落合順平 作品集

現代小説の部屋。

北へふたり旅(88) 裏路地の道産娘② 

2020-03-31 18:29:54 | 現代小説
北へふたり旅(88) 
 
 「内地からですか。お客さんは?」


 「札幌は遠いね。電車を乗り継いで10時間もかかった。
 あ・・・群馬から来たんだ。
 知っているかい、草津温泉が有る群馬県を」


 「飛行機ではなく汽車で来たのですか、お客さんたちは」


 「汽車じゃない。列車だよ」


 「北海道では汽車のことを汽車と言うっしょ。
 あっ・・・ごめんなさい。
 油断すると北海道弁が出てしまいます」
 
 「君はアルバイト?。
 学生さんみたいな雰囲気があるけど?」


 「大正解です。こう見えてわたし北大の学生です」


 店はかなりひろい。そこそこの数の客が居る。
観光客らしい姿も見えるが、地元客の方がおおいような雰囲気だ。
壁のメニューを目で追っていく。海産物の七輪焼きがメインらしい。
どうりで店の中に煙が漂っているはずだ。


 「何にしましょう?」


 「とりあえずマグロの刺身と、ホッケの焼き物。
 それから日本酒。
 なにかおすすめの日本酒が有る?」


 「マチ(札幌)から北へ2時間。増毛町の国稀(くさまれ)か、北海鬼ころし」


 「じゃ北海鬼ころし。妻にサッポロの生ビールをお願いします」


 「は~い。しょうしょうお待ちください」


 メモを片手に道産娘が厨房へ飛んでいく。


 「かわいいですね、女の子の北海道弁って。
 でも一番聞きたかったそだね~は使いませんでした。うふっ残念です」


 平昌五輪でカーリング女子が銅メダルをとった。
快挙を成し遂げた「ロコ・ソラーレ北見」の美女たちが、2つのことで注目を集めた。
ひとつは試合中のもぐもぐタイム。カーリングにはハーフタイムが有る。
水分補給のほか、食事も許可されている。
もうひとつ。彼女たちが試合中に使っていた「そだねー」が、注目を集めた。
 
 「お待ちどうさま。北海鬼ころしと生ビールです」


 北大生がビールと日本酒をもって戻ってきた。


 「ひとつ聞いてもいいかい。
 君の北海道弁は営業用かな。もしかして?」
 
 「そったら器用な女の子さ見えます?。あたしって」


 「申しわけない。観光客がよろこぶので方言を使っていると勘ぐった」


 「生まれも育ちも道東の釧路です」


 「釧路・・・ずいぶん遠いね!」


 「直線距離で300㎞。高速バスで5時間かかるっしょ。
 飛行機なら40分で着きますが、片道の普通運賃が22,100円。
 貧乏学生は乗れないべ」


 「君は貧乏学生なの?」


 「裕福な家庭に育ったのなら、こんなところでアルバイトしてないっしょ。
 あ・・・こんなところは云いすぎました。
 すすきのキャバレーで働くより、ましという意味です!」


 
(89)へつづく



北へふたり旅(87) 裏路地の道産娘① 

2020-03-28 17:16:09 | 現代小説
北へふたり旅(87)  


 「札幌らしいグルメが食べたいですね」


 午後6時。夕食をさがしてホテルを出る。
駅南のここは札幌の中心部。しかしどこをみてもおおきなビルばかりで、
北海道の商業とビジネスの拠点ビルがやたらと目立つばかりで、
飲食店は見当たらない。


 「札幌グルメと言えば、北海道の美味がつまった海鮮丼。
 スープカレーにジンギスカン、札幌ラーメン・・・
 いろいろ思い浮かぶがここから見る限り、グルメの店はひとつもない」


 「ホント。目にはいるのはビルばかり。
 札幌の皆さんはいったい、どこで食事しているのでしょう?」


 ビルの通りから少し外れることにした。
最初の角を右へ曲がる。もちろん当てはない。ただの当てずっぽうだ。
曲がった途端「失敗したかな?」と後悔した。
前方に何もない。
ひとつ先の通りまで、ビルの裏通りがつづいているだけだ。
まぁいい。むこうの通りへ出れば何か有るかもしれない。
そうつぶやいて歩きはじめた。


 とちゅう、路地が有った。
妻が立ち止まり、路地をのぞきこむ。
「なんでしょうあれ。提灯と暖簾のようなものが見えます」
提灯と暖簾と言えば、居酒屋か呑み処だ。


 「こんな路地に呑み屋?。まさか・・・」


 車一台が通り抜けるのがやっとの細い路地。
ビルに取り囲まれ、ここだけ取り残されたようなさびしい空間。
その中ほどに、居酒屋らしい暖簾が見える。


 「ビルの谷間の取り残された細い路地。
 たしかに遠くから見る限り、揺れ具合が居酒屋の提灯のようだな」
 
 訪ねてみることにした。


 店先に屋号が書かれた藍染の暖簾が揺れている。


 「赤提灯と藍染の暖簾。まぎれもなく居酒屋の王道だ。
 北の都の札幌で、こんな奇跡の光景に出会えるとは思わなかった!」


 屋内に直接、風や光が入るのを防ぎ、目隠しとして使われてきた暖簾。
ごはん屋や居酒屋などでお客さんが出て行く時、肴をつまんで汚れた手を
ちょっと「暖簾」で拭いていく、そんな習慣があった。
そのためのれんが汚れている店ほど、「繁盛している店」と言われた。
閉店になるとまずのれんを片付けるので、出ていると「営業中」の合図になった。


 布の看板と言われる暖簾は、日本独特の物。
発祥は平安時代。
当初は、日差しをよける、風をよける、塵をよける、人目をよける、などを目的に
農村、漁村、山村の家々の開放部に架けられていた。
無機質な白無地や、色無地が主だった。


 メッセージが入るようになったのは、鎌倉時代以降から。
暖簾の真ん中に、さまざまな文様が描かれるようになった。
室町時代。商家が屋号や業種などを知らしめるメディアとして使いはじめた。


 「お、粋だねぇ。入り口に縄のれんまで下がっている。
 ますます気に入った。今夜はここで呑もう。
 店主の心意気が伝わって来た」


 ガラス戸をからりと開ける。
すかさず奥から女の子の、あかるい声が飛んできた。


 「いらっしゃいませ。
 お2人さんですね。どうぞお好きな席へお座りください」
 
(88)へつづく


北へふたり旅(86) 札幌へ⑪

2020-03-22 18:23:25 | 現代小説
北へふたり旅(86) 
 

 時計台から5分ほどで大通り公園へ出た。
札幌市のほぼ中央。幅105m、6車線の道路が広場の左右にある。全長は1.5Km。
起点にテレビ塔が建っている。テレビでよく見るあの札幌のテレビ塔だ。
それがそのまま目の前にそびえている。


 「朝の天気予報のたびに、このテレビ塔が写ります。
 ホント。こんな風に見上げる日が来るなんて夢のようです」


 「夢じゃない。現実にこうして目の前に立っている」


 「小さいですねぇ。東京タワーの半分くらいかしら・・・」
 
 テレビ塔と大通り公園は内地の人に、いちばん馴染みのある光景。
札幌といえばまずこの景色を思い起こす。


 テレビ塔の前へ、保母さんに引率された園児たちがあらわれた。
黄色いお揃いの帽子が賑やかだ。
「ここで30分、お休みします」先生の声とともに小さな集団がはじける。
「遠くへ行ってはいけません!」先生の声を尻目に、こどもたちがテレビ塔前の
芝生の上をいっせいに走りだす。


 「あら・・・ひよこさんたちの鬼ごっこがはじまりました」


 「先生も大変だな」


 あちこちで追いかけっこがはじまる。
せまい範囲をくるくる回る子もいれば、芝生の外周を走る子もいる。
保母さんがこどもたちを追いかけるが、なかなかひよこは捕まらない。


 「冷たいものを買ってこよう」


 妻をベンチに置き、テレビ塔の下へ歩き出す。
真下にビアガーデンが見える。
夏場、1万3000席がつくられる大通公園のビアガーデンはすでに終了しているが、
鉄塔下のサッポロクラシックはまだ残っている。


 「クラシックを2杯」


 クラシックは麦芽100%の生ビール。コクがあるのにスッキリした呑み心地。
限定発売のため、北海道でしか呑むことができない。


 「昼間からビールですか。札幌ならではです」


 「おいしい」ひと口飲みこんだ妻が思わず目をほそめる。


 「電車旅ならではの醍醐味です。
 車で出かけたのではこうして2人で、ビールを呑むことはできません」


 「同感だね。車は便利だ。だが歳をとると遠出の運転が苦痛になる。
 その点、電車は良い。
 すわっているだけで目的地へ連れて行ってくれるからね」


 「おいしい駅弁も食べられます。こうして昼間からお酒も呑めます」


 黄色い帽子が目の前にやって来た。


 「あっ!。いけないんだぁ!。せんせ~ぇ。わるい大人がいます!。
 昼間からお酒なんか呑んでいる!」


 先生があわてて飛んできた。


 「いいんです。だいじょうぶ。
 ぼく。わたしたちは内地の群馬というところから10時間かけて
 列車を乗り継ぎ、ようやく札幌までやってきた。
 たいへんな長旅でのどが乾いた。
 乾いた喉と、無事に札幌へついたことに感謝して、乾杯していたんだ。
 きみも大人になればきっとわかるさ。この気持ちが」


 先生がペコペコ頭を下げている横で、黄色い帽子が不思議そうな表情のまま、
わたしたちを見上げている。


 (87)へつづく


北へふたり旅(85) 札幌へ⑩

2020-03-18 14:30:10 | 現代小説
北へふたり旅(85) 札幌へ⑩


 札幌市の時計台は札幌駅から、大通公園へ向かう途中にある。
正式名称は「旧札幌農学校演武場」。
名前からわかるように札幌農学校(現在の北海道大学の前身)の
演武場として建てられた。


 明治2年。開拓使が置かれ、北海道の開拓がはじまった。
広大な北海道の土地を開拓するため、指導者を育成する必要があった。
育成の場所として「札幌農学校」が1876年、開校した。
マサチューセッツ農科大学から、ウィリアム・スミス・クラーク博士が
指導者のひとりとして招かれた。


 「少年よ、大志を抱け(Boys, be ambitious.)」のクラーク博士だ。


 クラーク博士が入学式や卒業式のセレモニーや、兵式訓練に使う施設として
演武場の必要性を提案した。
1878年。演武場が建てられた。
このとき、時計のついた塔の部分はまだなかった。
授業の開始や終了を知らせる、小さい鐘楼があるだけだった。


 時は太陽暦へ切り替えが行われていた明治時代。
全国で西洋式時計塔の建築がブームをむかえていた。
時流に乗り、この演武場にも時計をつけようという話がもちあがった。


 アメリカ・ハワード社に時計を発注した。
ところが届いた時計は、まさかのアメリカンサイズ。
大き過ぎて鐘楼に取りつけることができない。
大議論の末、できたばかりの演武場を改築し、なんとか時計を設置した。


 以後130年余り。大きな改修を経ることなく今に至った時計台。
明治・大正期、全国に72の機械式塔時計が設置された。
しかしいまも動いているのは、わずかに3機。
もっとも古いのがこの時計台。
時計台はビルの谷間の中にある。そしてとつぜん姿をあらわす。
 
 ♪~時計台のしたで逢って、私の恋ははじまりました~
 黙ってあなたについてくだけで 私はとても幸せだった~♪


 妻が石原裕次郎の「恋の町札幌」をくちずさむ。
アカシアの街路樹の間から、妻の口ずさむ白い時計台が顔を出す。


 (意外と小さいですね・・・もっと大きいと思っていました)


 ホテルへ荷物を預けたあと、大通公園をめざして散歩に出た。
南へ歩きはじめて5分。街路樹のすき間から白い時計台があらわれた。
緑のすき間から4面の時計を見ることができる。
時計台の隣り、街路樹のむこうに市役所の建物が見える。
札幌の通りにはたくさんの街路樹が植えられている。


 「札幌で一番古い街路樹は、明治19年に植えられた駅前のニセアカシア。
 きっかけは、ウィーン万博。
 津田仙(津田塾大学の創設者である津田梅の父)が、あまりにきれいなので、
 タネを持ち帰り、それから作られた苗木が植えられました。
 札幌の町では昔からニセアカシアの花が咲き乱れたので、アカシアを題材にした
 歌もたくさんうまれています」


 「そういえば裕次郎の赤いハンカチも歌いだしは、
 アカシアの花の下で、あの娘がそっとまぶたをふいた赤いハンカチよ~だ」


 「緑のつややかな葉ばかりで、花が見当たりませんが・・・」


 「アカシアの花の季節は6月。白い花が咲きほこるそうだ」


 「あら。残念です。6月ですか。花の季節は・・・」


 「北海道の6月は梅雨もない。
 風が爽やかで、1年の中で最も気持ちの良い季節といわれている。
 青空の中に咲き誇る満開のアカシアの白い花。
 見たい景色のひとつだ。素敵だろうね」


 「来年6月。アカシアの花を見るためもう一度やってきましょう。ここへ」


 「6月か。茄子の最盛期だ。忙しいぞ。
 2人で休暇をとって何日も休んだら、Sさんに殺されかねない。
 無理だろうな・・・アカシアの花を見に来るのは」


 「現役で働いているうちは無理ですか・・・
 しかたありません。あきらめて働きましょう。
 でも、もういちど来たいですねぇ。アカシアの咲いている札幌へ」


 「その頃には北海道新幹線が、札幌までやって来る」


 「あら。いつですか。それ」


 「開業予定は2030年度の末。いまから10年後だ」


 「10年後ですか・・・あと10年後も元気かしら、あたしたち。
 なんとも微妙ですね。うふっ」


(86)へつづく


北へふたり旅(84) 札幌へ⑨

2020-03-15 14:35:13 | 現代小説
北へふたり旅(84) 


 列車が札幌駅へ到着した。ホームは2階にある。
エスカレータで1階へおりていく。しかしあまりの広さに驚いた。
西と東に改札口がある。


 「西と東。どっちが近いんだ・・・」


 想定を超えるひろさに思わず、立ち止まってしまった。


 はじめておとずれた観光客が、おなじように戸惑っている。
案ずることはなかった。結果はどちらも同じ。
改札のさき、構内を南北につらぬくコンコースがあった。
西から出ても東から出ても、ぐるっと回れば好きな方向へ行くことができる。
ただし西から出たほうが観光案内所やコンビニ・薬局・土産店などが豊富にある。


 めざす目標は、札幌のシンボルのひとつ時計台。
今夜のホテルは、時計台通りにある。
西コンコースから南へ出る
すぐわかるだろうと簡単に考えていたが、広場へでてさらに驚いた。


 高層ビルが林立している。
東へ目を向ける。JR北海道が2003年に建設した札幌駅ビルが目に飛び込んでくる。
地上38階 地下4階。173mの高さは札幌一を誇る。
駅ビルを挟み西に建つ地上8階建ての大丸札幌店も存在感がある。


 南へ目を向ける。高層の読売札幌ビルがある
23階建ての住友生命札幌ビル、札幌で初めて100mを越えた札幌センタービル。
おおいな建物がつぎつぎ目に飛び込んでくる。


 「すごい。高層ビルばかりが目に飛び込んでくる。
 近代的だな、札幌は」


 「人口195万人です。
 東京以北で最大の都市ですよ。
 北海道の人口の4割が、ここに住んでいます。
 群馬県の人口とほぼいっしょ。
 もうひとつ。町の作り方におおきな特徴があります。
 わかるかしら。あなたに」


 目の前。東西にはしる道路は、北5条・手稲通りと表示されている。
駅前広場から南へ向かう道路が、この位置から3本見える。
東から西3丁目通り・西4丁目通り・西5丁目樽川通り。


 「北5条に西3丁目・・・京都の市街地に似た表示だ。
 あっ、もしかして碁盤の目になっているのか、ここは」


 「ご名答。
 明治新政府は蝦夷地と呼ばれていたこの地を、北海道と改称します。
 開拓使による街づくりが始まりますが、この時参考にしたのが京都の街。
 京都の街が碁盤の目になっているのは、唐の都・長安の街づくりを参考にしたため。
 札幌の街づくりは日本の都であった京都、つまり唐の都の長安の街づくりが
 反映されているの。
 ちなみに北と南の境目は、大通り公園。
 公園から北は北1条、北2条とすすんで、ここ札幌駅は北6条。
 東西の境目は、市内を流れる創成川です」


 「すごいね君。まるで社会科の先生みたいだ」
 
 「どういたしまして。スマホで検索したらた出てきただけです。
 そこ。西3丁目の通りを南へ下ると、札幌市の時計台です」


 「東コンコースから出て来れば、真正面が西3丁目の通りだ。
 失敗したねおれたちは。西から出てきちまった。
 ずいぶん回り道をしたことになる」
 
 「なに言ってんの。いまさら。
 下調べもろくにしないではるばる、ここまでやって来たくせに。
 無事に着いただけでもたいしたものです。
 最初から迷子みたいなもんでしょ。あたしたち」


「誰かが、迷子になりたくて旅に出る。と書いていた。
 旅には目的がある。
 目的地へ着くことが旅の目標だと思っていたが、知らない土地で迷子になる。
 それもまた旅の醍醐味のひとつかな」


 「迷子になるまえにホテルへ荷物をあずけましょ。
 本格的に迷子になるのは、それからです。
 うふっ」


 
(85)へつづく