落合順平 作品集

現代小説の部屋。

舞うが如く 第七章 (10)民子と、咲

2013-02-23 07:14:34 | 現代小説
舞うが如く 第七章
(10)民子と、咲



 暑気が強くなるにつれて、
製糸場内では、病人が沢山出てくるようになりました。
蒸気と熱湯だけでも高温になってしまう工場内が、気温の上昇と共に、
さらにうだるような環境に変わりはじめたためです。


 西洋医が診察にやってきました。


「大勢を、狭い部屋にとじ込めて置くから病気になる。
健康のためにも夕方から、夜八時半頃までは広庭に出してたくさん運動をさせるように。」
と診断をして、その改善策もくだします。


 早速、その広庭が工女たちに解放されることになりました。
役人による取締役が付添いを務める中で、 思い思いに、九時頃まで遊ぶようになります。
しかしその甲斐も無く、それからほぼ二週間後になった頃に、
最年長の民子が、ついに体調を崩してしまいました。


 その日は、一人で部屋で休んでいましたが、
夜になると、もう足がひょろひょろとしたまま、ついには歩くことすら
ままにならない状態に陥ってしまいます。
翌朝、製糸場内の病院へ行くと診察の結果、即座に「脚気」といわれてしまいます。


 明治3年と、その翌年からこの「脚気」が、巷で大流行をしました。
東京などの都市部や、陸軍の鎮台所在地、港町などで流行をして、
上層階級よりも中・下層階級で、より多くこの病気が発生をしました。
この当時には、死亡率がきわめて高い病気のひとつです。


 脚気の原因が、まだ未解明だった時代です。
脚気の流行にはさらに拍車がかかり、政府を上げて、その原因解明と対策が急がれました。
脚気の原因がわからなかった理由としては、いろいろな症状があるうえに、
病気の形が変わりやすいことや、子供や高齢者など体力の弱い者が冒されずに
元気そうな若者が冒されることなどが挙げられます。

 また、良い食物をとっている者のほうが冒されており、
粗食をとっている者が冒されないことなどの、一見矛盾した特徴もありました。
またこの当時の西洋医学には、脚気という定義はありません。
当時の日本の漢方医学にも、人の栄養に不可欠な微量栄養素があるという
知識は、まったく見当たらない状態です。


 脚気は、ビタミンB1欠乏症と言う病気です。
ビタミンB1の欠乏によって、心不全と末梢神経の障害をひきおこすという疾患です。
心不全によって下肢がむくみ、神経障害によって下肢のしびれが起きることから
脚気(かっけ)という名前で呼ばれました。
心臓機能の低下や不全(衝心(しょうしん))を併発する事から、
脚気衝心などと呼ばれることもありました。

 今日では、ほとんどありませんが白米を常食として、
ほとんど副食物を取らなかった時代では、こうした原因がまったく不明なまま、
死者が多くでるという病気のひとつです。

 琴が病院の診察室で、寄宿舎の取締役と善後策を協議しています。
帰国させるにしても、民子がまったく身動きができない今の状態では無理と思われ、
当分は静観せざるをえないとして、その結論を下します。
お昼の休憩に入ったとたんに、同室で最年少の咲が、診察室へ飛んできました。


 「これよりすぐに、
 民子さんを連れて帰国をしたいと思います。
 脚気なれば、郷里へと戻れば薬を飲まずとも全快すると、
 国もとでも申しておりまする。
 なにとぞ、お願いを申しあげます。」


 部屋長も後から現れて、全員で相談しているところへ、
脚気の診断を下した西洋医がやって来ました。
懸命に食い下がる咲を、片言の日本語で西洋医がなだめ続けました。
命に別条は有らずとの西洋医の説明に、ようやく一同はあらためてほっとします。
しかし当の民子は、自力では身動き一つでき無い状態のままです。

 結局、咲が常時付き添うことで落着をします。
一同はそれぞれに、その日は一旦各自の持ち場へ戻りました。
しかし様子を見たものの、その後も民子に食欲も無く、食事もまったく進みません。
足も全く立たなくなったために、「はばかり」へ行くにも咲が肩を貸して
通い、介助することになりました。
それにもかかわらず、回復への兆しは一向に見えず、
ただ時間と月日だけが流れます。


 最年少の咲は、泣き言一つ言わずに、
病室と自分の部屋の間を、走ったままでの往復を連日繰り返しました。
三度三度の食事のために、咲は自分の部屋まで全速力で駆けてもどります。
急いで自分の食事を済ませると、今度は小さな体をはずませて、
七十五間とその先の十間余の長廊下を全力で走りぬけて、
民子が心待ちにしている病室へと戻ってきます。



 そんな咲による看護の日々が、およそ3か月あまりも続きました。


 すこしだけ回復のきざしを見せたはじめた民子に、
入湯の許可が初めて出ました。
小さな咲が、やせ細ったとはいえ、長身の民子をおんぶして、
ようやく湯殿にまでたどり着きます。



 共々に裸となり、小さな咲が、細身の民子を抱きかかえて、
やっとお湯へとつかりました。
周りにいた工女たちが、それをのぞいて口ぐちに笑いましたが、
咲には、笑う余裕などはまったくもってありません。


 湯気の中で、抱きかかえられた民子が小声で
咲の耳へ、なにやら短く囁きました。
顔を真っ赤にした咲が、嬉しそうにこくんとひとつ頷きます。
どんな言葉であったのか、それは誰にも聞こえません。
しかし傍目にも分かるほど、余りにも嬉しそうな咲の様子に回りの工女たちは、
ただただ首をひねるばかりです。

第7章(11)へつづく



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舞うが如く 第七章 (9)工女の月給と食事

2013-02-22 04:50:37 | 現代小説
舞うが如く 第七章
(9)工女の月給と食事





 糸をとるために熱湯を満たしたまゆ容器は”釜”(洗面器みたいな形)
と呼ばれています。
繰糸場ではこの釜が25個、直線に並んでいます。
その作業台は2列あり、2つを合わせた50個が1つのブロックをつくります。
富岡製糸場で稼働しているのは、4ブロックで合計が200釜です。


 西からの2ブロックを、一等台(最上品質の糸をつくる)と呼んでいました。
次の1ブロックは二等台、その次の一番東側の1ブロックが、三等台とされています。
等級に応じて、それぞれに選別された繭が支給されます。
繭そのものにも等級があり、上、中、下と3段階に仕分けられています。
釜の作業台の後ろには、揚げ枠台が配置をされています。
糸とり担当がまず、釜の前で糸とりの作業をします。
糸揚げの担当は、揚げ枠台の前に立って仕上げの作業をします。

 揚げ枠台には、子枠をさす棒があり、
ここにさした小枠から糸をあげ、ガラスで出来たガイドを通して
上の大枠へと、さらに生糸をつなぎあわせます。


 大枠が蒸気エンジンの力で回転をはじめると、
小枠からは糸が繰り出されて、次第に大枠に巻き取られていきます。
巻き取る際には、糸が自動的に左右に往復運動を繰り返し、
綾目を作りながら巻き取られます。


 切れた際の糸のつなぎ目は、
ごく小さなものにしなければなりません。
また横糸を出してもいけないという、厳しい基準なども有りました。
(1個のまゆからは、平均して、800m~1500mの糸が取れます)

 新人たちは、その他のこまかいノウハウなども含めて、
ベテランの工女たちから、糸とりのための一通りの技術と指使いなどの指導を受けます。
この講習を受けた後に、ようやくひとり立ちとになるのです。
最年長の民子も、ひととおりの講習を受けた後に、
初めての糸取りに挑戦をしました。



 ところが、一等台の後側にある大枠の3個
(これに連動する小枠は、全部で12個あります。)を受け持ってみると、
しょっちゅう糸が切れてしまい、思いのほかに泣かさてしまいます。


 切れた糸をつなぐ際に、うっかり器械についてる油にさわったりすると、
その糸まで汚れてしまい、商品価値が台無しになってしまいます。
そのたびに指導員からはきつく叱責をされました。


 工女たちの月給は、フランス人指導者が、
日本人指導員の意見と評価を参考にしながら、査定をしました。
一等工女から三等工女までと、中廻り(巡回指導員)も、
それぞれランクごとに、おのおのの月給が定められています。


 この当時の、中廻りの月給は2円です。
一等工女が1円75銭、二等工女が1円50銭、三等工女は1円と、
この当時の記録に残っています。
当時の歩兵(新兵)の月給が、1円でしたのでそれほど、
安月給と言うわけではありません。


 ましてや、技能研修生という立場でありながら、
住居費や光熱費、食費もかからないことなどを勘案すると、
けっこうな高収入とも言えます。
とはいえ、世間慣れしていない箱入り娘たちが、
現金を手にしてしまうと、あとさきも考えずに場内の売店で
目につくものを、色々と購入をしてしまいます。
ツケがきくので、月給の数倍くらいのツケを貯めてしまう人も出てくる始末です。


 場内の売店では、
娘たちの興味をひく、たくさんの物が揃っていました。
帯をはじめとする呉服類、おしろいなどの化粧品、髪飾りなどの装飾品、
その他もろもろの雑貨類などを、まかない方の妻たちが販売していました。



 また、三度の食事も、
発足の当初は、寄宿舎の部屋に戻って済ませていました。
まかない方が各部屋の入り口まで配達をするのです。
朝は、ご飯と味噌汁と漬物で、昼のおかずは、インゲンなど野菜の煮物や、
切り昆布、こんにゃく、やつがしらなどの煮つけたものが中心です。

 夕飯のおかずは、魚の干物などが多かったようです。
当時の上州は、物流が不便で、生の魚はとても入手が困難でした。
したがって、魚は塩引きか干物ばかりです。

 しかし仕事のあとは、工女たちもおなかがペコペコです。
育ち盛りの工女たちは、どんなものでもすべてを美味しく平らげました。
毎月の一日、十五日、二十八日には、お赤飯に鮭の塩引きと決まっていて、
これもまた、とても楽しみにしていたようです。

 11月ころになると大食堂が完成して、
自分のお茶碗とお箸を持っていって食事をとるように変わりました。
誰もが先にいって、はやく自分の分を確保したいために、
それはもう、ものすごい勢いで食堂へと殺到します。


 恥も外聞もなく、猛烈な早食いが流行ったとも、
当時の記録に残されています。
これにはさすがに混乱が起きないようにと、役人たちが総出で監視をして、
食堂内の秩序維持につとめたと言う、なんとも凄まじい光景の
笑えないような逸話が、同じく語り継がれています。


 第7章(10)へつづく




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舞うが如く 第七章 (8)ただの、手違い

2013-02-21 06:57:32 | 現代小説
舞うが如く 第七章
(8)ただの、手違い





昼休みの汽笛が鳴ったあと、
前橋出身者たちは琴の部屋に集まりました。
昼食も食べずに、ただくやしがっては涙にくれるばかりです。


 たまたま通りかかった琴が、
気配に気がついて部屋へ入ってきます。
管理職付きの見習いとして、諸事と会計帳簿係として別行動中です。

 一同を眺めまわして、どうかしたのかと尋ねます。
かくかくしかじかと、説明を聞いた琴が
思案顔のままに、とりあえず一同を諌めます。

 「よくよく事情は調べてみますゆえ、まずは、私にお任せください。
 それよりも、みなさんは、
 ここは機嫌を直して、気持ちよく持ち場にお戻りください。
 泣いているだけでは、何事も解決はいたしませぬ、
 まずは、しっかりと食事をしたうえで、事の解決に臨みましょう。
 いくさの前には、腹ごしらえも大切です。
 民子さん、みなさんには、
 しっかりと食事をさせください。」


 それだけ言うと、琴が部屋を後にします。
残された一同が最年長の民子へ、一斉にその視線を集めました。

 「泣いているだけでは、
 確かに、何も解決などはいたしませぬ。
 ここは、琴様に一任をして、まずは午後の汽笛と共に、
 職場に復帰をいたしましょう。」


 その翌日、琴が、
約束がちがうことで、担当の高木指導員に詰め寄ります。
高木指導員は、その気迫にうろたえます。

 「今回のことは、フランス人の手違いで、僕は知らなかったことの一件です。
 これから、おいおいと都合つけていきますので、
 もうちょっとだけの辛抱をお願いします。」


 と、汗だくになりながら釈明をしました。
このいきさつが民子を通じて、一同に伝達されたため、
今回に限ってという条件付きで、なんとかその場がおさまります。

 その数日たった後のことでした。

 指導員たちが、まゆ選別場にやってきて
前橋の工女7,8人を、次々に指でさすと着いてくるようにと合図をします。
選ばれた工女たちは、うれしくて満面に笑みを浮かべました。
その日と、その翌日のまゆ選別場では一日中、この指名が繰り返されます。
ようやくにして全員が、無事に繰糸場へ入ることができました。

 繰糸場で、最初に教わる仕事は、”糸揚げ”と呼ばれる作業です。
まゆから引き出されて、六角形の小枠に巻かれた生糸を、
もう一度巻きなおすための作業です。
生糸は濡れたままにしておくと、まゆ成分のうちのニカワ質が、
枠にくっついてしまうため、小枠から生糸を乾燥させながら引き上げながら、
大枠にもう一度、巻き直すという作業です。

 巻きなおされた生糸のひとくくりが、完成をした商品となります。
この一連の工程のことが”糸揚げ”とよばれる作業です。
なお、まゆから糸を引き出して、その数本をよりあわせながら
生糸として小枠に巻くまでの前工程のことは、”糸とり”と呼ばれています。


 品質に大きな影響をおよぼすこの”糸とり”は、ベテランの年長者たちが担当をします。
その後工程の”糸揚げ”は、


 しかし新入りの民子たちは、
いくら年長者であっても、ここでは見習い仕事から始めなければなりません。
本工女となるためには、沢山ある仕事と工程のうち、この”糸あげ”から
まずはタートすることになるのです。









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舞うが如く 第七章 (7)工女たちの悪戯(わるさ)

2013-02-20 07:53:49 | 現代小説
舞うが如く 第七章
(7)工女たちの悪戯(わるさ)




 先輩にあたる工女たちが、ひととおり持ち場につきました。
新入りである前橋からの見習い工女の20人は、女性の工女副取締りに引率をされて、
繰糸場を一通り見学をして歩きます。

 大音響の蒸気エンジンが唸りを上げて動きはじめました。
ずらりと並んだ灰色塗装の鉄製円形従動輪が、一斉に回りはじめます。
その先にずらりと連なっている、6角形の糸巻き枠を次々に回転をさせていきます。


 その列の下には、工女が整然と並んでいます。
ぴかぴかの真鍮(しんちゅう)製の道具を操りながら、
黙々と、糸繰りの作業をはじめます。
それらの工女たちの間を、フランス人と日本人の指導者男女が
工女たちの手元を見ながら歩きまわっていきます。
それぞれに様子を詳細に見ながら、時には手にとって指導をしたりしています。


 前橋からの新人の一同は、
はじめて見る場内の活気ある様子に、ただただ圧倒をされていました。
目を丸くしたまま、やがて製糸場内を通り抜け、再び製糸の最初の工程となる、
西まゆ倉庫へと到着をします。



 西まゆ倉庫内には、最初の工程のまゆの選別場があります。
同時にここから、工女としての最初の仕事の見習いもはじまります。
男性指導員の高木さんともう一人のベテラン工女が、
まゆの目視による選別法を、詳細にかつ丁寧に説明してくれます。
続いて大きなテーブルを囲んで、早速の実地訓練が始まります。

 新人たちが繭を選別するたびに、
指導員たちが、等級分けした合格品と不良品を見比べます。
些細な見落としなども含めて、指導員たちからは何度も細かい注意が繰り返されます。
選別中は、工女どうしがちょっとでも私語をかわすと
「そこ、作業中は、しゃべらない!」と叱られてしまいます。


 見回り中のフランス人指導者も、片言の日本語です。
「ニホンムスメ、タクサン、ナマケモノ、アリマス」などと叱りつけます。
そのうえ煉瓦造りの窓は、小さ過ぎて風通しが悪いために、
まゆの臭いが立ち込めてくると、場内は
とたんに不快な作業環境に変わりはじめてしまいます。


 単純な選別作業を数時間も繰り返していると、
だんだんと眠気がおそってきます。
午前中には30分の休憩があり、部屋に戻って一時間の昼食休憩もありますが、
午後4時の終業までの一日が、なんとも長く感じられます。



 だんだんと陽気も良くなってくると、
繭選別の作業所内では、蝿が飛び回るようになりはじめました。
みんな田舎育ちのことですから、、そんな蝿を、
ぱっと、素手で捕まえることができてしまいます。



 うるさい蝿を、捕まえているうちに、
誰かが、蝿の羽根をもぎとってしまいました。
その背中へ、小さなワラシベを刺し、不良品のまゆから、より出した糸を
ワラシベにくくりつけてしまいます。
羽根無しの蝿が、不良品のまゆを引っ張って歩き回る姿が完成をします。
選別場の床に離してやると、不良品のまゆがひとりでに動いているようにも見えます。


 おおくの工女たちは、箸が転んでも
可笑しくなるというそんな年頃の娘ばかりです。
これを見つけた娘が、最初のうちは忍び笑いでこらえていました。
このイタズラが、だんだんと広がって密かな楽しみになりましたが、
とうとう指導員の高木さんに見つかってしまいました。


 苦笑しながら
「これは誰がやったんだ?」と尋ねて回りますが、
誰もが下を向いたまま、笑っているだけでその問いかけには答えません。
いつしか、犯人探しもそのままになってしまいました。
しかしその後は、この気晴らしもできなくなってしまいます。

 まゆの選別技術をマスターしてくると、
誰もが、繰糸場に行きたいと思うようになり始めます。
ある日、高木さんに、
「いつ繰糸場に行けるか」と工女たちが尋ねます。
その答えは

「3月20日ごろに、
 山口県から新入者が40名くらい入場して来るから、
 そのときに(繰糸場へ)出してあげる」
と応えて、一同がおおいに喜びます。
毎日、気合を入れて選別作業にいそしみながら、
前橋からの新人20人は、その日が来るのを待ち続けます。


 待ちに待った3月20日のことです。

 山口県からの40人が、富岡製糸場へ来場をしました。
山口県の娘達は、明治維新の中心となって活躍した長州藩士出身にふさわしい
雰囲気を、いかにもというようにその全身に備えています。
身につけた衣服はもちろん、その立ち振る舞いにさえも、
ほどよく洗練されたものがありました。

 これを見た前橋の工女たちは、
いよいよ明日からは、繰糸場に行けるとおおいに喜び合います。
新しい手拭いなども準備して、その身支度を怠りません。
翌朝、期待に胸をふくらませて、まゆの選別場に行きましたが、
昼になっても、なんの示達がありません。

 そればかりか、
ガラス窓をとおして見える繰糸場のなかでは、
来たばかりの山口県の娘達が、器械の前で糸繰りの指導を受けているのが見えました。
余りの光景に、前橋の工女たちが愕然とします。

 しかし、まゆ選別場のなかには、
前橋以外の工女達もたくさん居ますので、ここでめそめそ泣くわけにはいきません。
しかし、20人が打ち揃ってなんとも落胆し、
悔し涙ばかりが流れる午前中のあり様になってしまいます。




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舞うが如く 第七章 (6)生糸の工程

2013-02-19 09:32:29 | 現代小説

舞うが如く 第七章
(6)生糸の工程



 
 翌日からは、いよいよ事業に就くことになりました。
ここでは、午前六時を過ぎた頃に、
その働く場所へ移動するのが決まりになっています。
一番の笛で、全員が工女部屋を出て、廊下で待機をします。
二番の笛で、隊列を整えてから、工場へ入場することになっていました。



 その一番笛の鳴る前から、
工女部屋の出口には、それを待つ娘たちが沢山並び始めます。
しかしその出口より先へ、一足たりとも前に出ることは許されていません。

 やがて一番が鳴ると工女部屋総取締の男子と、
副取締の女子の両名が、居並ぶ工女たちの先頭に立ちます。
七十五間ほどある繭置場の外の長廊下を通りぬけてから、
繰糸場の真中にある、正門からの入場をめざして工女たちの朝の行進が始まります。
そこへ至るまでは、一切隊列を乱すこともないように姿勢を正したまま、
綺麗に行列を続けなければなりません。

 その長廊下の真中ほどに、
事務所も兼ねた役所と執務室がありました。
いつものように役人たちが、その出口の前に横一列に整列をして、
工女たちの行動のすべてを検閲しています。
万一横飛びなどをして、隊列を乱したりしてしまうと、
その場でたちどころに叱られてしまいます。

 多くの隊列がこの行列を経てから、繰糸場へと順々に入場をします。
持ち場についたのち、作業開始の笛を待ちます。
新入りである琴たちの一行は、さらに進んで、西にある繭置場まで案内をされました。
この繭置場も、全体の景観と同じ赤レンガで覆われた建物で、
七十五間の長さにもおよぶ、二階建てです。

 製糸工場へ届けられる繭は、
ほとんどが、未処理のままの生繭です。
そのままに放っておくと、繭の中のサナギが成虫(蛾)となって、穴をあけたり、
汚したりして製糸原料としての価値を損なってしまいます。
そのようになる前に、中にいるサナギを殺し、カビや腐敗してしまわないように
乾燥をさせ、水分を少なくしてから貯蔵をする必要がありました。

 繭は「蚕」と言う昆虫がつくる生産物です。
蚕による品種や個体の違いによっても、また生産された環境などの違いによっても
形や品質には、きわめて大きな異なりが生じます。
病気にかかって表面が汚れたものや、充分に生育していない薄い繭、
キズや色合いの悪いものは、ここでの選別によってすべて取り除かれます。
この選別を経てから繭は、ようやく煮繭の工程に移されます。

 煮繭とは、接着状態の繭糸を順序よく解きほぐすために、
接着を適当にやわらげるために必要とされる工程です。
(女工哀史などでは、工女たちが熱湯の中へ大量の繭を入れ
まんべんなくかき混ぜていた光景があります。)
最新の製糸工場では湯や蒸気を使って、繭層を外側から内側まで、
均一に煮熟をしていくのです。


 煮熟された繭は、繰糸機の索緒部へ移されて、
高温の湯の中で、索緒箒(ほうき)を使い表面を軽くこすって
生糸の糸口を引き出します。
この行程で、最初は糸口がもつれた形のままで最初の糸が引き出されます。
この作業のことを索緒といい、一本のただしい糸口になるまで糸をすぐることを
抄緒(しょうちょ)と呼び、引き出されたただしい糸口のことを、
正緒(整緒とも書く)と呼んでいました。


 このようにして正緒が出された繭が、その次の給繭機に移されます。
繰糸機の繰解部(生糸を作る湯の櫓)に入れられてから、目的の
太さになるように、何本かを合わせて燃り(より・ケンネルとも言う)を行います。
この燃り装置を使って、細い蚕の糸が数本ずつが寄り合わされて、
やがて一本の生糸が集束されていきます。





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