小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

アベノミクスはなぜ失敗したのか? ①

2016-09-01 07:45:46 | Weblog
 三菱自動車の不正がまた発覚した。国交省による検査の結果、燃費の不正表示が新たに明らかになったのだ。
 またパソコン販売大手(東証1部上場)のPC DEPOTの悪質な詐欺まがいの事件も発覚した。
 一方救われる気持ちになったのは、スズキ自動車の燃費表示が国交省の定めた検査方法に従わなかったにもかかわらず、国交省が行った検査の結果、すべての機種がカタログ表示を上回る燃費だったことが明らかになった。ということは、スズキの場合、国交省が定めた検査方法より厳しい条件で検査を行ったためと考えてもいいだろう。私は日本産業界にも良心的な企業が生き残っていることに、かすかな期待を持った。
 いずれにせよ、直近のこうした大企業の消費者に対する対応について、大企業経営者のモラルについて考えざるを得なくなった。
 私は前から思っていたことだが、スズキのようなケースは別にして日本の大企業のモラルに不信感を抱いていた。

 第1次アベノミクスによって政府と日銀による円安誘導が行われた。円安誘導の理由は二つ。一つはデフレ不況の克服。二つ目は円安による輸出企業の国際競争力の回復。
 が、第1次アベノミクスは砂上の楼閣にすぎなかった。円安誘導によって日本メーカーの国際競争力は確かに回復できるはずだったが、肝心のメーカーが国際競争力を回復しようとしなかった。
 為替の原理は理論上「購買力平価」によって左右されるはずだ。つまり1ドル=100円の為替相場の場合、アメリカでは1ドルで日本円価格100円の商品が買えることを意味する(商品の輸送費などは上乗せされるが)。ということは1ドル=100円の場合、1ドル=120円になった場合、日本では120円で売っている商品はアメリカなら1ドル(プラス輸送費)で買えることになる。つまり日本メーカーは為替が対ドル20円安くなれば、アメリカでは20%安く売らなければならない(輸送費は別途)。当然日本メーカーの輸出が増大し、メーカーは【商品の増産→設備投資→雇用の増大→消費の拡大→企業の設備投資】に舵を切るだろうという期待がアベノミクスの原点だった。
 が、日本メーカーは安倍総理が吹く笛に踊らなかった。メーカーは輸出量を増やさず(つまり商品の増産→設備投資→雇用増大…のサイクルに乗らなかったということ)、輸出価格を据え置いて為替差益で膨大な利益を手に入れた。結果として輸出大企業の株価は暴騰したが、アベノミクス・サイクルは砂上の楼閣にすぎなかった。メーカーは、国際競争力が回復したにもかかわらず輸出価格を据え置き(当然為替差益だけが増大する)、為替差益を内部留保として貯めこんでしまったからだ。
 政府・日銀が円安政策をとれば、輸出企業には有利になるが、大メーカーの下請けになっている中小企業は部品などを直接輸出で利益を上げるより、部品原料の輸入費の増大でかえって赤字が増える。つまり今まで100円で輸入できていた原料が120円払わなければ輸入できなくなるからだ。安倍総理はそこまでアベノミクスのプラス・マイナスを考慮していたのか。いまの円高は世界のヘッジ・ファンドがそこを見切っていたからだ。
 実は、こうした日本大企業のモラルの低さはすでに1985年のプラザ合意のときに明らかになっていた。このプラザ合意は世界の先進国5か国(米・英・仏・独・日5か国の中央銀行総裁・金融相大臣)がアメリカ経済の立て直しに協力しようということで、ニューヨークのプラザホテルに集まり、ドル安の協調介入をすることで合意した会議である。当時の円・ドル為替相場は1ドル=240円だったが、わずか2年後には1ドル=120円まで円が暴騰した。
 円の価値が2倍になったのであれば、購買力平価の原則からすれば日本での売価100円の商品はアメリカに輸出した場合、アメリカでの販売価格は2ドルにならなければおかしい。が、日本メーカーは円の価値が2倍になったにもかかわらずアメリカへの輸出価格を据え置いた。一方円の価値が倍になったにもかかわらず、日本製品の日本での価格は据え置いたままだった。その結果、妙なことが生じた。日本製品の自動車や電気製品、カメラ、時計、ゴルフ用品が、日本で買うよりアメリカで買った方が安いという「逆内外価格差」が生じたのだ。自動車のように持ち帰りできない大きな商品は「並行輸入」で輸送費を払ってもペイする時代だった。また特例だが、並行輸入するまでもなく、輸出自動車を日本でも輸出価格で買うことができた。左ハンドルだが、日本での右ハンドルの正規販売の半値で買えた。そのくらい、日本車の正規販売車と輸出車の価格差があったのである。私自身が某銀行のコネで輸出車を半値で買えたので間違いはない。言っておくが、これは犯罪行為ではない。
 これにはおとなしい日本人もさすがに怒った。「並行輸入が爆発的に生じたのはそのときである。そしてこうした日米内外客価格差が生じることによってアメリカ国内で猛烈なジャパンバッシングが生じた。アメリカの自動車の聖地であるテトロイトでは日本車に対する暴動騒ぎまで生じた。
 そのころある月刊誌で私は松下電器(現パナソニック)の谷井社長とインタビューした。その一部を転載する。

小林 この1年間で3回ほどアメリカ取材のたびに肌で感じたことですが、衣食住遊のほとんどすべてがアメリカの方が安い。私に限らず、それが消費者の実感ではないでしょうか。
谷井 それはそうでしょうねぇ。
小林 ということは円は実力以上に高くなりすぎているのではないか、という気がします。実際、エコノミクスの多くは170~80円が妥当じゃないかと言っていますが、消費者の貨幣感覚というか、あるいは購買力平価を基本にした考えからすると円はちょっと高すぎるという思いがするのですが…。
谷井 消費者の身近な物価から行きますと、確かに、たとえば肉はどうだとか、コメはどうだとか、よく言われますけれども、むしろ日本の場合、そういう面で行くと日本の土地、電気製品、カメラ、そのほかもろもろの値段が為替とリンクした評価になっていないんで、全体のバランスがとれていないんという面もあるんじゃないでしょうか。
小林 もちろん、すべてが購買力平価に即してバランスがとれるということはありません。ただ本来日本のはずが安いはずの工業製品、たとえばカメラとかビデオといったものまでアメリカで買った方が安い。こういうことが起きるのはおかしいじゃないかと…。
谷井 それは円が強くなるから、一時的にそういう現象が起こるんでしょう。ある意味から行くと、じゃあもう少し円が弱くなればバランスがとれるんだという理屈が成り立つんですよね。しかし、また一方において、アメリカの流通と日本の流通とが、逆に向こうから言われるように何かおかしいんじゃないかと。だから、むしろ日本の方が高いんじゃないかというような見方もありますから、商品によって一律には言えませんね。
小林 円はこの2年ちょっとの間にほぼ倍になりました。本来なら、アメリカでの日本製品の販売価格は倍になっていなければおかしいのですが、自動車が20~30%アップ、電気製品に至っては10~15%しか値上がりしていません。
 どうして10%や20%の値上げに抑えることが出来たのかと聞くと、メーカーは合理化努力の成果だと主張する。もしそうなら、日本での生産コストは半分近くに下がっていることになる。だったら、どうして日本の消費者はその恩恵を受けることが出来ないのか、という点です。アメリカ人だけが、日本メーカーの合理化努力の恩恵を受けて、日本人は受けていないわけです。
 また、アメリカにほとんど競争相手がいないカメラのような製品でも、円が倍になったからと輸出価格も倍にすると、アメリカ人の購買限度額を超えるバカ高い値段になってしまう。30%か35%の値上げが限界のようですね。
谷井 そうでしょうね。
小林 まして、国内の消費者にシワ寄せできない零細輸出業者はアップアップしていますよ。さらに、今回の新貿易法案の狙いもそうですが、プラザ合意でG5各国がドル安基調に合意した目的は、疲弊しつつあるアメリカ産業界の回復にあったはずです。(中略)それなのに、“合理化努力”によって円高効果を灰にしてしまったのが日本メーカー。しかも、日本国内では値下げしていないん
ですから、アメリカ側がダンピング輸出だと怒るのは当り前です。
 とくに自動車業界と電機業界、自動車ならトヨタとか日産、電機なら松下とか日立といった大メーカーの経営者はその点を自覚すべきだと思うんですが。
谷井 いまおっしゃったなかで、もちろん同感なところもあります。ただ国によって価格差があるという点ですが、一時的には確かにあります。しかし、これは異常な為替の結果だと思うんですよ。日本でつくっている製品が、船で運んで行った国では安く、むしろ日本では高いじゃないかと、恩恵を受けていな
いじゃないかと。一部現象的にはそういうことは否定しませんけどね。

 この時期、アメリカではジャパン・バッシングの嵐が吹き荒れていた。日本メーカーのダンピング輸出で職を奪われたデトロイトの自動車工場の労働者が日本車を道路の真ん中に引きずり出してハンマーで叩き壊し、火をつけるという騒ぎが日本のメディアでも盛んに報道された。
 そうした過激なジャパン・バッシングの嵐に歩調を合わせるかのように米知識人やメディアで吹き荒れ出したのが「日本人異質論」であった。私はこの時期、「アメリカ人から見て日本人が異質だというなら、私たち日本人に言わせてもらうとアメリカ人こそ異質だということになる。国が違えば文化も違う。アメリカの文化と日本の文化が違うのは当然で、日本は“アメリカ人は異質だ”と決めつけたことはない。アメリカは何様だと思っているのか」と新聞のコラムで書いたことがある。このコラムは日本で相当大きな反響を呼び、読者の多くから支持を受けた。論理的に物事を考えるということは、そういうことを意味する。
 実は、少しさかのぼるが日米間で貿易摩擦が火を噴く少し前(1970年代後半から80年代初めにかけて)には、アメリカの経営学者たちの間で「日本型経営から学ぶべきだ」という主張が強まり、実際アメリカから経営者たちが日本企業の経営実態を見学に来るツアーが何度も行われたほどだった。
 先に述べたことと、その数年後にアメリカで生じたパーセプション・ギャップは何を意味するのか。実は、この問題を解くキーワードは「石油ショック」である。自前の石油資源をほとんど持っていない日本企業にとって、石油ショックは戦後の高度経済の果実を一気に台無しにしかねないほどの大打撃だった。かといって先の大戦のように、石油資源を求めて東南アジアの石油産出国を侵略するなどということは出来ない。石油ショックを克服するために日本企業と官民が二人三脚で取り組んだ技術革新が、日本産業界を救った。その技術革新の合言葉は3つあった。
 ●省エネ省力
 ●軽薄短小
 ●メカトロニクス
 そしてこの合言葉で日本産業界が政府の支援を受けて総力を挙げて取り組んだのがエレクトロニクスの技術革新、とりわけその核とも言える半導体の技術革新だった。
 実は70年代、アメリカは半導体で世界のトップを走り続けていた。が、アメリカは産油国ということもあって日本ほどには石油ショックの打撃を受けなかった。つまり王座の地位にあぐらをかいていたのである。実際70年代は世界の半導体市場でアメリカは70%を超えており、日本製品のシェアは15%だった。
 が、一方は石油ショックで猛烈な危機感を抱いて走り出し、他方はそれまでの技術的優位性にあぐらをかく――当全日本勢の足音はアメリカ半導体業界の足元まで迫っていった。そして、ついにその日が来た。
 80年3月、ワシントンで行われたエレクトロ・セミナーの場で、当時世界の世界最大の半導体ユーザーだった計測器メーカーのHP(ヒューレット・パッカード)のアンダーソン技師が、自社で使用している半導体(アメリカメーカー3社、日本メーカー3社)の品質検査の結果を発表したのである。そのデータが世界のエレクトロニクス業界を驚愕させた。
 エレクトロニクス関連の会社は必ず購入した半導体の抜き取り品質検査を行う。HPは最近購入する米半導体の欠陥率が高いことに気付き、米製品15万個、日本製品も15万個を抜き取り検査したのである。その結果はこうだった。
 米3社の総合評価 A社86点、B社63点、C社48点。
 日3社の総合評価 D社90点、E社87点、F社87点。
 日本の半導体産業が一気にアメリカを追い抜いて世界のトップに躍り出た瞬間だった。当然日本製の半導体を使って省力省エネを実現した日本の自動車や電気製品はアメリカで飛ぶように売れ、日本産業は戦後最大の危機とされた石油ショックを乗り越えたのだ。
 そういう意味では私は、石油ショックは日本にとって「神風」になったと考えている。石油ショックという危機的状況に日本が陥らなかったら、日本が世界のエレクトロニクス産業界をけん引することはなかったと思う。そしてこの時期にはアメリカでも日本の努力を称賛し、日本型経営から学ぶべきだという声が高まった。たとえば日本でもベストセラーになった『ジャパン・アズ・ナンバー1』や『エクセレント・カンパニー』は日本型経営から学ぶべきことや、IBM、GE,ゼロックスなどアメリカの優良企業と日本の一流企業の共通点を分析した本が大きな話題を呼んだ。
 たとえば『ジャパン・アズ・ナンバーワン』、は79年に米ハーバード大学教授で社会学者のエズラ・ヴォ―ゲル氏日本型経営の優れた点として次のような特徴を指摘している。現在の「日本型経営」と比較してみれば、当時の「日本型経営」が幻でしかなかったことが誰の目にもわかるだろう。
① 終身雇用
② 年功序列(賃金および立身出世のエスカレート)
③ 労使協調(会社の利益と労働者の利益が共通)
④ 目先の利益でなく長期的視野に立った経営
⑤ 賃金格差が少ないこと(当時日本は世界で唯一成功した社会主義国家と見なされていた。その結果、会社は誰のものか…株主=資本家か、社会=国有?か、従業員か、商品を買う消費者か、といった今では信じがたい議論が学者たちの間でまともに行われていた)
 『エクセレント・カンパニー』はコンサルタント企業のマッキンゼーのトム・ピーターズとウォークマンの二人がアメリカの優良企業の雇用形態が日本型経営と共通している点を分析して著作し、それをマッキンゼーに所属していた大前研一が邦訳して日本でもベストセラーになり、大前氏は翻訳しただけで日本の超一流評論家になった。
 が、そうした当時のアメリカでの日本に対する好印象は長くは続かなかった。アメリカ製品が日本製品に国際競争力を奪われていく中でアメリカ産業界から悲鳴が上がりだしたのである。そのため先進5か国が、アメリカ産業界の国際競争力を回復させるためにドル安協調介入することに同意したのが、すでに述べた85年のプラザ合意だった。
 プラザ合意以降急速なドル安が始まり、わずか2年で為替相場は1ドル=240円から1ドル=120円へと円が急騰した。そうした状況下で日本メーカーがとった姿勢が、先に述べたような身勝手な態度だったのである。そして日本製品に市場を席巻され、失業に追い込まれたアメリカ企業の労働者たちが暴徒化し、アメリカ国内の論調もほんの数年前までの好意的なものから一転して、「日本異質論」まで飛び出すようになったのである。
 なぜこの時期、日本企業はアンフェアなダンピング輸出を続けたのか。実は日本企業のそうした体質の残滓が、いまアベノミクスの足を引っ張ったのである。というより、安倍総理が日本企業の基本的な体質をプラザ合意以降の日本企業のビヘイビァから学ばずに、安易に円安誘導によって日本企業の国際競争力を回復させようとしたことにそもそもの原因があった。
 だが日本の大企業は国際競争力が円安によって回復したにもかかわらず、生産量を増やして輸出を増大しようとしなかった。自動車も電気製品も輸出を増やさず、為替差益で膨大な内部留保を蓄積することに躍起になったのである。世界のフェッジ・ファンドが一斉に安倍=日銀の円安誘導が失敗すると見て円買いに走り、日銀の金融緩和策が空振りに終わったのはその結果である。
 日銀が禁じ手とされている「マイナス金利」(銀行など金融機関が余剰金を日銀に預けた場合=当座預金=、預かり手数料がかかる仕組み。アメリカなどでは一般の銀行でも当座預金に対しては手数料がかかる。日本の場合は手数料は取られないが、金利はつかない)に踏み切り銀行の経営を圧迫した。その結果、銀行株は軒並み下落し、銀行経営は困窮している。鳴り物入りで上場したゆうちょ銀行株など、暴落といってもいい状態だ。政府はまだ相当の郵政関連株を抱えているが、いっそのことすべてを市場に放出して日銀に高値で買い取らせれば、少しは株式市場も好転するかもしれない。
 いずれにしてもアベノミクスの失敗は金融政策だけではないので、この稿は継続して書きたいと思う。