に暴騰することはなかったと思う。つまり、対ドル相場では円は世界中の通貨で独歩高になったのである。
ではなぜ日本企業はそこまでしてプラザ合意を台無しにしてしまったのか。当時の日本企業は、まだ積極的な海外進出を始めていず、また国内では「年功序列・終身雇用」の日本型経営が続いていた。たとえばプラザ合意のかなり前だが、松下がコンピュータ・ビジネスに参入したことがある。松下電器産業の創業者の松下幸之助氏が将来はコンピュータが産業の主力になると考えたのだが、決断を下すのが遅すぎた。すでに当時、通産省はコンピュータ産業が日本経済の未来を左右すると考え、国際競争に勝つためコンピュータ業界の再編成に着手していた。松下がコンピュータ産業に参入しようとしたときには、通産省の再編成構想がすでにまとまっており、松下が参入する余地がなかったのだ。
結果、松下はコンピュータ事業からの撤退を余儀なくされ、有名な熱海会議(松下系の販売店主を集めた会議)で、幸之助が頭を下げ、「この失敗による販売店各社へのご迷惑は松下自身が血を流すことで回復します」と涙を流して謝罪した。これが日本企業の良く言えば共同体意識、悪く言えば経営者が責任を転化するための典型的なケースだった。1980年代までは、そうした日本型経営を日本のメディアは美談として伝えた。
当時の日本企業は利益よりシェア拡大を重視していた。シェアの拡大は生産量の増大を意味し、生産量が増えれば生産コストを下げることが出来る。企業の利益はその結果として生じる。
シェア至上主義があながち間違っているわけではないが、そうした企業戦略がアメリカとの貿易摩擦を起こすことになる。
日本の企業の大半は年度決算である。とくに上場企業の決算期は3月末に集中しており、株主総会も大半の企業が特定の日に集中していた(最近は多少ばらついているが)。そして株主への配当も極力抑え、利益の大半は設備投資に回してきた。生産量を増やしシェアを高めるためである。
一方アメリカは四半期決算が大半で、株主の力が強く、利益は株主のものという考え方が伝統的に培われてきた。そのため長期的視野に立った経営が出来ず、経営者は四半期ごとの利益をいかに増やすかに心を砕かざるをえない。さらに利益の大半を株主への配当に回さざるを得ないため、設備投資資金は銀行から融資を受けるか、増資に頼るしかなかった。企業が利益を出し続けていれば銀行も融資してくれるし、増資もできるが、少しでも先行き不安感が出てくると融資も増資も不可能になる。またアメリカでは会社は商品という考え方が根強く、経営者は先行きに不透明感が出ると、創業者でもさっさと会社を売ってしまう。
こうした日本とアメリカの伝統的な企業意識の違いが日米摩擦を激化させていく。また戦後の日本経済復興のために通産省がとってきた輸出振興策と産業育成策を、すでにアメリカとの貿易摩擦を生じるまで日本産業界の力がついてきた80年代に入っても継続してきたことも、アメリカを怒らせた大きな原因の一つであった。いわゆる日本の関税障壁である。
そうした中で89年9月から90年6月にかけて日米構造協議が行われた。この協議はアメリカが日本の関税障壁を槍玉に挙げるために開かれた。
日本もアメリカ型経営の欠陥(株主重視のため長期的視野での経営ができないこと)を指摘したが、アメリカはPRがもっと巧みだった。「日本は生産者中心主義で消費者中心の経済政策をとっていない。もし日本がアメリカ牛の関税を大幅に引き下げれば、日本人は週に2回、ステーキを食べられる」と日本の関税障壁を問題化した。「われわれは日本の消費者の要求を代弁しているだけだ」「最終的な勝利者は日本の消費者だ」と。
このアメリカ側のレトリックを日本のマスコミの大半が支持した。
実は日本が社会主義的、欧米社会とは異質だとアメリカから指摘されてきた最大の理由は、アメリカのような弱肉強食の自由競争主義ではなく、基本的には弱者救済横並びの経済構造を重視してきたからである。金融機関に対する護送船団方式や大店法による零細小売業者に対する保護政策もその一つで、そうした日本経済政策の保護主義もアメリカは鋭く追及してきた。皮肉なことにポスト・オバマを狙っている共和党のトランプ氏も民主党のヒラリー・クリントン氏もTPPの批准に反対しており保護主義に舵を切ろうとしているが…。
結局アメリカが日米構造協議で事実上の勝利を収めた。シェアを維持するため(=生産量を減少させない=生産コストの上昇を抑える――すなわちシェア至上主義)、国内では合理化努力の成果を消費者に還元せず、アメリカにはダンピング輸出をするという従来のやり方は通用しなくなった。日本の大企業がそれまでの国内生産中心主義から工場の海外移転に経営方針を大きく転換したのは日米構造協議以降である。
工場の海外移転は、とくにバブル期に大幅に上昇した国内の賃金が企業にとって大きな負担になり、安い労働力を求めて海外への移転に拍車がかかったことも大きな海外進出の要因である。日本企業の海外進出が進むにつれ、当然の結果として国内の賃金も相対的に抑えられ、さらに正規社員の採用も手控えるようになり、終身雇用・年功序列の日本型経営を支えてきたベースアップも姿を消していく。
そうした状況の中でバブル(資産インフレ)を退治するために大蔵省と日銀が二人三脚でとってきたデフレ政策が日本経済の足腰を弱めていった。こうして「失われた20年」が日本を襲ったのである。
アベノミクスは、この「失われた20年」に終止符を打つために経済政策の柱として円安誘導したことについては周知のことで、私もすでに述べた。
しかし、いかなる政策もプラス面とマイナス面がある。政治家は政策を主張する際、プラス面とマイナス面の両方を正確に国民に訴えて、プラス効果がマイナス面を打ち消すにはどうすべきかを国民に説明すべきなのだが、自らが所属する政党の政策のプラス・マイナスの両面を国民に正直に訴えて国民に信を問う政治家を、残念ながら私はいまだに見たことがない。
これは結果論と言ってしまえば結果論だが、基本的には民主党の野田前総理との約束を守って消費税を8%に引き上げると同時に金融緩和による円安誘導を行ったことに、アベノミクスが失敗に終わった最大の原因がある、と私は考えている。
消費税を引き上げれば、当然消費は落ち込む。だから円安誘導でデフレ不況を克服するための経済政策は、消費が回復してから行うべきだった。
「円高によるデフレ不況の克服」を安倍総理は経済政策の柱の一つにしたが、実は円高によるデフレは、消費者や中小零細企業(とくに部品メーカー)にとっては輸入品が安く買えるわけだから必ずしも悪いことだけではない。輸入品が値下がりすれば、競争原理から輸入品と競合する国産品も値下げせざるを得ない。消費の拡大にとって、デフレは悪いことではない。ところが消費税を上げて消費者の消費意欲が減少する中で、円安による輸入品の高騰を招けば消費者や中小零細企業にとってはダブル・パンチになる。いや、実際にそうなった。
余談だが、消費税増税でちょっとおかしな現象が生じていることを指摘しておく。メディアもまったく気づいていないようだし(そのこと自体が不思議なのだが)、財務省も問題視していないことだ。というのはいきなり8%の消費税をかけたのではなく、従来5%だったのを8%に上げたはずなのに、かなりの小売業者が消費税アップ前の価格に消費税として8%を上乗せしていることだ。消費税5%の時代には政府は内税方式を小売業者に行政指導した。だから8%にアップする前の価格にはすでに内税として5%の消費税が含まれていた。
消費税アップ後の「ネコババ」企業でもっともわかりやすいのはダイソーやキャンドゥなどの100円ショップだ。消費税アップ前には100円の商品価格にすでに5%分の消費税が内税として含まれていた。だからやや乱暴な単純計算だが、消費税アップ後の100円ショップの商品価格は103円でなければおかしい。が、現在すべて100円ショップの商品価格は税込みで108円である。つまり5+8=13%もの消費税を100円ショップは客から取っていることになる。つまり差額の5%分(5円)は脱税しているということになりはしないか。脱税ではないというなら100円ショップの名前を変えて105円ショップ(外税で)に業名を変えるべきだろう。
重箱の隅を突くような話で申し訳なかったが、アベノミクスが「絵に描いた餅」に終わったことがやっとわかったからといって、今さら手のひらを返すように経済政策(金融緩和による円安誘導)を「止めた」と変えるわけにもいかない。そんなことをしたら、当然安倍総理は引責辞任に追い込まれるからだ。
安倍総理は円安によって輸出産業の国際競争力が回復して日本経済が活性化すると考えたのだろうが、前回のブログで述べたように、輸出企業は国際競争力を高めようとしなかった。具体的には為替相場に連動して輸出価格を下げずに、据え置いたのである。輸出価格を下げて輸出を増やせば、当然設備投資というリスクを抱えることになる。プラザ合意後の円高の中で輸出企業がシェアを落とさないため(=生産量をへらさないため)に、日本の消費者を犠牲にしてアメリカにダンピング輸出したのと同じ論理である。ただ昔と違うのは企業の基本的経営方針がシェア拡大から生産量の維持(増加も減少もしない)に変わっただけである。この方針によって輸出企業には膨大な為替差益が生じ、輸出産業株のミニバブル化を招いたのである。つまり円安誘導で期待したアベノサイクルが砂上の楼閣に終わったのはこうした経緯による。
かといって私は日本企業のモラル低下だけを追求するつもりはない。アメリカでも、またすべての国が自国中心の経済政策をとっており、日本だけが特別に悪質な企業のビヘイビアを容認してきたわけでもない。ただ、アメリカはアンフェアな企業のビヘイビアに対して厳しい罰則を科している。たとえばインサイダー取引によって莫大な利益を上げた中堅証券会社のドレクセル証券は莫大な課徴金をSEC(米証券監視委)から科せられて潰されたし、世界的大企業のエネルギー会社のエンリコも不正申告を追及され、不正申告に協力した世界ナンバー2の監査法人・アンダーセンも共に壊滅された。あまたの犠牲を生み続けながら銃規制ができないアメリカを考えると、アメリカ国民(政府も)のモラルはどうなっているのか疑問を持っている人は日本人の大半を占めている。
ただアメリカは経済活動に関しては不正行為にきわめて厳しく(日本企業の輸出品の欠陥に対する罰則は、日本では考えられないほど厳しいことは周知の事実だ)、日本最大の証券会社の野村証券が行った不正行為(暴力団とつるんだ東急電鉄の株価操作や大口投資家への損失補てんなど)は、アメリカでやっていたらとっくに潰されていた。基本的にアメリカでは不正利益に対する罰則は、不正に得た利益の3倍の課徴金を科すことが原則になっており、脱税やインサイダーなどの不正取引は、発覚するとまず倒産に追い込まれる。経済犯罪に甘い日本は、少なくともこうした厳しさはアメリカから学ぶべきだろう。
最後に、前回のブログで述べた日本の大企業(自動車や電気などの輸出産業)が、なぜ安倍内閣が吹いた増え(円安による輸出競争力の回復)に踊らず、為替差益を内部留保として貯めこんだホントウの理由について述べておく。
すでに述べたように日米構造協議以降、日本の大企業(メーカー)は安価な労働力を求めて海外に進出した。またそれまでのシェア至上主義も捨て、利益優先、株主重視に経営方針を転換してきた。
また国内では少子高齢化が進み、消費も減少傾向が否応なく進んだ。とりわけ電気製品や自動車などの耐久消費財の国内市場は冷え込んだままだ。一定の買い替え需要が見込まれてきたテレビは、ブラウン管から液晶に転換し、寿命が倍に伸びたと言われている。また若者のクルマ離れも急速に進んだ。若い人たちが、公共交通網が発達した大都市に集中し、クルマを必要としなくなったことが大きい。政府は自動車産業を守るためハイブリッド車などへの支援策をとっているが、大都市でクルマを維持するコストが高く、若者には手が出なくなってしまったからだ。
そのため自動車産業界は国内での設備投資に大きなリスクを感じている。安倍総理が吹いた笛に踊らなかったのはそのためである。電器産業界も、設備投資による供給過剰になるリスクを避けた。こうした事情が、大企業が為替差益を内部留保として貯めこんだホントウの理由である。メディアも政治家もそのことに気付いていないが…。
(次回はアベノミクスの成長戦略の柱として始まった「働き方改革」について検証する)
① 金融緩和(通常は公定歩合=日銀が銀行に貸し出す時の金利=を引き下げて金融市場に大量の通貨を供給すること)により、銀行が設備投資などを目的とした企業への融資に積極的になる。
② 日銀が通貨(円)の供給量を増やせば、当然だが一般の商品と同様需給関係により円の価値が下落する(円安になる)投資家にとっては通貨も株や原油などと同様投資対象だからだ。さらに日銀が為替市場に介入して円を売りドルを買えば、円安は一層進む。
③ 円安になれば輸入品の価格が上昇し、日本経済はデフレ状態から脱却して物価が上昇する(日銀・黒田総裁は2年間で物価を2%上げるという目標を掲げた)。物価が上昇すれば日本企業も価格競争から免れ積極的な経営に転換する。
④ また日本商品の輸出も円安によって国際競争力が回復し、輸出産業は商品を増産するため設備投資を行い、雇用も増える。
⑤ 雇用が増えれば、労働力(これも商品)の需給関係が好転して労働者の賃金も増加し、消費の拡大につながる。→③効果がさらに大きくなり→④→⑤→③…というアベノサイクルが実現する。
こうした景気循環を期待したのがアベノミクスの狙いだった。
なお日銀の国債購入の増加はアベノサイクルのためではない。アベノミクスのもう一つの経済政策である公共工事のための財政出動を支えるためである。この不況脱出の手法はかつてケインズが学説として唱え、1929年10月、アメリカで勃発した世界恐慌(デフレ不況)を当時のルーズベルト大統領が1933年から始めた銀行救済策と大規模公共工事によって不況から脱出したニューディール政策の焼き直しでしかない。
実は日本は、世界恐慌の前の1927年に昭和金融恐慌が発生して銀行への取り付け騒動が生じたが、当時の高橋是清蔵相が「ニセ札」(表面だけ印刷。裏面は印刷なし)を大量に発行して銀行窓口に積み上げ、取り付け騒動を収束したことがある。が、その後日本も世界恐慌の荒波にもまれ、やはり高橋是清が軍事産業を中心に大規模な財政出動を行い(1931年)、雇用の安定とデフレ不況からの脱出に成功した。世界恐慌からの脱出に成功したのは日本が最初である。
ついでにアベノミクスの「第2の矢」である大胆な財政出動による公共工事は、世界恐慌の時代と異なり不況脱出の効果はあまり期待できないことを明らかにしておこう。世界恐慌の時代は①世界的に大失業時代だったこと、②しかも労働者の大半はブルーカラー族で公共工事に要した費用の大半は人件費(雇用の拡大と賃金の上昇)に費やされ、そのことによって消費が回復し一般産業も不況から脱出できたこと、③しかし、現在の日本の労働力は男女を問わず高学歴化し、いくら公共工事を行っても高学歴者の雇用の拡大にはつながらないこと、④しかも理系学卒者の雇用は別に公共工事を行おうと行うまいと以前から売り手市場が続いている一方、文系学卒者の仕事(主に事務職)はどんどんIT化して買い手市場のままであり、その結果「大学は出たけれど正規社員の就職先はきわめて少ない」という状況がかなり前から固定化していること。
安倍総理は、アベノミクス効果の一つとして失業率の改善を掲げているが、それは非正規社員の増加によって見かけ上改善しているかに見えるだけで、文系学卒者の初任給平均(大企業だけでなく中小零細まで含めての)が、安倍政権が誕生して以来どの程度アップしているのか、データがないので事実は不明だが疑問に思わざるを得ない。厚労省は民主党政権時からの学卒者(理系・文系に分けて)の初任給調査(必ず調査しているはずだ。もししていないのであれば就職関連の大企業であるリクルートは行っているだろうからリクルートに情報提供してもらえばいい)の結果を発表すべきだ。
また初任給調査だけでなく、入社後の給与の推移も理系・文系に分けて調査すべきだ。そうすれば見かけ上の失業率ではなく、失業率が改善しているにもかかわらずなぜそれが消費活動に結びついていないのかが明らかになる。
アベノミクスの経済政策に戻る。読者も、なぜアベノサイクルが「絵に描いた餅」にしかならなかったのか、かなり見えてきたと思う。
日銀の金融緩和策(固定歩合引き下げ=利下げ)と為替相場への介入は確かに一時的な効果はあった。円相場は2015年春ごろにはピークの1ドル=125円前後で推移したが、今年に入って急激に円高に振れ出し、いまは1ドル=103円前後で推移している。
だが、円安傾向にあった時期、日本経済はどうだったか。株価は一時的にミニ・バブルを生じたが、日経平均は昨年末には約1万9000円だったのが、今年に入った瞬間円が急速に高騰し、株価も暴落して一時は1万5000円割れの状態も危惧されるようになった。株価が高値を付けていたころに消費が拡大して物価が順調に上がったかというと、そういう傾向もまったく見られなかった。
なお為替政策はあくまで結果で判断するしかない。円安誘導すれば(円の価値が下がること)、確かに輸出価格は下がり(理論上そうなるが、日本の場合、そうならなかった)、輸入価格は上昇する。結果で判断するしかないのだから、結果を検証しよう。実は前回のブログで日本企業の体質を、日本の輸出大企業がプラザ合意を台無しにしたことの意味を問うことによって明らかにしたのは、日銀の為替政策の目的をまたもや日本の大企業が台無しにしてしまったことを証明するためだった。
プラザ合意後の自動車や電気産業など日本を代表する輸出大企業は、日本の消費者を犠牲にすることによって輸出価格を為替に連動させなかったことを前回のブログでは明らかにした。なぜ大企業は輸出価格を為替に連動させなかったのか。
当時、日本のメーカーはまだ海外進出をしていなかった。が、アメリカでは大企業が国内労働力の高騰(アメリカは世界最大の保守大国と思っている人が多いが、実は労働組合が日本では考えられないほど大きな力を持っている)に音を上げており、海外の安い労働力を求めて海外進出をしていた。そのためアメリカでは「産業の空洞化」が進み、それがアメリカ産業界の国際競争力を低下させていたのである。プラザ会議(5G)はアメリカが自国産業の国際競争力を回復させるため日・独・英・仏の4か国に頭を下げてドル安誘導の協調介入を頼んだのが真相だった。アメリカの産業空洞化を招いたのはアメリカ自身であり、その結果ドル高(=デフレ不況の原因)になったとしてもそれは本来アメリカの自己責任である。アメリカはG5によってドル安誘導の国際協調介入を先進4か国に頭を下げて頼んだが、実は英・仏の協力は必要なかった。アメリカの狙いは貿易赤字の最大の競争国である日・独にドル安誘導に協力させて国内産業の国際競争力を回復することが本当の狙いだった。
さらに副次的にレーガン大統領の経済政策(レーガノミクス)もドルが実力以上に高くしたことも指摘しておく。アベノミクスの語源といってもいいだろうレーガノミクスは①歳出削減②大幅減税③規制緩和④通貨供給量抑制、の4本柱からなっていた。当時アメリカはカーター大統領の過度な景気刺激策による財政赤字と貿易赤字という双子の赤字を抱えており、この双子の赤字から脱却することがレーガノミクスの目的だった。
具体的には歳出削減のために高金利政策(その手段として行ったのがアベノミクスとは反対の通貨供給量削減によるデフレ政策)を採った。結果的にはレーガノミクスによって双子の赤字はかなり解消できたのだが、その反面レーガン政権の1年後には市場金利が20%を超え猛烈なドル高が始まったという結果も生んだ。そして当然の結果としてドル高によるデフレ不況にアメリカは見舞われる。誇り高いアメリカが5Gに開催を日・独などに呼びかけてドル安誘導を頼んだ背景には、そういう経緯もあった。
なぜレーガノミクスが失敗に終わったのか。アベノミクスがデフレ不況克服のために円安政策をとったのと、実は同じ原理が国際金融市場で働いたのである。アメリカが金融引き締めのために高金利政策をとれば、当然世界のマネー
がドルに集中する。年利20%という高金利のドルは、投資家にとって極めて魅力的な金融商品になったからだ。
実は同じ失敗を日本もバブル退治のためにやった。バブルという資産インフレを退治するため政府と日銀はレーガノミクスと同じ経済政策を行った。まず大蔵省が「総量規制」という金融機関への行政指導(不動産投資の抑制策)を行い、日銀の三重野総裁は高金利による資産インフレ抑制策を行ったことがある。この経済政策が円高によるデフレ不況を生み、「失われた20年」が始まる。日本の金利が高くなれば、世界の投資家にとっては円はきわめて魅力的な金融商品になり、円高・デフレに陥るのは当然すぎるほど当然の結果だった。
ではアベノミクスによって、輸出大企業はどういう経営戦略をとったのか。またプラザ合意の際、日本の輸出大企業がどういう経営戦略をとったのかを考えてもらいたい。プラザ合意でG5がドル安への協調介入したのは、アメリカがこけたら世界経済が大混乱に陥る。それだけは避けたいという先進5か国とくに日・独の自己保存本能からだった。実はG5には日・独だけでなく英・仏も入っていた。だが、アメリカの狙いはすでに述べたように日本とドイツの2か国だった。アメリカにとってイギリスとフランスは国際経済競争にとって脅威でもなんでもなかった。イギリスやフランスからの輸入品がアメリカ産業を脅かすような国際競争力を持っていなかったからだ。
ではなぜG5に英・仏を入れたのか。当時国際経済のけん引力になっていたのが日本とドイツだった。かといって、アメリカの国益だけのために日本とドイツとだけとG3を構成すれば英・仏の反発は必至になる。英・仏がドイツの輸出攻勢でどういう苦境にあったかは私も知らない。メディアがG5の背景を分析したことがなかったからだ。これは私の想像だが、英・仏もドイツの輸出攻勢に悲鳴を上げていたのではないだろうか。アメリカが英・仏を巻き込んでプラザ合意を実現できたのは、たぶんヨーロッパ市場のドイツの影響力を考慮したためで、ある意味ではアメリカがG5に英・仏を招いたのは英・仏にとっても極めて好都合だったからではないだろうか。実際プラザ合意のかなり前から(77年ころ)からアメリカは「日・独機関車論」「米・日・独機関車論」が経済学者の間で喧伝されており、日・読者センターは自国の利益のためではなく世界経済の発展のために機関車的役割を果たすべきだという主張が強まっていた。
いずれにせよ、プラザ合意にも関わらず。日本の輸出大メーカーは前回のブログで明らかにしたようにドル安誘導を事実上台無しにしてしまった。日本メーカーが為替相場に連動して輸入価格を引き上げていれば、プラザ合意以降たった2年で円が対ドル相場で2倍になるようなことはありえなかったはずだ。またプラザ合意以降日本企業の身勝手さは一部のマスコミから指摘されていたが、ドイツの輸出大企業は為替相場に連動してアメリカへの輸出価格を引き上げた。そのためアメリカとドイツの間には貿易摩擦は生じなかったが、日本企業はかえってアメリカとの貿易摩擦を激化する方針をとった。データがないので推測で書くが、円・ドル為替相場は2年で倍になったが(これは事実)、ドイツ・マルクは極端に暴騰することはなかったと思う。つまり、対ドル相場では円は世界中の通貨で独歩高になったのである。
ではなぜ日本企業はそこまでしてプラザ合意を台無しにしてしまったのか。当時の日本企業は、まだ積極的な海外進出を始めていず、また国内では「年功序列・終身雇用」の日本型経営が続いていた。たとえばプラザ合意のかなり前だが、松下がコンピュータ・ビジネスに参入したことがある。松下電器産業の創業者の松下幸之助氏が将来はコンピュータが産業の主力になると考えたのだが、決断を下すのが遅すぎた。すでに当時、通産省はコンピュータ産業が日本経済の未来を左右すると考え、国際競争に勝つためコンピュータ業界の再編成に着手していた。松下がコンピュータ産業に参入しようとしたときには、通産省の再編成構想がすでにまとまっており、松下が参入する余地がなかったのだ。
結果、松下はコンピュータ事業からの撤退を余儀なくされ、有名な熱海会議(松下系の販売店主を集めた会議)で、幸之助が頭を下げ、「この失敗による販売店各社へのご迷惑は松下自身が血を流すことで回復します」と涙を流して謝罪した。これが日本企業の良く言えば共同体意識、悪く言えば経営者が責任を転化するための典型的なケースだった。1980年代までは、そうした日本型経営を日本のメディアは美談として伝えた。
当時の日本企業は利益よりシェア拡大を重視していた。シェアの拡大は生産量の増大を意味し、生産量が増えれば生産コストを下げることが出来る。企業の利益はその結果として生じる。
シェア至上主義があながち間違っているわけではないが、そうした企業戦略がアメリカとの貿易摩擦を起こすことになる。
日本の企業の大半は年度決算である。とくに上場企業の決算期は3月末に集中しており、株主総会も大半の企業が特定の日に集中していた(最近は多少ばらついているが)。そして株主への配当も極力抑え、利益の大半は設備投資に回してきた。生産量を増やしシェアを高めるためである。
一方アメリカは四半期決算が大半で、株主の力が強く、利益は株主のものという考え方が伝統的に培われてきた。そのため長期的視野に立った経営が出来ず、経営者は四半期ごとの利益をいかに増やすかに心を砕かざるをえない。さらに利益の大半を株主への配当に回さざるを得ないため、設備投資資金は銀行から融資を受けるか、増資に頼るしかなかった。企業が利益を出し続けていれば銀行も融資してくれるし、増資もできるが、少しでも先行き不安感が出てくると融資も増資も不可能になる。またアメリカでは会社は商品という考え方が根強く、経営者は先行きに不透明感が出ると、創業者でもさっさと会社を売ってしまう。
こうした日本とアメリカの伝統的な企業意識の違いが日米摩擦を激化させていく。また戦後の日本経済復興のために通産省がとってきた輸出振興策と産業育成策を、すでにアメリカとの貿易摩擦を生じるまで日本産業界の力がついてきた80年代に入っても継続してきたことも、アメリカを怒らせた大きな原因の一つであった。いわゆる日本の関税障壁である。
そうした中で89年9月から90年6月にかけて日米構造協議が行われた。この協議はアメリカが日本の関税障壁を槍玉に挙げるために開かれた。
日本もアメリカ型経営の欠陥(株主重視のため長期的視野での経営ができないこと)を指摘したが、アメリカはPRがもっと巧みだった。「日本は生産者中心主義で消費者中心の経済政策をとっていない。もし日本がアメリカ牛の関税を大幅に引き下げれば、日本人は週に2回、ステーキを食べられる」と日本の関税障壁を問題化した。「われわれは日本の消費者の要求を代弁しているだけだ」「最終的な勝利者は日本の消費者だ」と。
このアメリカ側のレトリックを日本のマスコミの大半が支持した。
実は日本が社会主義的、欧米社会とは異質だとアメリカから指摘されてきた最大の理由は、アメリカのような弱肉強食の自由競争主義ではなく、基本的には弱者救済横並びの経済構造を重視してきたからである。金融機関に対する護送船団方式や大店法による零細小売業者に対する保護政策もその一つで、そうした日本経済政策の保護主義もアメリカは鋭く追及してきた。皮肉なことにポスト・オバマを狙っている共和党のトランプ氏も民主党のヒラリー・クリントン氏もTPPの批准に反対しており保護主義に舵を切ろうとしているが…。
結局アメリカが日米構造協議で事実上の勝利を収めた。シェアを維持するため(=生産量を減少させない=生産コストの上昇を抑える――すなわちシェア至上主義)、国内では合理化努力の成果を消費者に還元せず、アメリカにはダンピング輸出をするという従来のやり方は通用しなくなった。日本の大企業がそれまでの国内生産中心主義から工場の海外移転に経営方針を大きく転換したのは日米構造協議以降である。
工場の海外移転は、とくにバブル期に大幅に上昇した国内の賃金が企業にとって大きな負担になり、安い労働力を求めて海外への移転に拍車がかかったことも大きな海外進出の要因である。日本企業の海外進出が進むにつれ、当然の結果として国内の賃金も相対的に抑えられ、さらに正規社員の採用も手控えるようになり、終身雇用・年功序列の日本型経営を支えてきたベースアップも姿を消していく。
そうした状況の中でバブル(資産インフレ)を退治するために大蔵省と日銀が二人三脚でとってきたデフレ政策が日本経済の足腰を弱めていった。こうして「失われた20年」が日本を襲ったのである。
アベノミクスは、この「失われた20年」に終止符を打つために経済政策の柱として円安誘導したことについては周知のことで、私もすでに述べた。
しかし、いかなる政策もプラス面とマイナス面がある。政治家は政策を主張する際、プラス面とマイナス面の両方を正確に国民に訴えて、プラス効果がマイナス面を打ち消すにはどうすべきかを国民に説明すべきなのだが、自らが所属する政党の政策のプラス・マイナスの両面を国民に正直に訴えて国民に信を問う政治家を、残念ながら私はいまだに見たことがない。
これは結果論と言ってしまえば結果論だが、基本的には民主党の野田前総理との約束を守って消費税を8%に引き上げると同時に金融緩和による円安誘導を行ったことに、アベノミクスが失敗に終わった最大の原因がある、と私は考えている。
消費税を引き上げれば、当然消費は落ち込む。だから円安誘導でデフレ不況を克服するための経済政策は、消費が回復してから行うべきだった。
「円高によるデフレ不況の克服」を安倍総理は経済政策の柱の一つにしたが、実は円高によるデフレは、消費者や中小零細企業(とくに部品メーカー)にとっては輸入品が安く買えるわけだから必ずしも悪いことだけではない。輸入品が値下がりすれば、競争原理から輸入品と競合する国産品も値下げせざるを得ない。消費の拡大にとって、デフレは悪いことではない。ところが消費税を上げて消費者の消費意欲が減少する中で、円安による輸入品の高騰を招けば消費者や中小零細企業にとってはダブル・パンチになる。いや、実際にそうなった。
余談だが、消費税増税でちょっとおかしな現象が生じていることを指摘しておく。メディアもまったく気づいていないようだし(そのこと自体が不思議なのだが)、財務省も問題視していないことだ。というのはいきなり8%の消費税をかけたのではなく、従来5%だったのを8%に上げたはずなのに、かなりの小売業者が消費税アップ前の価格に消費税として8%を上乗せしていることだ。消費税5%の時代には政府は内税方式を小売業者に行政指導した。だから8%にアップする前の価格にはすでに内税として5%の消費税が含まれていた。
消費税アップ後の「ネコババ」企業でもっともわかりやすいのはダイソーやキャンドゥなどの100円ショップだ。消費税アップ前には100円の商品価格にすでに5%分の消費税が内税として含まれていた。だからやや乱暴な単純計算だが、消費税アップ後の100円ショップの商品価格は103円でなければおかしい。が、現在すべて100円ショップの商品価格は税込みで108円である。つまり5+8=13%もの消費税を100円ショップは客から取っていることになる。つまり差額の5%分(5円)は脱税しているということになりはしないか。脱税ではないというなら100円ショップの名前を変えて105円ショップ(外税で)に業名を変えるべきだろう。
重箱の隅を突くような話で申し訳なかったが、アベノミクスが「絵に描いた餅」に終わったことがやっとわかったからといって、今さら手のひらを返すように経済政策(金融緩和による円安誘導)を「止めた」と変えるわけにもいかない。そんなことをしたら、当然安倍総理は引責辞任に追い込まれるからだ。
安倍総理は円安によって輸出産業の国際競争力が回復して日本経済が活性化すると考えたのだろうが、前回のブログで述べたように、輸出企業は国際競争力を高めようとしなかった。具体的には為替相場に連動して輸出価格を下げずに、据え置いたのである。輸出価格を下げて輸出を増やせば、当然設備投資というリスクを抱えることになる。プラザ合意後の円高の中で輸出企業がシェアを落とさないため(=生産量をへらさないため)に、日本の消費者を犠牲にしてアメリカにダンピング輸出したのと同じ論理である。ただ昔と違うのは企業の基本的経営方針がシェア拡大から生産量の維持(増加も減少もしない)に変わっただけである。この方針によって輸出企業には膨大な為替差益が生じ、輸出産業株のミニバブル化を招いたのである。つまり円安誘導で期待したアベノサイクルが砂上の楼閣に終わったのはこうした経緯による。
かといって私は日本企業のモラル低下だけを追求するつもりはない。アメリカでも、またすべての国が自国中心の経済政策をとっており、日本だけが特別に悪質な企業のビヘイビアを容認してきたわけでもない。ただ、アメリカはアンフェアな企業のビヘイビアに対して厳しい罰則を科している。たとえばインサイダー取引によって莫大な利益を上げた中堅証券会社のドレクセル証券は莫大な課徴金をSEC(米証券監視委)から科せられて潰されたし、世界的大企業のエネルギー会社のエンリコも不正申告を追及され、不正申告に協力した世界ナンバー2の監査法人・アンダーセンも共に壊滅された。あまたの犠牲を生み続けながら銃規制ができないアメリカを考えると、アメリカ国民(政府も)のモラルはどうなっているのか疑問を持っている人は日本人の大半を占めている。
ただアメリカは経済活動に関しては不正行為にきわめて厳しく(日本企業の輸出品の欠陥に対する罰則は、日本では考えられないほど厳しいことは周知の事実だ)、日本最大の証券会社の野村証券が行った不正行為(暴力団とつるんだ東急電鉄の株価操作や大口投資家への損失補てんなど)は、アメリカでやっていたらとっくに潰されていた。基本的にアメリカでは不正利益に対する罰則は、不正に得た利益の3倍の課徴金を科すことが原則になっており、脱税やインサイダーなどの不正取引は、発覚するとまず倒産に追い込まれる。経済犯罪に甘い日本は、少なくともこうした厳しさはアメリカから学ぶべきだろう。
最後に、前回のブログで述べた日本の大企業(自動車や電気などの輸出産業)が、なぜ安倍内閣が吹いた増え(円安による輸出競争力の回復)に踊らず、為替差益を内部留保として貯めこんだホントウの理由について述べておく。
すでに述べたように日米構造協議以降、日本の大企業(メーカー)は安価な労働力を求めて海外に進出した。またそれまでのシェア至上主義も捨て、利益優先、株主重視に経営方針を転換してきた。
また国内では少子高齢化が進み、消費も減少傾向が否応なく進んだ。とりわけ電気製品や自動車などの耐久消費財の国内市場は冷え込んだままだ。一定の買い替え需要が見込まれてきたテレビは、ブラウン管から液晶に転換し、寿命が倍に伸びたと言われている。また若者のクルマ離れも急速に進んだ。若い人たちが、公共交通網が発達した大都市に集中し、クルマを必要としなくなったことが大きい。政府は自動車産業を守るためハイブリッド車などへの支援策をとっているが、大都市でクルマを維持するコストが高く、若者には手が出なくなってしまったからだ。
そのため自動車産業界は国内での設備投資に大きなリスクを感じている。安倍総理が吹いた笛に踊らなかったのはそのためである。電器産業界も、設備投資による供給過剰になるリスクを避けた。こうした事情が、大企業が為替差益を内部留保として貯めこんだホントウの理由である。メディアも政治家もそのことに気付いていないが…。
(次回はアベノミクスの成長戦略の柱として始まった「働き方改革」について検証する)
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