小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

NALさんへ

2010-03-18 15:08:06 | Weblog
 返事が遅れて申し訳ありません。
 私は政治や宗教を含め、あらゆることに既成の価値観をもっていません。私が何らかの主張をする場合、特定の価値観に基づいて行ったことは一度もありません。私がブログを書く場合の基準はたった二つの条件を満たした場合だけです。一つは「フェアな主張をすること」、もうひとつは「論理的整合性を逸脱しない主張をすること」です。この二つの基準には一切の政治的あるいは宗教的価値観が入り込む余地がありません。
 たとえば今大西洋クロマグロの国際取引禁止問題が大きな話題になっています。クジラやイルカの捕獲も国際的に大きな規制がかけられています。この問題を「フェア」かつ「論理的整合性」を最重要視して考えたらどういう主張をすべきかを考えてみましょう。
 まず今回のクロマグロの国際取引禁止を言い出したモナコという小国の食文化についてはいろいろ調べましたが(モナコの日本におけるゆいつの公的外交機関であるモナコ政府観光会議局にも問い合わせました)、分かりませんでした。したがってなぜモナコがこの問題を持ち出したのかは分かりませんが、少なくとも捕鯨やイルカの捕獲に反対しているアメリカやオーストラリアは牛肉を主な動物性たんぱく質の摂取源にしている国です。アメリカ人やオーストラリア人は自国民の需要を満たすのに十分な牛を飼っているだけでなく、食肉として輸出することも大きな目的にして牧畜業を営んでいます。
 それに対して日本は伝統的に動物性たんぱく質を海洋資源に頼ってきました。NALさんもご存じだと思いますが、日本で最高級マグロとされている大間の本マグロ(クロマグロと同じマグロです)は網で漁獲せず1本釣りで有名です。実は漁協と農協にはその成り立ちから大きな違いがあり、漁協ができるはるか昔から漁村の漁民たちが海洋資源の枯渇を防ぐため漁獲量について話し合って自己規制してきたのです。その典型的な例が大間の1本釣りなのです。
 クジラやイルカは哺乳類であり、しかも肉食動物です。適当な量を捕獲して生息数をコントロールしないと海洋資源の生態系が崩れてしまいます。現にかつては大衆魚の代表だっためざしが激減し、今では高級魚になってしまいました。日本の調査捕鯨によって既にクジラの生息数は海洋資源の生態系を破壊しかねないほどの状態になっています。
 アメリカやオーストラリア(彼らのすべてとは言いませんが)が主張する「クジラやイルカを殺すのは残酷だ」という言い分と、日本が一貫して主張している「海洋資源の生態系を破壊しないような漁獲規制をすべきだ」という言い分とどちらがフェアで論理的整合性があると思いますか。私は「殺して食べ、さらに輸出までして儲ける」という考え方で牧畜業を営んでいる国が、日本の捕鯨を「残酷」と主張できるいかなる根拠もないと思っています。
 そもそも食文化はそれぞれの国の伝統的なものです。アメリカはかつてスペインから牧畜技術を導入する前、バッファローを狩り付くし絶滅させた経験をもっています。そのほろ苦い経験からバランスの取れた生態系を維持するための提案を国際社会に発する義務があるのではないでしょうか。自分たちがクジラを食べないからと言って「捕鯨は残酷だ」というのはフェアでもなければ論理的整合性のひとかけらもない主張ではないでしょうか。
 話はちょっと飛びますが、朝鮮人の食文化の一つに「犬食」があり、韓国でオリンピックが行われたとき「野蛮だ」という国際的批判を浴びたことがあります。しかし日本からはそういった批判は起きませんでした。当然のことです。どの国にも、それぞれ異なった食文化があり、どの国も他国の食文化を批判する資格はありません。
 食文化という政治や宗教とあまり関係のないことについての私の主張や考え方から、私には一切の既成の価値観を基準に主張したことはないし、今後もそうした主張はしないということをご理解いただけたでしょうか。