小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

政治雑感 3題

2019-03-14 12:55:58 | Weblog
 ブログを更新するのは久しぶりになる。前回の投稿が2月18日だったから、約1か月近く更新しなかったことになる。インフルエンザが流行っている時期だが、私は毎年新年の恒例行事として髪の毛を3本抜くので、風邪にはかからない(このジョーク、若い人には通じないかも…)。
 前回のブログの閲覧者数がいつまでたっても減らず、ブログを更新する機会を逃してきたのが、長期にわたって新しいブログを書けなかった理由である。私のブログはメディアや政治団体の人たちから多く読まれているようで、閲覧者数が訪問者数の3倍くらいになる。そのせいか土日になると訪問者も閲覧者も激減するのだが、今回は状況が違った。土日になるとかえって閲覧者数が増えたのだ。ブログの文字数が1万2千字を超え長すぎたためか9,10日も多くの方に読んでいただいた。11日の月曜日も閲覧者は多かった。そうした傾向もあって次のブログの用意をまったくしていなかったのだ。
 かつては定期的にブログを更新しようと考えて新しいブログを用意していたのだが、閲覧者数が減らず更新できないうちに記事の内容が賞味期限を切れてしまって何度もボツにした経験がある。そうした事情もあって、今回は新しいブログの用意をまったくしていなかった。前回のブログの賞味期限はまだ当分続きそうだと思っていたのだが、12,13日と閲覧者が急減したため、急遽ブログを更新することにした。
 この間、NHKや朝日新聞には報道についていろいろ意見を申し上げてきたが、その内容も含めて今回は「政治雑感」として取りとめもなく書こうと思う。

●日本語は難しい
 2月24日、沖縄県が県民投票を行った。政府が着々と進めている辺野古基地建設について、県民の意思を問おうというのが目的の投票だ。「賛成」か「反対」かの二者択一方式に異議を唱えた5市町長の意向を組み、「どちらともいえない」(だったと思う)という回答を加えて全県で投票が実施された。結果は皆さんご承知の通り、「反対」派が圧倒的多数を占めた。
 投票結果を受けて安倍総理は記者会見で「重く受け止める」と述べた。通常の感覚では「重く受け止めた」場合、県民の意思を尊重して辺野古工事の中止を決断するのが政府の責任だろう。が、安部さんの受け止め方は違っていた。「沖縄の基地負担の軽減にこれからも取り組む」というすり替えだった。県民投票は一般論としての「基地負担の軽減」を求めたものではない。そんな抽象的な意思表明ではない。「辺野古に基地は作らないでほしい」という具体的な要求である。この安倍総理の「重く受け止めるが、辺野古基地はつくる」という日本語を、海外のメディアはどう報道したのだろうか。
 かつて日米貿易摩擦が激化していた時期、日本人が交渉の場での事実上否定的な意味で使う「検討します」という日本的表現が海外で問題になったことがある。外国の人の多くは「検討してくれるのだから、前向きに考えてくれるのだろう」と勘違いするようだ。が、日本社会の精神的規範として培われてきた「和の精神」によるものかどうかは知らないが、日本人社会では相手のメンツをつぶさずにやんわり拒否する方法として「検討します」という表現が一般的に使われてきた。本当に検討する場合は「前向きに検討します」というのだが、外国人にはそうした日本語の機微など理解できない。だから「検討します」と言えば、外国人は本当に検討してくれると思ってしまう。だが、日本社会では「検討します」は「お話の趣旨は分かりましたが、私どもにもいろいろ事情があり要望にはお答えしかねます」という拒否の表現なのだ。
 でも、さすがに私の無知のせいか「重く受け止める」が「言いたいことはわかったけど、方針は変えません」という事実上拒否の表現だったとは…。そういえば、子供がいじめで自殺に追い込まれた時も、遺族の追求に対して学校側や教育委員会が「重く受け止めます」と言いながら、実際にはおざなりの調査しかせず、「いじめとの因果関係は確認できなかった」と回答することが多い。なるほど、「重く受け止める」とは、実際には「軽視する」あるいは「無視する」という意味だったのか。安倍さんは、沖縄県民のメンツをおもんばかって、そういう言い方をしたのかな。そんなことも理解できずに、物書きのプロを自認してきた私としては恥じ入るばかりだ。

●沖縄に米軍基地は必要か
 トランプ大統領が突然、米軍が駐留するすべての国に駐留経費の1.5倍の支払いを求めること言い出したようだ。世界で最も米軍駐留経費の多くを負担している日本も例外ではない。「思いやり予算」と言われている在日米軍駐留経費の日本側負担は2019年度予算案で1987億円に上る。米軍駐留経費の同盟国負担増はトランプ氏の大統領選での公約でもあり、公約実現に向けて次々に手を打ってきたトランプ氏の次の一手のようだ。
 ま、日本が自国の安全保障の一部をアメリカに肩代わりしてもらっている以上、相応の負担はやむを得ないとは思うが、私は日本での米軍駐留は、日本の安全保障という観点に絞れば過剰ではないかと考えている。
 そもそも、第2次世界大戦以降、世界の安全保障環境はそれまでと大きく変化してきた。従来の植民地主義あるいは帝国主義は、いまでは死語となっている。そもそも、自国の領土を拡大したり植民地を増やしたりする目的は子供たちの遊び「陣取り合戦」のようなゲームではない。経済的権益の拡大が植民地主義あるいは帝国主義の最大の目的だった。が、戦争という膨大な犠牲を払って植民地を獲得したり、領土を拡大しても、その地域の統治のために費やす経費のほうがかえって高くつき、損得勘定だけを考えたらマイナスになることのほうが多いことに、軍事大国も気づき始めたようだ。だから、第2次世界大戦後、植民地獲得や領土拡大のための戦争は事実上皆無になった。
 そういう世界の安全保障環境の大きな変化を前提としたとき、果たして日本は安全保障上いかなる地政学的状況にあるかを考えてみた。現在日本は三つの国際問題を抱えている。三つの領土問題と言ってもいい。
 一つは韓国に実効支配されている竹島(韓国名「独島」)。安倍政権は教科書に竹島と尖閣諸島を「日本領土」と明記させるようにした。ついでに書いておくが、北方領土については教科書での「日本領土」という明記はない。
 竹島については韓国名で「独島」とあるように、かつて韓国が実効支配していた時期があったようだ。犯罪者の流刑島として利用していたらしい。が、自給自足できる島ではないため、水や食料品の運搬のため流刑島として維持することが難しくなり「領有権」(当時はそういった国際概念はなかった)を放棄したという経緯がある。一方日本も江戸時代には漁師が嵐などの避難場所として竹島を利用していたこともあったようだ。このように両国がかつて国際法上「領有権」が確定していなかった時代でのことを考えると、やはり国際司法裁判所で問題の解決を図るのが筋だろうとは思う。が、すでに竹島を実効支配している韓国が「領有権問題は存在しない」として国際司法裁判所での解決に同意しない(国際司法裁判所は当事国すべての同意がなければ裁判を行うことができない)。つまり竹島問題は平和的に解決できない状態になっている。が、日本の教科書には依然として竹島は「日本の領土」と明記されている。であれば、話し合いでは永遠にらちが明かない問題であるため、国連憲章51条に基づいて「個別的自衛権」を行使できる権利があるはずだ。なぜ安倍政権はアメリカのためには国連憲章が認めていない「他衛権」(安倍政権解釈によれば「集団的自衛権」)は行使できるとしながら、現に自国領土が不法に侵犯されているはずの竹島については「個別的自衛権」すら行使しようとしないのだろうか。
 あとの二つ、尖閣諸島問題と北方領土問題についてはまたの機会に書くことにする。
 領土問題を三つ抱えてはいるが、いずれも自国の安全保障が脅かされるような問題ではない。それに基本的には日本は植民地あるいは領土としての魅力が、他国にとってある国ではない。エネルギー資源や希少価値の高い天然資源(金やダイヤモンド、プラチナなどの貴金属類やレアメタル、レアアースなど)には縁遠い国だ。そんな日本を、莫大な費用と人的犠牲を払ってまで支配下に置こうという国はありえない。日本にとって建前上の「仮想敵国」になる可能性があるとされているロシア、中国、北朝鮮も、それだけの犠牲を払って日本を侵略しようなどとは絶対にしない。また日本には民族間対立もなければ宗教対立もない。共産党も、まさか今どき暴力革命など考えていないだろう。そう考えれば、日本は地政学的にも、またあらゆる紛争の可能性から考えても、世界で最も安全な国と言える。はっきり言えば日本に駐留している米軍は、日本を守るためではない。実際、米軍基地がなくても日本の安全が脅かされるようなことは現実的にあり得ない。
 とりわけ沖縄には米軍基地は、日本の安全保障上の必要性は、はっきり言って皆無だ。沖縄にも資源はないし、中国にとっては沖縄が手に入れば太平洋に進出するための巨大な軍事拠点を手に入れることができるだろうが、そこまでのリスクを冒してまで沖縄を占領しようとはしない。だいいち、国際社会がそんなことを許すわけがないし、もし万一中国がそんな野望を抱いたとしたら中国は世界の孤児になる。そういう意味では沖縄から米軍基地がなくなれば、東南アジア海域の軍事的緊張が縮小し、かえって平和な海の、沖縄はシンボルになりうる。そういう状況をつくることが、沖縄の発展にとっても最もいい道ではないだろうか。カジノ法案(IR法)が成立したが、横浜などの大都市には不要だ。どうしても作りたいのなら、沖縄とか福島に作ればいい。沖縄発展と震災復興に大いに役立つだろう。投資してくれる企業があればの話だが…。
 カジノはともかく、なぜ普天間基地の返還が辺野古移設とイコールになるのか。勝手に「唯一の選択肢」などとほざいているが、その理由を開示したことは一度もない。沖縄の米軍基地が日本の安全保障上どういう必要性を持っているのかの説明も一度も聞いたことがない。メディアもだらしがないのは、そういう重要なことを追及したことがないことだ。もう少し、なけなしの頭を使え。

●安倍4選はありうるのか
 自民党・二階幹事長が安倍4選を言及した。昨年、党則を改定して総裁3選への道を開き、9月には安倍総裁3選が実現した。まだその記憶が消えていないこの時期に、早々と党則再改定、安倍4選のアドパルーンを打ち上げる必要があるのか。二階氏は先に、民主党政権の中心人物の一人で、小池氏と組んで希望の党立ち上げに奔走し、自民党とは相いれないはずの細野氏を派閥に迎え入れることにした。また都議会では自民党都議団と対立している小池都知事の再選を支持することを独断で公表し、自民党都連の猛反発を食った。安倍3選に協力して安倍総理に恩を売ったことでのぼせ上っているのか。「余人をもって代えがたい場合は」との前提付きだが、自民党にはそんなに人材がいないのか。問題ばかり起こしている「魔の3回生」のような政治家しか、自民党にはいないのか。それなら、いっそ野に下り、野党に政権運営をさせてみたらどうか。
 嫌味はともかく安倍第2次政権は本来誕生すべきではなかった。第2次安倍政権が生まれるきっかけになった2012年9月の総裁選では5人が立候補した。第1回投票では安倍氏は議員票54、地方票87の計141票だった。一方石破氏は議員票34、地方票165で計199票と、安倍氏に58票もの大差をつけた。が、自民党総裁選の規定により石破氏と安倍氏の間で決選投票が行われ(この決選投票では地方選挙は行われていない、つまり国会議員だけでの選挙である)、安倍氏が逆転勝利を収めた。
 2015年の総裁選では安倍総裁が対抗馬つぶしに奔走し、無投票での再選となった。その後党則が改定され、総裁任期が3期9年に延ばされ、国会議員票と地方票の割合も変わった。自民党はメディアをどうごまかしたのかはわからないが、地方票を多くしたとメディアは報道したが、全くの嘘っぱちだ。12年総裁選の時のほうが地方票は国会議員票より多く割り当てられていた。
 昨2018年9月に行われた総裁選では、当時の国会議員票405票(議員一人に1票)、地方票も議員票と同数の405票で、安倍総裁に立ち向かって立候補した石破氏は、安倍陣営による厳しい締め付けに会いながらも地方票で45%を獲得したが、国会議員票の80%を固めた安倍氏が勝利して3選が実現した。
 このときの総裁選で、私は「地方票」という言い方はおかしい、「地方」という言葉は一般に「都市」に対立する言葉として使用されており、東京や大阪、横浜などの大都市と比べるときは「地方都市」という言い方もする。大都市には自民党員がいないのならいざ知らず、日本中の自民党員の票(都道府県知事や市町村長、地方議会議員も含めて)はすべて「地方票」とされ、地方票の総数は国会議員総数と同じ405票しかない。明らかな格差選挙だ。「地方票」という言い方はやめて「党員票」と呼ぶべきだ。
 この申し入れを私は総裁選の少し前NHKと朝日新聞に行った。NHKは用語を統一して「党員票」に一本化したが、朝日は社内での表記統一がうまくいかなかったのか、「党員票」という表記のほうが多くはなったが、しばしば「地方票」という表記も見られた。で、その都度、電話で表記統一の徹底を要請したが、混乱は収まらず、ついに私はこの混乱についてブログに書くと宣言し、9月17日に『朝日新聞が大混乱に陥っている』と題するブログを投稿した。その結果、朝日はどう対応したか。このブログに結果を【追記】でこう書いた。

 私がこのブログで朝日新聞の表記についての混乱を批判した途端、朝日は表記を統一することにしたようだ。今朝(21日)の朝刊は1面トップから解説記事、「時々刻々」「社説」に至るまで、ものの見事に党員や党友による票を「地方票」というおかしな表記に統一することにした。
 それはそれで、海のものとも山のものともつかない読者の批判になんか応じられるか、天下の大新聞の「沽券にかかわる」というどこかの総理顔負けの「権威」を守ることを最優先したのだろうから、これ以上私ごときが天下の大新聞に刃向かったところで、風車に槍1本で突進したドンキホーテほどの効果もないので、これ以上刃向かうのはやめる。

 朝日に対する嫌味はこの辺でやめるが、二階氏が安倍4選を言い出したことで、まだだいぶ先の自民党総裁選がメディアでも話題になりそうだ。で、新たに表記について新しい提案をしておきたい。自民党総裁選がいかに非民主的に行われているかを証明するためだ。
 いうまでもなく自民党総裁は自民党員の総裁である。例えば国会議員の選挙は選挙区の有権者が選ぶ。その時、立候補者が過半数の票を獲得できなかったら、その選挙区内の地方議会の議員だけで決選投票を行って国会議員を選んだりするのか。あるいは1回目の選挙であらかじめその選挙区の有権者と同数の票を地方議会の議員に割り当てて与えたりしているのか。実は自民党総裁選は、そういうやり方で総裁を決めているのだ。
 昨年9月に行われた総裁選では国会議員405人に各1票が与えられ、国会議員の票は405であった。一方、その時点で登録されている党員・党友は104万2647人。この党員・党友に与えられた票の総数は国会議員票と同数の405票。計算上、地方票の1票は2547人分ということになる。1票の重みに、国会議員と一般党員(そのなかには知事や市町村長、地方議会議員も含まれている)の差が2500倍以上あるということだ。肝心の党内で民主主義が全く機能していないのが自民党なのだ。
 で、メディアに提案する。次期総裁選に関する報道では、「党員選挙」と「国会議員選挙」という表記に統一して、自民党総裁は党員の代表ではなく、自民党所属の国会議員の代表であることを国民に知らしめるべきだと。

 なおこの4月には「統一地方選挙」がある。この言い方も変えたほうがいい。「統一地域選挙」と。これなら「都市」でも「地方」でも矛盾なく通用する。