落合順平 作品集

現代小説の部屋。

アイラブ桐生 (54) 「放浪の果てに」(1)その2

2012-06-30 10:15:12 | 現代小説
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アイラブ桐生 第4部
(54)最終章 「放浪の果てに」(1)その2






 春玉と出かけるときの大きな帽子は、すっかりと必需品になりました。
小春姐さんも愛用したと言う、いわれの深い魔法の帽子です。
舞妓の肌を日焼けから守り、顔かくして人目も忍び、そのうえ涙も隠してくれました。
舞妓の日本髪「われしのぶ」も、らくらくと覆ってくれます。



 舞妓の期間中は、自分の髪で日本髪を結います。
出たての頃が「われしのぶ」という髪型です。
1~2年もすると「おふく」に変わり、少しふっくりとした日本髪になります。
髪を切り鬘(かつら)が使えるようになるのは、舞妓を卒業して
無事に芸妓になってからのことです。



 この頃は春玉とでかけるたびに、
いつでも大きなツバを持った、この魔法の帽子がついて回ります。





 「板前はんになるんどすか」



 今日は久し振りに、鞍馬の山中にある川床へ向かっています。
加茂川に造られている川床は見た目には、たいへんに優雅そのものですが、
舞妓にはすこぶる過酷な環境になります。
地毛で結った日本髪は一週間ちかくも洗えません。
そのうえ白粉を用いたお化粧と着飾った着物姿では暑すぎて、
とても一時間どころか30分ですら、川床の暑さに我慢ができません。
祇園で、舞妓を加茂川の川床に誘う野暮だけはいけませんと、
『ここだけの話どす。内緒どす・・・』と、春玉がにこやかに笑っています。



 山合いの鞍馬は市内より5度近くも涼しく、水面も手を出せば届くほどに真近です。
この夏のデートは、ほとんどがこの鞍馬の山中で過ごしました。
川床の女将さんとも、すっかり顔なじみです。
それとなく、人目を引かない場所に席をつくってくれるようになりました。
長年ここで仕事をしていると、普段の顔を造られて花街のお方がお見えになられても、
どことなく、白粉の匂いなどで、それとなく解りますと、優しく笑っています。
東男に京女は似合いどす、あんじょういくとよろしおす・・・・
と、お茶だけを出して、早々に下がっていきます。




 おちよぼは、どうするのと聞くと
「おちょぼは、一生芸妓どす」と、迷いもなく即座に答えます。



 「好きな人が出来ても、一生、おちょぼは芸妓で過ごすの?」

 「・・・・・」



 じっと涼しい目のままのおちょぼに、真正面から見つめられてしまいました。
沈黙したまま伏せられたおちょぼの目が、私の顔を離れます。
足元を流れる清らかな水面に移り、淵を渦巻いて流れていく様を静かに目で追っています。
しばらくするとその目が、対岸へ移ります。
すっかりと言葉を封印してしまったおちょぼは、私が気がついたときには、
もうはるかに彼方の、遠い景色などを見はじめていました。
鞍馬の山は、午後の早い時間から、夕暮れを呼ぶセミたちが鳴きはじめます。
盛夏もとうに過ぎているために、この時期になると山合いには
人の姿もまばらになりはじめます。



 おちょぼが私に向かって、「静かに」と、唇に指を一本立てました。
何かを見つけたばかりのその視線が、無言のまま、私を眼を川下の彼方へ案内をします。
川下の濃い緑の水辺に、ひと組の男女が見えました。
背広姿の青年に寄り添う、短い髪にすらりとした女性の洋服姿が見えました。
女性が誰かに呼ばれたような素ぶりで、くるりとこちらを振り返ります。
遠くに見えたその横顔には、明らかに見覚えが有りました。
おちょぼが、静かに頷きます。


 えっ、小春姉さん・・・・
その横顔が、さらにこちらを振り返ります。
緑の木陰に隠れているために、座敷の私たちは見えていないような気もしましたが、
こちらを向いた小春さんと、なぜか、目線が合ったような気がしました。




 次の瞬間、そのまま小春さんが、くるりと背中を見せました。
水辺をまた、何事もなかったかのように、男性の背中へ手を置いて再び歩き始めます。
水辺を歩いて、小さな橋を一つ渡り、やがて小春さんの姿が対岸へ消え始めます。
おちょぼは、黙ったままその後ろ姿を見送り続けています。

 一度だけ木蔭に消えた人影が、もうすこし先の水辺にもう一度現れました。
今度は小春さんが、男性の腰にしっかりと手をまわしています。
和やかに何かを語り合いながら、仲の良い男女が水辺を楽しく散策をしている・・・・
まさにそんな光景、そのものでした。



(小春姉さんにも、そんな人が、居たんだぁ・・・)


 なぜか安心をして、おちょぼへ視線を戻そうとした、まさにその瞬間の出来事です。
再び水辺から二人の姿が木蔭に消える寸前に、その仕草は始まりました。
小春姉さんが空いている左手を、連れの男性には気づかれないように用心をしながら、
2度、3度と軽く振り、さらに、これ見よがしに指先で、V字のサインなどを、
嬉しそうに作りました!。


 やっぱり・・・・すべてを、しっかりと見られてしまいました。






アイラブ桐生 (54) 「放浪の果てに」(1) その1

2012-06-29 10:32:44 | 現代小説
アイラブ桐生 第4部
(54)最終章 「放浪の果てに」(1)その1






<屋形のおかあさんの、独り言>

 四月に入ってをどりも始まり、連日歌舞練場は賑わっとります。
一月間のうち若い舞妓ちゃんらは殆ど毎日、
舞やお囃子、それにお茶のお控えと休みなしどっさかいに、
ほんま体力勝負のお仕事どす。



 それにこの期間は、お客さんも多いし
舞台が終わってからのお座敷も普段よりか多いんどす。
「をどり期間中は髪結いさんも混みあいますさかいに、
早朝からちゅうこともあんのどす。


 ひと月間、髪結いさんも休みなしで大変どすなぁ・・・・
こうした裏方さんの働きもあって花街が成り立って行けるんどすけどね。



 今年やって来た仕込みちゃんらにとっても、このをどりが最初の試練の場となんのどす。
毎日楽屋にお姉さん方のお手伝いにやらされたら、そらその忙しさにびっくりして、
中にはこんなこととてもやないけど続けられへん、
て辞めて行く子も出てまいります。
まぁ、をどりが済んで、明けのお休みから帰って来た子はその後も続く
可能性が高おすけどね。



 「ちょっとそこの仕込みさん。
 あんたのことや。
 この荷物うっとこの屋形まで持って行ってんか」

 「あの~、屋形てどこの、、、」


 「え、あんたうちの名前知らへんのか。
  ほんまにどこの子え」

 「すんまへん姉さん、、、」




 自分とこのお姉さんでもない芸妓はんから用事を云いつけられても、
断る訳にも行かしまへん。
取り敢ずそこにいてたら何なと用事いいつけられます。
この時季、歌舞練場近くを走り回ってるお下げ髪の子は、たいてい仕込みさんどす。



 そんなきついとこなんどすけど、楽しいこともあんのどす。
ちゅうのも普段はあんまり顔合わすことのない同期の仕込みちゃん同士が集まって、
いろんなことを話出来るちゅうのんは楽しみのひとつどす。


 悩みもおんなじ境遇やから話し合えんのどす。
この頃仲良うなった子とは将来、同期の舞妓として他とは違う親しい付合になっていくのんどす、
いわゆる戦友みたいなもんどすな。
それに楽屋にいてると、お姉さん方に届けられた差し入れの
おこぼれに預かることもありますし、これも楽しみの一つどす。


・・・小春姉さんと春玉のおかあさんの(内緒の)独り言です。
祇園も芸妓も舞妓も、それを取り巻く人々も、実に大変な世界です
そのごく一端を(現場から実況で)お伝えしました・・・・(笑)








 和食の揚げ物といえば、天ぷらです
一見すると簡単なようですが、実は奥が深く、高度な技術と修練を必要とする世界です。
シンプルなだけに、ごまかしのきかない調理法です
寿司の世界と双肩をなす、和食の粋と優美を競う調理の世界です。



 蕎麦屋で揚げる衣がたっぷりついたエビのてんぷらから
薄い衣で、「旬」の高級食材を揚げる天ぷら専門店まで、用途もお店も多岐ににわたります
また使う食材も野菜から魚介類まで、多種多彩にわたることがその特徴です。


 最近の一般家庭では、高度に精製されたサラダ油がほとんどです。
しかしつい最近までは、天ぷら油と言えば、植物から採取をした、ナタネや、ゴマ、
ベニバナ、つばきなどが使われていました。
独特の(天ぷらの)味と匂いは、ある意味ではこの不純物が残された
植物特有の性質によるものです。
実は(こうした植物たちの)この独特の香りこそ、天ぷら特有の隠し味です。
いまでも天ぷら専門店では、独自にブレンドをしたこうした植物油を用いています。
一般家庭の天ぷらが一味たりないのは、実はこうした理由によるのです。


 順平さんのお店で天ぷら修業が始まってもう、かれこれ4か月が経ちました。
多忙を極めた春の「都をどり」から、すでに夏を越えて、
祇園には、秋の温習会の時期が近づいてきました。




 温習会は、10月1日から、6日間にわたっておこなわれます。
1日1公演と控えめですが、2時間にわたる舞台で、(都をどりは、1公演1時間)
すこし出演者にはハードな内容の舞台になります。
華やかでお祭のような都をどりとは異なり、日ごろのお稽古の成果を披露するのが温習会です。
都をどりに出なかった大きいお姉さんたちも出演するという、緊張感のある舞台です。



 お客さんも、祇園関係者や、
舞踊関係者が中心で、いずれも舞いには目の肥えた人たちばかりが集まります。
準備に余念がない春玉の緊張も、いつしか絶頂期にさしかかってきました。
「扇をおとしたらどないひよ」、それが近頃のおちょぼのすっかりの口癖です。


 最近では開店前の仕込みと、
使う材料の下ごしらえを任されるようにもなりました。
関東では江戸前の魚介類が天ぷらの主役を務めますが京都では、魚介と共に
多彩な京野菜もその存在感をしめします。




 京丹波産の大しめじ、鹿ヶ谷南京、伏見トウガラシ、近江蕪、金時ニンジン、
くわい、などなど、京都の旬の野菜たちは、どれも鮮度充分で
その品質も厳選されたものばかりです。
加えて、瀬戸内海産のクルマエビをはじめ、アナゴ、淡路産のキスと雲丹(うに)、
天草産の文甲イカ、北海道産の貝柱と、全国からの選りすぐりが集まります。



 揚げる油も、高級な「綿実油」と
最高級の「太白胡麻油」を独自にブレンドをして使っています
精製度が高くあっさりしていて胸やけをしない「綿実油」と、優美な香りと
深いコクが魅力の「太白胡麻油」の取り合わせです。
「これで旨くなけりゃ、ペテン師だ」と嫉妬するほどの、最善最強といえる布陣です。
京都の天ぷらが高価で、美味しい秘密はここにあります。





アイラブ桐生 (53) 千両役者の夜(3)

2012-06-28 09:33:40 | 現代小説
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アイラブ桐生
(53)第4章 千両役者の夜(3)




 源平さんから呼び出しを受けて、順平さんのお店に顔を出しました。
お茶屋の「小桃」での例の一件からは、半月後になりました。
源平さんとお千代さんが、長い旅行からやっと戻ってきました。
結婚式の相談のために、青年の実家である秋田を訪ねた後、そのままの足で、
東北地方のすべてを周遊してから、やっと京都へ戻ってきました。


 なに、罪滅ぼしの旅だと思えば安いもんだと、源平さんは笑います。
年老いた先方の両親に配慮をして、結婚式は秋田であげることに決めてきたそうです。
それから先は、お千代と二人で水入らずのまま、気ままに
日本海側から津軽海峡へと回り、ついでに初めての東太平洋まで眺めてきたと
豪快に笑っています。




 「お前はんには、ずいぶん世話になった。
 旅先でもお前さんのことで、お千代とずいぶんその話がでよった。
 ところで、俺も気にしていたことなんだが
 お前はんは、この京都に本気で骨をうずめる気があるかいな?
 本当のところはどうなんや。」



 熱燗を注ぎながら、ストレートに切り出されました。
源平さんの質問は、見事に私の一番痛いところを突いています。
正直に、まだ決めかねています、とだけ答えました。



 「やっぱりな・・・
 お千代も一番にそれを心配しておった。
 お前はんにその気があるんなら、
 ここで、京友禅でも金箔師にでも、なんにでも育ててやることはでける。
 まぁその程度の素質は持っているだろうと、お千代も言っていた。
 俺もその通りだろうと思う。
 しかし正直なところ、俺にはまだ、お前の本気度が見えん。
 なんか他に、まだ引っかかっておるんかいな?」


 応えようがないので、まだ目標を探している最中です、とだけ答えました。
そうだろうなやっぱり、と源平さんがため息をついています。
すこしあいだ間が空いて、そのあとの言葉がなかなか出てきません・・・




 「おう順平、頼みが有るんだ。何も言わずにきいてくれ」

 「珍しいね。で、なんだい?」

 「こいつに、京のてんぷらの真髄ってやつを教えてやってくれないないか」





 藪から棒の提案です。
そう言われてから視線をあげた順平さんが、ちらりと私の顔を見たあと、
あっけないほどぼ即答をします。



 「あぁいいよ。
 いつからでもいいから、好きな時においで。
 別に減るもんでもなし、何でも教えるやるさ。俺でよければ、」


 「そうか、有りがたい。
 そう言うわけや。
 お前、明日からでも、こいつに弟子入りをせい」



 無茶くちゃな話が、本人を抜きにして目の前で進行をしています。
簡単に頼み事を言う源平さんもそうですが、聞いた瞬間にもう即答をしている
順平さんも、相当に適当な様子に見えてしまいます。




 「おいおい、軽い気持ちで適当に受け答えをしている訳ではあらへんぞ。
 お前さんも、もともとはといえば、板前修業をしていた身だろう?
 時間が空いたときに来ればいいさ。
 いちから教えてやる」


 盃を呑みほした源平さんがそれならば話が早いと、さらに押し込んできます。




 「まぁ、京都の土産だと思ってすこし、ここで修業せい。
 京都に住み着いて骨をうずめるつもりなら、いくらでも面倒はみてやれる。
 俺でも、お千代でも仕事を教えてやることが出来る。
 しかしなぁ、京友禅や金箔の仕事というものは、京都以外では通用はせん。
 おそらく日本広しと言えど、通用するのは狭い範囲の、ごく一部だけじゃろう。
 そいつが俺たちの泣き所だ。
 それでこいつに頼み込んでみた。
 板前の腕なら日本全国どこでも通用をするはずだ。
 覚えておいても損の無い仕事だろう。
 そんなわけだ。本気でここで世話になったらええ」



 結局、源平さんは一人勝手に、そんな風に話をまとめてしまいました。
突然、降ってわいたてんぷら修業の話です・・・
私が何か言おうとする前に、順平さんに止められてしまいました。




 「前々から源平には、頼まれていたことだ。
 何か役に立つ仕事のひとつでも、仕込んでおいてくれってな。
 そう言う奴だこいつは。
 京染めや金箔仕事じゃ食えないが、板前仕事ならどこでも食える。
 いつまでも、ホテルのボーイじゃ仕方がなかろうに、
 第一、春玉が可哀想だと、いつも事あるごとに、こぼしていたさかい」


 そのひとことを聞いた瞬間に、口元にまで盃を運んでいた源平さんが
思わず、大きく咳こんでしまいました。




 「おいっ。それは俺たちだけの話だ。
 まったく余計なことを言う。まだ、こいつには内緒の話だろう。
 余計なことまで言うなよ、とうへんぼく。」


 「あれ・・・・内緒かいな?
 お千代さんも、来るたんびにいつもそう言っていたし。
 俺はてっきり、もうこいつも知っている事なのかと勝手に思いこんでいた・・・・」



 「ほれみい、お前はひとことが多すぎる。
 余計なことは言わずに、黙って天ぷらだけを揚げていればええもんを。
 ほらみろ。こいつに、すっかりと全部ばれちまった。」



 「それならそうと、最初から俺にも、ひとことを言っておけ!
 お前も肝心なところで、いつも一言が足りねえ。
 だから、いつも話がややこしくなる!
 言っちゃいけねえのなら、ひとことクギくらいさしておけばいいのに!」


 「上等だ、このやろう・・・・。
 同級生だと思うから優しい口をきいてれば、逆切れをしゃがって。
 この野郎、ただではすまさないぞ!」



 まぁまぁと、今度はこちらが止めに入る番になってしまいました。
この同級生コンビは、単純で典型的に熱しやすく冷めやすいという呑み友達です。
気心が知れているだけに、些細なことでいつもこんな風に熱くなります




 「京の友禅染から、金箔師はんに弟子入りをして
 免許皆伝をもらう前に、もう、今度は天ぷら屋はんどすか。
 ほんにいそがしいこてぇ、どすなぁ~」


 久し振りに顔を見せたとたん、いきなり春玉からの痛烈な皮肉がやってきました。
今日は洋服姿で、17歳の素顔を見せている春玉です。




 4月は「都をどり」の本番が続きます。
1日から30日まで、一日4公演が連日のようにつづきます。
出だしの舞妓はひっぱりだこで、実質25日間を、フル稼働のまま乗り切ります。
朝は10時までに楽屋入りをして、4回の公演を済ませてから急いで着替えをすませます。
ひと息入れる暇もなく、今度は祇園のお座敷を駆け回ります。
12時から1時頃まで働いて、朝の6時ころにはもう起き出して、髪結いさんへ向かいます。
技量も要りますがこの時期には、とにかく体力が一番物をいうようです。



 無事に「都をどり」をつとめあげた春玉が、4日間のお休みをもらいました。
休みの初日に久し振りにと、お千代さんを訪ねたそうです。
少しの時間をお千代さんと雑談をして過ごしてから、わざわざ順平さんの
お店まで、『おおきにお世話になりました』と、大きな差し入れを携えて訪ねてきました。
日本髪を解いた春玉は、久し振りに明るい色の洋服などを着ています。
気のせいか(ご無沙汰続きで見慣れていないためか)すこしやつれたようにも見えました。




 「そんなことはいっこうにおへん。とにかく食べとおしです。
 楽屋は支給のお弁当やら、御贔屓さんからの差し入れやらで、とにかく物が溢れています。
 大きいおねえさんからの振る舞いなども届いて、とにかく食べ物だらけどす。
 猫にかつぶし。かっぱにきゅうりみたいなもんでどして、
 なんぼをどりで体力を使うたかて
 をどりが終わるころにはしっかり身についております。
 痩せるどころか、『をどり肥り』ちゅうとこどす。
 着物を着ていると、どなたもお気づきになりませんが、実は此処だけの話、
 わたし、脱いだらすごいんどす。うっふふ・・・・」



 「そら大変だ。春ちゃんも早めに足を洗わんと、むくむくと肥りぬくで・・」


 カウンターを挟んで、順平さんと春玉が談笑をしています。
仕込みのほうも一段落をして、そろそろ提灯に灯を入れる時間になりました。





 「おい群馬。今日はもうええ。
 せっかく春ちゃんが、『都をどり』のご褒美でもらった、4日間のお休みだ。
 舞妓がゆっくりできるのは、『をどり』のあとか、お正月休みくらいと相場が決まっている。
 せっかく、迎えに来てきてくれたようだ。
 もう、春ちゃんと二人でお帰りぃ。二人でゆっくりとしたらええ。
 季節がら、加茂川の散策でもいっといで。」



 加茂川はまずいでしょう。祇園のおねえさんたちとまた、ばったりと行き会ったりしたら、
後がまずいから、危なすぎて歩けません、と答えると・・・・



 「若いもんが、遠慮をすることなどありません。
 春ちゃんは、すっかり髪を下ろしているし、見なれていない洋服姿だ。
 紅も、白粉もつけていない今の姿は、誰が見ても、どこにでもいる17歳そのものです。
 その辺を歩いている高校生と、まったく似たようなもんだ。
 気にしないで、手でも足でも組んで、加茂川の土手あたりを歩いたらええ。
 ん・・・・足を組んだら、まともには歩けねえか・・・・」




 あはは、と笑う声に送られて、暗くなり始めた路地を歩き出しました。
都をどりの直後は、祇園の人通りも一段落します。
舞妓や芸妓さんの大半は、生家に戻るか旅行などで、『をどり』の後の休暇中は、
みなさんともに京都を離れるのが一般的のようです。
春玉は、なんで生家に帰らないのと質問すると、私の目を見て
「いけず。解っているくせに」と、ツンと怖い目をして機嫌を損ねてしまいました。
高瀬川から左に折れて、お千代さんの家へ向かいました。



「普通のお化粧をがしてみたい」と、さっきから春玉が胸をはずませています。
『夕方からなら手が空くから、もう一度いらっしゃい。楽しくお化粧をしましょう』
と、お千代さんとはすでに、その約束は出来ていたようです。
『男子は立ち入り禁止です!』と、嬉しそうに目を細めて笑った春玉が、
お千代さんの部屋の襖を、ピシャリと音を立てて閉め切ってしまいます。


 「おっ。なんだい、春玉が来たと思ったら、もう籠城中か。
 男は立ち入り禁止だって。まるで、夕鶴のおつうだな・・・・
 中で、機(はた)でも織っているのかな、女どもが二人して。
 まあ、待っていても仕方がないだろう。
 俺の部屋で一杯やろう、用が済めば、ほどなく出てくるだろう。
 女の機嫌と天の岩戸は、触らぬ神に祟りなしだ。
 くわばら、くわばら。あっはっは」



 源平さんと差し向かいで、二号徳利を三本ほど開けてすっかり気分が良くなった頃、
廊下でひそひそと話す、女どもの低い声が、こちらの部屋まで聞こえてきました。
ようやく、春玉の『普通のお化粧』が終わったようです。
「綺麗な、お嫁はんが出来あがりました」
お千代さんが、勿体をつけながらゆっくりと障子を開け放ちます。



 長い髪をアップに仕立てて、普通のお化粧をした春玉が現れました。
びっくりするほどの美人な仕立てぶりに、源平さんがまず完璧に、その場で固まりました。
もともと健康的で白い肌をしている春玉は、軽やかに施されたお化粧だけで
肌が一層引き立ち、唇は吸いつきたくなるほどに見事に艶やかに見えました。
『ほんまもんや・・・・驚いたなぁ。春ちゃんが眩しいほどに輝いておる!』
動きの止まった源平さんの手元からは、いまにも盃が、こぼれて落ちそうです・・・・
お嬢さんが愛用していたというワンピースも、そのお化粧ぶりとも相まって、
これもまた、実に良く似合っていました。



 「ほうら。ねぇ~、素敵でしょ。
 着物を着ている時の春玉ちゃんも可愛いけれど、
 洋服姿も、捨てたものではありません。春ちゃんはスタイルが良いんだもの。
 何を着ても、まったく良く似合うわねぇ!」



 「うん、まったくの別人だ。いやいや見事な別嬪はんだ!」


 着物と浴衣姿ばかり見てきたせいか、源平さんは、余りにも違う春玉の洋服姿に、
さっきからしきりと驚嘆をしっぱなしです。
似合う、似合うと、お千代さんは手を叩いて大喜びをしています。




 「いいわよ、ほんとに素敵! 
 春ちゃん、明日はそれに決めましょう。
 似合うわよ、可愛いわ。
 せっかくのお休みだもの、たっぷりとエンジョイをしてきてくださいね。
 いいわね~、。明日は鞍馬にハイキングだもの、楽しくなるわね~
 美味しいお弁当をつくるわよ。張り切って!」



 『あら・・・・どうしたのあなたは。全然うれしくないの。?
 こんな美人の春ちゃんとデートが出来ると言うのに、まったく感動がありませんねぇ?』
と、お千代さんが、私の顔を覗きこんで怪訝そうな顔をします。
え? ・・・・いったい、なんの話でしょうか。



 まったく知らなかったのは、実は本人の私だけでした。
鞍馬山のハイキングへ、二人で出掛けるという予定は
私の承諾なしに、すでにひと月も前の『都をどり』の時から決まっていたそうです。


 都おどりを無事に勤めあげた春玉への、目一杯のご褒美として、
春玉とお千代さんの間では、わくわくする出来事としてすでに決まっていたのです。
どうりで春玉が、生家には帰らないはずです。
しかし、気がつくのがあまりにも遅すぎました・・・・
すっかり、あとの祭りです。





■本館の「新田さらだ館」は、こちらです
   http://saradakann.xsrv.jp/

  
            

アイラブ、桐生 (52) 千両役者の夜(2)

2012-06-27 10:12:43 | 現代小説
アイラブ、桐生
(52)第4章 千両役者の夜(2)






チャリ舞について・・・

 京舞いの世界は、優雅でなおかつ優美です。
それもそのはずで、京舞は初代・井上八千代が200年前に始めた井上流の「舞」の世界です。
「都をどり」「祇園をどり」「京をどり」など、いずれもが井上流による「京舞」です。


 チャリ舞とは、お座敷で口伝えで伝わっていく余興の舞いのことを指しています。
そのために、お師匠さんもそうしたお稽古も、基本的には存在をしてません。
お座敷での裏芸ですから、ほとんどが「下ネタ」と呼ばれるお座敷芸です。
かつての忠臣蔵の内蔵助が、島原で遊興にふけった際によく登場したのが
これらの、少々お下品さを含んだ座敷遊びです。
大半が、下ネタ中心の替え唄や、都々逸、さのさなどです。



 なかには情緒たっぷりのものもありますが、
大概が上品とはいえない代物で、これに舞をふりつけて、その場で即興で踊ります。
その舞も、実にエロティックで公表をはばかられるものばかりです・・・・
若い芸妓さんや子供みたいな舞妓さんまで、面白がってこんな舞いを舞っているのですから、
見ているほうも、思わず何やらおかしな気分になります。
個人的には、やはり(年配の)お姉さんがたに、風情たっぷりに、かつ妖艶に、
舞ってもらった方が、しっくりときくるようです(笑)。




<実例をひとつ、紹介をします>



 「○×ちゃん、あんた恥ずかしないのん。あんな舞を舞うても?」

 「いや、べつにどうってことないわ。
 それよかええ年したお客さんらがはしゃいでんの見てるほうが、よっぽど面白い」

 「歌詞の意味わかってんのん?」

 「ん~。ようわからんとこもあるけど・・・・大体は分かるえ~」


 おそるべし・・・・17歳の舞妓です!


 例えば、こんな唄がうたわれています。

   ♪~狸寝入りに手探りされて、起きてる倅の間の悪さ~

    ♪~たたむ寝間着の襟元に、一筋からむこぼれ髪、
      帰してやるんじゃネェなかったに
      含む未練の夜の盃~



 本来の舞や芸事とは異なりますが、お茶屋さんの2階では
こんな風に、くだけた裏芸なども披露がされて、宴席に華を添えているようです。
大人の座興といえばそれまでですが、こうした余興もまた、
粋な大人の遊びのひとつとしての祇園では、ひそやかに受け継がれてきました。






 お茶屋の小桃の2階では、春玉の舞いが3つほど披露された後、
ほっとした空気が生まれたものの、ふたたび重い空気が漂よってきました。
会話が始まる気配は、まだまったく見えてきません。


 しびれを切らした小桃の女将が立ちあがりました。


 丁寧に包みこまれた風呂敷をたずさえると、静かに源平さんの前に座ります。
なにも言わずに風呂敷の包みをほどき、中から丁寧にたたまれた反物をとりだします。
盃を置き、つられたように覗きこむ源平さんの目の前に、
艶やかな、白垢地の生地が拡がりました。
大きく広げられた白無垢の生地の数か所からは、見事なまでに
咲き誇るカキツバタの花が現れました。
目を見ひらいた源平さんが、そのままカキツバタの花に引き込まれています。



 「お千代から預かりましたもんどす。
 もしもんときはお願いしますということで、
 わたしが、責任を持ってお預かりしたもんどす。
 本日はお祝いの席ゆえ、これが一番ふさわしいと思い、
 あたしの一存で、勝手ながらご披露におよびました。
 あなた様も見覚えがあるように、お千代が精魂を込めたカキツバタどす。
 いままでに、ぎょうさんのお千代のカキツバタを見てまいりましたが、
 色彩と言い、花の形と言い、その上品びりと言い、
 ここに込めはった、お千代はんのその気持ちと言い、
 どれをとっても、第一級品の仕上がりですと、私は確信します。
 お千代が全てをかけて描きあげた、後世に残る逸品だと、私も信じて疑いません。
 源平さん。どうぞ心いくまで、
 お千代の心意気を、見はってください」



 これはと、思わず膝を乗り出した源平さんの隣で、お千代さんも立ち上がりました。
若い者たちの背後を通過して、小桃の女将さんの横へすすみでます。
膝を正すと背筋を伸ばし、きっちりと源平さんの前に座ります。
畳に両手を添えました。
目線は源平さんに向けたまま、静かに頭を下げ始めます。
畳に額が着くまでお辞儀をしてから、やや頭を持ち上げました。
伏せられた顔のまま、やがてお千代さんが、静かに口を開きます。




 「可愛い娘のためにとはいえど、今の私にできることといえば、
 これくらいのことしかでけしません。
 嫁ぐ娘の晴れ姿のために、お千代が丹精を込めた、最初で最後のカキツバタどす。
 娘のためにと思い、ただひたすらに書きました。
 しかしあなた様には、心から本当に、申し訳ないと思っています。」





 もう一度、頭を畳に着くまで下げました。



 「あなたの跡取りを産めず、
 たった一人しか産めなかったことは、ひたすら私の落ち度どす。
 娘を産んでしまったということも、これもひたすら私の落ち度どす。
 しかし、女の子として生まれてきたこの子には、
 何の罪も、ありません」



 源平さんが固まってしまいます。
私をはじめ、居並んでいる小春姉さんや春玉も、ただ固唾をのんで
なりゆきを、見守ることしかできません。




 「駄目だと親が言いきって、結婚の反対をしてしまったら、
 お互いの将来を誓い合った若いこの子たちには、もう別の行く道はありません。
 あなたは賛成できないでしょうが、産んだ私が、早もう、あきらめてしまいました。
 どうぞ、何も言わずにお願いします。
 お千代が書きあげたこのカキツバタに、金箔での最後の仕上げをしてください。
 これ以外には、他にはなにひとつ、この子に持たせないつもりでいます。
 あなたに仕上げてもらった、このカキツバタの晴れ着だけを持たせて、
 この娘を、お嫁に出してあげたいと、お千代は心から願っています。
 勝手ばかりを言い、我がまま過ぎるお願いで申し訳ありません。
 一生でただ一度だけ、お千代の本気の、心からのお願いです。
 最初で、最後のお願いといたしますうえ、
 どうぞ、お願いいたします」


「勝手に、最後とされたら、俺が困る・・・」




 どれ、とたちあがった源平さんが生地を手に取り、じっとのぞき込みます。






 「この野郎・・・
 たしかに、お前らしい、いい絵じゃねえか。
 女将の目も確かだ。見る目は確かに節穴じゃないようだ。
 ずいぶんと、丹精が込められている、まことに見事なお千代のカキツバタだ。
 なるほどなぁ。これなら誰が見ても確かにお前の代表作だ。
 晴れの日に、娘に着せるためにというが、
 ご丁寧なことに、ここと、ここの部分に、俺に金箔をいれろと、
 ちゃんと、丁寧に印までしてあるじゃねえか・・・
 なるほどなぁ・・・・
 娘に一番似合うように仕上げるために、もう、ちゃんと計算が出来ている訳だ。
 こんなに丁寧に仕立てられたものに、俺も手を加えるとなると
 生半可では、済まなくなると言うもんだ。
 これでちゃんと、職人としての誇れる仕事をしなかったら、
 俺も、後世まで男としての名がすたる。
 まかせろ、お千代。
 お前に仕事で、負ける訳には、まだいかねえな。
 俺も精いっぱいに、一生一代の仕事をする!
 二人で、力を合わせて良い仕事をしょうじゃねえか・・・・
 可愛い、一人娘のためにも」



 緊張しきっていた室内が、どっと、どよめきました!




「よおっ、日本いち!!」



 置き屋のおかあさんが、真っ先に源平さんへ声をかけます。


 「源平はんは、やっぱり誰が見ても、祇園の男どす。
 婿はん。見た通りどす。この男はやっぱり、日本一のおとうさんさかい、
 心から感謝せな、あかんえ~」




 「だめだ、だめ。湿っぽいのは・・・・。
 せっかくの内祝いと、春玉の初披露という、とにかくめでたい宴席だ。
 おい小春。芸者ワルツを弾け!踊るぞ今夜は、
 唄え、唄え~。」



 小春姐さんが、涙をぬぐって、軽快に三味線を弾き始めます。
置き屋のおかあさんと小桃の女将さんが、声を揃えて唄いはじめました。
源平さんが立ちあがると、お千代さんの手を取ります。
若い二人も、女将さんにせかされて、座敷の中央へ押し出されてしまいました。
春玉が、赤い顔をして、私の元へ飛んできました。




 「芸者ではおへん。舞妓ですが、それでもええどすか?」



 願ってもないことです・・・
あっというまに出来あがった3組のカップルが、お座敷の中で
三味線の伴奏つきで、なぜかチークダンスなどを踊り始めてしまいました。



 「だめだぁなぁ~・・・・
 芸者ワルツだけじゃ、いまいち、場の盛り上がりに欠ける。
 女将。やっぱり、いつもの18番(おはこ)をやれ!
 ここは一番、やっぱりなんと言っても、いつものあれだろう。
 小春が一番得意としている、とっておきの新撰組をやれ!」




 源平さんが汗をぬぐう間もなく、次の踊りの指名をします。
女将さんもおかあさんも、そして小春姐さんも、ついには春玉まで、
一斉に、凄まじいまでの嬌声をあげます!



 「なに?・・・・新撰組って?」



 応える間もなく、春玉が私のネクタイに手を伸ばしてきました。
手際良くネクタイの結び目を解くと、そのまま頭に持っていき、
キリリと鉢巻にしてしまいます。
ちょっとだけ躊躇するそぶりを見せた春玉が、次の瞬間に、エイヤとばかり
私のズボンのファスナーに向かって、右手を勢いよく伸ばしてきました・・・・
え?、あっという間に、ズボンのファスナーに春玉の手がかかります!
 。おい、おいっ・・・・。


 「心配は、おへん・・・」




 春玉もすっかり上気をしています。
見れば男たちは、すっかり元気になった女たちに揉みくちゃにされながら
よってたかって、衣装替えの真っ最中の様子です。
春玉が「まかせておいて」と笑っています。
見事なまでに手際よく、ズボンのファスナーを一気に引き下ろしてしまうと、
その隙間から、ワイシャツの裾を引き出します。



 「はい、これは手綱です。
 あなたは馬上の武士ですが、私は自由奔放に逃げ回っていく花街の遊女です。
 見事に捕まえてくださいな。遊女の逃げ足は極めて早いんどす。
 ほな、逃げますさかい。
 あんじょう、追いかけてくだないね!」



 そう言うなり黄色い声をあげ、裾をたくし上げた春玉が、
座敷のなかを、右へ左へと悲鳴をあげて、駆け回りはじめました。




  ♪~鴨の河原に千鳥がさわぐ~
    股も血の雨、涙雨
    武士という名に命を賭けて
    新撰組は今日も行く~
    チータカタッタッタ チータカタッタッタ 



 
 お姉さんの色っぽい声。早くつかまえてと、
一斉にはやし立てる女将さんたち。
舞妓のまったく遠慮のない、ひときわよく響く、黄色い悲鳴。
どたばた、どたばた。・・・・さらにまた、どたばた、どたばた。
追い掛ける男たちは馬にまたがった形のまま、逃げる女どもを
とにもかくにも、狭いお座敷の中を、どこまでも必死になって追い回し続けます。




 祇園は、きわめて粋な街です。
粋も甘いもすべて承知の上で、たまには羽目を大いにはずします。
こんな風に、誰にも止めようのない、らんちき騒ぎの夜もあります。




 それにしても、お千代さんの筋書きは見事です。
周到な準備と言い、見事に書きあげたカキツバタと言い、
源平さんへの思いやりと言い、実に欠点のない、完璧な脚本でした。
だが、それ以上に、今夜こんな風に用意をされていた花道で、期待以上に
ものの見事に、男親の役柄を演じ切った源平さんも、
またまた見ていて、見事でした。


 祇園の、老舗お茶屋を舞台にした、夫婦合作の見事な「千両芝居」でした。
じつにお見事な結末に、久し振りに気持ちの良い涙が、
一筋だけ、頬を流れてしまいました。
やはり、祇園は、つくずくと、粋な街だと痛感をしました。








■本館の「新田さらだ館」は、こちらです
   http://saradakann.xsrv.jp/

アイラブ桐生 (51) 千両役者の夜(1)

2012-06-26 09:56:35 | 現代小説
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アイラブ桐生
(51)第4章 千両役者の夜(1)




 祇園へ遊びにやって来たお客さんたちに、遊ぶ場所を提供する「貸し座敷」の
役割を果たしている場が、お茶屋です。

 お客の求めに応じてお酒を提供し、屋形(置屋)から芸妓や舞妓たちを呼びます。
仕出し屋から希望に応じた料理をとり、一夜の宴をサポートするための、
さまざまな手配などをこなします。
ここでの支払いは、すべて「ツケ」というのが基本です。
有名な「一見さんお断り」というしきたりは、馴染み客を大切にしている義理固さと、
その信頼関係を大切にしてきたことの、長年にわたる証です。




 屋形とは、芸妓と舞妓が所属をするプロダクションです。
芸妓を志す少女はここで「おかあさん」と呼ばれる経営者と寝食をともにしながら
言葉や立ち振る舞いなどをはじめとする、花街での基本的な躾(しつけ)を身につけます。
また舞いをはじめ、その他の広範囲にわたる芸事などを習得します。


 舞妓としてデビューしたあとも、
一人前の芸妓になるまでは、屋形での生活がつづきます。
ちなみにお茶屋の女将も、芸妓や舞妓たちからは「おかあさん」と呼ばれています。
親子のようなこうした関係が、花街の女性たちをやさしく厳しく包み込みます。
ひとりの少女が一人前の芸妓として磨きあがるまで、祇園ではこうした人間関係が
連綿と長い時間をかけて、続いていくのです。




 この年の、舞妓のデビューは、「春玉」の一人きりです。
それも、祇園では数年ぶりと言う快挙です。
あちこちにあるお茶屋の女将さんや、馴染のお客さん達に、ひと通りの挨拶がすむと
もう「おちょぼ」も、立派な「舞妓はん」として扱われはじめます。
ましてや、久し振りの舞妓の誕生とあって、祇園の町では、ちょっとした
時の人として「おちょぼ』には、連日の声がかかります。
小春お姉さんについて回っていた春玉も、ようやく一本立ちとなり
指名されての主役の席も、徐々に増えてきました。



 同級生の女将さんがやっている「小桃」へ春玉を呼び、
身内だけの「内祝いの宴」を開くことを、お千代さんが準備しました。
宴に呼ばれているのは、一人娘とその交際相手の青年です。
どのようにして説得をしたのかは解りませんが、源平さんも同席を承知したようです。




 「ひと月あまりも、あたしが手塩にかけた手料理を食べさせたんどす。
 そろそろ、年貢の納め時だと、当の本人も覚悟をきめたようです。
 オヤジの我がままを言い過ぎて、引っ込みがつかないだけの立ち場です。
 なんとか縁談もまとまりそうですので、ぼうやも忘れずに顔をだしてくださいね。
 あんたの場合は、内祝いに付き合うと言うよりは、
 本当は、会ってみたいでしょう?
 舞妓になって、一人前になった晴れ姿の、
 あんたの、半玉ちゃんにも 」




 お千代さんはそう言うと、悪戯っぽく目を細めて、楽しそうに笑っています。
忙しくなってきたために、最近は「おちょぼ」と合うことは有りません。
お千代さんのところへも月に1度くらいしか、顔を見せない状態になりました。
それほどにデビューしたばかりの、「出たて」の舞妓は祇園で
ひっぱりだこの評判になっています。
久し振りだという舞妓の誕生に、祇園の町は、数年ぶりに賑わっています。




 もうひとつの恋の行方も、佳境にさしかかりました。
お千代さんの一人娘のロマンスは、もう最後の詰めともいえる段階です。
お相手の青年は、秋田県の出身で、自動車部品関係で働く営業マンです。
一言で簡潔に言ってしまえば、まさに好青年の一人です。




 結婚を妨げている最大の理由は、彼が農家の一人息子であることです。
年老いた両親が田舎で農業を続けながら、彼の帰りを待っていることにありました。
お千代さんも、最初は猛烈に反対をしました。
やがては秋田で農業を継ぐと言う青年のその言葉に、不安を感じたからに他なりません。
しかし娘さんは、「其れでも良い」と、頑として折れません。
どこまでも彼に着いていきたいという、一途な娘の気持ちに、まずは
お千代さんのほうが折れてしまいます。
しかし源平さんは、交際相手の顔すらも見たくないと言って、
話も聞かず、最初から強烈に突っぱねました。
「俺は、絶対に賛成はしない」と宣言をして、やがて際限もなく、駄々をこねはじめました。



 どちらも一人っ子という者同士が、結婚を熱望した場合、多くのケースが
決着まで難産をするというのが、常に一般的です。
行く末を決める時にも、本人たちの意思や希望よりも、お互いの家族や両親の
老後の世話や面倒ををどうするかで、きわめて複雑な配慮が必要となってしまいます。
それゆえに、明快な決断が出しにくくなるという、やっかいな事態にたちいってしまいます。




 「しかし、もうこの二人は、何が有っても、後戻りをしない」



 それだけの決意を、この二人の姿勢からはっきりと読み取ったお千代さんは、
母親として、今度は源平さんの説得に乗り出しました。
三度のご飯作りも、実は少しばかり面倒ですが・・・・といつも
愚痴のようにこぼしていたお千代さんが、何故かせっせと三度の食事を作り始めました。
一か月もの間にわたって、何処にも出かけずに、ひたすら源平さんのために、
その手料理を作り続けました。
これには当の源平さんもまた、口には出しませんが、何かを感じていたようです。
源平さんもこれ以降は釣りにも出かけず、こちらも部屋にこもって、
金箔貼りに精を出しはじめました。


 そしておちょぼ、いえ、・・・
「春玉」へのご祝儀も兼ねた、お茶屋さんでの「内祝い」の日がやってきました。




 祇園のある先斗町(ぽんとちょう)は、
三条と四条の間で、加茂川と木屋町通りの間に位置している花街です。
細い路に、飲食店がぎっしりと立ち並らんでいます。
夜になると打ち水にぬれた路地は、ネオンが美しく映える大人の街に変わります。
所々に、きわめて狭い路地が有ります。
観光客が入り込むのを防ぐために、どんずまりの路地には、
「通り抜けできません」という、表示が掲げられています。
石畳がしっとりと濡れてくるころには、夜の帳もおりてきて、花街は一層艶めきます。



 同級生のお茶屋さん・「小挑」は、その中ほどで、
どっしりと構える名の通った老舗です。
黒塀がぐるりと続いています。
見越しの松が懸かる入口には、盛り塩が置かれています。
格子戸の手前には、玉砂利の中に小さな植えこみが有り、と飛び石が
わざと不揃いに、かつ綺麗に並んでいます。




「おこしやす」



 玄関先で出迎えてくれたのは、女将のやわらかい笑顔と京ことばです。
エンジ色の地に、白い桃が染めねかれた暖簾が待っていました。
それをくぐり抜けると、奥へ向かって黒々と輝く廊下が見えました。
京の町屋は、間口の狭い様子からは想像ができないほど、奥に向かって深く連なっていく造りです。
皺一つない真っ白の障子と、良く手入れされた中庭の間を廊下がどこまでも続きます。
突き当たりの階段からは、宴席のある二階へ登れます。
手入れがほどよくどこまでも行き届いていて、小綺麗ばかりが際立っている空間です。
普段の生活の匂いなどは、まったく微塵も見えません。
京都のど真ん中だというのに喧騒は聞こえず、どこか異次元に入り込んできたという
気配が、どこまで行っても濃厚に漂っています。




 「お足元がくろうおす、お気をつけて」



 黒色の重厚な手すりを持つ階段を、登りおえます。
そこに現れたのは、畳が敷き詰められた廊下と、美しい赤壁の日本間の空間でした。
通された赤壁の12畳の部屋は、黒塗りの柱と梁が強いアクセントとなり、
きわめてモダンな和風といえる雰囲気が漂っていました。



 用意されいる配膳は、5つです。
横一列に綺麗に並んだその脇に、すでに若い二人の姿が有りました。
前髪をあげて明るい額をみせている笑顔のお嬢さんとは対照的に、
スーツ姿の青年は、膝をそろえたまま見るからに緊張をしてかたまっています。
源平さんと青年は、今日がまったくの初対面になります。
床の間を正面に見据える位置に、源平さんが無言のままに、まず座りました。
お千代さんと若い二人がその横に並びます。
私は、当然のこととして末席へ着こうとしたら・・・




 「今日はお前さんも、春玉の、大事なお客さんのひとりだ。
 女将。すまないが、その膳をこちらに。」



 そういうと、末席の膳を源平さんの隣に運ばせてしまいます。
想いがけず、源平さんと並んで座る形になってしまいました。
それぞれに居場所は定まったものの、会話が始まる気配などは一切ありません。
階段から人の気配がしました。
舞妓と芸妓が到着をしたようです。
相変らず重苦しい空気と緊張感が漂う中、小春お姉さんと春玉が挨拶に現れました。
少し遅れて、置屋のおかあさんと小桃の女将も登場しました。
挨拶代わりに、小春姉さんがまず最初の踊り始めます。
丁寧にひとつ畳にすわつてお辞儀をした後、すくっと立ちあがった小春さんが、
凛とした流し目のまま、静かに地方の三味線を待っています。




 簡略化された所作のなかで、最大限の表現を演じる「京舞」は、
「踊り」とは言わずに「舞」と呼びます。


 小春姉さんが一つ舞を披露した後、今度は座って地方(じかた)に加わりました。
おかあさんと二人で、三味線の準備をはじめています。
「地方」とは、唄や三味線を得意とする芸妓たちをさしています。
舞を専門とする舞妓や芸妓は「立方(たちかた)」と呼んでいます
小春おねえさんのように、両方こなせる芸妓さんもいますが、唄や三味線の習得には
かなりの年月を要するので、必然的に年配者などが多くなるようです




 緊張そのものの春玉が、座敷の中央へ歩み出てきました。
ここから先は春玉だけの、ひとり舞台にかわります。
まずは、親しみのある舞から始まりました。



  「月はおぼろに東山、霞む夜毎のかがり日に、
   夢もいざよう紅桜、 
   しのぶ思いを振り袖に、祇園恋しや、
   だらりの帯よ」



 長田幹彦の作で、「祇園小唄」です。
簪(かんざし)を揺らして、一人で舞いはじめた春玉ですが、
はた目から見ていても、どうにも頼りなく、いかにも心細く、触れたら落ちそうなほど
痛々しいかぎりの様子で舞い始めています・・・・
やっとの立ち振る舞いと、所作がつづきます。



 恥ずかしさを精一杯に隠し、未熟な舞いに少女は心をドキドキさせながら、
それでも必死になって舞い続けました。
そのあまりもの危うげな様子に、見ていて、思わずこちらのほうがハラハラとします。
細くしなやかな春玉の指から、舞扇が危うく落ちそうになった時などは、
心臓を「わしずかみ」にされたかと思うほど、
思わず、こちらの息も止まりました。


 ようやくのことで舞い終わり、春玉が居ずまいを直して正座をした時には
全員から、大きな安堵のため息が、まずそれぞれの最初にもれました。





 「いやいや上出来、上出来。春玉ちゃん。
 最初は緊張をするさかい、誰でもそんなものだ~ 良くぞ舞切りました。
 いやいや、・・・小春の時から見れば、上出来だ。」



 恥ずかしさで今にも消えて無くなりそうな春玉に、源平さんが
やさしく声をかけています。
お千代さんも、春玉を呼び寄せて小声で褒めています。



 「春玉ちゃん。出来はともかくとして、まずは舞い終わることが肝心です。
 あとは場数を踏めば、すぐに上手にならはります。
 小春お姉さんの舞は、これはもう祇園でも超一流で、まずは別格です。
 精進次第で、そのうちには、追いつきます。
 でも、ここに居る、屋形のおかあさんや小桃の女将さんくらいには
 あっという間に、追いつけると思います」



 「お千代はん。それはまたあんまりやわ。
 それでは私たちが、たいした舞も、芸もできないように聞こえます。
 まぁ、しかし結果はおっしゃる通りどすが。
 舞いが上手なら、いまだに祇園を代表する現役の芸妓どす。
 もうご覧の通りの年寄りで、女まで引退をしてしまった、ただの姥桜どす。
 あたしも。ここにいはる小桃の女将も! 。あっ、はっは」



 笑い声の中で、部屋の空気が少しだけなごみはじめました。
次の舞にたちあがった春玉は、先ほどよりもなめらかに、かつ艶やかに舞い始めました。
・・・・何かが自分の中で吹っ切れたようです。



 しかし、肝心の「内祝い」の方はどうなったのでしょうか・・・・
今夜の大事な用件は、源平さんに結婚を承諾させることが、その一番の狙いです。
源平さんは、いまだに一人娘の結婚どころか、交際相手の存在すらも認めていません。
お千代さんは、とっておきの秘策を、すでに用意をしたと言っていましたが
今のところ、まだその気配は見えません。
本当に、大丈夫なのでしょうか・・・






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