小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

「食糧安保論」がかえってリスクを高める理論的根拠&立憲・維新の国会共闘について

2022-09-26 01:24:48 | Weblog

17日のNHK Eテレで食料安保についてのシンポジウム番組を見た。大学教授など食糧問題の専門家たちの討論番組だったが、濃淡は多少あれども、食糧自給率を上げるべきという意見の持ち主ばかりで、食料自給率の向上がものすごいリスクを抱え込むことになるという認識を持った人が誰もいなかったのは、討論番組としての在り方にかなりの疑問を持った。

なお、私事だが、前回ブログで書いた「リハビリ入院」は病院側の都合でしばらく先になった。で、週に1回くらいのペースでブログを書くことにした。

ただ、以前のように長文の記事を一気に書く体力はないので、何日かかけて書こうと思っている。

 

  • 日本が直面している「安全保障」問題は食糧自給率だけではない

農水省によれば、2021年度の食料自給率はカロリーベースで38%、生産額ベースで63%である。その自給率を2030年度にはカロリーベースで45%、生産額ベースで75%にアップさせることが目標らしい(農水省ホームページより)。

もちろん食糧自給率のベースとして計算されるのは国内産の農畜水産物が対象で輸入原材料の国内加工食品は含まれない。

読者の方の誤解を防ぐためにあらかじめお断りしておくが、私は食糧自給率の向上に反対しているわけではない。国内産品の生産性向上によって国際競争力が向上して、その結果として自給率が向上すれば、それに越したことはないと思っている。が、政策的に国内産品の競争力を向上させて輸入増を防ぐといった「愚」は、巨大なリスクを伴う。そのことを論理的に検証するのが本稿の目的である。

そうした前提の上で、いま日本が直面している安全保障上のリスクについて考えてみよう。

一つは本稿のメイン・テーマである食糧問題。中高年の方はご記憶だろうが、日本はかつて大飢饉に襲われ外米の緊急輸入で何とか凌いだ年がある。1088年だが、この年は確か「梅雨明け宣言」が出せなかった冷夏で稲作をはじめ穀類や野菜類は壊滅的な不作だった。

スーパーの店頭からお米がなくなるということはなかったが、今だったら「転売ヤー」が暗躍していたかもしれない。この年の飢饉がきっかけになって「食糧安保」族が続出することになった。

 

が、政策的に食糧安保を向上させることがベストの選択なのか。国民の大半は「食料は国産できるから自給率を向上させることは可能」と短絡的に考えているようだが、そんな単純な話ではない。仮に日本が鎖国政策をとって国内自給を目指したとしても、1億2000万の日本人が食べていけるだけの食料を確保することは不可能なのだ。

総務省の推計によれば、江戸時代の人口は約1200万人(平均値。江戸時代末期はかなり増えている)。今の10分の1だ。それでも飢饉の年には村長(むらおさ)が死刑を覚悟で「百姓一揆」を主導したくらいだ。

国民は、いかなる政治体制下であっても、食えなくなったら必ず暴動を起こす。「兵士すら食糧難」と喧伝されている北朝鮮で暴動が生じていないのは、豊かな食生活ではなくても国民が何とか食べられる状態にあるからと、私は想像している。食糧安保の問題点は後で書く。

 

  • エネルギー安保は食糧安保より重要だ

言っておくが、今の農畜水産物の生産・飼育・漁獲は昔のようにマンパワーだけでは成り立たない。コストに占めるエネルギー費用は年々上がっており、もしマンパワーだけで1億2000万人の食料を確保しようとしたら、市場価格は現在の何倍になるだろうか。世界1物価が高いニューヨークのラーメン(日本円で2000円以上しているようだ)を上回ることは必至だ。

そして我が国のエネルギー自給率は食糧自給率の3分の1以下の11.8%でしかない(2018年度)。日本のエネルギー自給率は主要国中34位と最低クラスで、アメリカの92.6%、イギリス68.2%、フランス52.8%はおろか、ウクライナ戦争のあおりでロシアからの天然ガス輸入をストップしているドイツの36.9%の足元にも及ばない。お隣の韓国ですら日本を上回る16.9%だ。

日本が政策的に工業立国から脱皮して観光などの省エネ産業構造に転換するというなら話は別だが、アベノミクスの円安政策にもみられるように、エネルギー多消費型の先端工業製品を重点産業にしている政策の下では、「省エネ」は遅々として進まないだろう。

さらに日本のエネルギー事情を見ると、東日本大震災以降、原子力発電への依存度が低下し、地球温暖化の原因と言われている化石燃料に頼る火力発電への依存度が急増している。日本の発電量に占める火力発電の依存度は、1960年度は約5割だったのが、2015年には約8割に増えた。

経産省資源エネルギー庁の計画によれば、太陽光・風力・地熱などの再生可能エネルギーの割合を2030年度には22~24%に増やす計画だが、再エネのコストを飛躍的に下げる技術や大容量蓄電池の開発が前提で、現在の技術水準で原子力や化石燃料への依存度を引き下げることは不可能。また、仮に技術開発が急速に進んだとしても、日本の地政学的自然環境条件から国際競争力を持てるほどの再エネ国内調達は困難を極める。結局、安価な再エネ生産国から大容量蓄電池を使って輸入するしかないというのが日本の再エネ事情だ。

実は、ある意味、資源がないということはかえって有利な状況だと言えなくもないのだ。

というのは、なまじ国内に資源があると、その資源保護の政策をとらざるを得なくなるからだ。現にアメリカは、埋蔵エネルギー資源で国内需要をすべて賄おうとすれば、十分可能だ。国際原油相場が高騰している現在、おそらくアメリカのエネルギー自給率は2018年の92.6%からかなり上昇していると思われる。国内の産油コストが相対的に割安になったからだ。

そういう意味では、私が1992年に上梓した『忠臣蔵と西部劇 日米経済摩擦を解決するカギ』で書いた「石油ショックを“神風”に変えることができた日本の事情」が日本を世界のエレクトロニクス最先端国にしたことでも明らかだ。

原油のほとんどを中東からの輸入に頼っていた日本は先進国の中で最も打撃を受けた。その結果、日本の産業界は「省エネ省力」「軽薄短小」「メカトロニクス」を合言葉に技術革新の総力を注ぎ込んだ。一方、当時の技術最先端国だったアメリカは、産油国でもあったため、日本のような対策を講じなかった。そのうえアメリカは「産業空洞化」と言われる工場の海外進出を進めており、エレクトロニクス技術で後発の日本に逆転されてしまう。

一方、自動車や家電製品で世界市場を席巻した日本はその後、安価な労働力を求めて韓国や中国に工場移転を進め、アメリカと同様「産業空洞化」を生じてエレクトロニクス技術トップの座から滑り落ちてしまった(自慢するわけではないが、当時私は雑誌記事や単行本で何度も警鐘を鳴らし続けたが…)。

いかにエネルギー安保が重要かがお分かりいただけただろうか。「ない」ことはチャンスでもあるが、問題がとりあえず解決すれば「のど元過ぎれば、熱さ忘れる」国民性の象徴ともいえる日本の産業政策の結果である。

 

  • 政府の「抑止力強化」政策は逆効果だ

最近、中国の海洋進出、とりわけ「台湾有事」問題や、北朝鮮の核ミサイル開発を巡って「抑止力強化」の世論形成が政府やメディアで盛んにおこなわれている。

この問題については前回のブログで浅堀したが、すでに読まれた方はこの項は読み飛ばして結構。未読の方のために、その個所を張り付ける(一部加筆)。

 

中国が、台湾周辺で軍事的挑発行動を繰り返していることに関連して、日本国内で「台湾有事」を懸念する声が高まりつつある。「台湾有事は尖閣諸島有事を意味する」といった非論理的短絡論が大手を振ってまかり通りつつある。が、突発的なアクシデントが起きない限り「台湾有事」はあり得ない。

もちろん、中国政府が台湾を中国政府の統治下に収めたいというのは習近平以前から中国政府の宿願である。が、そんな兆候は少なくとも今のところない。

その理由は台湾(中華民国)の蔡英文政権下での政状が安定しているからだ。国の政権の安定度は経済の安定度に比例する。台湾は人口2300万人余と小規模ながら、電子産業分野で世界有数の先進的地位を確立している。台湾の経済力やエレクトロニクス技術力は、中国(中華人民共和国)にとっても喉から手が出るほどに魅力的だが、肝心の蔡政権がびくともしない。経済が安定しているうえ、人口比で96.7%を占める漢民族は第2次世界大戦後、毛沢東軍に追われて台湾に移り住んだ蒋介石軍やその支持層が中心。中国との貿易で稼いでいる親中国派もいるが少数。日米韓を始め、台湾の電子製品は世界中に散らばっている。中国政府としても、おいそれとは手を出せない構造になっている。

ここで、「返還後、50年間は一国二制度を維持する」との国際公約を破って、中国が香港を「中国化」に踏み切れた条件を見てみよう。

香港の住民も大多数は漢民族である。かつてはイギリスの統治下にあったが、中国に返還されたのち、中国政府によって傀儡政権が誕生し、民主派勢力との対立が激化するようになった。中国政府は、親中国派が政権を維持している間に永続的な親中国政権を確立すべく「国安法」を制定、民主派を根こそぎにすることにした。香港は中国政府の管轄下という国際社会の承認があったからできたことだ。なお、「国家」の重要な成立条件の一つに法定通貨の統一性があるが、香港の法定通貨は中国の「人民元」ではなく「香港ドル」である。「一国二制度」は今もなお継続中だ。

台湾はどうか。「(ニュー)台湾ドル」と「台湾元」(人民元とは違う)が通貨として併用されている(法定通貨は「ニュー台湾ドル」)。また台湾は「国家」を標榜しているし(日米は中国との国交回復の際、台湾の国家承認を取り消したが)、国際社会では台湾を国家承認している国は多い。プーチンがウクライナ侵攻を始める際の口実にした「ロシア系住民の保護」といった類の口実も、習近平中国は台湾に対しては使えない。

よく知られているように、対台湾政策は、アメリカはダブル・スタンダードだ。ニクソンが日本の頭越しに中国との国交回復を実現し、「一つの中国」を承認した後も米議会は台湾との同盟関係の継続を決議した。日本政府はアメリカのダブル・スタンダードが理解できなかったのかもしれないが、中国政府に丸められてオンリー・スタンダードにしてしまった。そういう意味で国際社会から、日本は節操のない国とみなされている。

日本の無節操さは置いておくとしても、中国はアメリカや国際社会と事を構えても台湾を手中に収めようとするリスクはとらない。得るものより失うもののほうが大きいからだ。もし台湾で親中国派が多数を占めるような事態になった時は、親中国派の保護を口実に台湾の軍事制圧に乗り出す可能性はあるが、今のところ、その可能性はほとんどない。だから中国の挑発行為は単なる嫌がらせと無視していればいい、少なくとも日本は…。ただし、中国が台湾周辺海域で挑発行為を繰り返しているのは、台湾が挑発に乗っていたずらに軍事的アクシデントを起こすことを期待してかもしれない。台湾は絶対に中国の挑発に乗ってはならない。侵攻の口実を与えるだけだからだ。

なのに「台湾有事」を日本政府が声高に叫ぶ目的は何か。今更アメリカのようにダブル・スタンダードに切り替えることもできないため、「台湾有事は尖閣有事を意味する」などと意味不明な主張を繰り返してアメリカの台湾防衛政策に乗っかり日本の安全保障を危うくしているのだ。多くのメディアも、政府のマインド・コントロールあるいは印象操作に加担して「抑止力強化」思想をばらまいているのが現実。

南沙諸島の軍事基地化など、中国の海洋進出の巧みさは、反発する国との軍事的衝突を回避しつつ行われていることを見ても歴然。せこいやり方でアメリカに追随しつつ軍事力強化を図ろうというのが日本政府の伝統的手段だ。

「自国の防衛は他国任せにしない」という毅然たるスタンスを確立したうえで、敵を作らない外交努力を続ける――それが国際社会から信頼を得る最善の安全保障策ではないだろうか。 

 

安倍元総理が、モリカケ疑惑で窮地に陥った時、北朝鮮が襟裳岬上空をかすめるミサイルを発射したのを千載一遇のチャンスとばかりに衆議院を解散し、「国難突破」選挙と位置づけ、まんまと衆院選で大勝利を収め「1強体制」を揺ぎ無いものにした「教訓」を私たちは忘れてはならない。

 

  • 閑話休題――日中国交正常化50周年、日本の外交は?

今月29日の日中国交正常化(国交回復)調印50周年を控えて、18日のNHK『日曜討論』は中国とどう向き合うべきかというテーマで学者たちによる討論番組を放送した。それはいいのだが、キャスターの星氏が番組の冒頭や討論中に、繰り返し「覇権主義的行動を強めている中国」と発言したことが気になった。さらに、世論調査の結果として対中関係について「強化すべき」11%、「慎重であるべき」55%という結果まで何回もテロップで流した。この報道が中国に伝われば、中国国民の対日悪感情を増幅しかねない。

 

確かに習近平中国が南沙諸島の軍事基地化や尖閣諸島や台湾周辺での示威活動など、東南アジアにおける力を誇示しようとしているのは事実で、そうした中国との向き合い方について日本がどうあるべきかを考える必要性を、私は否定するつもりは毛頭ない。

が、覇権国家を目指しているのは中国だけではない。アメリカが中国の台頭やロシアのウクライナ侵攻に神経を尖らせているのは、国際社会におけるアメリカの覇権が相対的に弱体化し、そのことに焦りを感じているからに他ならない(私は反米主義者ではない。むしろ海外では一番親しみを感じている国だ)。

が、NHKが局外の評論家や学者が言うのならまだしも、NHK職員のキャスターが、あたかも中国だけが「覇権主義的行動を強めている」といった認識を持っていることは極めて危険と言わざるを得ない。

前回のブログでも書いたが、日本人はメディアによって作られた「空気」に流されやすい。多くの人たちと同じように考え、同じように行動することが楽だし、また安心感を持つ。それはそれで日本人の国民性のいい面もあるので一概に否定はしないが、欧米人のような個人主義ではないから主体性を喪失しかねない。

 

旧統一教会問題もそうだが、前回ブログで書いたように、教会のトップは別として幹部信者(企業で言えば「中間管理職」に相当するといってもいいかもしれない)は、一般信者に対しては「霊感商法」の加害者として機能しているが、実は彼ら自身がマインド・コントロール下にあり、一般信者に多額の献金をさせることが一般信者を悪魔の手から救うことを意味し、ひいては自分自身が信徒としてより高みにあがれると思い込んでいるようだ。

だから彼らはオウム真理教のようなテロ行為を行っているわけではないし、また詐欺を働いているという自意識もない。もし、教団トップが文書による通達(メールも含む)で、幹部信者に「いかなる手段を使っても献金を集めろ」といった証拠でもあれば、組織ぐるみの詐欺行為として摘発し、教団を解散させることができるかもしれないが、そういった法的根拠もなく「解散させるべきだ」という過激な世論が形成されているのは、世論がメディアのマインド・コントロール下に置かれていることを何よりも雄弁に物語っている。

 

同様に、中国だけでなく、アメリカも含めて常に一定の警戒心を持ってウォッチするのはいいが、いたずらに特定の国を敵視するかのようなふるまいは絶対避けるべきだ。前回のブログでも書いたが、最善の軍事的「安全保障」策は「敵を作らないこと」である。

日米安保条約は堅持すべきと思うが、日本の地政学的状況にあって最善の外交は、偶発的衝突の回避も含めて、米中の東南アジアにおける覇権争いをやめさせるための橋渡しをすることだ。覇権争いで、どっちが勝っても失うもののほうが両国とも大きい。台湾問題も、両国が理性的に解決方法を見つけるよう、日本が橋渡しをすべきだ。

それを、中国の海洋進出だけを危険視してアメリカの覇権擁護のために「軍事的抑止力」を強化すれば、中国からすれば日本は敵対国になる。

世論はメディアの誘導によって(メディア自身は国民をマインド・コントロールしようとは考えていないと思うが)、しばしば極端に走る。私は旧統一教会の「霊感商法」や中国の「覇権主義」を擁護するつもりは毛頭ないが、私のブログを短絡的に読むと「やはり擁護しているのではないか」と受け取る方が少なくないと危惧している。メディアも、意図はなくても報道の在り方で世論をマインド・コントロールしかねないという自覚を持ってほしい。

 

  • 結び――食糧自給率の向上はかえってリスクを拡大する

いま世界の潮流は超大国による「ブロック経済圏」囲い込みの競争激化状態にある。ドイツ、フランスが中心になって構築したEU、中国の一帯一路、日本が中心のTPP,アメリカが主導したEPAやFTAなどが「経済圏拡大」を巡って激しい競争を繰り広げている。

自由貿易の拡大を目指したTPPは一時アメリカが主導した時期もあったが、「アメリカ・ファースト」を掲げたトランプが大統領に就任した直後、アメリカは離脱した。TPP自由貿易では、アメリカは輸出増より輸入超過になるとトランプは考えたからだ。トランプは米産業界の国際競争力を回復させるため、鉄鋼・アルミ製品や自動車(部品も含む)に高率関税をかける一方、貿易政策では2国間協定(EPA)などで自国産業を活性化しようと考えた。

が、第2次世界大戦勃発の経済的要因になった「ブロック経済圏」対立時代と違って、今日の経済圏に加盟しようとする各国はそれぞれの思惑があっての加盟だ。つまり経済圏加盟国の関税引き下げによる自国生産品の輸出増を狙っての参加だから、輸出より輸入超過になったら離脱することが目に見えている。現にトランプの保護貿易政策がそのことを明白に物語っている。

アメリカが離脱したのち、日本がTPPのリーダー的立場になったが、日本政府の目的はTPP加盟国への工業製品の輸出拡大だ。が、アメリカが抜けた後、日本製の高性能、高機能の工業製品の輸出がどれほど増えるだろうか。日本の工業製品の購買層と見込まれる高所得層は、アジア諸国でも少子高齢化が急速に進んでおり、国民の所得格差も広がっている。

一方、TPP加盟のアジア各国からは日本は「おいしい国」と思われている。もし日本製品の輸入が拡大することになれば、その見返りとしておそらく農畜産物などの輸入枠拡大や関税引き下げを日本に要求する。

「コロナ感染対策と社会経済活動の両立」という不可能な政策を打ち出した日本政府のことだから、「工業製品の輸出拡大と農畜産業者の保護」という不可能な両立政策を打ち出して国民を煙に巻くつもりかもしれないが、国民は言葉に騙されても、日本への輸出拡大を要求する国の政府は騙せない。

もちろん、日本の農畜産物の生産性が向上して海外との競争に勝てるのであれば、関税を引き下げても大丈夫だが、海外との競争に勝つための保護的政策をとれば海外からの反発は必至だ。日本政府自身がTPPから離脱するか、農畜産業者を見捨てるかの二者択一を迫られる。

さらに大きな問題もある。何らかの政策で日本の食料自給率を高めすぎると、もし日本が飢饉に襲われたとき、海外からのしっぺ返しが生じないとは限らない。実は、こちらのほうが重大なリスク要因になりかねないのだ。

すでに述べたが、1988年の冷夏で日本は外米(主にタイ米)の緊急輸入に踏み切った。その年は日本だけの特異な自然現象による飢饉だったが、昨今のような世界的規模での自然災害が日本の飢饉と同時に生じたらどうする?

世界の歴史は、国民が植えたときは必ず暴動が起き、権力が崩壊することを証明している。「兵士でさえ、食うや食わず」と喧伝されている北朝鮮で暴動が生じていないのは、おそらく北朝鮮国民が飢餓状態にはまだ陥っていないからだと思う。

世界的な異常気象によって、世界中が飢饉に襲われたときは、交通事故に遭遇したとあきらめるしかないが、そういうケース以外の「食糧安保」の最善策は、日本が万一、飢饉に襲われたときの対策つまり海外からの調達先を可能な限り多く確保しておくことだ。エネルギー安保と同じ方法だ。

ただでさえ、零細農畜産家は後継者難で「自分の代限り」と考えている人たちが多い。後継者を育成するには、生産性向上で儲かる事業にできるか、さもなければ手厚い保護政策で儲かる仕組みを作るしか方法はない。しかも日本の場合、山地が陸地の大半を占めており、アメリカやフランスのようにヘリコプターで種まきをするといったことは不可能だ。日本のような農畜産業立地に恵まれていない国で飛躍的に生産性を向上できれば、農畜産業適地が多い国はさらに生産性を向上できることになる。

これまで日本は選挙の時の票田のために零細農畜産業者を優遇してきたが、経済のグローバル化が進むにつれて、そうした保護政策は発展途上国から厳しい目で見られるようになり、食管法の廃止など保護政策の見直しを迫られてきた。いまさら歯車を逆回転することは、世界が許さない。

 

【追記】メディアの世論調査についての疑問

17,18日の二日にわたって毎日新聞とフジ産経グループがRDD方式による全国世論調査を行った。RDD方式というのは、コンピュータでランダムに調査対象の電話番号を選び、主に自動音声と選択ボタン方式でアンケートを取る方法だ。以前は固定電話だけでアンケート調査をしていたが、携帯しか持たない世帯が増えたこともあって、数年前から携帯にも調査対象を広げている。

携帯に電話する場合、地域偏差が生じないように、最初に「お住まいの地域」を尋ねることにしている。問題は、メディアによって調査結果に大差が生じることだ。メディアによっては誘導的な質問をすることがあるようだが、内閣支持率のように「支持するか、しないか」の二択しかない場合、質問方法で回答を誘導することは不可能だ。

なのに、毎日の場合は内閣支持率が危険水域とされる30%を切る29%になり、フジ産経の場合も支持率は前回(8月)に比べ大幅に減少したものの42.3%と、まだ安定水準だ。同じ曜日の調査なのに、なぜ13ポイントもの大差が生じるのか、疑問を持たざるを得ない。

こうしたギャップの存在はあらゆるメディアも認めているし、また世論調査結果にかなりの関心を寄せている一般国民もわかっていることだが、どちらかというと政府寄りの読売・フジ産経グループの調査結果と、批判的な記事が多い朝日・毎日の調査結果にかなりの確率で大きな乖離が生じている。

「メディアが調査結果を操作しているのではないか」と、うがった見方をする人もいるようだが、さすがにそれはないと思う。もし、そういう操作をして、外部に漏れでもしたらメディアにとって命取りになるからだ。官公庁と同様、代替手段がない公共放送のNHKを除いて民間メディアの場合、トップの引責辞任くらいでは収めることができない。

 

なおフジ産経グループの場合、自民議員と旧統一教会の関係や安倍国葬問題についてもアンケート調査をしているが、その結果は内閣支持率と真逆の結果だ。「自民議員は旧統一教会との関係を断てるか」との質問に対して「断てると思う」が11.3%、「断てないと思う」が83.3%を占めた。また安倍国葬問題については「賛成」が31.5%、「反対」が62.3%だ。国葬についての岸田総理の説明についても「納得できる」が18.9%で「納得できない」が72.6%を占めている。政府に対する不信感が如実に表れているのに、なぜか内閣支持率は不支持率に逆転されたものの、まだ42.3%と安定水域にある。もし、フジ産経グループのトップが「内閣支持率の操作」だけを指示したとしたら(そういう事実があったら、必ず外部に漏れる)、バカ丸出し(頭隠して尻隠さず)だ。

「世論調査の七不思議」とでも言うしかないか~

 

ついでにNHKの世論調査によくある「賛成」「反対」以外の「どちらとも言えない」という選択肢について一言。いかなる政策も、回答者の状況によってメリットを受ける人とデメリットのほうが大きい人がいるし、また立ち位置の違いを超えても、メリットとデメリットがある。それは薬の効果と副作用の関係と同じだ。

メリットとデメリットを論理的に比較したうえで「いまの段階では判断しかねる」という意味での「どちらとも言えない」ならいいのだが、おそらくこの選択肢を選んだ人の大半は「あまり関心がなく、よくわからない」という人たちだと思う。だから深く考えたうえで「どちらとも今は判断がつきかねる」という意味の「どちらとも言えない」と、「あまり関心がないので判断できない」という意味での「分からない」の選択肢は別にすべきだと思う。

実際、私自身小泉内閣の「郵政民営化」政策に関して言えば、当時は「賛成派」だったが、今は「失敗だった」と考えている。郵便局の基幹事業である郵便物の集配業務がメール(LINEを含む)にとって代わられ収益性が悪化しており、郵貯も低金利と優良融資先減少のダブルパンチで、かんぽ生保で利益を上げるしかなくなったのが「かんぽ詐欺」の原因になったと思うからだ。

 

なお次回ブログは「なぜ円安に歯止めがかけられないのか」をテーマに書く予定。今日(22日)の『羽鳥モーニングショー』では大半の時間をこの問題に割いたが、メイン・コメンテータの玉川氏も頓珍漢な主張をしていたし、いま売れっ子経済評論家の加谷氏も半分くらいしか理解していない。

この問題を解くキーワードは、明治維新以降の殖産興業政策(輸出産業偏重主義)と、日本独特の雇用形態(正規社員に対する超保護主義=終身雇用制度。年功序列はほぼ崩壊しつつある)だ。

またキーポイントは、1985年の「プラザ合意」で円は2年間に240円台から一気に120円台に高騰したのに、なぜ日本経済は失速せず成長し続けることができたのか。さらに1989年9月~90年6月まで延々とロングラン交渉を続けた「日米構造協議」の意味を理解しないと、アベノミクス=日銀・黒田総裁の超金融緩和政策を岸田政府もやめられない理由がわからない。

なお、米FRBのパウエル議長がいくら高金利政策を実施しても、現在の物価高を食い止めることは不可能。

そうしたマクロ経済の根幹にかかわる問題について書く予定。乞うご期待。

 

【追記2】立憲・維新の政策合意について

報道によれば、立憲と維新が21日、6項目の政策で合意し、国会で「共闘する」ことになったようだ。合意内容については多少不満だが、とりあえず野党がバラバラでは岸田内閣はほとんど「死に体」になっていても、「自公強権体制」はびくともしないので、この「合意」をたたき台にして全野党が共闘体制を作ってもらいたいと願っている。

合意内容の要旨は次の6点(23日付朝日新聞より)。

 1 20日以内に国会召集を義務付ける国会法改正案を作成し、臨時国会の冒頭で提出

 2 10増10減を盛り込んだ公職選挙法改正案ならびに関連法案は必ず今国会で処理

 3 保育園・幼稚園などの通園バス置き去り事故をなくすための法案を早期に臨時国会に提出

 4 いわゆる文書通信交通滞在費について、使途の公表などを定めた法案成立を目指す

 5 教団問題で関心が高い霊感商法や高額献金をめぐり、法整備も含め対策を講じる協議の実施

 6 厳しい状況にある若者や子育て世代への経済対策を提案し、政府に実現を求めていく

ただ両党には合意の実施について温度差があるようで、立憲は国政選挙での共闘も視野に入れているようだが、維新は否定的だ。

6項目中、私が「多少不満」としたのは第2項。そもそも現行の「小選挙区比例代表並立制」を前提にした現行「公職選挙法」の改正を目指していることだ。

そもそも現行の衆院選挙制度は、「政権交代可能な2大政党政治」の実現だったはず。確かに一度はこの選挙制度の下で民主党政権が実現したが、政権維持に失敗して以降、政権交代は一度も実現していない。

はっきり言えば、現行選挙制度が続く限り、自公政権は革命でも起きない限り永続する。そういう致命的な欠陥を、現行選挙制度は持っているからだ。

現行選挙制度に移行する際、選挙制度の変更目的は「政権交代可能な2大政党政治」の実現だったはず。モデルにしたのはイギリスやアメリカ。だが、イギリスもアメリカも政党は二つだけ(イギリスは保守党と労働党、アメリカは共和党と民主党)ではない。2大政党以外にイギリスには20、アメリカには51もの弱小政党がある(地域政党を含む)。この2大国以外の大半の民主国家は多党政治である。

実は日本も55年体制下では事実上「2大政党」時代が続いた。自民党と社会党である。が、が、社会党の政治理念がマルクス主義を基本理念にしていたため、日本では「非現実的」と考える人たちが多数を占め、政権をとる機会がほとんどなかった。もし、社会党がリベラル政党として立ち位置を築いていたら、自民内リベラル派も同調して「政権交代可能な2大政党政治」がとっくの昔に日本でも実現していただろう。

私は1992年に上梓した『忠臣蔵と西部劇 日米経済摩擦を解決するカギ』で、戦後の民主化によって産業界だけでなくあらゆる分野で「弱者救済横並び」のシステムが構築されてきたことを解明している。金融業界での「護送船団方式」もその典型だし、零細農家を保護するための「食管法」(今は廃止されているが)も、「日米構造協議」でアメリカの圧力によって廃止された(中小零細商店を保護するための)大店法、また低学力の生徒の底上げによる学力の平均化を目指した(つまり能力のある生徒の能力をさらに伸ばそうとしない)教育方針もそうだ。

その「弱者救済横並び」方式が政治の世界にも導入されたのが、選挙制度改悪での「比例代表制」の導入である。その結果、無数とまでは極論しないが、「政権交代可能な2大政党制」ではなく、弱小多党体制が生まれてしまった。当たり前の話だ。別に彼らの政治活動を否定するつもりは毛頭ないが、比例がなければ維新をはじめ、れいわ新撰組、NHK党、参政党などが誕生する余地は全くなかった(維新だけは地域政党として存続できた可能性がある)。つまり改悪以前から存在していた公明党や共産党への「弱者救済」配慮が裏目に出た結果、今の「自公1強体制」が盤石になってしまった。

実は、中選挙区制下でも政権は一度交代している。日本新党、社会党、新生党、公明党、民主党による「野合政権」の細川内閣である。細川内閣は1993年8月に成立し、翌94年4月に崩壊した短期政権だったが、この細川政権が導入したのが「小選挙区比例代表並立制」だった。その時、自民党幹部たちが「シメタ」と思ったかどうかは私の知ったことではないが、もともと弱小政権だった細川内閣だから弱小政党救済のために「比例代表制」を導入したのだろうが、だったら「政権交代可能な2大政党政治」などというお題目を立てるべきではなく、民意を限りなく正確に反映する選挙制度にするのであれば、多党政治を前提にした「比例代表」オンリーにすべきだった。実際、イタリアなどがそういう選挙制度だし、ドイツも比例代表選出に重きを置いている。

ただし、比例代表オンリーの場合、個々の議員の自由度が100%制限され、ロボット議員を選ぶことを意味する。日本では事実上、議員の投票行動を所属政党が拘束するケースが多く、党の方針に背くことが困難である(党議拘束)。日本では共産党だけが「比例代表オンリー制」を主張しているが、それは共産党が宗教団体的組織で、党のトップ(宗教団体の教祖に相当)が絶対的権限を持ち、逆らえない状況に所属議員が置かれているせいでもある。そうした状況を維持するため、国家から支給される議員報酬も、いったん共産党本部がすべて集め、党内の地位や年功に応じて給与を支払うという処遇にしている。

現行選挙制度に代わってからも、一度政権交代があったが、自公にとって代わった民主党政権が「野合政党政権」だったため、細川「野合政権」と同様、政党内での足の引っ張り合いが生じて自滅した。

なお、「1強体制」は安倍政権の代名詞のように思われているが、実は現行選挙制度を利用して「1強体制」を構築したのは小泉政権が嚆矢である。周知のように、小泉元総理は郵政相時代から郵政民営化が最大の目標だった。安倍氏にとっての憲法改正のようなものだったと言っていい。

郵政民営化法案は僅差で衆院を通過したが、参院では成立が危ぶまれていた。もし参院で否決された場合、衆院に差し戻されて再決議できれば「衆院優位」の原則で民営化が実現できただろうが、ただでさえ衆院でも反逆議員が続出した事情もあって再可決が危ぶまれた。で、小泉氏は反逆議員を除名処分にしたうえで衆院を解散し、信を国民に問うことにした。

この作戦が大成功。総裁選で「自民党をぶっ壊す」と国民受けするアジテージで支持を集めた経験と、郵政民営化に賛成したメディアのマインド・コントロールによって大多数の有権者も小泉チルドレンを支持した。こうして小泉氏は党内での絶対的権力を確立、郵政民営化だけでなく小泉内閣の方針に逆らう議員はすべて「抵抗勢力」視され、「1強体制」を構築したというわけだ。

これを小泉氏の側近としてみてきた安倍氏が、モリカケ疑惑で窮地に追い込まれたとき、偶然にも北朝鮮が襟裳岬上空をかすめるミサイルを発射、これを奇貨として「国難突破解散」に打って出て大勝利。小泉政権と同様の「1強体制」の構築に成功したというわけだ。

こうした経緯を見ると、現行選挙制度が「1強体制」の構築にどれほどの大きな役割を果たしたかがお分かりいただけたと思う。岸田政権は、小泉「1強」、安倍「1強」がどのようにして構築できたのかのノウハウを学んでいないため、総理総裁になれば自動的に強権を持てると思い込んでいる節が垣間見える。そのため、本音は弔問外交の展開で不動の地位を固めようとして「安倍国葬」をぶち上げたものの、弔問外交を成功させるためにはバイデンの参列が不可欠なはず。が、岸田氏はバイデンが来てくれるものと独りよがりで思い込んだのか、打診も根回しもせずに国葬期日を発表してしまった。

日本なんか属国としかみなしていないアメリカが、何の相談もなく国葬を公表してしまった岸田氏に不快感を持ったのは当たり前。世界で一番スケジュールがタイトな米大統領が、安倍国葬よりもっと時間のやりくりが困難だったはずの英エリザベス女王の国葬にはすぐに参列を表明したことが、日米関係の実態を見事な程に物語っている。

過去の話を「たられば」で語るのは無意味かもしれないが、もし岸田氏が十分に根回ししてバイデンのスケジュールを最優先したうえで国葬日時を決め、さらにプーチンや習近平も招待していれば、ウクライナ戦争や台湾問題を解決できる糸口を「岸田弔問外交」で見つけることができたかもしれない。政治というのはそういうものだ。

実際、現にイギリスとは間接的に戦争状態にあるロシア・プーチンが女王の訃報に接し最大限の弔意を示したのも、できれば女王の葬儀でのバイデンとの会談で、苦境に陥っているウクライナ問題解決の糸口を探りたかったからに他ならない。英政府は、そうした事態を避けるためプーチンを招待せず、かつ女王の国葬での弔問外交を禁止した。それが国家の矜持というものだ。

あまつさえ、岸田氏は女王国葬への参列の意向まで表明していたのに、岸田氏には招待状も送らなかった。日本という国が、いま海外からどう見られているか、情けない限りだ。

野党もだらしがない。自民党と旧統一教会のずぶずぶの関係を、メディアがこれでもか、これでもかというほど叩いてくれているのに、一致団結して自民を追求し、自公を分裂させるため公明にも揺さぶりをかけるといったことすらできない状況。

岸田政権にとっては、この問題は安倍氏のモリカケ疑惑以上に深刻だ。モリカケ疑惑は安倍氏個人の問題で、北朝鮮の意図しないバックアップがなかったら、「1強体制」どころではなかったはず。が、この問題は、自民がトップの座を入れ替えれば済んだケースで、旧統一教会問題とは雲泥の差がある。野党の追及次第では、自民党分裂の危機が生じていた可能性すらある。

 

この「追記」の結論を書く。まず現行選挙制度の欠陥を国民に周知し、米英型の単純小選挙区制で政権交代可能な2大政党政治を目指すか、さもなければヨーロッパの大半の国やお隣の韓国のように多様な政権交代を可能にする新たな選挙制度への改正を目指すか。それこそ国民に信を問うに足る問題だ。

とりあえず現行選挙制度の下では、小選挙区で自公候補に勝てる見込みがある野党候補に1本化することを、共産党を除く全野党で合意すること。私自身は共産党を毛嫌いしているわけではないが、共産党も含めるとなると野党の足並みが揃わなくなるし、だいいち国民の共産党アレルギーが大きすぎる。共産党が「マルクス教」から脱皮して、革新系リベラル政党に転換すればいざ知らず、信仰的「マルクス教」の信徒集団である間は野党の政権構想には入れない。

野党の方々の奮闘に期待したいのだが…。(24日記)

 

【追記3】 22日、こともあろうに、プーチンが核兵器使用を辞さずとの強硬姿勢を打ち出した。単なる「脅し」アドバルーンではないと、「これははったりではない」とまで付け加えてだ。

この「脅し」(私はあえて「脅し」とみなしている。理由は後で詳述)に対して25日、米大統領の安全保障担当補佐官がテレビ番組で「(もし核兵器を使用したら)ロシアは破滅的な結果を招くことになる」とプーチンの挑発をけん制した。

ロシアの憲法には、核兵器使用可能なケースとして、「ロシア領土が侵犯されたとき」と明記されているようだ。

そこで問題になるのは、「ロシア領土」の解釈である。西側諸国はロシアが不当に占拠した領土(クリミアや東部の一部)を「ロシア領」とは認めていないが、ロシア・プーチンは「ロシア領土」と主張している。北方領土を、日本は「わが国固有の領土」と主張しているのに対して、ロシアは(旧ソ連時代から)「戦争で獲得したロシア領土」と主張している状態と酷似している。

領土問題は、ウクライナや北方領土だけではなく、今でも世界中に数多く存在し、紛争の火種が絶えることがない。こういう場合、国連憲章は国際司法機関(オランダ・ハーグ)での平和的解決を義務付けているが、当事国が裁判での決着に同意しなければ、裁判そのものが開かれない。北方領土に関して言えば日本が訴えてもロシアが応じないし、現に尖閣諸島については日本が「領有権問題は存在しない」と司法の場での解決を拒否している。結局、実効支配している側の勝手な言い分がまかり通っているのが現実だ。

そういう現実を前提に考えると、クリミアなどロシアが実効支配している地域を「自国の領土」と位置づけて、憲法にのっとった核兵器使用を含む実力行使は、プーチンにとっては「正当な防衛手段」ということになる。

すでに述べたが、エリザベス女王の崩御に際し、間接的な戦争相手のプーチンが最大限の弔意を表明したのも、葬儀の場で米バイデンと会談して「ウクライナ問題解決の落としどころ」を探りたいことが目的だった。が、イギリスがその意図を察したのかどうかは不明だが、バイデンには招待状を出したが、プーチンには「知らん顔」。そのうえ、「安倍国葬」を利用して弔問外交を繰り広げようとしてG7各国首脳から総スカンを食らい、岸田総理の面目丸潰れになった日本に比して、イギリスは「国葬での弔問外交禁止」という方針を打ち出した。「国家の矜持」とはどうあるべきか、が問われたケースでもある。

それはともかく、日本では報道されていないが、私はクリミアや東部2州に多いロシア系住民に対するゼレンスキー政権による何らかの差別政策がウクライナ紛争の背景としてあったのではないかと推測している。ウクライナは旧ソ連時代、ソ連邦を形成する有力国の一つだった。が、親ロシア政権のシュワルナゼ大統領の不正事件発覚が発端になって西側政権が誕生、「反ロシア親EU」政策を打ち出した。おそらくシュワルナゼ政権下で不正やり放題だったのかもしれないクリミア半島や東部2州(ドネツク、ルハンスク)のロシア系住民に対する報復だったのかもしれないが、そうした地域紛争が背景にあったのではないかと私は推測している。

西側とくにアメリカは、中国など体制が異なる国の人権問題は重要視するが、「敵国視」しているロシアや中国、北朝鮮、イランなどとは敵対関係にある国の人権問題には大変寛容である。「敵の敵は味方」というわけだ。

私自身の政治的立ち位置は全くの白紙で、あえて言えば「ど真ん中のリベラル志向」であり、人類永遠のテーマである「青い鳥」の民主主義を追い求めている人間だから、特定の価値観や既成概念に一切とらわれないように心掛けている。その結果、右寄りの人からは「左翼」とみなされたり、左寄りの人からは「右翼」とみなされたりといったことがしばしばある。

私はそういう立ち位置で「論理的整合性」だけを基準に考えたり書いたりしているので、色眼鏡をかけて私の主張を見ると、「小林は親ロシア派か」とか「親中国派か」などという誤解を招くようだ。

それはさておき、論理的に考えると、政権が「親ロシア」から「親EU」に変わったというだけで、国家分裂に至るような騒動になることは通常あり得ない。おそらく何らかの民族差別問題が根っこにあったと考えるのが自然であろう(私にとっての「自然」は山際氏の「自然」とは違う)。

 

ただ、いくらプーチンにとっては「正当な行為」であったとしても、地上戦は攻める側が守る側の数倍の兵力を擁していないと勝てないことは歴史が証明している。第2次世界大戦でドイツがソ連に負けたのも、ベトナム戦争でアメリカがベトコンに負けたのも、地上戦での苦戦が敗因になった。ウクライナ戦争も、ロシア空軍の攻撃がことごとく西側が提供した兵器によって無力化され、地上戦では圧倒的に不利な戦いになった結果、プーチンは国内政治基盤も危うい窮地に追い込まれているのではないか、と私は「核兵器使用も辞さず」という強硬姿勢の背景にあるのではないかと推測している。

つまり本来なら圧倒的に優位なはずのロシア軍が「窮鼠」の状況に追い込まれ。「猫を噛むぞ」という姿勢をちらつかせることで、何とか西側とくにアメリカとの和解の落としどころを探ろうというのが、「核兵器使用も辞さず」という「負け犬の遠吠え」だと私は推測している。この「追記」の冒頭で書いた「脅し」と解釈した根拠はこの1点にある。

 

さて、読者諸氏から軽蔑されるかもしれないが、「夢に見た話」を書かせていただく。

私が入院先の病院でコロナに院内感染して、いまも後遺症で苦しんでいることは前回のブログの冒頭で書いた。後遺症の具体的内容までは書かなかったが、一般的に知られている「気だるさ」や「味覚嗅覚」などの症状だけでなく、「せん妄」という精神的錯乱状態に私は陥った。高齢者の後遺症として発症するケースがあるようで、入院先の医師からも説明を受け、「場合によっては手足を拘束することもあります」とまで警告を受け、厚労省のコロナ・コールセンターでもこの症状は確認した。さらにもともと私は記憶力に乏しいことは承知していたが(私が「論理」を重視するのは「記憶力」による知識に乏しいせいでもある)、突然認知症になった。

認知症になって初めて分かったことだが、昔の、とっくに忘れていたことをなぜか思い出したりして記憶がよみがえったりするのだが、直近の5分か10分前の記憶が失われるのだ。また「夢」というのは、目が覚めたら夢を見たことは覚えているのだが、見た夢の中身は記憶にないという経験は皆さんお持ちだと思う。ところが、錯乱状態の中で見た夢は、なぜか鮮明に覚えているのだ(すべての認知症の方に共通する症状かどうかはわからない)。そういう前提で私が見た夢の中身を書く。実は、この夢見の話はNHKふれあいセンターのスーパーバイザーと、介護のケア・マネージャーの方にはお話ししてある。

なぜ私がその場にいたのかは不明だが、プーチンが軍の最高幹部に核攻撃を命じ、私の目の前でその幹部によってプーチンが暗殺されるのだ。

プーチン政権は崩壊し、暫定軍事政権が誕生。新政権はウクライナ攻撃の停止を発表、さらにクリミアや東部2州のロシア系住民に「あなたたちは祖国ロシアに帰ってきてください。祖国はあなたたちの帰国を歓迎するし、あなたたちを必要としています」と呼びかけ、ロシアの占領地域のウクライナへの返還を表明しただけでなく、さらに核禁条約への参加も表明、保有する核兵器の全廃、アメリカへの引き渡しまで表明し、世界が一気に核廃絶に向かって進みだす。その年のノーベル平和賞の選考委員会は、ロシア暫定軍事政権の大統領に「ノーベル平和賞」を授与するか否かで大もめになる。平和への貢献の大きさは全員が認めたものの、殺人者にノーベル平和賞を授与するのはいかがなものかで議論が沸騰したのだ。

私が見た夢はそこまで。この夢が「正夢」になる可能性がゼロではなくなった。夢の話を書くことに、実はためらいがあったのだが…。(26日記)

 


「食糧安保論」がかえってリスクを高める理論的根拠&立憲・維新の国会共闘について

2022-09-26 00:49:42 | Weblog

17日のNHK Eテレで食料安保についてのシンポジウム番組を見た。大学教授など食糧問題の専門家たちの討論番組だったが、濃淡は多少あれども、食糧自給率を上げるべきという意見の持ち主ばかりで、食料自給率の向上がものすごいリスクを抱え込むことになるという認識を持った人が誰もいなかったのは、討論番組としての在り方にかなりの疑問を持った。

なお、私事だが、前回ブログで書いた「リハビリ入院」は病院側の都合でしばらく先になった。で、週に1回くらいのペースでブログを書くことにした。

ただ、以前のように長文の記事を一気に書く体力はないので、何日かかけて書こうと思っている。

 

  • 日本が直面している「安全保障」問題は食糧自給率だけではない

農水省によれば、2021年度の食料自給率はカロリーベースで38%、生産額ベースで63%である。その自給率を2030年度にはカロリーベースで45%、生産額ベースで75%にアップさせることが目標らしい(農水省ホームページより)。

もちろん食糧自給率のベースとして計算されるのは国内産の農畜水産物が対象で輸入原材料の国内加工食品は含まれない。

読者の方の誤解を防ぐためにあらかじめお断りしておくが、私は食糧自給率の向上に反対しているわけではない。国内産品の生産性向上によって国際競争力が向上して、その結果として自給率が向上すれば、それに越したことはないと思っている。が、政策的に国内産品の競争力を向上させて輸入増を防ぐといった「愚」は、巨大なリスクを伴う。そのことを論理的に検証するのが本稿の目的である。

そうした前提の上で、いま日本が直面している安全保障上のリスクについて考えてみよう。

一つは本稿のメイン・テーマである食糧問題。中高年の方はご記憶だろうが、日本はかつて大飢饉に襲われ外米の緊急輸入で何とか凌いだ年がある。1088年だが、この年は確か「梅雨明け宣言」が出せなかった冷夏で稲作をはじめ穀類や野菜類は壊滅的な不作だった。

スーパーの店頭からお米がなくなるということはなかったが、今だったら「転売ヤー」が暗躍していたかもしれない。この年の飢饉がきっかけになって「食糧安保」族が続出することになった。

 

が、政策的に食糧安保を向上させることがベストの選択なのか。国民の大半は「食料は国産できるから自給率を向上させることは可能」と短絡的に考えているようだが、そんな単純な話ではない。仮に日本が鎖国政策をとって国内自給を目指したとしても、1億2000万の日本人が食べていけるだけの食料を確保することは不可能なのだ。

総務省の推計によれば、江戸時代の人口は約1200万人(平均値。江戸時代末期はかなり増えている)。今の10分の1だ。それでも飢饉の年には村長(むらおさ)が死刑を覚悟で「百姓一揆」を主導したくらいだ。

国民は、いかなる政治体制下であっても、食えなくなったら必ず暴動を起こす。「兵士すら食糧難」と喧伝されている北朝鮮で暴動が生じていないのは、豊かな食生活ではなくても国民が何とか食べられる状態にあるからと、私は想像している。食糧安保の問題点は後で書く。

 

  • エネルギー安保は食糧安保より重要だ

言っておくが、今の農畜水産物の生産・飼育・漁獲は昔のようにマンパワーだけでは成り立たない。コストに占めるエネルギー費用は年々上がっており、もしマンパワーだけで1億2000万人の食料を確保しようとしたら、市場価格は現在の何倍になるだろうか。世界1物価が高いニューヨークのラーメン(日本円で2000円以上しているようだ)を上回ることは必至だ。

そして我が国のエネルギー自給率は食糧自給率の3分の1以下の11.8%でしかない(2018年度)。日本のエネルギー自給率は主要国中34位と最低クラスで、アメリカの92.6%、イギリス68.2%、フランス52.8%はおろか、ウクライナ戦争のあおりでロシアからの天然ガス輸入をストップしているドイツの36.9%の足元にも及ばない。お隣の韓国ですら日本を上回る16.9%だ。

日本が政策的に工業立国から脱皮して観光などの省エネ産業構造に転換するというなら話は別だが、アベノミクスの円安政策にもみられるように、エネルギー多消費型の先端工業製品を重点産業にしている政策の下では、「省エネ」は遅々として進まないだろう。

さらに日本のエネルギー事情を見ると、東日本大震災以降、原子力発電への依存度が低下し、地球温暖化の原因と言われている化石燃料に頼る火力発電への依存度が急増している。日本の発電量に占める火力発電の依存度は、1960年度は約5割だったのが、2015年には約8割に増えた。

経産省資源エネルギー庁の計画によれば、太陽光・風力・地熱などの再生可能エネルギーの割合を2030年度には22~24%に増やす計画だが、再エネのコストを飛躍的に下げる技術や大容量蓄電池の開発が前提で、現在の技術水準で原子力や化石燃料への依存度を引き下げることは不可能。また、仮に技術開発が急速に進んだとしても、日本の地政学的自然環境条件から国際競争力を持てるほどの再エネ国内調達は困難を極める。結局、安価な再エネ生産国から大容量蓄電池を使って輸入するしかないというのが日本の再エネ事情だ。

実は、ある意味、資源がないということはかえって有利な状況だと言えなくもないのだ。

というのは、なまじ国内に資源があると、その資源保護の政策をとらざるを得なくなるからだ。現にアメリカは、埋蔵エネルギー資源で国内需要をすべて賄おうとすれば、十分可能だ。国際原油相場が高騰している現在、おそらくアメリカのエネルギー自給率は2018年の92.6%からかなり上昇していると思われる。国内の産油コストが相対的に割安になったからだ。

そういう意味では、私が1992年に上梓した『忠臣蔵と西部劇 日米経済摩擦を解決するカギ』で書いた「石油ショックを“神風”に変えることができた日本の事情」が日本を世界のエレクトロニクス最先端国にしたことでも明らかだ。

原油のほとんどを中東からの輸入に頼っていた日本は先進国の中で最も打撃を受けた。その結果、日本の産業界は「省エネ省力」「軽薄短小」「メカトロニクス」を合言葉に技術革新の総力を注ぎ込んだ。一方、当時の技術最先端国だったアメリカは、産油国でもあったため、日本のような対策を講じなかった。そのうえアメリカは「産業空洞化」と言われる工場の海外進出を進めており、エレクトロニクス技術で後発の日本に逆転されてしまう。

一方、自動車や家電製品で世界市場を席巻した日本はその後、安価な労働力を求めて韓国や中国に工場移転を進め、アメリカと同様「産業空洞化」を生じてエレクトロニクス技術トップの座から滑り落ちてしまった(自慢するわけではないが、当時私は雑誌記事や単行本で何度も警鐘を鳴らし続けたが…)。

いかにエネルギー安保が重要かがお分かりいただけただろうか。「ない」ことはチャンスでもあるが、問題がとりあえず解決すれば「のど元過ぎれば、熱さ忘れる」国民性の象徴ともいえる日本の産業政策の結果である。

 

  • 政府の「抑止力強化」政策は逆効果だ

最近、中国の海洋進出、とりわけ「台湾有事」問題や、北朝鮮の核ミサイル開発を巡って「抑止力強化」の世論形成が政府やメディアで盛んにおこなわれている。

この問題については前回のブログで浅堀したが、すでに読まれた方はこの項は読み飛ばして結構。未読の方のために、その個所を張り付ける(一部加筆)。

 

中国が、台湾周辺で軍事的挑発行動を繰り返していることに関連して、日本国内で「台湾有事」を懸念する声が高まりつつある。「台湾有事は尖閣諸島有事を意味する」といった非論理的短絡論が大手を振ってまかり通りつつある。が、突発的なアクシデントが起きない限り「台湾有事」はあり得ない。

もちろん、中国政府が台湾を中国政府の統治下に収めたいというのは習近平以前から中国政府の宿願である。が、そんな兆候は少なくとも今のところない。

その理由は台湾(中華民国)の蔡英文政権下での政状が安定しているからだ。国の政権の安定度は経済の安定度に比例する。台湾は人口2300万人余と小規模ながら、電子産業分野で世界有数の先進的地位を確立している。台湾の経済力やエレクトロニクス技術力は、中国(中華人民共和国)にとっても喉から手が出るほどに魅力的だが、肝心の蔡政権がびくともしない。経済が安定しているうえ、人口比で96.7%を占める漢民族は第2次世界大戦後、毛沢東軍に追われて台湾に移り住んだ蒋介石軍やその支持層が中心。中国との貿易で稼いでいる親中国派もいるが少数。日米韓を始め、台湾の電子製品は世界中に散らばっている。中国政府としても、おいそれとは手を出せない構造になっている。

ここで、「返還後、50年間は一国二制度を維持する」との国際公約を破って、中国が香港を「中国化」に踏み切れた条件を見てみよう。

香港の住民も大多数は漢民族である。かつてはイギリスの統治下にあったが、中国に返還されたのち、中国政府によって傀儡政権が誕生し、民主派勢力との対立が激化するようになった。中国政府は、親中国派が政権を維持している間に永続的な親中国政権を確立すべく「国安法」を制定、民主派を根こそぎにすることにした。香港は中国政府の管轄下という国際社会の承認があったからできたことだ。なお、「国家」の重要な成立条件の一つに法定通貨の統一性があるが、香港の法定通貨は中国の「人民元」ではなく「香港ドル」である。「一国二制度」は今もなお継続中だ。

台湾はどうか。「(ニュー)台湾ドル」と「台湾元」(人民元とは違う)が通貨として併用されている(法定通貨は「ニュー台湾ドル」)。また台湾は「国家」を標榜しているし(日米は中国との国交回復の際、台湾の国家承認を取り消したが)、国際社会では台湾を国家承認している国は多い。プーチンがウクライナ侵攻を始める際の口実にした「ロシア系住民の保護」といった類の口実も、習近平中国は台湾に対しては使えない。

よく知られているように、対台湾政策は、アメリカはダブル・スタンダードだ。ニクソンが日本の頭越しに中国との国交回復を実現し、「一つの中国」を承認した後も米議会は台湾との同盟関係の継続を決議した。日本政府はアメリカのダブル・スタンダードが理解できなかったのかもしれないが、中国政府に丸められてオンリー・スタンダードにしてしまった。そういう意味で国際社会から、日本は節操のない国とみなされている。

日本の無節操さは置いておくとしても、中国はアメリカや国際社会と事を構えても台湾を手中に収めようとするリスクはとらない。得るものより失うもののほうが大きいからだ。もし台湾で親中国派が多数を占めるような事態になった時は、親中国派の保護を口実に台湾の軍事制圧に乗り出す可能性はあるが、今のところ、その可能性はほとんどない。だから中国の挑発行為は単なる嫌がらせと無視していればいい、少なくとも日本は…。ただし、中国が台湾周辺海域で挑発行為を繰り返しているのは、台湾が挑発に乗っていたずらに軍事的アクシデントを起こすことを期待してかもしれない。台湾は絶対に中国の挑発に乗ってはならない。侵攻の口実を与えるだけだからだ。

なのに「台湾有事」を日本政府が声高に叫ぶ目的は何か。今更アメリカのようにダブル・スタンダードに切り替えることもできないため、「台湾有事は尖閣有事を意味する」などと意味不明な主張を繰り返してアメリカの台湾防衛政策に乗っかり日本の安全保障を危うくしているのだ。多くのメディアも、政府のマインド・コントロールあるいは印象操作に加担して「抑止力強化」思想をばらまいているのが現実。

南沙諸島の軍事基地化など、中国の海洋進出の巧みさは、反発する国との軍事的衝突を回避しつつ行われていることを見ても歴然。せこいやり方でアメリカに追随しつつ軍事力強化を図ろうというのが日本政府の伝統的手段だ。

「自国の防衛は他国任せにしない」という毅然たるスタンスを確立したうえで、敵を作らない外交努力を続ける――それが国際社会から信頼を得る最善の安全保障策ではないだろうか。 

 

安倍元総理が、モリカケ疑惑で窮地に陥った時、北朝鮮が襟裳岬上空をかすめるミサイルを発射したのを千載一遇のチャンスとばかりに衆議院を解散し、「国難突破」選挙と位置づけ、まんまと衆院選で大勝利を収め「1強体制」を揺ぎ無いものにした「教訓」を私たちは忘れてはならない。

 

  • 閑話休題――日中国交正常化50周年、日本の外交は?

今月29日の日中国交正常化(国交回復)調印50周年を控えて、18日のNHK『日曜討論』は中国とどう向き合うべきかというテーマで学者たちによる討論番組を放送した。それはいいのだが、キャスターの星氏が番組の冒頭や討論中に、繰り返し「覇権主義的行動を強めている中国」と発言したことが気になった。さらに、世論調査の結果として対中関係について「強化すべき」11%、「慎重であるべき」55%という結果まで何回もテロップで流した。この報道が中国に伝われば、中国国民の対日悪感情を増幅しかねない。

 

確かに習近平中国が南沙諸島の軍事基地化や尖閣諸島や台湾周辺での示威活動など、東南アジアにおける力を誇示しようとしているのは事実で、そうした中国との向き合い方について日本がどうあるべきかを考える必要性を、私は否定するつもりは毛頭ない。

が、覇権国家を目指しているのは中国だけではない。アメリカが中国の台頭やロシアのウクライナ侵攻に神経を尖らせているのは、国際社会におけるアメリカの覇権が相対的に弱体化し、そのことに焦りを感じているからに他ならない(私は反米主義者ではない。むしろ海外では一番親しみを感じている国だ)。

が、NHKが局外の評論家や学者が言うのならまだしも、NHK職員のキャスターが、あたかも中国だけが「覇権主義的行動を強めている」といった認識を持っていることは極めて危険と言わざるを得ない。

前回のブログでも書いたが、日本人はメディアによって作られた「空気」に流されやすい。多くの人たちと同じように考え、同じように行動することが楽だし、また安心感を持つ。それはそれで日本人の国民性のいい面もあるので一概に否定はしないが、欧米人のような個人主義ではないから主体性を喪失しかねない。

 

旧統一教会問題もそうだが、前回ブログで書いたように、教会のトップは別として幹部信者(企業で言えば「中間管理職」に相当するといってもいいかもしれない)は、一般信者に対しては「霊感商法」の加害者として機能しているが、実は彼ら自身がマインド・コントロール下にあり、一般信者に多額の献金をさせることが一般信者を悪魔の手から救うことを意味し、ひいては自分自身が信徒としてより高みにあがれると思い込んでいるようだ。

だから彼らはオウム真理教のようなテロ行為を行っているわけではないし、また詐欺を働いているという自意識もない。もし、教団トップが文書による通達(メールも含む)で、幹部信者に「いかなる手段を使っても献金を集めろ」といった証拠でもあれば、組織ぐるみの詐欺行為として摘発し、教団を解散させることができるかもしれないが、そういった法的根拠もなく「解散させるべきだ」という過激な世論が形成されているのは、世論がメディアのマインド・コントロール下に置かれていることを何よりも雄弁に物語っている。

 

同様に、中国だけでなく、アメリカも含めて常に一定の警戒心を持ってウォッチするのはいいが、いたずらに特定の国を敵視するかのようなふるまいは絶対避けるべきだ。前回のブログでも書いたが、最善の軍事的「安全保障」策は「敵を作らないこと」である。

日米安保条約は堅持すべきと思うが、日本の地政学的状況にあって最善の外交は、偶発的衝突の回避も含めて、米中の東南アジアにおける覇権争いをやめさせるための橋渡しをすることだ。覇権争いで、どっちが勝っても失うもののほうが両国とも大きい。台湾問題も、両国が理性的に解決方法を見つけるよう、日本が橋渡しをすべきだ。

それを、中国の海洋進出だけを危険視してアメリカの覇権擁護のために「軍事的抑止力」を強化すれば、中国からすれば日本は敵対国になる。

世論はメディアの誘導によって(メディア自身は国民をマインド・コントロールしようとは考えていないと思うが)、しばしば極端に走る。私は旧統一教会の「霊感商法」や中国の「覇権主義」を擁護するつもりは毛頭ないが、私のブログを短絡的に読むと「やはり擁護しているのではないか」と受け取る方が少なくないと危惧している。メディアも、意図はなくても報道の在り方で世論をマインド・コントロールしかねないという自覚を持ってほしい。

 

  • 結び――食糧自給率の向上はかえってリスクを拡大する

いま世界の潮流は超大国による「ブロック経済圏」囲い込みの競争激化状態にある。ドイツ、フランスが中心になって構築したEU、中国の一帯一路、日本が中心のTPP,アメリカが主導したEPAやFTAなどが「経済圏拡大」を巡って激しい競争を繰り広げている。

自由貿易の拡大を目指したTPPは一時アメリカが主導した時期もあったが、「アメリカ・ファースト」を掲げたトランプが大統領に就任した直後、アメリカは離脱した。TPP自由貿易では、アメリカは輸出増より輸入超過になるとトランプは考えたからだ。トランプは米産業界の国際競争力を回復させるため、鉄鋼・アルミ製品や自動車(部品も含む)に高率関税をかける一方、貿易政策では2国間協定(EPA)などで自国産業を活性化しようと考えた。

が、第2次世界大戦勃発の経済的要因になった「ブロック経済圏」対立時代と違って、今日の経済圏に加盟しようとする各国はそれぞれの思惑があっての加盟だ。つまり経済圏加盟国の関税引き下げによる自国生産品の輸出増を狙っての参加だから、輸出より輸入超過になったら離脱することが目に見えている。現にトランプの保護貿易政策がそのことを明白に物語っている。

アメリカが離脱したのち、日本がTPPのリーダー的立場になったが、日本政府の目的はTPP加盟国への工業製品の輸出拡大だ。が、アメリカが抜けた後、日本製の高性能、高機能の工業製品の輸出がどれほど増えるだろうか。日本の工業製品の購買層と見込まれる高所得層は、アジア諸国でも少子高齢化が急速に進んでおり、国民の所得格差も広がっている。

一方、TPP加盟のアジア各国からは日本は「おいしい国」と思われている。もし日本製品の輸入が拡大することになれば、その見返りとしておそらく農畜産物などの輸入枠拡大や関税引き下げを日本に要求する。

「コロナ感染対策と社会経済活動の両立」という不可能な政策を打ち出した日本政府のことだから、「工業製品の輸出拡大と農畜産業者の保護」という不可能な両立政策を打ち出して国民を煙に巻くつもりかもしれないが、国民は言葉に騙されても、日本への輸出拡大を要求する国の政府は騙せない。

もちろん、日本の農畜産物の生産性が向上して海外との競争に勝てるのであれば、関税を引き下げても大丈夫だが、海外との競争に勝つための保護的政策をとれば海外からの反発は必至だ。日本政府自身がTPPから離脱するか、農畜産業者を見捨てるかの二者択一を迫られる。

さらに大きな問題もある。何らかの政策で日本の食料自給率を高めすぎると、もし日本が飢饉に襲われたとき、海外からのしっぺ返しが生じないとは限らない。実は、こちらのほうが重大なリスク要因になりかねないのだ。

すでに述べたが、1988年の冷夏で日本は外米(主にタイ米)の緊急輸入に踏み切った。その年は日本だけの特異な自然現象による飢饉だったが、昨今のような世界的規模での自然災害が日本の飢饉と同時に生じたらどうする?

世界の歴史は、国民が植えたときは必ず暴動が起き、権力が崩壊することを証明している。「兵士でさえ、食うや食わず」と喧伝されている北朝鮮で暴動が生じていないのは、おそらく北朝鮮国民が飢餓状態にはまだ陥っていないからだと思う。

世界的な異常気象によって、世界中が飢饉に襲われたときは、交通事故に遭遇したとあきらめるしかないが、そういうケース以外の「食糧安保」の最善策は、日本が万一、飢饉に襲われたときの対策つまり海外からの調達先を可能な限り多く確保しておくことだ。エネルギー安保と同じ方法だ。

ただでさえ、零細農畜産家は後継者難で「自分の代限り」と考えている人たちが多い。後継者を育成するには、生産性向上で儲かる事業にできるか、さもなければ手厚い保護政策で儲かる仕組みを作るしか方法はない。しかも日本の場合、山地が陸地の大半を占めており、アメリカやフランスのようにヘリコプターで種まきをするといったことは不可能だ。日本のような農畜産業立地に恵まれていない国で飛躍的に生産性を向上できれば、農畜産業適地が多い国はさらに生産性を向上できることになる。

これまで日本は選挙の時の票田のために零細農畜産業者を優遇してきたが、経済のグローバル化が進むにつれて、そうした保護政策は発展途上国から厳しい目で見られるようになり、食管法の廃止など保護政策の見直しを迫られてきた。いまさら歯車を逆回転することは、世界が許さない。

 

【追記】メディアの世論調査についての疑問

17,18日の二日にわたって毎日新聞とフジ産経グループがRDD方式による全国世論調査を行った。RDD方式というのは、コンピュータでランダムに調査対象の電話番号を選び、主に自動音声と選択ボタン方式でアンケートを取る方法だ。以前は固定電話だけでアンケート調査をしていたが、携帯しか持たない世帯が増えたこともあって、数年前から携帯にも調査対象を広げている。

携帯に電話する場合、地域偏差が生じないように、最初に「お住まいの地域」を尋ねることにしている。問題は、メディアによって調査結果に大差が生じることだ。メディアによっては誘導的な質問をすることがあるようだが、内閣支持率のように「支持するか、しないか」の二択しかない場合、質問方法で回答を誘導することは不可能だ。

なのに、毎日の場合は内閣支持率が危険水域とされる30%を切る29%になり、フジ産経の場合も支持率は前回(8月)に比べ大幅に減少したものの42.3%と、まだ安定水準だ。同じ曜日の調査なのに、なぜ13ポイントもの大差が生じるのか、疑問を持たざるを得ない。

こうしたギャップの存在はあらゆるメディアも認めているし、また世論調査結果にかなりの関心を寄せている一般国民もわかっていることだが、どちらかというと政府寄りの読売・フジ産経グループの調査結果と、批判的な記事が多い朝日・毎日の調査結果にかなりの確率で大きな乖離が生じている。

「メディアが調査結果を操作しているのではないか」と、うがった見方をする人もいるようだが、さすがにそれはないと思う。もし、そういう操作をして、外部に漏れでもしたらメディアにとって命取りになるからだ。官公庁と同様、代替手段がない公共放送のNHKを除いて民間メディアの場合、トップの引責辞任くらいでは収めることができない。

 

なおフジ産経グループの場合、自民議員と旧統一教会の関係や安倍国葬問題についてもアンケート調査をしているが、その結果は内閣支持率と真逆の結果だ。「自民議員は旧統一教会との関係を断てるか」との質問に対して「断てると思う」が11.3%、「断てないと思う」が83.3%を占めた。また安倍国葬問題については「賛成」が31.5%、「反対」が62.3%だ。国葬についての岸田総理の説明についても「納得できる」が18.9%で「納得できない」が72.6%を占めている。政府に対する不信感が如実に表れているのに、なぜか内閣支持率は不支持率に逆転されたものの、まだ42.3%と安定水域にある。もし、フジ産経グループのトップが「内閣支持率の操作」だけを指示したとしたら(そういう事実があったら、必ず外部に漏れる)、バカ丸出し(頭隠して尻隠さず)だ。

「世論調査の七不思議」とでも言うしかないか~

 

ついでにNHKの世論調査によくある「賛成」「反対」以外の「どちらとも言えない」という選択肢について一言。いかなる政策も、回答者の状況によってメリットを受ける人とデメリットのほうが大きい人がいるし、また立ち位置の違いを超えても、メリットとデメリットがある。それは薬の効果と副作用の関係と同じだ。

メリットとデメリットを論理的に比較したうえで「いまの段階では判断しかねる」という意味での「どちらとも言えない」ならいいのだが、おそらくこの選択肢を選んだ人の大半は「あまり関心がなく、よくわからない」という人たちだと思う。だから深く考えたうえで「どちらとも今は判断がつきかねる」という意味の「どちらとも言えない」と、「あまり関心がないので判断できない」という意味での「分からない」の選択肢は別にすべきだと思う。

実際、私自身小泉内閣の「郵政民営化」政策に関して言えば、当時は「賛成派」だったが、今は「失敗だった」と考えている。郵便局の基幹事業である郵便物の集配業務がメール(LINEを含む)にとって代わられ収益性が悪化しており、郵貯も低金利と優良融資先減少のダブルパンチで、かんぽ生保で利益を上げるしかなくなったのが「かんぽ詐欺」の原因になったと思うからだ。

 

なお次回ブログは「なぜ円安に歯止めがかけられないのか」をテーマに書く予定。今日(22日)の『羽鳥モーニングショー』では大半の時間をこの問題に割いたが、メイン・コメンテータの玉川氏も頓珍漢な主張をしていたし、いま売れっ子経済評論家の加谷氏も半分くらいしか理解していない。

この問題を解くキーワードは、明治維新以降の殖産興業政策(輸出産業偏重主義)と、日本独特の雇用形態(正規社員に対する超保護主義=終身雇用制度。年功序列はほぼ崩壊しつつある)だ。

またキーポイントは、1985年の「プラザ合意」で円は2年間に240円台から一気に120円台に高騰したのに、なぜ日本経済は失速せず成長し続けることができたのか。さらに1989年9月~90年6月まで延々とロングラン交渉を続けた「日米構造協議」の意味を理解しないと、アベノミクス=日銀・黒田総裁の超金融緩和政策を岸田政府もやめられない理由がわからない。

なお、米FRBのパウエル議長がいくら高金利政策を実施しても、現在の物価高を食い止めることは不可能。

そうしたマクロ経済の根幹にかかわる問題について書く予定。乞うご期待。

 

【追記2】立憲・維新の政策合意について

報道によれば、立憲と維新が21日、6項目の政策で合意し、国会で「共闘する」ことになったようだ。合意内容については多少不満だが、とりあえず野党がバラバラでは岸田内閣はほとんど「死に体」になっていても、「自公強権体制」はびくともしないので、この「合意」をたたき台にして全野党が共闘体制を作ってもらいたいと願っている。

合意内容の要旨は次の6点(23日付朝日新聞より)。

 1 20日以内に国会召集を義務付ける国会法改正案を作成し、臨時国会の冒頭で提出

 2 10増10減を盛り込んだ公職選挙法改正案ならびに関連法案は必ず今国会で処理

 3 保育園・幼稚園などの通園バス置き去り事故をなくすための法案を早期に臨時国会に提出

 4 いわゆる文書通信交通滞在費について、使途の公表などを定めた法案成立を目指す

 5 教団問題で関心が高い霊感商法や高額献金をめぐり、法整備も含め対策を講じる協議の実施

 6 厳しい状況にある若者や子育て世代への経済対策を提案し、政府に実現を求めていく

ただ両党には合意の実施について温度差があるようで、立憲は国政選挙での共闘も視野に入れているようだが、維新は否定的だ。

6項目中、私が「多少不満」としたのは第2項。そもそも現行の「小選挙区比例代表並立制」を前提にした現行「公職選挙法」の改正を目指していることだ。

そもそも現行の衆院選挙制度は、「政権交代可能な2大政党政治」の実現だったはず。確かに一度はこの選挙制度の下で民主党政権が実現したが、政権維持に失敗して以降、政権交代は一度も実現していない。

はっきり言えば、現行選挙制度が続く限り、自公政権は革命でも起きない限り永続する。そういう致命的な欠陥を、現行選挙制度は持っているからだ。

現行選挙制度に移行する際、選挙制度の変更目的は「政権交代可能な2大政党政治」の実現だったはず。モデルにしたのはイギリスやアメリカ。だが、イギリスもアメリカも政党は二つだけ(イギリスは保守党と労働党、アメリカは共和党と民主党)ではない。2大政党以外にイギリスには20、アメリカには51もの弱小政党がある(地域政党を含む)。この2大国以外の大半の民主国家は多党政治である。

実は日本も55年体制下では事実上「2大政党」時代が続いた。自民党と社会党である。が、が、社会党の政治理念がマルクス主義を基本理念にしていたため、日本では「非現実的」と考える人たちが多数を占め、政権をとる機会がほとんどなかった。もし、社会党がリベラル政党として立ち位置を築いていたら、自民内リベラル派も同調して「政権交代可能な2大政党政治」がとっくの昔に日本でも実現していただろう。

私は1992年に上梓した『忠臣蔵と西部劇 日米経済摩擦を解決するカギ』で、戦後の民主化によって産業界だけでなくあらゆる分野で「弱者救済横並び」のシステムが構築されてきたことを解明している。金融業界での「護送船団方式」もその典型だし、零細農家を保護するための「食管法」(今は廃止されているが)も、また低学力の生徒の底上げによる学力の平均化を目指した(つまり能力のある生徒の能力をさらに伸ばそうとしない)教育方針もそうだ。

その「弱者救済横並び」方式が政治の世界にも導入されたのが、選挙制度改悪での「比例代表制」の導入である。その結果、無数とまでは極論しないが、「政権交代可能な2大政党制」ではなく、弱小多党体制が生まれてしまった。当たり前の話だ。別に彼らの政治活動を否定するつもりは毛頭ないが、比例がなければ維新をはじめ、れいわ新撰組、NHK党、参政党などが誕生する余地は全くなかった(維新だけは地域政党として存続できた可能性がある)。つまり改悪以前から存在していた公明党や共産党への「弱者救済」配慮が裏目に出た結果、今の「自公1強体制」が盤石になってしまった。

実は、中選挙区制下でも政権は一度交代している。日本新党、社会党、新生党、公明党、民主党による「野合政権」の細川内閣である。細川内閣は1993年8月に成立し、翌94年4月に崩壊した短期政権だったが、この細川政権が導入したのが「小選挙区比例代表並立制」だった。その時、自民党幹部たちが「シメタ」と思ったかどうかは私の知ったことではないが、もともと弱小政権だった細川内閣だから弱小政党救済のために「比例代表制」を導入したのだろうが、だったら「政権交代可能な2大政党政治」などというお題目を立てるべきではなく、民意を限りなく正確に反映する選挙制度にするのであれば、多党政治を前提にした「比例代表」オンリーにすべきだった。実際、イタリアなどがそういう選挙制度だし、ドイツも比例代表選出に重きを置いている。

ただし、比例代表オンリーの場合、個々の議員の自由度が100%制限され、ロボット議員を選ぶことを意味する。日本では事実上、議員の投票行動を所属政党が拘束するケースが多く、党の方針に背くことが困難である(党議拘束)。日本では共産党だけが「比例代表オンリー制」を主張しているが、それは共産党が宗教団体的組織で、党のトップ(宗教団体の教祖に相当)が絶対的権限を持ち、逆らえない状況に所属議員が置かれているせいでもある。そうした状況を維持するため、国家から支給される議員報酬も、いったん共産党本部がすべて集め、党内の地位や年功に応じて給与を支払うという処遇にしている。

現行選挙制度に代わってからも、一度政権交代があったが、自公にとって代わった民主党政権が「野合政党政権」だったため、細川「野合政権」と同様、政党内での足の引っ張り合いが生じて自滅した。

なお、「1強体制」は安倍政権の代名詞のように思われているが、実は現行選挙制度を利用して「1強体制」を構築したのは小泉政権が嚆矢である。周知のように、小泉元総理は郵政相時代から郵政民営化が最大の目標だった。安倍氏にとっての憲法改正のようなものだったと言っていい。

郵政民営化法案は僅差で衆院を通過したが、参院では成立が危ぶまれていた。もし参院で否決された場合、衆院に差し戻されて再決議できれば「衆院優位」の原則で民営化が実現できただろうが、ただでさえ衆院でも反逆議員が続出した事情もあって再可決が危ぶまれた。で、小泉氏は反逆議員を除名処分にしたうえで衆院を解散し、信を国民に問うことにした。

この作戦が大成功。総裁選で「自民党をぶっ壊す」と国民受けするアジテージで支持を集めた経験と、郵政民営化に賛成したメディアのマインド・コントロールによって大多数の有権者も小泉チルドレンを支持した。こうして小泉氏は党内での絶対的権力を確立、郵政民営化だけでなく小泉内閣の方針に逆らう議員はすべて「抵抗勢力」視され、「1強体制」を構築したというわけだ。

これを小泉氏の側近としてみてきた安倍氏が、モリカケ疑惑で窮地に追い込まれたとき、偶然にも北朝鮮が襟裳岬上空をかすめるミサイルを発射、これを奇貨として「国難突破解散」に打って出て大勝利。小泉政権と同様の「1強体制」の構築に成功したというわけだ。

こうした経緯を見ると、現行選挙制度が「1強体制」の構築にどれほどの大きな役割を果たしたかがお分かりいただけたと思う。岸田政権は、小泉「1強」、安倍「1強」がどのようにして構築できたのかのノウハウを学んでいないため、総理総裁になれば自動的に強権を持てると思い込んでいる節が垣間見える。そのため、本音は弔問外交の展開で不動の地位を固めようとして「安倍国葬」をぶち上げたものの、弔問外交を成功させるためにはバイデンの参列が不可欠なはず。が、岸田氏はバイデンが来てくれるものと独りよがりで思い込んだのか、打診も根回しもせずに国葬期日を発表してしまった。

日本なんか属国としかみなしていないアメリカが、何の相談もなく国葬を公表してしまった岸田氏に不快感を持ったのは当たり前。世界で一番スケジュールがタイトな米大統領が、安倍国葬よりもっと時間のやりくりが困難だったはずの英エリザベス女王の国葬にはすぐに参列を表明したことが、日米関係の実態を見事な程に物語っている。

過去の話を「たられば」で語るのは無意味かもしれないが、もし岸田氏が十分に根回ししてバイデンのスケジュールを最優先したうえで国葬日時を決め、さらにプーチンや習近平も招待していれば、ウクライナ戦争や台湾問題を解決できる糸口を「岸田弔問外交」で見つけることができたかもしれない。政治というのはそういうものだ。

実際、現にイギリスとは間接的に戦争状態にあるロシア・プーチンが女王の訃報に接し最大限の弔意を示したのも、できれば女王の葬儀でのバイデンとの会談で、苦境に陥っているウクライナ問題解決の糸口を探りたかったからに他ならない。英政府は、そうした事態を避けるためプーチンを招待せず、かつ女王の国葬での弔問外交を禁止した。それが国家の矜持というものだ。

あまつさえ、岸田氏は女王国葬への参列の意向まで表明していたのに、岸田氏には招待状も送らなかった。日本という国が、いま海外からどう見られているか、情けない限りだ。

野党もだらしがない。自民党と旧統一教会のずぶずぶの関係を、メディアがこれでもか、これでもかというほど叩いてくれているのに、一致団結して自民を追求し、自公を分裂させるため公明にも揺さぶりをかけるといったことすらできない状況。

岸田政権にとっては、この問題は安倍氏のモリカケ疑惑以上に深刻だ。モリカケ疑惑は安倍氏個人の問題で、北朝鮮の意図しないバックアップがなかったら、「1強体制」どころではなかったはず。が、この問題は、自民がトップの座を入れ替えれば済んだケースで、旧統一教会問題とは雲泥の差がある。野党の追及次第では、自民党分裂の危機が生じていた可能性すらある。

 

この「追記」の結論を書く。まず現行選挙制度の欠陥を国民に周知し、米英型の単純小選挙区制で政権交代可能な2大政党政治を目指すか、さもなければヨーロッパの大半の国やお隣の韓国のように多様な政権交代を可能にする新たな選挙制度への改正を目指すか。それこそ国民に信を問うに足る問題だ。

とりあえず現行選挙制度の下では、小選挙区で自公候補に勝てる見込みがある野党候補に1本化することを、共産党を除く全野党で合意すること。私自身は共産党を毛嫌いしているわけではないが、共産党も含めるとなると野党の足並みが揃わなくなるし、だいいち国民の共産党アレルギーが大きすぎる。共産党が「マルクス教」から脱皮して、革新系リベラル政党に転換すればいざ知らず、信仰的「マルクス教」の信徒集団である間は野党の政権構想には入れない。

野党の方々の奮闘に期待したいのだが…。(24日記)