まずネズミ講とはどういう事業(?)なのか、インターネット上の百科事典「ウィキペディア」の解説を引用させてもらう。
無限連鎖講(むげんれんさこう)とは、金品を払う参加者が無限に増加す
るという前提において、二人以上の倍率で増加する下位会員から徴収した金品を、上位会員に分配することで、その上位会員が自ら払った金品を上回る配当を受け取ることを目的にした団体のことである。人口が有限である以上、無制限に成長する事が絶対的に有り得ないため、日本では無限連鎖講の防止に関する法律で禁止されている。
親会員から子・孫会員へと会員が無制限に、ねずみ算的に増殖していくシステムから、一般的にはネズミ講と呼ばれる。特定商取引に関する法律第33条で定義される販売形態に沿った連鎖販売は違法とは言えず、その意味ではネズミ講とは呼べない。また、マルチ商法、マルチまがい商法についても侮蔑的にネズミ講と呼ぶことがあるが、法的には一概に無限連鎖講とは言えない。
もともとネズミ講が社会的問題になり、マスコミも話題にするようになったのは、1967年に熊本で発足したねずみ講組織「天下一家の会」が急速に日本全国に広がり、71年には発足者が所得税法違反で摘発され、それが契機になって「天下一家の会」の成長がストップ、被害者が続出したことを重く見た政府が78年に「無限連鎖講の防止に関する法律」を制定し、ネズミ講を違法にした。
ここであらかじめお断りしておくが、私はネズミ講やマルチ商法・マルチまがい商法を弁護しようなどという考えはまったく持っていない。それどころかこうした事業(?)によって被害を受けた人の数や被害額の大きさを考えるとこのような悪質な事業(?)によって大儲けした事業者(?)に対する現在の刑罰は軽すぎるとさえ思っている。このような悪質な事業(?)の犠牲者の大半は判断力や理解力が衰えた老齢者であることを考えても、そうした人を食い物にした犯罪者には二度と社会復帰が不可能になるくらいの重罰をもって臨まなければネズミ講やマルチ商法・マルチまがい商法を根絶することはできないだろうとすら考えている。
実際、重罰化によって犯罪が激減したケースがある。このテーマと少しずれるが、重罰化による犯罪抑止効果が決して小さくない例で検証してみよう。
その実例は飲酒運転の激減をもたらした「危険運転致死罪」の新設である。
1999年11月に飲酒運転者のトラックが東名高速で乗用車に追突、乗用車は大破炎上して後部座席に乗っていた幼い姉妹が焼死した事件の裁判で、運転者に下された判決がたったの懲役4年だったことに世論が憤激、さらに翌2000年6月には神奈川県座間市で無免許の飲酒運転者が検問を突破して暴走、歩道に突っ込んで大学生二人を引き殺した事件もあって国家公安委員会が道交法の改正に着手、2001年11月、国会で「危険運転致死罪」が成立した。これに伴い刑法も改正され、飲酒などの危険運転で致傷させた場合の最高刑は15年、致死させた時は最高20年(併合加重は最高30年)と一気に重罰化が科せられることになった。その結果、2005年には飲酒運転に起因した死亡事故は10年前から半減、重罰化の効果が劇的に表れた。
ただその「後遺症」も小さくなかった。飲酒運転者に被害者に対する殺意を認めることは法的に不可能で、仮に「未必の故意」(飲酒運転すれば重大な事故を起こす可能性を認識しながら飲酒運転をやめなかった)を認めたとしても、あらかじめ凶器を用意するなど殺意が明らかに認められる殺人者(特に殺人の目的が強盗や強姦など極めて悪質な場合)に対する刑罰が、殺意が認められない「事故殺人」より軽いということになると、刑法の整合性が問われることになる。
私は読売と朝日の読者対応の社員に「最近の死刑判決の増大をどう思うか」と尋ねたことがあるが、両者とも「重大かつ悪質な犯罪に対して重罰を求める世論の影響が大きいのではないか」と全く同じ答えが返ってきた。新聞記者(元)の理解力や思考力とはその程度でしかないということだ。
裁判官が世論におもねる判決を下すことは絶対にあり得ない。裁判官が一番重視するのは、刑法で決められている量刑の幅の中で、他の類似した事件に過去下され確定した判決との整合性をどう維持するかである。従来は強盗殺人や強姦殺人のような重大犯罪でも、初めての殺人だったり、殺したのが一人だけだった場合は「死刑」という最高刑が下されることはなかった。このような殺人のケースで下されるのは無期もしくは20年の有期刑が一般的であった。しかし「危険運転致死罪」の量刑の重さとの整合性を保つには、初めての殺人や一人だけの殺人でも、殺意が明白でかつ悪質な目的で行った殺人行為に対して、殺意が認められない飲酒運転者に下される判決より軽くするわけにはいかないという判断を裁判官がした結果が、重大犯罪に対する重罰化の傾向を生みだした最大の原因である。重大犯罪に対する重罰化の傾向は、決して世論におもねたからではない。そう考えるのが論理的考察に基づく必然的結論である。
実際、刑法の幅の中で裁判官が判決で下す量刑との整合性を保つため2004年以降毎年のように重大犯罪に対する量刑の上限が引き上げられている。私はいずれ「死刑」に次ぐ最高の量刑として「終身刑」が設けられるだろうと考えている。
でもそうした傾向は平和で安全な日本社会を構築していく上でやむを得ない過渡的手段だと私は考えている。死刑廃止論者の言い分にも一理あることは私も認めるが、危険運転致死罪が設けられて以降飲酒運転に起因する死亡事故が激減しただけでなく、郊外の主要道路に立地しているスナックの客が激減したことにも自動車を運転する人の意識が大きく改革された結果が表れている。
危険運転致死罪の制定によって飲酒運転が激減したことからも、犯罪に対する刑法で定める量刑を重くすることは、間違いなく犯罪の抑止力になることは明らかである。現に中国人が起こす殺人事件が一時急増したのは、日本での犯罪は「割に合う」と思っている中国人が多いという事実はすでに明らかになっている。
刑法で定める量刑の基準は、犯罪を行った者への制裁か、犯罪を未然に防ぐための抑止力か、という議論は人類の歴史で常に平行線をたどって行われてきたが、私は「一罰百戒」すなわち抑止力を重視すべきだと思う。ということは、重罰化を支持する立場である。ただし、重罰化が犯罪の抑止力として大きな効果を発揮するには、危険運転致死罪が設けられた時のように、全マスコミおよび旅行代理店(海外も含む)に協力してもらい「こういう犯罪に対してはこんなに刑罰の量刑が重くなった」ということを、少なくとも小学校高学年以上の日本人と短期日の観光目的で来日する外国人を除く長期来日外国人すべて特に中国人に周知徹底させる必要がある。そのための政府広報予算は大幅に増やすことも必要だ。ただ重罰化さえしたらマスコミがこぞって大きく報道してくれるなどと期待してはいけない。危険運転致死罪の場合は、東名事故の国民に与えた衝撃が大きかったからマスコミも大々的に取り上げ、飲酒の習慣のある国民のあまねく知るところになり、飲酒に起因する事故が激減しただけでなく、飲酒運転自体が激減し、車を運転する人の飲酒量も大幅に減ったはずである(これは私の推測だが、警察庁は警視庁をはじめ各道府県警察本部を通じ、郊外型スナックなどの客の増減・客の飲酒量の変化・代行運転の増加傾向などを調査し、政府広報の予算を相当注ぎ込んでも飲酒運転に対する罪悪感を徹底的に国民に植え付けていく必要がある。
余談が長くなった。本論に戻ろう。
ネズミ講やマルチ商法・マルチまがい商法は確かに悪質なビジネス(?)ではある。そのことは私も否定しないし、検察や警察が摘発し、告訴に持ち込んだ場合、その悪質性を裁判官が認定したら、かなり重い量刑(懲役・禁固および罰金)を科すことができるよう刑法を改正すべきである(つまり割に合わない犯罪だという認識を犯罪者に植え付けることにより犯罪抑止の実をあげることを目的にするため)。
だが、「天下一家の会」事件を契機に制定された「無限連鎖講の防止に関する法律」は、実は純論理的にはめちゃくちゃである。この法律の根拠とした理屈は「人口が有限である以上、無制限に成長する事が絶対的に有り得ない」(ウィキペディアによる解説)という誤った認識をベースにしているからだ。もし「天下一家の会」が、同一人物は1回しか入会できないという会則を制定していたなら、確かに有限な人口数を超える会員を獲得することは不可能で、無限に成長することはあり得ないという法的認識が成り立つが、そんなたぐいの会則を制定しているネズミ講やマルチ商法・マルチまがい商法はひとつもない。現にネズミ講やマルチ商法・マルチまがい商法に参加して大儲けした人も相当いて、そういう人の多くは改めて孫会員から再入会し、柳の下の2匹目のどじょうを狙い、それにも成功した人すらいる。つまり純論理的には無限連鎖講は人口が有限であっても成り立ちうるのである。したがってネズミ講やマルチ商法・マルチまがい商法を禁止するには純論理的には成り立たない屁理屈を根拠に新法(無限連鎖講の防止に関する法律)を無理やり作るのではなく、出資法の改正で取り締まるべきであった。
ちなみに日本の経済犯罪に対する法的制裁は甘すぎる。はっきり言って日本は経済犯罪が割に合う珍しい先進国なのである。そのことを、朝日新聞の読者広報A氏に実例(アメリカの証取委SECはインサイダー取引を行って巨大な利益を上げた中堅証券会社ドレクセル証券にインサイダー取引で得た利益の3倍の制裁金を課し、ドレクセル証券は倒産に追い込まれたこと、一方日本では暴力団とつるんで東急電鉄の株価操作を行ったとされた野村証券は確実な証拠が見つからなかったという理由で不起訴になったが、大口取引の顧客だけを対象に損失補てんを行った事件は証拠もあり明白だったため、罰金が科せられたがその額はたったの500万円。ドレクセル証券に課せられた制裁金の1700分の1に過ぎなかったことなど)をあげて、日本の経済犯罪に対する法的制裁をもっと厳しくするよう朝日新聞は主張すべきだと申し上げたところ、ぜひ「声」欄に投稿してほしいと頼まれ、いったんは断ったものの電話を切る直前になって再びA氏から「それだけのご見識をお持ちなら、投稿するのはあなたの義務です」とまで言われ、やむを得ず承諾したことがある。
が、当局が経済事犯について甘いのは証券不祥事だけではない。巨額脱税を摘発された米大手エネルギー会社エンロンは不正会計処理が発覚して破たんし、同社の監査を行った世界第2位だった監査法人アンサーアンダーセンもこの不正会計処理にかかわったため破たんに追い込まれた。
談合に対してもアメリカは厳しい。談合した企業に対する制裁は州ごとに行われるため、一定の制裁基準があるわけではないようだが、ほとんどの場合、談合企業は破たんに追い込まれるようだ。
個人の脱税も、アメリカでは全く割に合わない犯罪だ。脱税額は全額没収のうえ、脱税額に応じてかなりの制裁金が科せられる。これも州法で制裁金が異なるため一律には言えないが、平均して約5割の制裁金を請求されるようだ。ところが日本ではかなり悪質な脱税でも、脱税額の没収すらなく、重加算税を課せられてもせいぜい脱税額の7割程度を修正申告で納めればいい。つまり約3割は可処分所得として残るわけで、だから日本での脱税はやり得なのだ。日本が脱税天国と言われるゆえんである。
私は数時間をかけ、米大使館や国税庁、所轄の税務署、証券等監視委員会、経済産業省などに電話でアメリカの経済犯罪に対する厳しい制裁を調べ、それをメモにしてA氏にFAXした。とても朝日新聞の読者投稿欄に載せられる文字数の制限(500字)に収まるはずがなく、私は私が提供した情報を朝日新聞がどう処理するつもりか、とりあえずA氏からの連絡を待っていた。が、A氏は私が調べパソコンで書いたメモを自分の机にしまいこんだまま放置してしまった。1カ月近くたってもA氏からの連絡がないため、やむを得ずA氏の上司に当たるK氏に事情を話し、私が電話で取材した以上の情報は朝日新聞が調べ、「日本は経済犯罪が割に合う唯一の先進国であることを検証し、経済犯罪に対する罰則の強化を主張してもらいたい」と申し上げた。翌日K氏から電話があり、A氏が自分の机にしまいこんでいた私のメモをA氏から取り上げ、経済部に渡したという報告を受けた。が、朝日新聞の経済部は日本の軽すぎる経済犯罪への制裁は妥当であると考えているようで、私の情報提供は完全に無視された。ひょっとすると、政府が経済犯罪に対する罰則を強化すると、朝日新聞が困った事態に追い込まれるからかもしれない。
そういえば、朝日新聞も読売新聞もアメリカの公務員に課せられている極めて厳しい「10ドル規制」について報道したことがないのではないか。この10ドル規制は、公務員が10ドルを超える飲食や金品を受けたら即解雇、という日本では信じがたいルールなのだが、これを明らかにしてしまうと朝日新聞も読売新聞も記者のほとんどをクビにしなければならなくなってしまうことになる。クビになる可能性が少ないのは社会部と文化部の記者だけだからだ。あとは政治部にしろ経済部にしろ、スポーツ部の記者でさえ身に覚えがない記者は一人もいない。企業や公務員の不正行為を厳しく弾劾するのはいいが、まず自らの襟を正してからにしてほしい。
また話が横道にそれたので本論に戻す。
とりあえずネズミ講こと無限連鎖講は、純論理的には、人口が有限であっても「無制限に成長する可能性」は否定できないことがご理解いただけたと思う。
ところが、ネズミ講よりもっと悪質で、「詐欺」と断定しても過言ではない預託金商法が、何の規制も受けず堂々とまかり通っているのである。ゴルフ場やレジャークラブがその主なものだ。
私の手元に茨城県の某ゴルフ場が平成3年(1991年)10月7日付で発行した会員証がある。この会員証の券面には「預り證」と記され、金壹千参百五拾萬圓という預り金額も明記されている。そして私の氏名がプリントされ、この「預り證」について疑問を挟む余地がない説明が印刷されている。その説明文を転記しよう。
上記の金額を○○ゴルフ倶楽部正會員の預託金としてお預りいたしました。
1. この預託金は無利息とし本證發行から10年間据え置きといたします。
2. 會員資格の譲渡は、當倶楽部會則に基づく手續を要します。
この表記からも明白なように私は○○ゴルフ倶楽部に1350万円を無利息で10年間は据え置きで預け、その代償として正会員としてプレーする権利を得たことになる。そして据え置き期間の10年が経てば、いつでもこの会員券と引き換えに1350万を返してもらえる権利も約束されている。そこで10年経つのを待って預託金の返還を請求したが、ゴルフ場の経営者は「返還できない」と拒否した。
考えてみれば当然である。会員から集めた金はすべてだだっ広い土地の購入やヘアウェーとラフに植えた芝生、そして池やバンカー、グリーン、クラブハウス、売店などの施設の建設に使われてしまっており、会員に返す金など残っているわけがないからだ。ということは、ゴルフ場の経営者はもともと返せるはずがない100億円を超える大金を(バブル時代、立地条件にもよるが18ホールのゴルフ場の建設費は100~200億円かかると言われていた)「預託金(預託期間が来ればいつでも会員の求めに応じて預かった金は全額返すという性質の、いわば借金と同義の金)」の名目で集めたのである。
もちろんゴルフ場を造った経営者に、会員からかなりの額の金を詐取しようという犯意があったわけではない。資産価値があったすべて(土地・株・絵画などの芸術品そしてゴルフの会員権など)はバブル景気の時代(通説では1986年12月~91年2月)には右肩上がりで価格上昇を続けた。だから○○ゴルフ場を造った経営者も、会員権の相場は今後も上がり続けるに違いないと信じていたことは間違いない。つまりこの経営者は会員から預かった「預託金」をよもや返さなければならないような事態が来るとは想像もしていなかったに違いない。現に私がこのゴルフ場の会員権を買った1991年10月は、すでにバブル景気は終わっていたのだが、社会的にはまだバブルの余韻が残っていて、朝日新聞は私が正会員の権利を「特別縁故」で買った数ヶ月後の社説で、このゴルフ場が正会員権を売り切った後で発行した平日会員権(預託金額900万円)が即日完売したことを報じ、朝日新聞の論説委員たちもまだバブル景気が続いていると考えていたのである。バブル景気が実は91年2月には終焉していたことが明らかになったのはずっと後で、だれの目にもバブルの崩壊が明白になったのは93年の半ばごろ以降であった。
それも無理はなかった。日経平均株価はすでに89年の大納会でピークの38,915円を付けた後、90年初頭から早くも下落を始め、その年10月にはピーク時の半値になった。わずか9カ月で日経平均が半値に下落したことは、少なくとも戦後では初めてのことだった。しかし景気動向指数がピークを記録したのは、株価が半値になった90年10月であり、路線価がピークを迎えたのは何と92年中ごろだった。
実は90年3月には大蔵省銀行局がいわゆる「総量規制」を全金融機関に通達し、地価の上昇に歯止めをかけようとしたのだが、地価はその後も上昇を続け2年数ヶ月後になってやっと上昇が止まったのである。そうした状況の中でゴルフ場の開発ブームが生じ、○○ゴルフ場も会員権を売り出した途端、あっという間に売り切れるという状況だった。
実は私は○○ゴルフ場の経営者の友人だった。だから「特別縁故」の会員権も容易に入手できたのだが、このような幸運(と当時は思っていた)は、上場を目前にしたリクルートの未公開株を入手したのと同様の幸運、とだれもが思っていた時代でもあった。
しかしバブルが崩壊した途端、ゴルフ会員権の資産価値も暴落した。その暴落は今でも続いている。なぜか。
バブル景気が終焉した後、いわゆる「失われた10年」と呼ばれた大不況が日本経済を襲い、かつては優良企業と目されていた会社も日本型雇用形態として確立してきた「年功序列・終身雇用」という労使間の暗黙の契約を破棄して、なりふり構わぬリストラに走りだした。しかし2001年4月、大方の予想を覆して政権の座に就いた小泉純一郎が「構造改革なくして経済回復なし」を旗印に、いわゆる「小泉改革」を強行、それが功を奏して翌2002年2月から景気が上昇局面に入り、2006年11月には、それまでの最長経済成長記録だったいざなぎ景気(57ヶ月)を超え、昨年末か今年初め(1~3月)あたりにピークに達する景気上昇局面が続いた(内閣府経済社会総合研究所景気統計部による)。その間都心部や都心部に近接した郊外の住宅地にマンション建設ブームが生じ、それにつれて地価が上昇するようになった。また景気動向を一番正直に反映する日経平均もこの間かなり上昇している。なのにゴルフの会員権相場は下がり続けている。何が原因なのか。
結論から言えば、ゴルフ会員権が資産運用の対象にならなくなったからである。バブルの時代には高額所得者は資産運用の対象として値上がりが期待できるいくつもの会員権を持っていた。株と違って、土地・家屋やゴルフ会員権は維持するだけでお金がかかる。土地・家屋には固定資産税がかかり、ゴルフ会員には年会費を払わなければならない。それでも土地・家屋やゴルフ会員権が値上がりすれば資産運用として十分にペイする。ゴルフ会員権をたくさん持っていた人は、会員権が資産運用の対象になると思っていたから、プレーする予定もない会員権を買ったのである。その不要会員権がどっと市場に出回った結果、会員権の市場価格が暴落したのである。
バブル時代、ゴルフ場を建設した経営者も、そうした状況を熟知していたはずである。だからことさらに豪奢なクラブハウスを作り、会員権の価値を高めようとしてきた。当然集めた「預託金」を返さなければならないような事態が来るとは考えてもいなかった。つまり、返すつもりもなければ、返したくても絶対に返せないのが「預託金」商法なのである。これは私に言わせれば「未必の故意」に相当する詐欺的行為なのだ。そしてバブル期に新設されたゴルフ場は会員に預託金を返せず、ほとんどが倒産した。その結果大金を失ったのは、痛くも痒くも感じない高額所得者だけでなく、老後のために少しでも資産を増やしたいと退職金をつぎ込んでゴルフ会員権を買った人も少なくなかった。なのに政府は「預託金」商法に被害者保護の立場から厳しい処置を取ろうとしていない。
改めて繰り返すが、ネズミ講は純論理的に考えれば、たとえ人口が有限でも、会員が何回も参加を繰り返せば無限に成長することは可能である(ただし、あくまで机上の論理である)。
しかし、ゴルフ場やレジャークラブの預託金は、経営者に最初から返す意思がないのだから(返したくても返せないことは百も承知しているはずである)、「未必の故意」による詐欺行為と断定しても差支えないはずだ。そのような商法を「自由経済だから」と放置するなら、詐欺性が預託金商法よりはるかに少ないネズミ講を禁止する理由がない。
ここまで書いて着てgooブログのサーバーの許容量1万字の限界にほぼ達しつつある。私のこのブログでの主張の目的は二つあって、その一つ、預託金商法を野放しにしてきた政府の責任を問うことと、その詐欺的預託金商法を支援し、その責任を取ることなく公的支援を受けて史上最大の利益を上げて、のほほんとしている金融機関、中でも三菱東京UFG銀行や三井住友銀行、みずほ銀行などの責任を不問に付すわけにはいかない、という問題提起をしたかったのだが、このブログ記事では無理なので、改めて『詐欺的預託金商法に手を貸した金融機関の罪』という記事タイトルで金融機関がいかに預金者を食い物にしてきたかを告発する。
無限連鎖講(むげんれんさこう)とは、金品を払う参加者が無限に増加す
るという前提において、二人以上の倍率で増加する下位会員から徴収した金品を、上位会員に分配することで、その上位会員が自ら払った金品を上回る配当を受け取ることを目的にした団体のことである。人口が有限である以上、無制限に成長する事が絶対的に有り得ないため、日本では無限連鎖講の防止に関する法律で禁止されている。
親会員から子・孫会員へと会員が無制限に、ねずみ算的に増殖していくシステムから、一般的にはネズミ講と呼ばれる。特定商取引に関する法律第33条で定義される販売形態に沿った連鎖販売は違法とは言えず、その意味ではネズミ講とは呼べない。また、マルチ商法、マルチまがい商法についても侮蔑的にネズミ講と呼ぶことがあるが、法的には一概に無限連鎖講とは言えない。
もともとネズミ講が社会的問題になり、マスコミも話題にするようになったのは、1967年に熊本で発足したねずみ講組織「天下一家の会」が急速に日本全国に広がり、71年には発足者が所得税法違反で摘発され、それが契機になって「天下一家の会」の成長がストップ、被害者が続出したことを重く見た政府が78年に「無限連鎖講の防止に関する法律」を制定し、ネズミ講を違法にした。
ここであらかじめお断りしておくが、私はネズミ講やマルチ商法・マルチまがい商法を弁護しようなどという考えはまったく持っていない。それどころかこうした事業(?)によって被害を受けた人の数や被害額の大きさを考えるとこのような悪質な事業(?)によって大儲けした事業者(?)に対する現在の刑罰は軽すぎるとさえ思っている。このような悪質な事業(?)の犠牲者の大半は判断力や理解力が衰えた老齢者であることを考えても、そうした人を食い物にした犯罪者には二度と社会復帰が不可能になるくらいの重罰をもって臨まなければネズミ講やマルチ商法・マルチまがい商法を根絶することはできないだろうとすら考えている。
実際、重罰化によって犯罪が激減したケースがある。このテーマと少しずれるが、重罰化による犯罪抑止効果が決して小さくない例で検証してみよう。
その実例は飲酒運転の激減をもたらした「危険運転致死罪」の新設である。
1999年11月に飲酒運転者のトラックが東名高速で乗用車に追突、乗用車は大破炎上して後部座席に乗っていた幼い姉妹が焼死した事件の裁判で、運転者に下された判決がたったの懲役4年だったことに世論が憤激、さらに翌2000年6月には神奈川県座間市で無免許の飲酒運転者が検問を突破して暴走、歩道に突っ込んで大学生二人を引き殺した事件もあって国家公安委員会が道交法の改正に着手、2001年11月、国会で「危険運転致死罪」が成立した。これに伴い刑法も改正され、飲酒などの危険運転で致傷させた場合の最高刑は15年、致死させた時は最高20年(併合加重は最高30年)と一気に重罰化が科せられることになった。その結果、2005年には飲酒運転に起因した死亡事故は10年前から半減、重罰化の効果が劇的に表れた。
ただその「後遺症」も小さくなかった。飲酒運転者に被害者に対する殺意を認めることは法的に不可能で、仮に「未必の故意」(飲酒運転すれば重大な事故を起こす可能性を認識しながら飲酒運転をやめなかった)を認めたとしても、あらかじめ凶器を用意するなど殺意が明らかに認められる殺人者(特に殺人の目的が強盗や強姦など極めて悪質な場合)に対する刑罰が、殺意が認められない「事故殺人」より軽いということになると、刑法の整合性が問われることになる。
私は読売と朝日の読者対応の社員に「最近の死刑判決の増大をどう思うか」と尋ねたことがあるが、両者とも「重大かつ悪質な犯罪に対して重罰を求める世論の影響が大きいのではないか」と全く同じ答えが返ってきた。新聞記者(元)の理解力や思考力とはその程度でしかないということだ。
裁判官が世論におもねる判決を下すことは絶対にあり得ない。裁判官が一番重視するのは、刑法で決められている量刑の幅の中で、他の類似した事件に過去下され確定した判決との整合性をどう維持するかである。従来は強盗殺人や強姦殺人のような重大犯罪でも、初めての殺人だったり、殺したのが一人だけだった場合は「死刑」という最高刑が下されることはなかった。このような殺人のケースで下されるのは無期もしくは20年の有期刑が一般的であった。しかし「危険運転致死罪」の量刑の重さとの整合性を保つには、初めての殺人や一人だけの殺人でも、殺意が明白でかつ悪質な目的で行った殺人行為に対して、殺意が認められない飲酒運転者に下される判決より軽くするわけにはいかないという判断を裁判官がした結果が、重大犯罪に対する重罰化の傾向を生みだした最大の原因である。重大犯罪に対する重罰化の傾向は、決して世論におもねたからではない。そう考えるのが論理的考察に基づく必然的結論である。
実際、刑法の幅の中で裁判官が判決で下す量刑との整合性を保つため2004年以降毎年のように重大犯罪に対する量刑の上限が引き上げられている。私はいずれ「死刑」に次ぐ最高の量刑として「終身刑」が設けられるだろうと考えている。
でもそうした傾向は平和で安全な日本社会を構築していく上でやむを得ない過渡的手段だと私は考えている。死刑廃止論者の言い分にも一理あることは私も認めるが、危険運転致死罪が設けられて以降飲酒運転に起因する死亡事故が激減しただけでなく、郊外の主要道路に立地しているスナックの客が激減したことにも自動車を運転する人の意識が大きく改革された結果が表れている。
危険運転致死罪の制定によって飲酒運転が激減したことからも、犯罪に対する刑法で定める量刑を重くすることは、間違いなく犯罪の抑止力になることは明らかである。現に中国人が起こす殺人事件が一時急増したのは、日本での犯罪は「割に合う」と思っている中国人が多いという事実はすでに明らかになっている。
刑法で定める量刑の基準は、犯罪を行った者への制裁か、犯罪を未然に防ぐための抑止力か、という議論は人類の歴史で常に平行線をたどって行われてきたが、私は「一罰百戒」すなわち抑止力を重視すべきだと思う。ということは、重罰化を支持する立場である。ただし、重罰化が犯罪の抑止力として大きな効果を発揮するには、危険運転致死罪が設けられた時のように、全マスコミおよび旅行代理店(海外も含む)に協力してもらい「こういう犯罪に対してはこんなに刑罰の量刑が重くなった」ということを、少なくとも小学校高学年以上の日本人と短期日の観光目的で来日する外国人を除く長期来日外国人すべて特に中国人に周知徹底させる必要がある。そのための政府広報予算は大幅に増やすことも必要だ。ただ重罰化さえしたらマスコミがこぞって大きく報道してくれるなどと期待してはいけない。危険運転致死罪の場合は、東名事故の国民に与えた衝撃が大きかったからマスコミも大々的に取り上げ、飲酒の習慣のある国民のあまねく知るところになり、飲酒に起因する事故が激減しただけでなく、飲酒運転自体が激減し、車を運転する人の飲酒量も大幅に減ったはずである(これは私の推測だが、警察庁は警視庁をはじめ各道府県警察本部を通じ、郊外型スナックなどの客の増減・客の飲酒量の変化・代行運転の増加傾向などを調査し、政府広報の予算を相当注ぎ込んでも飲酒運転に対する罪悪感を徹底的に国民に植え付けていく必要がある。
余談が長くなった。本論に戻ろう。
ネズミ講やマルチ商法・マルチまがい商法は確かに悪質なビジネス(?)ではある。そのことは私も否定しないし、検察や警察が摘発し、告訴に持ち込んだ場合、その悪質性を裁判官が認定したら、かなり重い量刑(懲役・禁固および罰金)を科すことができるよう刑法を改正すべきである(つまり割に合わない犯罪だという認識を犯罪者に植え付けることにより犯罪抑止の実をあげることを目的にするため)。
だが、「天下一家の会」事件を契機に制定された「無限連鎖講の防止に関する法律」は、実は純論理的にはめちゃくちゃである。この法律の根拠とした理屈は「人口が有限である以上、無制限に成長する事が絶対的に有り得ない」(ウィキペディアによる解説)という誤った認識をベースにしているからだ。もし「天下一家の会」が、同一人物は1回しか入会できないという会則を制定していたなら、確かに有限な人口数を超える会員を獲得することは不可能で、無限に成長することはあり得ないという法的認識が成り立つが、そんなたぐいの会則を制定しているネズミ講やマルチ商法・マルチまがい商法はひとつもない。現にネズミ講やマルチ商法・マルチまがい商法に参加して大儲けした人も相当いて、そういう人の多くは改めて孫会員から再入会し、柳の下の2匹目のどじょうを狙い、それにも成功した人すらいる。つまり純論理的には無限連鎖講は人口が有限であっても成り立ちうるのである。したがってネズミ講やマルチ商法・マルチまがい商法を禁止するには純論理的には成り立たない屁理屈を根拠に新法(無限連鎖講の防止に関する法律)を無理やり作るのではなく、出資法の改正で取り締まるべきであった。
ちなみに日本の経済犯罪に対する法的制裁は甘すぎる。はっきり言って日本は経済犯罪が割に合う珍しい先進国なのである。そのことを、朝日新聞の読者広報A氏に実例(アメリカの証取委SECはインサイダー取引を行って巨大な利益を上げた中堅証券会社ドレクセル証券にインサイダー取引で得た利益の3倍の制裁金を課し、ドレクセル証券は倒産に追い込まれたこと、一方日本では暴力団とつるんで東急電鉄の株価操作を行ったとされた野村証券は確実な証拠が見つからなかったという理由で不起訴になったが、大口取引の顧客だけを対象に損失補てんを行った事件は証拠もあり明白だったため、罰金が科せられたがその額はたったの500万円。ドレクセル証券に課せられた制裁金の1700分の1に過ぎなかったことなど)をあげて、日本の経済犯罪に対する法的制裁をもっと厳しくするよう朝日新聞は主張すべきだと申し上げたところ、ぜひ「声」欄に投稿してほしいと頼まれ、いったんは断ったものの電話を切る直前になって再びA氏から「それだけのご見識をお持ちなら、投稿するのはあなたの義務です」とまで言われ、やむを得ず承諾したことがある。
が、当局が経済事犯について甘いのは証券不祥事だけではない。巨額脱税を摘発された米大手エネルギー会社エンロンは不正会計処理が発覚して破たんし、同社の監査を行った世界第2位だった監査法人アンサーアンダーセンもこの不正会計処理にかかわったため破たんに追い込まれた。
談合に対してもアメリカは厳しい。談合した企業に対する制裁は州ごとに行われるため、一定の制裁基準があるわけではないようだが、ほとんどの場合、談合企業は破たんに追い込まれるようだ。
個人の脱税も、アメリカでは全く割に合わない犯罪だ。脱税額は全額没収のうえ、脱税額に応じてかなりの制裁金が科せられる。これも州法で制裁金が異なるため一律には言えないが、平均して約5割の制裁金を請求されるようだ。ところが日本ではかなり悪質な脱税でも、脱税額の没収すらなく、重加算税を課せられてもせいぜい脱税額の7割程度を修正申告で納めればいい。つまり約3割は可処分所得として残るわけで、だから日本での脱税はやり得なのだ。日本が脱税天国と言われるゆえんである。
私は数時間をかけ、米大使館や国税庁、所轄の税務署、証券等監視委員会、経済産業省などに電話でアメリカの経済犯罪に対する厳しい制裁を調べ、それをメモにしてA氏にFAXした。とても朝日新聞の読者投稿欄に載せられる文字数の制限(500字)に収まるはずがなく、私は私が提供した情報を朝日新聞がどう処理するつもりか、とりあえずA氏からの連絡を待っていた。が、A氏は私が調べパソコンで書いたメモを自分の机にしまいこんだまま放置してしまった。1カ月近くたってもA氏からの連絡がないため、やむを得ずA氏の上司に当たるK氏に事情を話し、私が電話で取材した以上の情報は朝日新聞が調べ、「日本は経済犯罪が割に合う唯一の先進国であることを検証し、経済犯罪に対する罰則の強化を主張してもらいたい」と申し上げた。翌日K氏から電話があり、A氏が自分の机にしまいこんでいた私のメモをA氏から取り上げ、経済部に渡したという報告を受けた。が、朝日新聞の経済部は日本の軽すぎる経済犯罪への制裁は妥当であると考えているようで、私の情報提供は完全に無視された。ひょっとすると、政府が経済犯罪に対する罰則を強化すると、朝日新聞が困った事態に追い込まれるからかもしれない。
そういえば、朝日新聞も読売新聞もアメリカの公務員に課せられている極めて厳しい「10ドル規制」について報道したことがないのではないか。この10ドル規制は、公務員が10ドルを超える飲食や金品を受けたら即解雇、という日本では信じがたいルールなのだが、これを明らかにしてしまうと朝日新聞も読売新聞も記者のほとんどをクビにしなければならなくなってしまうことになる。クビになる可能性が少ないのは社会部と文化部の記者だけだからだ。あとは政治部にしろ経済部にしろ、スポーツ部の記者でさえ身に覚えがない記者は一人もいない。企業や公務員の不正行為を厳しく弾劾するのはいいが、まず自らの襟を正してからにしてほしい。
また話が横道にそれたので本論に戻す。
とりあえずネズミ講こと無限連鎖講は、純論理的には、人口が有限であっても「無制限に成長する可能性」は否定できないことがご理解いただけたと思う。
ところが、ネズミ講よりもっと悪質で、「詐欺」と断定しても過言ではない預託金商法が、何の規制も受けず堂々とまかり通っているのである。ゴルフ場やレジャークラブがその主なものだ。
私の手元に茨城県の某ゴルフ場が平成3年(1991年)10月7日付で発行した会員証がある。この会員証の券面には「預り證」と記され、金壹千参百五拾萬圓という預り金額も明記されている。そして私の氏名がプリントされ、この「預り證」について疑問を挟む余地がない説明が印刷されている。その説明文を転記しよう。
上記の金額を○○ゴルフ倶楽部正會員の預託金としてお預りいたしました。
1. この預託金は無利息とし本證發行から10年間据え置きといたします。
2. 會員資格の譲渡は、當倶楽部會則に基づく手續を要します。
この表記からも明白なように私は○○ゴルフ倶楽部に1350万円を無利息で10年間は据え置きで預け、その代償として正会員としてプレーする権利を得たことになる。そして据え置き期間の10年が経てば、いつでもこの会員券と引き換えに1350万を返してもらえる権利も約束されている。そこで10年経つのを待って預託金の返還を請求したが、ゴルフ場の経営者は「返還できない」と拒否した。
考えてみれば当然である。会員から集めた金はすべてだだっ広い土地の購入やヘアウェーとラフに植えた芝生、そして池やバンカー、グリーン、クラブハウス、売店などの施設の建設に使われてしまっており、会員に返す金など残っているわけがないからだ。ということは、ゴルフ場の経営者はもともと返せるはずがない100億円を超える大金を(バブル時代、立地条件にもよるが18ホールのゴルフ場の建設費は100~200億円かかると言われていた)「預託金(預託期間が来ればいつでも会員の求めに応じて預かった金は全額返すという性質の、いわば借金と同義の金)」の名目で集めたのである。
もちろんゴルフ場を造った経営者に、会員からかなりの額の金を詐取しようという犯意があったわけではない。資産価値があったすべて(土地・株・絵画などの芸術品そしてゴルフの会員権など)はバブル景気の時代(通説では1986年12月~91年2月)には右肩上がりで価格上昇を続けた。だから○○ゴルフ場を造った経営者も、会員権の相場は今後も上がり続けるに違いないと信じていたことは間違いない。つまりこの経営者は会員から預かった「預託金」をよもや返さなければならないような事態が来るとは想像もしていなかったに違いない。現に私がこのゴルフ場の会員権を買った1991年10月は、すでにバブル景気は終わっていたのだが、社会的にはまだバブルの余韻が残っていて、朝日新聞は私が正会員の権利を「特別縁故」で買った数ヶ月後の社説で、このゴルフ場が正会員権を売り切った後で発行した平日会員権(預託金額900万円)が即日完売したことを報じ、朝日新聞の論説委員たちもまだバブル景気が続いていると考えていたのである。バブル景気が実は91年2月には終焉していたことが明らかになったのはずっと後で、だれの目にもバブルの崩壊が明白になったのは93年の半ばごろ以降であった。
それも無理はなかった。日経平均株価はすでに89年の大納会でピークの38,915円を付けた後、90年初頭から早くも下落を始め、その年10月にはピーク時の半値になった。わずか9カ月で日経平均が半値に下落したことは、少なくとも戦後では初めてのことだった。しかし景気動向指数がピークを記録したのは、株価が半値になった90年10月であり、路線価がピークを迎えたのは何と92年中ごろだった。
実は90年3月には大蔵省銀行局がいわゆる「総量規制」を全金融機関に通達し、地価の上昇に歯止めをかけようとしたのだが、地価はその後も上昇を続け2年数ヶ月後になってやっと上昇が止まったのである。そうした状況の中でゴルフ場の開発ブームが生じ、○○ゴルフ場も会員権を売り出した途端、あっという間に売り切れるという状況だった。
実は私は○○ゴルフ場の経営者の友人だった。だから「特別縁故」の会員権も容易に入手できたのだが、このような幸運(と当時は思っていた)は、上場を目前にしたリクルートの未公開株を入手したのと同様の幸運、とだれもが思っていた時代でもあった。
しかしバブルが崩壊した途端、ゴルフ会員権の資産価値も暴落した。その暴落は今でも続いている。なぜか。
バブル景気が終焉した後、いわゆる「失われた10年」と呼ばれた大不況が日本経済を襲い、かつては優良企業と目されていた会社も日本型雇用形態として確立してきた「年功序列・終身雇用」という労使間の暗黙の契約を破棄して、なりふり構わぬリストラに走りだした。しかし2001年4月、大方の予想を覆して政権の座に就いた小泉純一郎が「構造改革なくして経済回復なし」を旗印に、いわゆる「小泉改革」を強行、それが功を奏して翌2002年2月から景気が上昇局面に入り、2006年11月には、それまでの最長経済成長記録だったいざなぎ景気(57ヶ月)を超え、昨年末か今年初め(1~3月)あたりにピークに達する景気上昇局面が続いた(内閣府経済社会総合研究所景気統計部による)。その間都心部や都心部に近接した郊外の住宅地にマンション建設ブームが生じ、それにつれて地価が上昇するようになった。また景気動向を一番正直に反映する日経平均もこの間かなり上昇している。なのにゴルフの会員権相場は下がり続けている。何が原因なのか。
結論から言えば、ゴルフ会員権が資産運用の対象にならなくなったからである。バブルの時代には高額所得者は資産運用の対象として値上がりが期待できるいくつもの会員権を持っていた。株と違って、土地・家屋やゴルフ会員権は維持するだけでお金がかかる。土地・家屋には固定資産税がかかり、ゴルフ会員には年会費を払わなければならない。それでも土地・家屋やゴルフ会員権が値上がりすれば資産運用として十分にペイする。ゴルフ会員権をたくさん持っていた人は、会員権が資産運用の対象になると思っていたから、プレーする予定もない会員権を買ったのである。その不要会員権がどっと市場に出回った結果、会員権の市場価格が暴落したのである。
バブル時代、ゴルフ場を建設した経営者も、そうした状況を熟知していたはずである。だからことさらに豪奢なクラブハウスを作り、会員権の価値を高めようとしてきた。当然集めた「預託金」を返さなければならないような事態が来るとは考えてもいなかった。つまり、返すつもりもなければ、返したくても絶対に返せないのが「預託金」商法なのである。これは私に言わせれば「未必の故意」に相当する詐欺的行為なのだ。そしてバブル期に新設されたゴルフ場は会員に預託金を返せず、ほとんどが倒産した。その結果大金を失ったのは、痛くも痒くも感じない高額所得者だけでなく、老後のために少しでも資産を増やしたいと退職金をつぎ込んでゴルフ会員権を買った人も少なくなかった。なのに政府は「預託金」商法に被害者保護の立場から厳しい処置を取ろうとしていない。
改めて繰り返すが、ネズミ講は純論理的に考えれば、たとえ人口が有限でも、会員が何回も参加を繰り返せば無限に成長することは可能である(ただし、あくまで机上の論理である)。
しかし、ゴルフ場やレジャークラブの預託金は、経営者に最初から返す意思がないのだから(返したくても返せないことは百も承知しているはずである)、「未必の故意」による詐欺行為と断定しても差支えないはずだ。そのような商法を「自由経済だから」と放置するなら、詐欺性が預託金商法よりはるかに少ないネズミ講を禁止する理由がない。
ここまで書いて着てgooブログのサーバーの許容量1万字の限界にほぼ達しつつある。私のこのブログでの主張の目的は二つあって、その一つ、預託金商法を野放しにしてきた政府の責任を問うことと、その詐欺的預託金商法を支援し、その責任を取ることなく公的支援を受けて史上最大の利益を上げて、のほほんとしている金融機関、中でも三菱東京UFG銀行や三井住友銀行、みずほ銀行などの責任を不問に付すわけにはいかない、という問題提起をしたかったのだが、このブログ記事では無理なので、改めて『詐欺的預託金商法に手を貸した金融機関の罪』という記事タイトルで金融機関がいかに預金者を食い物にしてきたかを告発する。
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