新聞各紙に「残虐非道」という言葉が躍った。「イスラム国」に捕らわれていた日本人二人のうち湯川遥菜氏が殺害されたとみられる映像がインターネットで公開されたからだ。湯川氏の写真を胸に抱いたもう一人の「イスラム国」の捕らわれ人・後藤健二氏が切々と訴えた。
「哀願」ともとられる後藤氏の発言部分は日本語ではなく英語だった。が、専門家による声紋分析では99.9%本人のものだという。が、後藤氏本人が自発的にした発言とは到底思えない。銃かナイフを突きつけられて、テロリスト集団が用意した原稿を棒読みさせられた可能性は高い。
後藤氏はフリーのジャーナリストである。すでに「イスラム国」に拘束されていた湯川氏救出のために、あえて危険なシリアに入国したとも伝えられている。シリア入国の際にガイドに撮影させたとみられるビデオでは、後藤氏は「今回の行動は自己責任だ。自分の身に何が生じようと、その責任は自分一人が取る」という趣旨のことを語っていた。そのときのかっこいい発言と、湯川氏の写真を抱いての発言には、どうしても違和感が残る。
湯川氏殺害後の発言では、はっきり言って後藤氏は命乞いをしている。
私は命乞いそのものを否定するわけではない。誰だって、いかなる理由があろうとも自分が銃やナイフで「殺すぞ」と脅されたら、命乞いをしたくなるのは人間としての自然の行動だ。私自身1月2日に投稿したブログ以降、きわめて悪質なサーバー攻撃を受けており、いつ命を狙われるかわからないという恐怖を感じている。
私が受けているサーバー攻撃は【meiwaku】として本来ならプロバイダーによって振り分けられているメールだ。それが毎日500~1000通送られてきている。最初は何かの間違いかと思って一切開かずに削除してきたが、時間がかかって仕方がないので別のメールアドレスを発行してもらい、必要な先には連絡したので、新しいアドレスに届いたメールだけを読めばよいことにした。旧アドレスは廃止せず、そのまま放置してある。そのため旧アドレスの受信ボックスには万を超える【meiwaku】メールがたまっている。もし私の身に何かあれば、警察が私に対するサーバー攻撃との関係を捜査してくれるだろうと期待しているからだ。
それにしても後藤氏の事前と事後の発言に、違和感を覚えるのは私だけではあるまい。私の友人たちはみな同意見だった。
メディアとしては、まさか「自業自得」と切って捨てるわけにはいくまい。まして後藤氏の母親がしゃしゃり出て来て「私の息子の命を救ってください」と訴える姿を映像で流しておいて、「生後2日にしかならない赤ん坊と自分の妻を見捨ててテロリストが支配する危険な地に、テロの対象になることを百も承知で出かけておいて、今さら命乞いとははた迷惑もいいところだ」とまでは言
えまい。
メディアとしてはそこまで言えないまでも、一般庶民ははっきり言って「いい加減にしろ」と思っている。
まだ湯川氏が生存していた時に二人を左右に跪かせてテロリストが「72時間以内に身代金として2億ドルをよこせ」と言ったときには、私もその金額から「イスラム国」も本気ではないだろう、日本側がどう出るかのアドバルーンを打ち上げただけだろうと思っていた。が、テロリストは実際に一人を殺害した。許しがたい暴挙だ。日本だけでなく国際社会が憤激したのは当然だ。
が、もともと命をかけてシリアに潜入した後藤氏が、今さら命乞いするのは、たとえテロリストに強要されたとしてもいかがなものか。命乞いだけなら、まだいい。「湯川さんを殺したのは安倍さん(※安倍総理のこと)だ。私を助けるためにテロリストに金をやる必要はもうない。ヨルダンに拘束されている、自爆テロに失敗して逮捕されたテロリストのサジダ・リシャウィ死刑囚を釈放してくれればいい」と懇願した。いくらテロリストに強要されたにしても、死刑囚、それも日本のではなくヨルダンの死刑囚の釈放を自分の命乞いの材料にするとは…。そんなみっともないことを今さら言うくらいなら、最初からかっこいいことを言って危険地帯に潜入などしなければよかったのではなかったか。
こんなバカげた「お願い」を、日本政府が相手にするわけがないと思っていたが、メディアの報道によれば、日本政府は水面下でヨルダン政府と後藤氏解放のための連携を模索しているようだ。ヨルダン側にはヨルダン側の事情もあるようだ。ヨルダン空軍のパイロットが「イスラム国」に拘束されており、その人質交換に便乗して後藤氏を助けようというのが日本政府の思惑のようだ。
だとしたら、とんでもない話だ。ヨルダンが「イスラム国」と交渉の結果、人質交換に応じたとしても、それはヨルダン政府と「イスラム国」の間の問題で、それに日本が便乗できる権利も何もない。もし日本政府がヨルダン政府に対して、後藤氏解放のために「イスラム国」との人質交換の話し合いを進めてほしいなどと要請したとしたら、重大な内政干渉であり、国際社会から「日本は何様のつもりか」と蔑視されるだけだ。
メディアもこの問題を騒ぎ立てすぎるから、政府も黙視できなくなってしまった。一応「放っては置けない」というジェスチャーだけは取らざるを得なくなってしまった。
が、今回の問題については、人質問題とは別の視点で私も考えさせられることがある。それは、他国とくにアメリカの要請に応じて自衛隊が実力を行使するか否かのレベルとは別に、テロという国際社会が直面している暴力の脅威に、国際社会の一員として日本が、今後どう国際社会と協力して立ち向かうかの問題だ。これはテロが横行している地域が日本から遠いか近いかの問題でもない。現代社会の病巣の一つとも言えなくもないテロリズムに、「平和を願う日本」が手をこまねいていていいのかという問題である。「手をこまねくことが平和をまもる唯一の道」といった手前勝手な屁理屈がまかり通っている日本国民への大
きな警鐘でもある。
テロ根絶、を口先だけでいうのはたやすい。口だきだけでテロを非難するのもたやすい。そうして「平和的手段」でテロが根絶できるなら、とっくにテロは根絶できている。
今回の日本人人質事件は、はっきり言って湾岸戦争のときの人質事件とは違う。今回の人質事件は、はっきり言って二人とも自己責任が問われても仕方のない無謀な危険地帯潜入に端を発しており、二人を拘束したのは勝手に「イスラム国」を名乗っているテロリスト集団だ。が、湾岸戦争の場合は、イラクのフセイン政権という国際社会が認めていた国家権力によって、民間人を含む141人の日本人が不当に拘束された。このとき海部内閣はカネだけ出して、日本人の人質解放はアメリカ任せにした。独立国家としての尊厳をすべて放棄した体たらくだった。このとき、私はひそかに日本人であることを恥じた。
集団的自衛権問題も含めて、改めて国民的規模で考えてほしい。いま日本が世界の平和と安全に資することは、アメリカとの軍事同盟を強化することなのか、それともより崇高な理念を持って国際社会の平和と安全のために日本は何をなすべきなのかを、原点から考えるべき時期ではないのか、と。
「哀願」ともとられる後藤氏の発言部分は日本語ではなく英語だった。が、専門家による声紋分析では99.9%本人のものだという。が、後藤氏本人が自発的にした発言とは到底思えない。銃かナイフを突きつけられて、テロリスト集団が用意した原稿を棒読みさせられた可能性は高い。
後藤氏はフリーのジャーナリストである。すでに「イスラム国」に拘束されていた湯川氏救出のために、あえて危険なシリアに入国したとも伝えられている。シリア入国の際にガイドに撮影させたとみられるビデオでは、後藤氏は「今回の行動は自己責任だ。自分の身に何が生じようと、その責任は自分一人が取る」という趣旨のことを語っていた。そのときのかっこいい発言と、湯川氏の写真を抱いての発言には、どうしても違和感が残る。
湯川氏殺害後の発言では、はっきり言って後藤氏は命乞いをしている。
私は命乞いそのものを否定するわけではない。誰だって、いかなる理由があろうとも自分が銃やナイフで「殺すぞ」と脅されたら、命乞いをしたくなるのは人間としての自然の行動だ。私自身1月2日に投稿したブログ以降、きわめて悪質なサーバー攻撃を受けており、いつ命を狙われるかわからないという恐怖を感じている。
私が受けているサーバー攻撃は【meiwaku】として本来ならプロバイダーによって振り分けられているメールだ。それが毎日500~1000通送られてきている。最初は何かの間違いかと思って一切開かずに削除してきたが、時間がかかって仕方がないので別のメールアドレスを発行してもらい、必要な先には連絡したので、新しいアドレスに届いたメールだけを読めばよいことにした。旧アドレスは廃止せず、そのまま放置してある。そのため旧アドレスの受信ボックスには万を超える【meiwaku】メールがたまっている。もし私の身に何かあれば、警察が私に対するサーバー攻撃との関係を捜査してくれるだろうと期待しているからだ。
それにしても後藤氏の事前と事後の発言に、違和感を覚えるのは私だけではあるまい。私の友人たちはみな同意見だった。
メディアとしては、まさか「自業自得」と切って捨てるわけにはいくまい。まして後藤氏の母親がしゃしゃり出て来て「私の息子の命を救ってください」と訴える姿を映像で流しておいて、「生後2日にしかならない赤ん坊と自分の妻を見捨ててテロリストが支配する危険な地に、テロの対象になることを百も承知で出かけておいて、今さら命乞いとははた迷惑もいいところだ」とまでは言
えまい。
メディアとしてはそこまで言えないまでも、一般庶民ははっきり言って「いい加減にしろ」と思っている。
まだ湯川氏が生存していた時に二人を左右に跪かせてテロリストが「72時間以内に身代金として2億ドルをよこせ」と言ったときには、私もその金額から「イスラム国」も本気ではないだろう、日本側がどう出るかのアドバルーンを打ち上げただけだろうと思っていた。が、テロリストは実際に一人を殺害した。許しがたい暴挙だ。日本だけでなく国際社会が憤激したのは当然だ。
が、もともと命をかけてシリアに潜入した後藤氏が、今さら命乞いするのは、たとえテロリストに強要されたとしてもいかがなものか。命乞いだけなら、まだいい。「湯川さんを殺したのは安倍さん(※安倍総理のこと)だ。私を助けるためにテロリストに金をやる必要はもうない。ヨルダンに拘束されている、自爆テロに失敗して逮捕されたテロリストのサジダ・リシャウィ死刑囚を釈放してくれればいい」と懇願した。いくらテロリストに強要されたにしても、死刑囚、それも日本のではなくヨルダンの死刑囚の釈放を自分の命乞いの材料にするとは…。そんなみっともないことを今さら言うくらいなら、最初からかっこいいことを言って危険地帯に潜入などしなければよかったのではなかったか。
こんなバカげた「お願い」を、日本政府が相手にするわけがないと思っていたが、メディアの報道によれば、日本政府は水面下でヨルダン政府と後藤氏解放のための連携を模索しているようだ。ヨルダン側にはヨルダン側の事情もあるようだ。ヨルダン空軍のパイロットが「イスラム国」に拘束されており、その人質交換に便乗して後藤氏を助けようというのが日本政府の思惑のようだ。
だとしたら、とんでもない話だ。ヨルダンが「イスラム国」と交渉の結果、人質交換に応じたとしても、それはヨルダン政府と「イスラム国」の間の問題で、それに日本が便乗できる権利も何もない。もし日本政府がヨルダン政府に対して、後藤氏解放のために「イスラム国」との人質交換の話し合いを進めてほしいなどと要請したとしたら、重大な内政干渉であり、国際社会から「日本は何様のつもりか」と蔑視されるだけだ。
メディアもこの問題を騒ぎ立てすぎるから、政府も黙視できなくなってしまった。一応「放っては置けない」というジェスチャーだけは取らざるを得なくなってしまった。
が、今回の問題については、人質問題とは別の視点で私も考えさせられることがある。それは、他国とくにアメリカの要請に応じて自衛隊が実力を行使するか否かのレベルとは別に、テロという国際社会が直面している暴力の脅威に、国際社会の一員として日本が、今後どう国際社会と協力して立ち向かうかの問題だ。これはテロが横行している地域が日本から遠いか近いかの問題でもない。現代社会の病巣の一つとも言えなくもないテロリズムに、「平和を願う日本」が手をこまねいていていいのかという問題である。「手をこまねくことが平和をまもる唯一の道」といった手前勝手な屁理屈がまかり通っている日本国民への大
きな警鐘でもある。
テロ根絶、を口先だけでいうのはたやすい。口だきだけでテロを非難するのもたやすい。そうして「平和的手段」でテロが根絶できるなら、とっくにテロは根絶できている。
今回の日本人人質事件は、はっきり言って湾岸戦争のときの人質事件とは違う。今回の人質事件は、はっきり言って二人とも自己責任が問われても仕方のない無謀な危険地帯潜入に端を発しており、二人を拘束したのは勝手に「イスラム国」を名乗っているテロリスト集団だ。が、湾岸戦争の場合は、イラクのフセイン政権という国際社会が認めていた国家権力によって、民間人を含む141人の日本人が不当に拘束された。このとき海部内閣はカネだけ出して、日本人の人質解放はアメリカ任せにした。独立国家としての尊厳をすべて放棄した体たらくだった。このとき、私はひそかに日本人であることを恥じた。
集団的自衛権問題も含めて、改めて国民的規模で考えてほしい。いま日本が世界の平和と安全に資することは、アメリカとの軍事同盟を強化することなのか、それともより崇高な理念を持って国際社会の平和と安全のために日本は何をなすべきなのかを、原点から考えるべき時期ではないのか、と。
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